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『にのみつ道中記 〜鞘の片〜 』
ニノマエaa4381)&重力を忘れた 奏楽aa5714hero001)&ミツルギ サヤaa4381hero001

 正直、俺は寝起きのいいほうじゃあねぇ。
 そりゃそうだよな、昼も夜もなくあやかしだの恨念だの相手に駆けずり回ってんだ。くったくたんなって、親父の蕎麦かっこんで寝るくれぇなもんだ。夢に逃げ込んでるヒマだってありゃしねぇや。
 でもよ。
 こいつぁ夢……だよな?
 だっておかしいじゃねぇか。
 俺だって小僧じゃねぇ。“観音様”がどんなもんかくれぇは知ってるさ。まあ、わらい絵とかでよ。
 しょうがねぇだろ。俺みてぇな野非人なんざにご開帳してくれよってぇ物好きな女、いねぇんだよ。
 しかもおめぇがだなんて、ねぇよ。ねぇねぇ、ありえねぇ!
 ……だよな?
 なあ!?
 なんか言えよミツルギぃ!!


 口先をあわあわさせつつ、頭の中で必死に問いかける一(ニノマエ)。
 しかし、その体はびくとも動かない。
 跨がられて、のぞきこまれていたからだ。
 こともあろうに、鉄火場にて背を預け合う仕事の相方であり、長屋の同居人でもあるミツルギ サヤにだ。
「大の男が、この期に及んできれぇな体でいてぇとかほざく気かい?」
 探るように低く、サヤが声音を伸べる。
「……んなんじゃねぇっ!!」
 ようやく喉につかえていた激情を音にして吐き出して、一はサヤを押し退けようとするが。
 その手はサヤに絡め取られ、彼女の袷の衿元へするりと。
「ほら、あっためてやるよ。そしたらもう、こないだの傷だって痛まねぇさ」

 先日、品川宿の外れで数名の芸者が殺された。血を啜りとられていたことからすぐに人外のしわさであることは知れたが、奉行所にはそれに対する力がなかった。あげく、奉行から与力へ、与力から同心へ、同心から目明かしへ、たらい回しに回されて、ついには口入れ屋“のぞみ”へとたどり着き、野非人の剣客と三味弾きへ渡されたわけだ。
 果たして。一は毎度のごとくに大怪我を負い、サヤは首筋からいくらかの血を吸われつつも、なんとか退治たのだった。
 今、一がこうして昼の日中から寝転んでいたのも、すべてはその傷のおかげである。

