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『未練の義 』
リィェン・ユーaa0208)&aa0208hero002

「なかなか来れなくてすまないな」
 香港の一角。まわりと背の高さを競い合う瀟洒なビルの根元に、かがみ込んだリィェンがうそぶく。
 手にした瓶は山査子の果汁。あのころの“俺たち”には、なによりのごちそうだったよな――

 ここにはかつて、古龍幇の下部にして暗殺依頼を請け負う【獄】なる組織があった。
 いや、所属していた少年少女が担わされたは、暗殺などという技と業とを尽くすようなものではない。数を頼りに標的を包囲し、闇雲に突っ込んで誰かの刃なり弾が届けばいいというだけの、お粗末な人海戦術のテロリズムだ。
 だから。多くの者が死んで、多くの者が補充されて、また死んでいった。一年を生き延びる者はほとんどおらず、奇跡的にそれを為したものですら、縄張りを獲り合っていたマガツヒの強襲で根こそぎ殺された。
 リィェンとて頼るものが自力のみであったなら、彼らと同じ泰山へ送られていたはずだ。“光”という支えがあったにせよ、あのときの彼にさしたる力などなかったのだから。

「手向けるならば強い酒であろうがよ」
 程よく枯れた声音と共にたゆたう薄荷の香。
「誰ひとり、酒を飲める歳まで生きられた者はいないからな」
 対してリィェンは振り向かずに応えた。
 山査子の果汁や菓子は、年に数度、仕事がうまくいったときに与えられた貴重な褒美だった。だからこそ、彼らへの手向けとなる。
「ふん、相も変わらずじめじめと暑苦しい。この世に未練を引くほど生きてもおらなんだろう、あのときの彼奴らは」
 ゆっくりと振り向いたリィェンは声の主を見た。
 ゆるやかな湾曲を描く羅宇を備えた煙管から薄荷香の紫煙をたゆたわせる、長袍姿の知命の男を。
 男の名は零。リィェンの第二英雄であり、あのときに彼を死から救い上げた手の主と同じ顔を持つ武芸家であった。
「ま、未練がましさは残されし者に赦された唯一の贅沢よ。せいぜい浸っておけ」
 言いながら、零は懐から白酒の小壺を抜き出した。
 リィェンの撒いた果汁の上に、酒を重ねる。山査子の赤と透けた酒とが混じり合い、アスファルトを舐め行く様を見やった零の目は、なんとも言い難い鈍光を湛えていた。
 そうか。得心するリィェン。
 とどのつまり、零もまた浸りに来たわけだ。彼が語る「贅沢」に――


