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『“理由” 』
玉兎 小夜ka6009

 白い。

 目を閉じているのか、開いているのか。
 羊水の中をただただ無為に漂うような。
 そこに暗闇は一つもなく、光が、水に差し込む光の帯の中のような無色が、全てを覆い包んでいた。
 “ソレ”はその中で、体と心の輪郭を解され、ただただ、眠るように揺蕩っていた。

 ――ここはどこだろう。

 死後の世界? 天国? 地獄? それとも……?
 分からない。唯一分かることといえば、自分という存在の自覚と、それが眠気のように曖昧に溶けていく心地。不快感はなく、かといって特筆するような幸福感もなく、微睡みのままに能動は発生せず、ただただ、受動であった。

 少しずつ、自我は溶けて解けて、白い世界に還っていく。ソレという痕跡が消えていく。
 けれど、抵抗感はなかった。ああ、そうなんだな、とソレは運命を受け入れていた。

 ――そんな時だった。

「哀れな人」

 声が聞こえた。
 気付けば、白くて何も見えない筈の世界の中、ソレの目の前に……ウサギ? ウサギの形をした、何かがいた。光の中、煙のようなモヤを纏う、不可思議なモノだった。
『哀れじゃない』
 ソレが声を発せたかどうかは分からない、けれどソレはウサギに対してそう言った。
 ウサギは光の中、ソレの周囲をくるりと回る。まるでソレの状態を確かめるかのように。それから、ソレに対してこう答えた。
「記憶に縛られて、本当に求めているものも分からずに、戦い続けた先にここにきて、未だに求めている」
『……何を? 私は、約束したから。“正義の味方になって”って言われたから』

 どうして眠りを醒ますようなことを言うのか。
 どうして……“思い出させる”ようなことを言うのか。
 白に還っていく自我、記憶、存在。穏やかだったソレの心がさざ波立つ。

「XXXX」
 ウサギが、ソレの名前を言った。ソレにはなぜか、その言葉が聞き取れなかった。水の中の泡のように爆ぜて消えて、千々になって……。
「XXXX、貴方が妹と義父との約束を抱えて生きていたのは、家族が大事だったから。家族を取り戻したかったから」
 それが貴方の願いだった、とウサギは告げる。
『――……』
 そうだ。ソレは、もう自分の名前は思い出せないが、自分の願いをまだ喪ってはいなかった。それほどまでにXXXXにとって、その願いは先んじるものだったのだろう。あるいはソレを構成する核、魂を突き動かす心臓とも呼ぶべきか。
『世界をなんとかしたかった……でも本当は、世界なんて、人なんて、どうでも良かった。……家族にもう一度、もう一度、会いたかっただけ。傍にいて欲しかっただけ』
「そのせいで、あんなに辛い目に遭ったのに?」
 その純粋過ぎる願いが、想いが、残酷な茨道と真っ暗な孤絶を呼び寄せてしまったとしても。
 妹の願いを叶え続ける為に。父の願いを引き継ぎ続ける為に。戦えた。……戦えてしまった。
『……約束だから』
「けれど、貴方はもう、消えようとしている。貴方の願いと、理想と共に」
『……、』
「かつて一人の少女がいた。大きな理想を持ち、それを叶える為に戦い続けてきた。しかし彼女はもういない」
『……』
「ここには何もない」
『……』
「こうしている間にも、貴方は貴方でなくなっていく」
『それでも』
 ソレはウサギを遮るように言った。
『私の願いは、私の想いは、私だけのモノ』
「貴方は、相変わらずだね」
 XXXXの言葉は、ある種の強情、傲慢ですらあるかもしれない。変わらない態度に、ウサギは呆れたような声音で言った。
 寸の間の沈黙。
 おもむろに、ウサギは続けた。
「本当に……XXXX、それでいいの?」
『……どういう、こと?』
「今度こそ、望むものを手にしてみたいと思わないの?」

 呪いではなく祝福を。
 孤独ではなく安寧を。
 絶望ではなく希望を。
 辟易ではなく理想を。
 苦痛ではなく静穏を。

 願いの先に報いを。
 抱きしめてくれる腕を。
 赦してくれる笑顔を。
 傷を癒す指先を。
 護ってくれる背中を。
 存在を認めてくれる優しさを。
 理由を与えてくれる誰かを。
 世界からの肯定を。
 本当の夢と希望と、そして正義を。

 それは当然のように世界に分布しているのに。
 時にはあまりに残酷に、少数の個人に決して与えられない財宝で。
 手を伸ばしても届かない。隣人にはあんなにも溢れているというのに。

「満たされたいと。掴み取りたいと。願ってみないか?」

 ウサギが小さな手を伸ばした。
 それに、XXXXは顔を上げ――……

 ――手を伸ばす。

『……私は……今度こそ……』

 全て、真っ白に解けていく。
 XXXXの自我が漂白されていく。記憶が漂白されていく。傷が漂白されていく。全てが、白にゼロに初期化される。
 ウサギがXXXXの周りを跳ねる。白いモヤをたなびかせ、XXXXの砕けた心を縫い合わせる。壊れた心を初期化する。全てを白く、白紙に還す。

 ――白い――白い――
 そして――

 浮遊感にも似た、落下。
 今度こそ、望むものを手にする為に。それはまるで堕天のようですらあった。
 ひとり、残されたウサギが呟いた。

「……本当に哀れな人」







「……う、……」

 彼女は、まず自分が俯せに倒れていることを理解した。
 それから、全身の至る所に傷があることを理解した。
 次に、激しい痛みを自覚して、更なる苦痛が口から漏れた。

「ぐッ……うう、っ……!」

 立ち上がろうとして、力が入らなくて。
 そこでようやっと、彼女は気付いた。

 ――私は、誰……?

 名前も、何も、思い出せない。何も分からない。
 どうしてこんなところにいるのか。どうしてこんなことになっているのか。
 けれど咄嗟に思い付いたのは、「剣を握らなければ」という想いだった。
 こんなところに倒れていては危険だ。何か――何か? に襲われるかもしれない。怪我を負わせた者が近くにいるかもしれない。脅威に立ち向かうには、剣が必要だ。
 彼女は自分自身のそんな発想に驚いた。彼女の体には、過剰なまでの戦闘経験が染み付いていたのだ。
 更に彼女を困惑させたのは、自分が武器を何一つ持っていないという事実。
「っ……!?」
 全てが彼女を焦燥とさせる。特にズキズキと痛む右目が、脳味噌にまで響いている。あまりにも痛くて、彼女は右目を抑えて顔をしかめた。

 一体、ここは。一体、自分は。一体、何が。

「――貴女、どうしたんですか?」
 そんな時だった。無力な赤子のように地面に転がることしかできない彼女を、覗き込む者がいた。
 彼女が驚いてそちらを見やれば、サラリとこぼれた青い髪――知らない人物が、そこに立っていた。







 紆余曲折を経て。
 XXXXは、“彼女”は、“この世界”で名前を得た。
 すなわち。

 ――玉兎 小夜(ka6009)。



『了』




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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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玉兎 小夜(ka6009)/女/17歳/舞刀士
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2018年12月11日

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