▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『バランス・ブレイカー』
松本・太一8504


 仕事を、2つ持っている。
 1つは、48歳の冴えない地方公務員・松本太一としての市役所勤め。
 もう1つは、うら若き『夜宵の魔女』にこうして変身し、様々なものと戦う仕事。
 給料が出るわけではないので、厳密には仕事と言えないのかも知れない。
 金銭的収入が無いにしても、しかしどこかで自分の利益に繋がっている。太一は、そう思っている。
「私なんかが不自由なくのほほんと暮らしていられるのも、世の中の平和があっての事です。巡り巡って、どこかで自分の幸せになる。世のため人のために働くとは、そういう事なのです」
 たわわな胸の膨らみを、両の細腕で抱えるように腕組みをしながら、太一は偉そうな事を言ってみた。
 目の前で巨体を震わせ怒り狂う、異形のものに向かってだ。
「神様の視点を持つのもいいですけど、たまには下から目線で、大勢の人たちの暮らしを見つめてはみませんか。貴方がたが、ちょっと暴れただけで死んじゃうような人たちの」
『貴様は……己のしている事を、まるで理解しておらぬ……』
 異形のものは言った。
『貴様のいる……貴様が守っている、この世界はな、多元宇宙の崩壊をもたらしかねないのだぞ。薄々は気付いているのだろうが! 本当は貴様も!』
「この世界が……いいとこ取り、し過ぎてるって事ですか」
 薄々どころではない。太一が常日頃、感じている事である。
「他の、いい所があんまり取れてない世界とバランス取るために……この世界を、滅ぼす? そんなの黙認出来るわけないじゃないですか。今この世界で幸せな人たちには、何の罪もないんですよ」
 市街地の上空である。
 宇宙より飛来した異形のものが、市街地に降下して破壊と殺戮を実行せんとしているところであった。
 それと『夜宵の魔女』が、空中で対峙している。凹凸のくっきりとした魅惑的な肢体が、不可視の足場に佇んでいる。髪飾りを咲かせた黒髪が、強風に舞い踊った。
 可憐な美貌が、凛とした闘志を漲らせる。
「上から目線も、神様視点も、許しません」
『我々は、均衡の管理者……』
 異形のものの全身が、燃え上がった。触れるもの全てを消滅させる破壊エネルギーの揺らめきが、その巨体を包み込む。
『多元世界の均衡を崩すもの、破壊する! 消滅させる! 破壊、消滅、破壊、消滅』
 もしかしたら自動機械の類なのかも知れない異形のものが、破壊エネルギーの塊と化しながら急降下を開始する。眼下の、市街地に向かってだ。
「させませんよ……情報、入力」
 太一が、指を鳴らす。
 巨大な魔法陣が空中に開き、そこから宇宙怪獣の頭部が出現して、異形のものを丸呑みした。そして魔法陣へと引っ込んで行く。
「ふう……さてこれで良し、と」
 太一は溜め息をついた。
「時間停止を解除して、役所のお仕事に戻らなきゃ……あーあ、また始末書かなあ」
 異能の力の解禁は、一昔前と比べて進んではいる。
 だが『夜宵の魔女』の能力は、人目に晒すにはまだ危険だ。だから時間を止めてある。
 時間を止めると、世界のあちこちに何かしら不具合が生じてくる。それに対応するための機関も存在する。
 時間停止には、だから本当は事前申請が必要なのだ。
 しかし、これは現場で仕事をしている者にしかわからない事だが、時間を止めなければならないような事態は突然やって来る。申請などしている暇はないが、しなくともまあ始末書で済む。
 確かに、良い所取りの世界ではあった。


「あら、お帰りなさい」
 妻が、出迎えてくれた。
 ちょうど夕食が出来たところ、といった様子である。もしかしたら、太一の帰りを待っていてくれたのかも知れないが。
 仕事の出来るお局様のおかげで、残業もそれほど長引かなかった。
 1歳になる娘が、覚束ない足取りで抱きついてきた。
 今の太一は、仕事帰りのくたびれた熟年男である。傍目には、父親が子供を抱き止める平凡な家族の風景でしかない。
 この冴えない父親が、しかし先程は『夜宵の魔女』として、世界を救う戦いをやってのけた。
 この娘が、父のそんな正体を知るのは一体いつになる事か。
 思いつつ太一は、1歳の娘を抱き上げた。ついこの間まで、這い這いをしていた娘である。
「……歩かせるのは、まだ早いんじゃないのか?」
「歩いたところをね、お父さんに見てもらいたいのよ。褒めてあげなさいな」
 妻が言った。
 エプロンの似合う、絵に描いたような専業主婦である。
 ドレスを着ても似合う。和服も似合う。水着も似合う。家事も近所付き合いも完璧にこなす。
 太一は思う。自分が失業したら、この妻は働いてくれるだろう。どんな仕事も完璧にこなすだろう。そして、ろくに家事も出来ない自分を、夫として立ててくれるに違いない。
 この子もいずれ、そんな恐ろしい女になってしまうのか。
 思いつつ太一は、娘の頭を撫でた。
「おう、お帰り。遅かったな」
 食卓で、父が声をかけてきた。ちょっと残業で、と太一は応えた。
 父も働いている。
 人生120年、どころではない。不老不死は目前と言われている社会だ。高齢者の雇用体制も、数年前とは比べ物にならないほど整っている。
 母は、食卓に料理や食器を並べていた。嫁との関係は良好である。
 太一はいつも不安に思う。
 この両親は、息子が『夜宵の魔女』である事を知った時、いかなる反応を見せるのであろうか。
 両親が他界するまで秘密にしておこう、と思った事はある。が、父も母も元気である。無論、喜ぶべき事なのだが。
 父が言った。
「おい知ってるか。お隣の、あの引きこもり息子がな、今度結婚するそうだ」
「引きこもりじゃないよ。彼に仕事、勧めたり探したりしたのは、うちの部署なんだから」
 思い出しながら、太一は言った。
 外国人移民を受け入れる。それも悪くはないが、その前にまず日本国内の人材を掘り起こし使いこなすべきだという意見が国会で通り、無職・求職中の人々に様々な便宜を図るための体制も整った。
「結婚なんて、大丈夫なのかねえ。あの子」
 お隣の若者を幼い頃から知っている母が、何やら心配している。
「まあ、お相手は人間じゃないそうだから……価値観も違って、かえって大丈夫かもね」
 僕、生まれ変わりますよ。彼女のためにもね。見ていて下さい太一さん。
 お隣の若者は、そんな事を言っていたものだ。
 彼女は魔界の姫君ですからね。ちゃんとしてないと僕、魔王様に身体の中身と外側ひっくり返されちゃいます、とも。
 そのような結婚も、普通に成立する世の中である。
 自分と妻との結婚が、もしかしたら、その先駆けだったのかも知れないと太一は思う。
 太一はもう1度、娘の頭を撫でた。
 この子も、それに両親も、もしかしたら全て知っているのではないか、という気もしてくる。
 全てに関して、都合の良い世界であった。
 良い所が全く取れていない世界も、確かにあるのかも知れない。
 結婚は思うように出来ず、主婦も高齢者も働く人間も不幸になるばかり。迂闊に子供を産む事も出来ない。1度でも引きこもってしまったら人生が終わる。そんな世界が。
 それはしかし、この世界を否定する理由にはならない、と太一は思った。


 登場人物一覧
【8504/松本・太一/男/48歳/会社員・魔女】
東京怪談ノベル(シングル) -
小湊拓也 クリエイターズルームへ
東京怪談
2018年12月05日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.