「ケガしたのはてめぇもいっしょだろ。ありゃあどうした」
「ケガ? ああ、あんなのなんでもねぇさ。おお、寒い寒い。これじゃこごえっちまうよ。おまえさんだって煎餅布団じゃしのげねぇだろ? ……あったまろうよ、ふたりでさぁ」
 一の上でサヤが蠢くたび、その袷の八掛がよじれて乱れ、奥にある脚をちらつかせる。同時に“観音”もまた――
 やめろ。そう言うだけでいいはずなのに、なんで俺ぁ言えねぇんだよ。
 とまどいながら、一はサヤの下体から視線をもぎ離して顔を見上げた。
 このお江戸は日の本という広い国のごくごく一部であるらしい。サヤはその日の本よりはるかに広い大地……人が歩いていこうとすれば生涯をかけねばならぬほど遠い砂の国から来たのだという。
 ゆえにこその、異相である。
 江戸美人の型になにひとつ当てはまることなく、人々は彼女を珍獣さながらに見やるばかり。よほど物好きな男でも、彼女をこましてやろうと思い立つ者はない。
 慣れちまやあ、味のあるツラなんだけどな。なんかこう、目とか青葱みてぇな色だし。肌だって白葱みてぇじゃねぇか。蕎麦もいいけど饂飩もいいやなぁ――って、そんなこと考えてるときじゃねぇだろ!
 我に返ってみたものの、やはりなにを言うこともできぬまま、一は思いがけずやわらかなサヤの肌に絡め取られていく。
 その途中、胸を爪先でくじられて、「てっ!」。思わず声をあげた彼の耳に、サヤはとろりと唇を寄せ。
「痛ぇのが好きなんだろ? でなきゃ、あんな無茶できっこねぇよ」
 頭の中へ“ぞくり”をいっぱいに詰め込まれ、一はあえいだ。
 ああ、俺、風呂入ってねぇんだ。臭くねぇか? いや、こいつはこいつで臭ぇから、気にしてやんなくていいか。
 なんだろな。女ってあったかくってよ、いい匂いすんだって、思ってたんだけどな。
 こんなひんやり生臭ぇとか興醒めだろ? だってよ、俺ぁよっく知ってんだよ。この肌触りもにおいもよ。
 ……いや、ほんとはつねられたとき気がついたんだけどな。痛ぇのは好きじゃねぇけどよ、俺ぁいつだって痛ぇ目見てっから、わかっちまうのさ。痛みってのに乗っかった気持ちってのが。
 だからよ。
 てめぇの殺気は、見逃さねぇ。
 わずかばかりの自由を保つ右手で、布団の裏に潜めた死出ノ御剣を探る。
「てめぇのヤッパに自信がねぇから代わりのモノを、ってかい? 野暮天だねぇ。せめてまみれた垢ぁこそげ落としてカラっと揚がってりゃあ、喰ってやりでもあるのじゃが」
 サヤの声が音色を変える。地を這う怨嗟がごとくに低く、風を侵す毒がごとくに禍々しく。
「こないだの血吸い鬼の親戚かよ。それにしちゃあ芸がねぇな」
「命の元を失くした我が身もすぐに果てようが、仇たるぬしの首を土産に逝かば、主様も快く迎えてくださろうぞ」
 サヤの面を破って現わした鬼面に凄絶な笑みをたたえ、鬼は一に一層強く絡みつき、伸び出した爪を首筋へとあてがった。
「なぁ、てめぇも死ぬのか?」
「主様に仮初めの生を与えられし妾だ。生き血を存分に吸い上げ、あと幾日かを長らえる程であろうよ」
「そうか。じゃ、俺の首は持ってけ」
 鬼へ差し向けた三白眼は、あろうことか笑んでいた。
「なぜに笑う?」
 そりゃあ、な。
 返しかけて、一は小さくかぶりを振った。
 本当の思いというやつは、そうそう口にしていいことではない。命を賭けて、まっすぐに差し出さなければならないものだ。いや、今だって命は賭かっているわけなのだが……ここで言うべきは、もうひとつの本当の思いにしておくべきだろう。
「俺ぁ初めっから肚くくってんだよ。殺して殺して殺して、でもいつかあやかしに追いつかれて、殺されて死ぬ。――俺が呪われてっからってだけじゃねぇ。そういうもんだろ。そうでなくっちゃ、仕末がつかねぇ」
 それは彼があやかし退治を請け負う者どもの村に生まれ、それがあやかしによって滅ぼされた際に覚えた観念であり。あやかしを引きつけ続ける呪いをかけられて以後、法剣一本を頼りに娑婆の裏側を生き抜く中で抱いた達観だ。
 殺す以上は殺されることが必然であり、筋というもの。
 俺は特別だなんて思い上がる気はねぇんだよ。真っ当じゃねぇ俺が真っ当に死ねるはずねぇんだ。こうやって畳の上で死ねるだけ上等だぜ。
「でも、てめぇは逃がさねぇ。てめぇに殺されちまった人と残されちまった人の仕末、誰にもつけさせねぇまま逝かせねぇよ」
 南無阿弥陀仏。舌先で唱え、爪先が食い込んだ首筋に力を込める。たとえ貫かれたとて、御剣を掴んだ手は数多繰り返してきたとおりに動き、鬼を斬ってくれるはず。
「……てめぇはだから莫迦だってんだよ」
 鬼の背後から忍びだしたため息が形を為した。贅沢を許さぬこの世において、すっぽんの甲羅――すなわち鼈甲と偽って売られ続けている鼈甲の撥へと。
 三味ならぬ鬼の喉元へあてがわれた撥が、白い手首に弾かれる。
 ただそれだけのことで鬼は首を掻き斬られ、ひょう、高く喉を鳴らして一の上に落ちた。
「ただの仏頂面がほんとの仏になろうってかい。そりゃあお釈迦様だって笑っちまうだろうさ。知らぬ仏ってやつだ」
 鬼の骸に抱きつかれたまま呆然とする一へあきれた声を投げかけたのは、おそらく本物であろうサヤだった。
「……って、なに赤くなってんだい」
「いや、その、仏さんのハナシはよ、なんか、観音さんのこと考えちまうから!」
「死にそうになって信心が生えてきたのかい? そりゃまた救われないハナシだねぇ」
 言いながら、芥へと変わりゆく鬼の骸を蹴り散らし、サヤは夜着どころか袷からも盛大にはみ出した一の下腹を見下ろして。
「“のぞみ”に言っといてやるよ。一に鬼みてぇな女、あてがってやっとくれってさ。あたしゃ口入れ代半分もらって玉子焼きでも食わしてもらお」
「まじまじ見てんじゃねぇ! ちったぁ恥じらえ莫連(ばくれん)が!」
「見たまんまのすっとこどっこいに言われてもねぇ」


