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『サーカス 』
剱・獅子吼8915

 眼というものはなかなかに厄介だ。
 見開いてしまえばむしろ一点に釘づけられて視界の幅を失うし、閉ざしてしまえばただただ闇に包まれるばかり。
 ゆえにこそ、過ぎることも及ばぬこともない見方というものが求められる。
 瞑想を嗜む者であれば「菩薩眼」、剣を学ぶ者ならば「観の目」などという言葉を聞く機会があろう。どちらも見ることへ囚われず、それでいて万象を見据えるに足る半眼を指す言葉である。
 そして。
 剱・獅子吼は、物心ついたころにはその有用を悟っていた。

 素封家たる剱には、それは多くの客が出入りしていた。鷹揚な者がいたし、狭量な者がいた。賢しい者もいたし小賢しいばかりの者もいた。才気溢れる者もなにひとつ持たぬ者も、声の大きな者も声の小さな者も美しい者も見にくい者も――
 実にさまざまな者があり、さまざまな表情や言葉を見せたが、唯一共通していたのは剱の金を欲していることだった。
 最初はそれに気づかずまとわりついたり、与えられた菓子に声をあげたりしたものだが……気づかされたのだ。彼らの手の冷たさと表情の固さ、影で交わされる生臭い言葉が示す真実に。
 大きく開いていた目はいつしか閉ざされて、次いで半ばまで開かれた。
 この客どもは獣だ。金という餌が欲しくて芸をしてみせる、サーカス――一度として獅子吼は連れて行ってもらえたことはない。今にして思えば、暗殺を危ぶんでいたのだろう――の熊やライオンなのだと。
 ならば、牙を見たくないからといって目をつぶっていては噛み殺されるばかりだ。奴らが牙を剥く瞬間に備えて、眼は開いておかなければならない。見ていることを悟られぬよう見過ぎてしまうことなく、しかしすべてを見逃さぬように。
 かくて応接間の隅へと収まった獅子吼は見ることになる。
 言葉を弄し、態度を弄し、時に金を弄して客を操って踊らせる、まさに猛獣使いさながらな両親の様を。
 恐ろしいと思った。
 両親ばかりでなく、客たちも。自らの役どころをわきまえ、過不足なく演じきってみせるその有様が。
 そしてなにより、その檻の内で両親の演技を学び、なぞり、自らの言葉を鞭として使いだした兄の変容が。
 昔を語るほどの歳ではなかった獅子吼が思わず兄の昔を思い出してしまうほど、それは衝撃だったのだ。
 もっともそのころには獅子吼も自らを鎧う術を心得ていたから、「さすが剱のご令嬢」と言われる程度には如才なく振る舞えていたのだけれど。
 だからこそ彼女は見ながらにして見ることなく、アルカイックスマイルを保ってうなずいてみせるのだった。

 そんな毎日が、まさに飽くことなく繰り返された。
 いつまでもこのサーカスは続くのだろう。そう思うほどに獅子吼の心は冷え、やがてなにを感じることもなくなっていく。
 ただただ今日と同じ明日が来て、明日には今日となってまた同じ明日が来る。そう信じ込んでいたのだが――実にあっさり、“今日”は終わった。
 両親が急死したのだ。
 残された兄妹の元へ最初に訪れたのは、剱の財を管理する弁護士だった。それによって獅子吼へもたらされた変化は、「そうか、あの人たちは死んだのか」から「本当にあの人たちは死んだんだなぁ」へと感想が変わったくらいだったが、現実はそればかりで終わってはくれない。
 押し寄せてきた客たちは一様に喪服をまとい、両親と再会できぬことへ涙したものだ。その眼の奥に抜き身の光を隠して。
 このときの獅子吼にはもう、見る必要すらなく知れていた。眼前の事象をそのままに受け取る“見”と、心を映すしぐさや空気を見て取る“観”が、彼女にすべてを伝えていたからだ。
 突きつけられるぎらついたお悔やみを受け、兄は両親と酷似した笑みを返した。
「両親もこれだけ多くのみなさまにお集まりいただき、本望でしょう」
 ひとりひとりの手を取って、兄はうなずきかける。これからはこの僕が踊らせてやる。せいぜい愉快な芸を見せてくれよ。
 当然のごとくに客たちは歓喜する。ああ、猛獣使いの血脈は正しく継承された! そして経験の浅いこの猛獣使いからなら、より多くの餌を噛み取れるだろう!
 悲しみにくれるふりをして、獅子吼はその場を離れた。さすがに反吐が出ると思うほどの純真は残っていなかったが、サーカスを演じる者たちの浅ましさに笑みを返せるほど、心が摩耗していたわけでもなかったから。

