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『拳姫 』
イン・シェンaa0208hero001

「楽士諸兄はわらわを“剣姫”だのと讃えてくれておるが、腕っ節ならばこの細腕を凌ぐ豪腕も多々あろう。わらわを最初に討ちとりし者へ、この身を一夜くれてやろう!」
 人界と戦場の狭間にある酒場にて、古酒の杯を突き上げたイン・シェンが男どもへと告げた。
 戦場に彼女が現われて一年と少し。たったそれだけの時間で、インは“剣姫”の二つ名で呼ばれるまでとなった。そしてこの場にある男どもは彼女と戦を共にする傭兵だった。
「俺が行く!」
“巌鎚”と呼ばれる巨漢が吼える。
 酒場で傭兵同士の勝負とくればもう、腕相撲以外にない。これならば、剣を取っては百戦無敗――彼女の勝利は剣ばかりで為されたわけではないのだが――のインであれ、容易く組み敷けよう。
「一夜限りとはいえ剣姫の夫となれるは至上の喜びよ!」
 ……などと笑っていられたのは、手を組み合わせて卓上に肘をつくまでの話だった。
 あっさりと豪腕をひねり倒され、ついでに自らをも引っ繰り返された巌鎚は、笑い転げる男どもの内へすごすご引き下がるよりなかったのだ。
 かくて次々と男どもを退治たインは、古酒を干して息をつく。
「今宵、わらわを燃やしてくれる男はおらぬようじゃな。まこと、残念」
 巌鎚から捧げられた新たな酒杯を手に、インは唸る男どもをとろりとした流し目で撫で斬ったが。
 さすがに名だたる強者が赤子よろしく手をひねられる様を見れば、次は我がと進み出てくる者はない。
 と、思いきや。
「私が」
 袖を詰めた漢服で身を包んだ美丈夫が手を挙げるではないか。
「ほう。見ぬ顔じゃが、名を問うてもよいかえ?」
「戦場を踏んだばかりの若輩にございます」
 かくて彼はインと手を合わせて……武辺とは思えぬすべらかな女の腕を、勝負とは思えぬ恭しさで卓へと押し倒した。


 余分なもののひとつも置かれぬインの私室。
「本当によろしいのですか?」
 ただひとつの調度である寝床へ腰かけた美丈夫が、となりに座すインへささやきかける。
「わらわを欲してきたのであろ? ならば無粋はなしじゃ。来よ」
 美丈夫は腕相撲同様、恭しくインの体を床へと押し倒した。
「これで本懐を果たせます」
「わらわを討つという、か?」
 下から平らかに答えたインに、美丈夫が顔を歪めた。
「袖を詰めておるは武具の取り回しを妨げぬためであろ? そして、兵にそぐわぬその“気”じゃ。ま、わらわに勝たねばならなかったがゆえ、どれだけの気を練れるものかを隠せなんだはそちの落ち度じゃがな」
 インの常勝を支えるは、丹田に落とした気を練り上げて体の内外へ巡らせ、時に鎧、時に刃として繰る“練功”である。
 男だちの手をひねったインの“功”に対するには、美丈夫もまた同じ“功”を遣わざるをえなかった。
「いや、功を繰るばかりならばただの武辺と思えたやもしれぬがな。名乗れぬわけを思わば答はひとつじゃ。そち、同門の刺客じゃの?」
 インが生家にて学んだ武術にはひとつの掟がある。同門と対した際にはけして名乗ることなかれ。名乗れば情が生まれ、技を鈍らせることとなろうから。
「あなた様の生が障りとなる方がいらっしゃるのです」
 美丈夫がインの腹を締め上げながら跨がる。発勁の元となる脚はおろか、挙動の起点となる腰を押さえられたインに為す術はない。
「綺麗な技じゃな。が、生憎とわらわはもう、綺麗なばかりではない」
 インは口に含んでいたものを美丈夫の顔へと吐きつけた。それは先に呷っていた酒。
 充分に寝かせられて熟成された酒は、その酒精の濃さをもって油断していた美丈夫の目を焼くが……顔をかすかにそむけながらも体勢を崩しはしない。
「悪あがきですな! それでなにができると」
「いや、これだけの時間をもらわば充分。腰は据わっておるゆえな」
 美丈夫はその言葉に気づかされるが、もう遅かった。
 発勁とは体が生む力を体にかかる力へ乗せて巻き取り、敵との接触点へ導く術である。インと彼とが学んだ一門においては震脚を基本とするが、それは地を強く踏みしめた反動を使うがためのものであり、打ち込むまでの間体を据えつけておくがためのもの。
 しかし。最大の威力を求めさえしなければ、踏み込む必要などありはしないのだ。力を押し上げるひねりを得る間、体を据えておけさえすれば。
 インは自らに跨がる美丈夫の重さを頼りに背骨をねじり、力の螺旋を生み出していた。それが背、胸、肩、腕の関節を伝って増幅し、手首に至って渦を為して、美丈夫の胃の腑へつけられた拳の先でついに爆ぜた。
 まっすぐと打ち上げられ、天井にぶち当たって床へと落ちた美丈夫は、弾けた臓腑からあふれる血を吐き、賛美の目をインへと向ける。
 武の徒としての最期をその拳にて迎えられたこと、うれしく思います。

「置き去った者と置き去られた者が今を争わねばならぬとは……互いにままならぬものじゃな」
 死にゆく男を見送り終えて、インは部屋を後にする。
 醒めてしまった酔いを取り戻さねば、この夜はやり過ごせまいから。


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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【イン・シェン(aa0208hero0001) / 女性 / 26歳 / 義の拳姫】
 
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2018年12月14日

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