 いつぞや訪れた煮売り酒屋の床几、その左右の端に腰かけ、サヤはあたためた濁り酒を、一は傷に障らぬよう茶を、ぞれぞれ仏頂面ですする。
 晴れてはいるが寒空の下のことだ。互いの椀から立ちのぼる湯気は儚くも太い。
 そんな湯気と空の境目をながめていた一が、サヤにぽつり。
「……せっかく繰り出して来てんだ。諸白(清酒)飲んだらいいじゃねぇか」
「物欲しそうに見られたら落ち着かないだろ」
 俺ぁそんなチンケじゃねぇよ。言いかけて、飲み下した。サヤはサヤで気を遣ってくれているんだろう。なら、ありがたく受けておこう。
「なんだいなんだい、気持ち悪ぃねぇ」
 一のじっとりした三白眼から視線を逸らし、サヤはぶるりと震えてみせる。
 少し、腹が立った。
 こちとらマジだってんだよ。マジもんのコレもんで、なんも言わねぇでいるんだ。そういう覚悟に気持ち悪ぃって、そりゃねぇだろよ。
「なに怒ってやがんだい。そんなにあの鬼女に未練あんのかい?」
「は? なに言ってんだよ?」
 思いがけないサヤの台詞に、思わず目をしばたたかせる一。
 サヤは少しばつの悪い顔で、輪っかをつくった左手の指の中に右手の人差し指を出し入れしつつ。
「鬼女と、やらかすとこだったろ」
「その手ぇやめろ……って、どっから見てた!?」
「あたしの顔した鬼に、ケガしてたのなんだの言い出したとこから」
 そこそこ始めっからじゃねぇか。
 頭を抱える一に、サヤはぽつぽつ経緯を語りだした。
 三味の稽古から戻る道で、一に声をかけられたこと。
 すぐに一ではないあやかしであると気づき、ぶった斬って長屋へ戻ってきたこと。
 長屋の戸に結界符が貼られていて、はがした途端に一の声が聞こえてきたこと。
 自分の姿をしたあやかしと一がしっぽり濡れそぼろうとしているのを見て、しばらく待ってやるのが情けかと――
「情けじゃねぇよ。そんなもん二本差しに任してよ、とっととぶっ込んできたらよかったじゃねぇか」
 一がぶすくれて言えば、サヤは妙に困った顔をそむけ。
「あたしの顔、してたからさ」
「はあ?」
 本気でわけのわからない顔をする一を、サヤがきっとにらみつけた。
「うるせぇうるせぇうるせぇや! この唐変木! 豆腐の角に頭ぶつけて死んじまえ!」
「俺が唐変木ならてめぇなんざ珍毛唐じゃねぇか! ちったぁ日の本の男心ってもん察しやがれってんだい!」
「察しろだぁ!? なんも見えねぇ聞かねぇ悟らねぇ丸太ん棒のくせして――」
 と。茶碗を振り上げたサヤの手が、唐突に投げかけられた言葉に止められた。
「あ、呼ばれてきたわけですけど、お取り込み中でした? それならお暇するのが人の道ってやつですよねー。じゃ、そういうことで!」
 来た道をくるっと引き戻そうとした“重力(おもきちから)を忘れた 奏楽”の襟首を、サヤは空いていたほうの手でがっしと掴み、引きずり寄せる。
「取り込むのはこれからさ。あんた相手にね?」
 符術師見習いの小僧たる奏楽はその幼い顔をいっぱいに歪め、自分をにらみ下ろす鬼の形相に「ひぃい!」、子どもらしい素直さで悲鳴をあげたのだった。
「はひ、あやかひなのはひってまひた。こづかいほひかったんでふ」
 床几の前に正座させられた奏楽は、さんざんつねりあげられたせいで赤く腫れ上がった頬をさすりさすり自白した。
「相手は鬼なんだよ? 差し出した金の出どころくらい考えな」
 鬼が日銭を稼ぐような真似をするものか。だとすれば、どこぞで襲った人から命と共に奪ったものにまちがいあるまい。
 しかし。うなだれた奏楽は、思いがけず強い声音を返した。
「でも、カネはカネだよ」
「奏楽、あんた」
「カネがありゃ大陸に還れるんだよ。俺だけの話じゃなくて、御剣もさ」
 ひくり。サヤの顎がかすかに跳ねた。
 今は易学者の養子に収まる奏楽だが、元々は清の西端から来たらしく、道門の教えに通じていた。ゆえに彼の符は日の本のものとは理が異なっており、サヤもあっさりと鬼の符が誰のものなのかを知れたわけなのだが……ともあれ。
 清の西端と言えば、その西は天竺。さらに天竺の西にはサヤの生国がある。
