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『ベロニカの休日 』
榊 守aa0045hero001

 アイルランド南部の港町、キールセン。
 なんかこう、抉れたり削れたりしてる埠頭――何日か前にあった戦いのせいだ――を踏んで、俺は町に踏み込んだ。
 しかし、カラフルなもんだ。思わず建物の色を見回しかけて、俺は視線を前へ引き戻す。
 ものにはなんにでもベストタイミングってやつがある。そいつを外しちまったらもう、取り返しがつかなくなるもんさ。俺はそいつを、いやってほど思い知ってるんでね。

「邪魔するぜ」
 町の一角にあるシーフードレストランの扉は、情報どおり開きっぱなしだった。カウベルがついてねぇから、厨房まで来客の知らせも届かねぇわけだが……問題なし。なんせ主は客席にいる。
「相変わらず輝いててなによりだぜ、アガリー」
 黄金の人形を依り代にする愚神ウルカグアリーが、俺を見上げて薄笑んだ。
「久しいな、顎髭。扇娘のお守りは失業か?」
「ちゃんと許可もらってきたさ。それより――榊 守だ。せめて名前で呼んでくれよ、最初で最後の機会だぜ?」
 お互いわかりきってることだろう。
 もうすぐ俺たちが、命を獲り合うなんてのは。
「相も変わらず戯れ好みの数寄者よの。して、何用だ?」
 どこかで聞いたようなことを言うアガリー。ま、今んとこは数寄者でいいさ。顎髭よりは“俺”だろ。
「こいつを飲ませたくてな」
 抱えてきたバッグから紙袋を取り出してみせると。
 潮を含んだ空気を押し退けて、焙煎した珈琲豆のほろっと苦い香りが漂いだした。
「此は」
 ウルカグアリーは鼻先を上げて確かめる。
「ベロニカか。汝(なれ)に語った記憶はないのだが、果たして何処で知り得た?」
「夢の中で……なんて言えたらいいんだが、俺にも謎なんだ。だが、食いついてもらえたんなら幸いだぜ」

 シティロースト(中煎り)したベロニカをミルで中挽き、ネルドリップで抽出する。
「ふむ、鮮度も寝かせもよい」
 アガリーの手にあるチャーチワーデンには、煙草こそ詰まってるが火は点いてなかった。つまり、珈琲の香りに集中してるってことだ。
「褒めてくれていいんだぜ?」
 結構知らねぇ奴も多いんだが、珈琲豆は煎りたてじゃだめだ。余分なガスを含んでるから味がぼやけちまう。だから何日か寝かせてガスを抜いて、挽くのは酸化させねぇように飲む直前だ。
 きちっと蒸らしてじっくり出した珈琲を、もちろん前もってあっためといた白磁のカップへ。
「手慣れたものよな、数寄者」
「様になってる、くらいはサービスしてくれていいんじゃねぇか。ま、給仕も執事の仕事の内なんでね」
 と。アガリーは俺に横目をくれて。
「扇娘も安穏と過ごしておるばかりではないようだ」
「そりゃあな」
 旧家の跡取り娘なんざ、鉄火場の真ん中に放り出された金細工みてぇなシロモンだ。多くを語る気はねぇが、俺じゃねぇ誰かにお嬢を1秒だって預けるわけにゃいかねぇさ。

「最後の休日に」
 アガリーのカップの縁を自分ので弾いて、俺は彼女が香りといっしょに珈琲を味わう様子を楽しむ。
「悪くない」
 ああ、悪くねぇな。こうやって向かいから、あんたをながめんのは。
 これまでいろんな女の肩を抱いてきた。そうするのが当たり前だったし、これからもそうなんだろうさ。でも。
 あんたとはこれでいい。いや、むしろこれがいい。
「して、妾をながめやるばかりか。話を引き出すも傷つけるも今ならば容易かろう」
 俺はアガリーのパイプを取り上げて、古式ゆかしいマッチで火を点けた。
 詰まってた煙草はイングリッシュミクスチャー。ラタキアの渋みが珈琲の苦みとコクをよく引き立ててくれる。普段は紙巻きしかやらねぇが、こいつはこいつでいいもんだ。
「俺の企みなんざ、あんたの煙草かすめとってやろうってくらいのもんだ」
 これならアイリッシュコーヒーでもよかったな。付け加えた俺の言葉にアガリーは苦笑、俺からパイプを取り返してふかす。
「酔狂よな」
「野暮じゃねぇだけマシさ」
 酔狂は伊達のお友だちさ。そういう“気取り”、あんたならかわいげだって思ってくれんだろ。
 わかるんだよ。俺たちは並び立ちもできねぇし、背中合わせたりもできねぇ。互いに真っ向から見据え合って殺しあうだけの、そんな敵方(あいかた)だって。
 わかってるから――
「俺の全部を絞り尽くしてお嬢と仲間を守る」
「そうか」
「そんで、あんたを殺す」
「そうか」
 もう一度繰り返して、アガリーはベロニカを飲み干した。
 それもわかってる。短すぎる休日の終わりを告げる合図ってね。
「息災での、数寄者よ」
 最後まで名前は呼んでもらえなかったな。いや、ここまで来たらお楽しみにとっておくさ。そう、どっちかが死ぬ間際まで。だってあんたとは、それくらいドラマチックじゃなきゃもったいねぇだろ。
 っと、こいつは強がりでも気取りでもねぇぜ。数寄者だからこその酔狂だ。
 伊達じゃねぇとこがまた男のかわいげだって、あんたなら思ってくれるだろうしな。
 だから、万感を込めて残してくよ。
「またな、アガリー」


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【榊 守(aa0045hero001) / 男性 / 37歳 / 数寄者】
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2018年12月04日

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