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『 胡蝶の夢物語 』
松本・太一8504



 時々考える事がある。
 これは自分の意志なのか、それとも彼女の意志なのか。


 ◇


 夜も更けた頃、人も車通りもなくなった雑居ビルの並ぶその通りを1台の車が制限速度を少しオーバーしながら走っていた。助手席には臨月の妻を乗せている。
 その時、突然看板が空から降ってきた。ビルの屋上に立っていたものが経年劣化と風によって落ちてきたのだろう。
 その看板は確かにボンネットを叩いたような気がして運転席の男は全力でブレーキを踏んだ。その一方で間に合わないと確信もしながら。
 刹那、看板はフロントガラスを突き破る事なく男の視界を横へと移動し車も人もない対向車線の向こう側にけたたましい音を響かせながら転がった。
「……」
 男も妻も唖然として看板を見やった。
「風…かな?」
 不安げに男が呟く。何かが看板を薙払ったように見えた。
「…かな?」
 妻も首を傾げて2人はしばし見合った。それしかあり得ないはずなのだが。
「今…誰かと目が合ったような…」
 男はその瞬間の記憶を辿るようにこめかみに指をあてる。しかし深く考える前にハタと気づいてスマホを取り出した。

 それは、そんな怪奇現象とも呼べないような他愛もない一幕。


 ◇


 職場の終業を知らせるチャイムの音にパソコンの電源を落とすと、ブラックアウトした画面に疲れた男の顔が映って松本太一は複雑げに息を吐いた。空になったコーヒーの紙コップを握りつぶしながらデスクから立ち上がる。
「お疲れさまでした」
 と周囲に声をかけながら帰り支度を始めるのはもちろん彼に限ったものではない。ゴミ箱に紙コップを投げて従業員証を読み取り機に翳す。退勤ランプの点灯を合図に太一は準備を始めた。
 今にも定員オーバーのアラームが鳴りだしそうなエレベーターに乗り込み1階で吐き出される。オフィスビルを出ると帰宅を急ぐ人々の群れを西日が赤く照らし出していた。
 この時間がたぶんとても大事なのだと思う。
 昔の人は逢魔が刻と呼んだ。人と魔が交錯する時間。本当かどうかはわからない。ただ、それを信じる心が必要なだけだ。だって、だからこそ自分はそれが受け入れられるようになるのだから。
 肉体的な話ではない。精神的な話である。
 こちら側からあちら側へ迷い込むような、そんな錯覚で自分を偽って心の準備を始めるわけだ。
 家路を雑踏に流されるまま歩く。人込みの中に紛れ込む人ならざるモノたち。そんな先ほどまで見えていなかったものたちが徐々に見えてくると、あちら側に迷い込んだんだな、と錯覚できる。
 本当は目を凝らせばいつだって見えるものだという事はわかっている。 ただ、敢えて見ない事でわからない振りをしているだけだ。だって普通の人には見えない事が当たり前なのだから。
 そうやって太一は自分に一線を引く事で日常と非日常のバランスをとっていた。こちら側とあちら側をきっちり分けるために。メリハリをつけるために。器用でもなければ要領もよくない太一のこれは、だから唯一の抵抗であり、人として毎日を平穏に過ごすための大事な儀式でもあったのだ。
 程なく夜の帳が押し寄せてくるのを感じて太一は相変わらず重たい足を急かした。心の準備が出来たとしても“それ”になる前には家に帰りつかねばなるまい。

 ――街中を歩きながら魔女になるとかあり得ないだろ!