「波斯(ペルシア)と露西亜の戦もそろそろ落ち着いたと思うよ。無事に還れたら御剣もさぁ、昔の暮らしに戻れるって」
 一は首を傾げるばかりだが、奏楽が語る戦とは1804年から9年に渡って繰り広げられた第一次イラン=ロシア戦争を指す。奇しくも文化文政の開幕と同時期に始まったこの戦は、サヤと、そして奏楽の人生を大きくかき乱し、この東の果てへと押し流したのだ。
「ハナシが見えねぇ。戦が落ち着いたらミツルギがなんだってんだよ?」
 さすがに黙っておれず、そわそわと口を挟んだ一に、奏楽は大人びた笑みを返す。
「御剣はね、三味なんかじゃなくてシタールが」
「昔のこたぁ忘れちまったよ」
 奏楽の言葉を遮り、サヤは茶碗に注いだ濁り酒を干す。
「葡萄のにおいも麦のにおいも、この米のにおいでかき消えちまったさ」
 砂の国で古代より親しまれてきたワインとビールならず、日の本で造られたこの米酒を干す。
 言外に含められたサヤの真意を悟り、奏楽は未だわけがわからない顔の一をにらみつけた。
「……お姫様は物好きでいらっしゃる」
「なに言ってんだ? ミツルギは女だけど、姫様じゃねぇだろ。どっかのお殿様のご落胤か?」
 怒鳴りつけようとして、奏楽はぐっと言葉を飲み込んだ。
 ああ、ああ。こんなときだよ。自分の聡さを恨むのは。
 この男はなにもわかってないんじゃない。わかるつもりがないんだ。そりゃそうだよな。わかっちまえば認めなきゃいけなくなるものな。御剣がいったい何者なのか。
 小狡い男だね、あんた。小賢しい御剣と互いに化かし合って、何食わぬ顔でいるわけだ。でも、わかってる? それ、ただのごまかしだよ。互いに互いから目ぇそむけてさ、言葉だけで通じ合ってる気でいるだけで。
「そっちの兄さんと自分が肌の色も目の色もちがうこと、ちゃんと考えたら?」
「奏楽」
 音を凄ませたサヤから大きく跳び退き、奏楽は全速力で逃げ出した。こんなこともあろうかと、下駄ではなく草鞋を履いてきたのだ。下駄履きのサヤに追いつかれる心配はない。
「もうちょい稼いだらあらためて話に来るよ! お互い捨てらんない昔があるんだからさ!」
 憶えとけよー! 言い置いて、人の流れの内に滑り込んだ奏楽は気配ごと姿を消した。
「逃げ足だきゃあ迅いね、あの餓鬼は」
 息をつくサヤに、すっかり置いてけぼりだった一が問う。
「で、ミツルギ」
「なんだよ。話して聞かせるような昔話なんざ持ち合わせちゃないよ」
「あの小僧、知り合いか?」
 そういえば一は奏楽を知らないんだったか。
 力が抜けて、すとんと床几に腰を落とした。
「ま、知り合いさね。こっちに来るとき、同じ船に乗り合わせただけの」
 本当にそれだけか?
 一には訊けなかった。訊いてしまえば、サヤも答えるよりなくなる。答えられてしまえば、一はそれを受け容れなければならない。相方とは、そういうものなのだから。しかし。
「……ほんとのとこは俺にもわかってんだ。おまえが来たくて江戸まで流れ着いたわけじゃねぇってことだきゃあよ。ただな」
 これだけは言っておかなければならないと思うから、続ける。
「俺ぁおまえに逢えて、よかったんだ。こっから離ればなれんなってもよ、いっしょに渡ってきた今までをよすがに生きて、いつでも死んでけるなって思う」
「ほじゃくんじゃねぇよ、縁起でもねぇ」
 不機嫌極まりない顔で六方を吐くサヤへ、一はまっすぐ三白眼を向けた。
「昔の俺ぁよ、あと何回明日にたどりつけるもんかって、思ってたんだよ。追っかけてくるあやかしに殺られて死ぬのは決まり事だ。そいつが俺の因果なんだってな」
「だから鬼に殺されてやろうって決めたのかい? あんたの命は安いねぇ。六文銭でいくら釣りがくんだよ?」
 茶化して逃げようとするサヤ。でも、とっくにわかっていた。一が自分を逃がす気などないことを。
 彼女の複雑な心持ちを悟ってか悟らずか、一はやけに神妙な顔で「ちらっとだけどな」、前置いて。
「おまえになら、殺られてもいいって思っちまったんだよ」
「こきゃあがれってんだ! このっ! この、この……」
 わめきちらして一の言葉をかき消したサヤだが、結局は後を続けられないまま押し黙る。

