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『【任説】黒と月 』
木陰 黎夜aa0061

 さむい。
 いたい。
 つめたい。
 あつい。

 耳の中にまで侵食してくるような、細い霧雨が降る夜のこと。
 今この瞬間に、全てを投げ出して楽になれたらどんなにかいいだろうと、硬い地面に伏してひとり思う。
 脇腹から流れていく命の元が体温まで奪っていって寒い。地面に擦れる皮膚が痛くて、体に降り注ぐ雨の雫が冷たかった。けれど胸から腹にかけてが焼けるように熱くて、もうどうすればいいかわからなくてただ地面に寝そべっている。
 寒さと痛みは鈍く、どちらかというと冷たさと熱さに辟易した。けれどそれも徐々に薄れていって。
 ああ、このまま溶けて消えて無くなってしまえばいいのだと、そう思っていたのに。

「ん? なっ!! 大丈夫か?!」
「……?」

 低い声。長い髪。綺麗な肌。
 冷えた体にしみる、暖かい体温。
 胃の腑が浮き上がるような心地に、抱き上げられたのだと気付いたのは、その綺麗な人が足早に歩き始めてからだった。

「……?!」
「あっ、ちょ! こら、暴れるな!!」

 どこに連れていく気だ!!
 そう思って必死で抵抗したつもりで、出来たのは弱々しく身を捩るだけ。

 もう放っておいてくれ。
 そう言いたいのに、口から漏れるのは弱々しい呼吸音だけ。

 大きな体で包み込むように抱きこまれてしまえば、もう抵抗はできなかった。

「ひどい怪我だ……。病院……この時間に開いているところは……」

 その人が何かを言っているのはわかるのに、自分の意識はだんだんと掠れてくる。
 霞む視界をじわじわと侵食してくる闇が恐ろしく、けれどどこかで安堵している自分もいて。
 とろとろと流れる体液はすでに温度すら感じず、己に触れるてのひらだけが、ひたすらに暖かかった。



 痛いのは嫌いだ。
 寒いのは苦手で、暑いのは好きじゃない。
 あったかいのは……。

「……?」
「お、起きたか? よかった、生きてるな」

 背中に何か暖かいものが触れていて、そのぬくもりで目が覚めた。
 どうしてか重い瞼を押し開けば、そこにいたのは見慣れぬ人間。

「っ!!」
「ああこら、動くな。まだ傷が塞がっていないんだから」

 思わず距離を取ろうとして起き上がったら、いとも簡単に抱き上げられてしまった。
 唐突な行動に、とっさに反応できずカチンと固まる。

「よーしよーし、いい子だ。……お前、首元白かったんだな。まるで三日月みたいだ」

 目を細めて笑う、知らない男の人。
 だれ。なんで。どうして。
 疑問と不安と恐怖が胸の内でぐるぐると渦巻いて、どうしていいかわからなくてぎゅっと身を小さくした。

 ふ、と。
 急に、男の人が自分の頭の上に手をかざしたから、次に来る衝撃を想像して、とっさに首をすくめて目を閉じる。頭の上に影ができるのは、怖いことが起こる前触れだ。
 なのに、いつまで待っても衝撃は襲ってこなくて。

「……?」

 恐る恐る、ちらりと片目を開いたら、男の人が、悲しいのと怒ったのをごちゃ混ぜにしたような目の色をして、困ったように笑っていた。
 なんで? どうして?
 今まで向けられたことのない表情に、恐怖よりも困惑が勝って、思わず目をきょとりとさせる。

「あー……。うん、俺が悪かった。そりゃそうだよな……」

 そう言って、今度は地面をなでるようにして近付いてくる手。どこか探り探りのそれに、恐怖心よりも好奇心が優って、なされるがままにゆるく頬を撫でられる。
 暖かく優しい手に、腹の底がほんわりとやわらかな熱をはらんだ気がした。

「……なぁ、今はまだ、害のない同居人扱いでいいからさ」

 知らない人間、知らない声、知らない場所、知らないにおい。
 与えられるものすべて、今まで自分が経験したことのないことばかりで。
 己に向けられる表情の名前を、今はまだ知らないけれど。

「お前の名前、なんにしようか」

 優しく落とされる声のあたたかさを、きっと、ずっと覚えている。

「にゃぁ」

 片目を失った小さな黒猫は、己の顎先をゆるく撫でる隻眼の男の指を、遠慮がちに舐めた。
 一つだけ残った瞳を細めて、男は黒猫の頭に指先を滑らせる。

「これからゆっくり、家族になろうな」



 これは、あったかもしれない、もしもの世界の話。

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【aa0061/木陰 黎夜/性別不詳/15歳/人間/回避適正】
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2018年12月05日

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