 いつか、思い知る時はくるのだろう。
 いつか、慣れざるを得ない時がくるのだろう。
 不老であるが故に人々の時間から取り残される日は必ずくる。
 もしかしたら、その時が契約を破棄し女悪魔に存在を明け渡し“太一が死ぬ”時なのかもしれない。
 だが、そんな遠い先の話はどうでもいい。
 現実には未だ即座には“それ”を受け入れ難くどうしても時間を要するという話だった。


 帰宅。
 こんなに気持ちを作って帰ってきても、だから「はい、どうぞ」とすんなりいかない自分に、我ながら往生際が悪いと思う。
 陽も沈み夜を迎えた窓の向こうを隠すようにカーテンを閉めて太一は立ち見鏡の前に立った。
 魔女に…自分が女性体になっていく様を複雑な気分で見てしまうのは、自覚を促すためなのかもしれない。
 これはあちら側の現実世界の出来事ではなくこちら側の異なる世界の出来事なのだから、至極当たり前の事である。とは、もちろんただの自己暗示だ。
 もしこれがアニメオタクと呼ばれるような人種だったなら、魔女っ子変身シーンと喜んで眺めているのかもしれない。テレビで時々見かけるが、彼らの言っている事の半分も意味が分からない太一にはとても喜べるものではなかったが。そんな強心臓が欲しいような欲しくないような。羨ましいような羨ましくないような。
 子供の頃、特撮ヒーローを見ていた。何の取り柄もない冴えない男がヒーローに変身する。そういうのに憧れた時代もなかったわけではない。変身するのがヒーローだったなら、もう少し受け入れやすかっただろうか。せめて性別が同じだったなら。
 いつもはど近眼で眼鏡がなければ殆どおぼろげにしか見えないくせに、何故かこんな事ばかりがくっきり見えるのも腹立たしい。
「…見えなくてもいいのに」
 と我に返って思わず呟いてしまうのはまだまだ自己暗示が足りないからだろう。いやいやいやと慌てて首を横に振った。こちら側ではこれは当たり前の事だ。
 いつからだろう。誰もテレビの中のようなヒーローにはなれないのだ、と気づいたのは。子供の頃はどんなものにもなれた。空を飛ぶことさえも自由だった。どんなものにもなれると思っていた。ヒーローにも勇者にも鳥だろうが猫だろうが何にでもなれる。
 それが。
 歳を取るにつれ、出来ない事が増えていき、現実を知れば知るほどなれないことを思い知る。
 子供の頃夢見た世界は全てただの夢物語だ。
 ああ、そうか。これはなりたかったものではない、という理不尽さはあるけれど、夢物語なんだ。
 魔女の姿になって太一は窓辺に立つとカーテンを開けた。窓を開けると涼やかな風が髪を撫でていく。
 窓から外へ出た。太一だったら絶対にやらない行為だ。そのまま夜の闇に向かって飛ぶなんて。出来ないからやらない。恥ずかしいからやらない。
 だけど、夢の中なら。
 女性らしい仕草とか、走り方とか、そんな面倒事は全部忘れて夜陰を駆け抜ける。
 時々、考える。
 これは自分の意志なのか、それとも“彼女”の意志なのか。
 魔女は時折、占いをした。
 けれど彼女の占いはコールドリーディングのようなものではない。事象を観測し概念を統べる彼女のそれは――高確率の未来予測になる。


 ◆


 観測者はただ事象を観測し情報を蓄積し因果を見守るだけで世界に対して何もしない……ものなのだとしたら、たぶんこれは、太一の意志なのだろう。
 看板を地面に投げ捨てて乱れた呼吸を整えながら太一はぼんやり考える。
 これは魔女の仕事ではない。故にこれは自分の意志に違いない。
 脳裏で“彼女”がくすくすと可笑しそうに笑っていた。
 ヒーローになりたいわけではない。だけど、起こり得るとわかっている災いを素知らぬ顔で見過ごせるほど冷徹にもなれない。
 いや。違う。
 それらも全部含めてこれは太一が見ているただの夢物語なのだ。
 それがたまに。

 『今…誰かと目が合ったような…』

 誰かの現実と交差するだけの物語。

 ――言い訳が必要とは難儀だな。
 
 “彼女”が呆れたように呟いた。





 ■END■


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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【整理番号/PC名/性別/年齢/職業】

【8504/松本・太一/男/48/会社員/魔女】



ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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ありがとうございました。
楽しんでいただければ幸いです。

東京怪談ノベル(シングル) -
斎藤晃 クリエイターズルームへ
東京怪談
2018年12月06日

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