 数日の大騒ぎを経て、剱は一応の平穏を取り戻した。……なんのことはない、これまでどおりの毎日が再開しただけのことだ。
 獅子吼は喪に服すという名目で自室へ閉じこもっていたが、財の半ばを継ぐこととなった彼女の元にも多くの者がひっきりなしに詰め寄せてきた。それも若く美しい男たちばかりが、こぞってだ。
 見知らぬ者が多いのは、客の養子や遠い親戚だからだという。つまりは獅子吼を籠絡すべく仕立てられた駒なのだが、弾いたところでどうせきりがないし、ならば適当な距離を保って置いておくのが互いのためになるだろう。
 そういうわけで、獅子吼は彼らに囲まれることとなる。彼らの話を聞くのはそれなりにおもしろかった――彼らの人生がかかっているらしく、必死すぎるきらいはあったが――し、その向こうにある客たちを客観的に観て取れるのは存外に興味深かった。
 お礼に彼らの抱える問題を解決してやりもしたのだが、これはまあ、ここで語る話ではあるまい。と、それはさておき。
 増えて、減って、補充される男たち、そして彼らの背後に透かし観える客たちのただ中で、獅子吼はひとつの達観を得る。
 人は浅ましいものだ。
 人は哀れなものだ。
 人はつまらないものだ。
 しかし、だからこそ人はおもしろいものだ。
 そしてそれは自分とて同じ。人である以上、人という型に囚われず生きることはできない。
 本当にそうなのかな?
 なにもかもを捨ててしまったとしても、人は人であるがゆえの型に囚われる?
 これまで数多の人を見て、観てきた。
 思えば鏡に映る自分ですら、誰かの中にいたものだ。
 ならば。
「誰の中にもいない私を見て、観てみようか。それをして人に囚われるならば――肚を据えて関わろう」
 このあたりでようようと気づく。
 結局、私はこのサーカスが思いのほか嫌いだったのだな。
 見て、観てきたからこその達観を割って顔を出す本音に苦笑した。この私にも、どうやら譲れぬものがあるらしい。

 果たして。
 あらゆる継承権を捨て、獅子吼は剱を後にする。
 兄からは、ずいぶんと愉快ならざる闘争をしかけられた。おかげで眉間には消えぬ傷を刻まれ、左腕を半ばから喪うこととなったが……特に思うところはなかった。
 少々バランスは取りづらいが、身体測定ではいくらか得をするだろうから、プラスもマイナスもあるまい程度のことだ。
 かろやかな足取りで獅子吼は踏み出していく。
 どこへ行くも知れず、どこへ着くも知れぬが、淀みの内に留まっているより流れ行くほうがよほどいい。
 ――なるほど、これが孤独で、自由か。
 とはいえ、今追ってくる者はないにせよ、きっと差し向けられる者はあるのだろう。それを振り切って行けるほど、私の足は速いのかな。
 答えるものはない。すべてが初めてのことだから当然だ。
 だから誰にも問わず、今までよりも大きく足を振りだして、踏みしめた。ただしその眼は見開かず、しかし閉ざさず半眼を保って。
 見に行こう。観に行こう。これからの初めてをすべて、この眼で。


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【剱・獅子吼(8915) / 女性 / 23歳 / 隠遁者】 
東京怪談ノベル(シングル) -
電気石八生 クリエイターズルームへ
東京怪談
2018年12月04日

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