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『酔夢一夜 』
蜜鈴=カメーリア・ルージュka4009

 なに、そこに据え置いてある壷が気になると?
 ふふ、ようも訊いてくれた。
 それは先頃、妾がともがらより頂戴した酒なのじゃがのう。
 遠方より来たりし旧き友と旧交を温めながら聞いた話には、「金酔酒」と謂うたかの、兎にも角にもたいへん美味にして世に稀なる、幻の酒と聞き及んだのじゃ。
 幻の酒とは如何に、じゃと?
 そうよな、気になるであろう。
 そう話して良いものか悩ましいところではあるが、今宵は妾の機嫌が良い。教えて進ぜよう。
 何ゆえ幻の酒との謂われであるか。それは単に珍しいからのみではない。
 話によれば「金酔酒」は呑んだ者に不思議を起こすと謂われておる。不思議とは何か、それは呑んだ者によって異なり、また、一つに定まっておるものではなしに、呑むたびに異なる不思議を招くとな。
 風味絶佳のみならず、珍重されておるのは、それゆえであると。
 ゆえ、妾はたいそう愉しみに思うて、友が帰りし後、さっそく、盃にて頂戴したわけじゃが――


 深更。
 天上の凍てる月は冴え冴えとして澄み渡り、青褪めた光を地上の高楼に投げかけていた。
 高楼の階には、幾段にも長く曳く衣を身に纏い、今まさに昇りゆくひとつの影があった。
 佳人の影は其処此処に掲げられている篝火に照らされ、それ自体が生き物のように、佳人を幾重にも警護する軍兵のように伸びては揺れている。蜜鈴は裳裾をからげて覗く桃色のつま先で一段一段を踏み、ゆっくりと階を上ってゆく。
 高楼の頂きに出ると、眼前が開けた。地平の果てまでが、木々の影見えぬ岩山と乾いた大地に覆われた荒野だ。天には数多の星々が銀沙を撒いた如くにあり、冷たい大気に瞬いている。
 設けられた壇に坐す。傍らに鎮座していた古の七絃琴を前に据え、指を添えた。瞼を伏し、指を使って、一弦。はじくと弓弦のように震えたそれが妙なる音を響かせた。寒夜の風音に掻き消されることなく、真直ぐに琴は鳴る。
 一弦、また一弦。
 左手で絃を押さえ、右の手指で弾く。次第にはやくなる指使いにしがたって琴の音が踊りはじめた。
 緩急つけて弾き鳴らしているうち、それまで一片の気配も窺えなかった黒雲が、天の一隅に現れた。
 俄かに湧き出た雲は勢いを増し見る間に渦巻く黒雲となって、稲妻が走った。風が鳴り、横殴りの雨が高楼の瓦を叩きだした。蜜鈴はかまわず琴を掻き鳴らす。
 桃の実ほどの雹が、瓦に砕け、地に砕け、岩山の大地を荒々しく洗う。
 しかし、嵐の風も雨も、雹も、蜜鈴の琴の音を打ち負かすことは叶わず、むしろ嵐の風鳴りが琴の律に寄り添うているようでもある。
 蜜鈴が天を仰ぐと、九頭龍の如く天を奔る稲妻の間から、雷神が現れた。忿怒相をした雷神が蜜鈴を睨む。蜜鈴は琴の手を休めぬまま、嫣然と雷神に微笑いかけた。雷光が閃いて夜天を切り裂いた。
 と思われた一刹那の後、それまでの黒雲は何処へやら、帳を開いたように一転して晴れ渡った月夜が広がっていた。
 すると今度は、地の底よりゆらゆらと湧きあがってきたものがある。
 蛍のように明滅する、胡蝶たちの群れだった。
 胡蝶たちは琴弾く蜜鈴のまわりに飛び来たりて、彼女を掬いあげるように、蜜鈴を乗せる臺となって浮かびあがりはじめた。天人のように空を舞う蜜鈴に、胡蝶がつどう。瑠璃色の翅が透け、燐光を帯びて輝く。その中に蜜鈴が浮かんでいる。
 ――なんと。妾は飛んでおるのか。
 燐光の曳光を残し、すべるように池の上を流れ飛ぶ。池のおもてのさざ波に落ちる月影の中に、薄絹の衣をたなびかせる蜜鈴と胡蝶たちの姿がある。
 蜜鈴は手を伸ばすと、胡蝶たちのうちからひとつを掬い取って、己が手の甲に乗せた。
 ――見事じゃのう。
 胡蝶の翅にくちづけた。
 けぶる燐光の雲に身をまかせ、峻険な岩山の周りをめぐり、飛沫煌めく瀧の瀑布を遡る。胡蝶とともに、天に遊び、地に遊ぶ。
 愉快さに笑う。



 目が醒めると、蜜鈴は窓辺の月を浴びてうたた寝していたのだった。
「……はて。酒が殊に美味くてならぬとは思ったが、然程も呑んだであろうか。いや、さてはこれこそが、この酒が見せた夢じゃったか」
 緋毛氈に転がる盃の縁を指先で撫ぜた。
 ――と。その指にふわりと来たり、とまったものがある。
「おや、これは」
 僅かながら翅の端より燐光を滲ませている、この胡蝶は。
「あの胡蝶ではないか」
 夢の中、蜜鈴に寄り添っていた。
 胡蝶はその声を聞いて喜んだように翅を閉じ開きすると、そのまま、すう、と蜜鈴の手の甲に吸いこまれて消えた。



 ――とまあ、そのようなわけであったのよ。
 ご覧な。その夜から、妾のこの手に不思議に現れた胡蝶の紋。
 愛いものでのう、こうして、蝶よ、蝶よ、と呼びかけると色づくのじゃ。
 のう? 瑠璃玻璃に染まったろう? 
 次第に薄れていってはいるが、これこの通りまるで夢とも思えぬゆえ、またかの酒で胡蝶を見ようかと思うておる。まあ、首尾良くまた見られるかは、わからぬがのう。



 蜜鈴の手の甲で、胡蝶の紋が、淡く瑠璃色にまたたいた。



<了>



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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【ka4009/蜜鈴=カメーリア・ルージュ/女性/22/魔術師(マギステル)】


ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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初めまして、工藤彼方と申します。
このたびの発注、たいへんありがとうございました。
お酒の不思議譚としてお送りいたします。
蜜鈴さんは…日頃は賑やかなお酒を好まれそうですが、
酒にまつわる武勇伝も多々ありそうですね。
あらためてまして、ありがとうございました。



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2018年11月26日

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