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『旅は短く終わるか 』
薙原・牡丹7892

 ふう、と。深い吐息が牡丹の口から漏れる。
 瞳の鳶色が印象的な、彼女の特徴である切れ長な目元も、今はどこか重たげである。
 肩にかかった髪を煩わしげに後ろへとはらえば、それはまるで今の彼女とは別の生き物であるかのような瑞々しさと艶やかさを保っていた。
 彼女の眼前にはモニター、手元にはキーボード。さらに横にはなにやら細かく書きなぐっているメモとペン。
(…煮詰まった)
 本来の意味で、と。直近の仕事である短編がようやく書き上がったのである。あとは推敲と校正の作業だけである。
 煮詰まったのであれば、次は最終的な仕上げに入ればいいだけである。
「そう、打つ手が無くなって行き詰まる、なんて意味の誤用とは話が違う。まさに本来の意味。コトコト煮込んで余計な水気が飛んで、素材の味がじゅうぶんに濃縮された状態。あとはもう、仕上げて美味しく頂くだけ。そう、今の私はそれが出来る状態。ただ、その前にもうひと手間、私はこれを一旦寝かす」
 疲れがたまっているのか、ふふふと少しばかり笑みも浮かべて怪しい様子でぶつぶつと呟く牡丹はしかし、呟くうちにだんだんと生気を取り戻してきたようで軽く頭を振り、お湯を沸かしに席をたった。
(・・・どこに行こうか)
 かちゃかちゃと自動で動く手にさせるがままの如く、思案する。
 たいがい、こういったパターンは多いのだ。大筋で作品を書き上げると、一旦短い旅に出ることがある。
 明確な理由は無いが、なんとなく恒例となった牡丹の執筆のうえでのリズムのようなものだった。
 コンロの火が発する熱に手をかざしてみる。
(まあ、つくづく妖怪的ではないね。好きでしている生活ではあるけれど)
 うわばみの妖怪である牡丹はどうしても時折、この人間的な生活と妖怪としての己のさがについて思いにふける事がある。
 そうしたものは彼女の書く小説と決して無関係ではなかった。そしてこの日は、その思案が先日見た夢にまで及んだ。
 ―泉とも沼ともいえる場所。水神としてたたえられるようになったうわばみ。一人の男。半月の月。
 そんな実際の彼女の過去と安易な創作性をくるっとひと混ぜしたような夢。
(・・・行って、みようか?)
 うわばみとしての彼女が住処としていた場所のこと。
今ひとつ思い切りがよくはないのは、人間として生活している面が強い今の彼女にとっては少し、すでに乖離した過去の己と向き合うことになるような場所であるからかもしれない。
(まあ、見つからないならそれはそれでいいし・・・)
 行くのであればまずその場所がどこであったかを探し出すところから始めねばならない。
 なにせこうした人間らしい生活どころか、まるっきり妖怪妖怪していた頃のことである。
 人間の定めた行政区分上どこにあるであるとか、そんなことはまるっきり当時のうわばみであった自分からすれば、歯牙にもかけないような興味外のことでしかなかったのである。
(だから別に、単に思い出せないとかいう話では・・・そんな年で、も・・・)
 ない、と言えないのが辛いところであった。おそらく五百年は超えて生きてるあたり、記憶も埋没しようというもの。 
 まあそれも、今の自分の人間的な感性からの思考であろうが。
 一息、今度は心なしか笑みを浮かべながら、牡丹は淹れおえたティーカップを手にパソコンに足を向けた。
 お茶はアップルティーにしてみた。疲れた頭には少し甘めの方が効くに違いない。


 見つからなくても仕方ない、という思いでキーボードを打っていた牡丹の手は、思いの外あっさりと件の場所を見つけ出してとまることになる。
 ずいぶん長い間、牡丹は逡巡していたようだったが、やがて手元のカップを口に運んだ。
(まあ、見つけてしまったものは仕方ないか)
 行くことにした。牡丹にしては一つの事柄を決めるのにずいぶん時間を費やしたものだった。
 そうと決まれば、と思ったがこの日はもう寝ることにした。いい加減、働かせ続けた頭も限界にきていたのだ。
 翌日、件の山村にはたった一つだが民宿があるらしいことに牡丹は安堵し、予約の電話を入れておいた。
 電話を切るともう一つ、かけるべきところを思い出して指を動かした。
「ええ、またですかあ。嫌まあ、締切守って頂ければ多くは言えないんですがこちらは」
 担当の編集者の軽い非難も、いつも通り大筋で書き終えたから大丈夫と押し留め、牡丹は通話を切った。
「ほんとですね、お願いしますよー」
 切るその瞬間まで念を押す担当の声が聞こえてきた。
 さて、と振り返った牡丹は手早く旅行支度を整えていく。
 その様子は思案することの多かった昨晩とはうって変わったかのようだった。
 結局、さっさと支度を終えた牡丹は鞄ひとつで飄と出発してしまった。
 いつも旅は短い。
 それでも、いつもとは趣の異なるこの旅はどのようなものになるか、風に黒髪を流すように歩く牡丹には見当がつかなかった。
(まあ、自分のことって一番わからないっていうし)
 電車とバスをずいぶん乗り継いでどうにか行ける小さな山村。そこからさらに山道に分け入った先にある小さな社。
 そしてそこには、大きめの沼があるはずだった。
 それが、かつてうわばみが棲んでいた場所であるはずだった。
 沼か、と牡丹は思った。ネットで彼女が見つけた表記は沼だった。
「やっぱり、帰郷って感じは一切無いなー」
 そんなひとり言も、或いは不安とも高揚ともつかない不思議な心持ちから来るものかもしれない。
 空は晴れている。相変わらず、散歩をするにはいい場所だ。
 散歩からもう少し足を伸ばす、薙原・牡丹。足取りはずいぶん軽く見えた。


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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【7892@TK01/薙原・牡丹/女性/31/小説家】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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 お待たせして申し訳ありません。結局、現地への出発までとなりました。お気に召して頂ければ幸いです。
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東京怪談ノベル(シングル) -
遼次郎 クリエイターズルームへ
東京怪談
2018年11月26日

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