 先に遭った一の顔をした鬼は言った。
『おまえがいっちきれぇだぜ』
 きっと一は、惚れた女に同じことを言うのだろう。言葉を飾る能なんて持ち合わせない、粗野丸出しの芋野郎だから。
 でも、だからこそ言われた瞬間、気づいてしまった。これは一なんかじゃない。
 一の野郎がこんなこと、あたしに言うわきゃないじゃないさ。こんな異相の女に、あの唐変木が。
 やけに腹が立って、三味を掻かずに直接殴ってしまった。鬼は退治たが、代わりに三味の棹は根元からぼっきりいってしまって、長屋では撥を使わざるをえなかった。

 いや、そうじゃない。
 様子を窺っていたサヤは、カっとなって跳び込んだのだから。自分の顔をして一にのしかかった鬼なんかより、上に首を持って行けとあやかしごときに語ってみせた一が腹立たしくて、腹立たしくて、腹立たしくて――
 あたしは赦せなかったんだ。あたしじゃない誰かへ、あんなふうに笑いかけやがったニノマエのこと。
 なんだよちくしょう。こんなの悋気じゃないか。なんだってあたしがこんな、悋気なんて。そんなのしたって、なんにもなんないじゃないか。あんな唐変木に、こんな異相の女が。
 サヤは唇を噛んでうつむく。ここまで追い詰められていながら逃げ出さないわけが、自分にもわからない。それよりもなによりも、自分自身のことがわからなくて。
「俺ぁ唐変木だよ。今日明日にゃへし折れちまうかもしんねぇ丸太ん棒だ。でもよ、そんでもよ。そんでも、思っちまうんだ」
 うつむいたサヤの頬へ、伸べられた一の指が触れた。おっかなびっくり震える指。先からもう傷だらけの、指。
 ああ、これは一の指だ。莫迦で野暮天で唐変木で丸太ん棒で仏頂面の三白眼が、必死に伸べた思いだ。
「おまえがいっちきれぇだぜ」
 一の指に押し上げられたサヤの顔は、困っていて、怒っていて、泣きそうで。
「こきゃあがれ、ばっきゃろう」
 全部塗り潰して、笑んだ。


 夜。寒さをいや増す長屋の真ん中で、夜着をまとって立つサヤが一を返り見た。
「これじゃ、こごえっちまうよ」
 鬼と同じことを言うサヤに、一は知らぬうち引き寄せられていた。
 おんなしだけど、ちがうな。
 夜着の上からサヤを抱きすくめ、一は彼女の首筋に鼻先をつける。
「あったかくって、いいにおいがするもんなぁ」
「藪から棒になんだよ? ったく、風情もなんもありゃしないねぇ」
 くつくつ喉を鳴らし、サヤは一の胸に手をかけて、巻きつけられたさらしを解いていった。
 果たして露われた、治りきっておらぬ傷口。
 サヤはそこに唇を這わせ、額を預けて。
「あたしはあんたの剣だった。でも、今からあんたの鞘になる。抜き身で大暴れすんのはもう赦しゃしないからね」
 ああ。ああ。何度もうなずいて、一は誘われるままサヤの上へとかぶさった。
 いつもは横に並んであやかしを向いているはずの顔が、今は下から自分だけを見上げている。
 きゅうと胸が締めつけられて、思わず力任せに抱きしめてしまった。
「いてぇよ」
 苦笑して、サヤもまた一を抱く。
 やさしくあやすように背を叩かれ、彼の内に渦巻く激情は鎮められて……残ったものはただひとつの決意。
「年貢なんざ納める気はねぇが、収まる鞘ができたんだ。どこで拵えられたもんかなんざどうでもいい。おまえは俺だけの鞘だから――ぜってぇ空にゃしねぇ」
 一が唱えた誓いへ、サヤは言の葉を返す代わりにうなずいた。


 そして明日は来る。
 あやかしどもとの追いかけっこが再開する。
 しかし、一はもう次の明日が来ることを疑ったりはしない。
 彼を収める鞘がここにある限り、大往生まで日々は続いていくのだから。


━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【ニノマエ(aa4381) / 男性 / 20歳 / 不撓不屈】
【ミツルギ サヤ(aa4381hero001) / 女性 / 20歳 / 堅忍不抜】
【重力を忘れた 奏楽(aa5714hero001) / 男性 / 6歳 / 道士小僧】
 
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2018年12月12日

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