 そも、零は他のライヴスリンカーの第一英雄としてこの世界に顕現した存在だった。
『あんたの名前は?』
 顕われた零に男は問う。
『名など知らぬ。好きに呼べばよかろう。白酒でも煙管でも』
 男の持ち物の内、目についたものを適当に挙げる零に男は苦笑して。
『あんたが思いつくまで、しばらくは無名とでも名乗ってくれ。俺の名は零だ。仕事は、そうだな。義の徒とでもしとこうか』
 たまらない莫迦だ。こんな莫迦に呼ばれた自分は、前世でどれほどの莫迦をやらかしたものか。そう思わずにいられなかった零ならぬ“無名”だが、いやいや付き従うにつれ、この男が芯の通った莫迦であると知れてきた。
 富にも名声にも揺らぐことなく、義を為すがためその武術を振るい、身を投げ出していく。けして表舞台に躍り出ることなく、暗がりの底に囚われた誰かのため、手を伸べるのだ。――日の下へ引き上げるのではなく、押し上げるがために。
 なぜに呼ばれたものか、なぜにかような技を与えられたものかも知れなかったが、無名はいつしか男のために自らを尽くしてやるようになった。
『どうして俺に力を貸してくれる?』
『莫迦もここまで貫かば見事と言うよりあるまいからな。どこまで行けるものかを見たくもなろうさ』
 気のない返事を返したものだが、そんな無名に男は笑みを見せ。
『なにせふたり分の莫迦だからな。莫迦と莫迦で、大莫迦だ』
 かくて幾多の鉄火場にて義闘を繰り広げた彼らは、その内でマガツヒが香港黒社会の制圧に乗り出すとの報を得ることとなる。
『マガツヒか。ここに来てかようなまでに大きく動くとは……。が、汝には僥倖か。執拗に追うてきた因縁、わずかばかりには断ち切れようゆえ』
 無名の言に、男は首肯しかけた面を止めて。
『獄とかいう子どもばかりの刺客集団がいる。マガツヒが標的にするならまずそこからだろう』
 噂には聞き及んでいた。数十メートルを駆け抜けるだけの技を仕込まれて特攻させられる、使い捨ての子どもらのことは。
 古龍幇といえば中国南部に根を張る黒社会群の塊であり、裏の有り様を取り仕切る大老的な存在である。が、だからといってその仕事、綺麗事で済まされるものではありえない。その座を狙うものはあまりにも多いのだから。
 ゆえにこそ、互いの命を積み合ったとてかならず古龍幇が生き延びるという現実を見せてやらなければならない。たとえばごくシンプルな自爆攻撃を繰り返してみせるなどの。
 死ぬがために生かされる子らに、叛逆の種となりうる技を仕込むような真似はしないだろう。つまり、敵対するを決めた者からすれば格好の的であり、古龍幇に対しては布告となる。命の量を比べ合う手は通じない、こうしておまえらを殺し尽くすからと。
 そんなものを前にぶら下げられて、この男が動かぬはずはない。子らを救おうと踏み込まずには。
『見知らぬ餓鬼どもの片手間に因縁を追うかよ』
『せめて一石二鳥と言ってくれ』
 男は笑むと共に胸を張ってみせた。
 おう、莫迦が莫迦を誇っておるわ。しかし――
『汝の義が、闇に目を塞がれた子らへ届くものかな?』
 それでも思いとどまらせることはできまいかと問うてみたが。
『自信はない』
 なんでもない顔で応えた男は言葉を添えた。
『それでも無理矢理に信じるさ。俺の手は届くんだと』
 いやはやいやはや。ふたり合わせるまでもなく、汝はひとりで大莫迦よ。

 果たしてマガツヒは【獄】へと攻め込んだ。いや、内部の事情で十分繰り上げられていたから、情報どおりではなかったが。
 この誤差は、万一にも発見されぬよう潜んでいた男と無名にとって、実に大きなものとなる。
『子どもたちは持ちこたえられるか――』
 マガツヒの背後を突き、立ち回りながら男が奥歯を噛み締めた。
 古式ならぬ近代式の武装で身を固めた兵は、弾倉一本分の銃弾で子どもたちを殺すはずだ。
 そして古龍幇は、【獄】がどうなろうとかまうまい。全滅までの時間を、せいぜい反撃の準備に費やすばかりで。
『目をこらせ。汝が踏み出すべき先を見定めよ』
 無名が声音と共にライヴスキャスターを発現させた。水晶からあふれ出た奔流がマガツヒの兵を打ち据え、削り、押し流し、男の先を拓く。
『兵の内にライヴスリンカーはいるか!?』
 襲いかかってきた兵を、葉問派詠春拳――北派中国拳法の実直な剛拳をコンパクト且つスピーディにまとめた近代的詠春拳。ある映画スターによって広く知らしめられた――の套路で弾いて叩き伏せ、男が無名へ問うた。
『いる。すでに奥へ潜り込んでおるようだ』
 ライヴスの高鳴りを辿って大まかな位置をつかんで応える。
『なら、そこまでまっすぐ行く』
 細かな踏み出しと踏み込みを重ねて八方の敵を討ち、男は前へと進んでいった。

『タァマダ!』
 飛び出した仲間が千の銃弾に裂かれて数百の端布へ変えられる様に、リィェンは盾とした資材に爪を立て、叫んだ。なんの意味も成さず、意義をも為し得ぬ罵声とわかっている。わかっていながら、叫ぶことしかできないから叫ぶ。。
 この訓練場は、訓練のために集められたリィェン含む【獄】の少年少女と、尽きることなく雪崩れ込んでくる襲撃者でいっぱいだ。
 両者に一定の距離が保たれているおかげでリィェンたちは持ちこたえているが、それは襲撃者がアサルトライフルで武装しており、その射程を考慮しているからというだけのこと。しかしそれももうじき終わる。こちらの数はすでに十を切っているのだから。
『リー、これ、訓練なんじゃねぇか? 生き残ったヤツだけ上げてもらえるとか』
 ぼんやりとした目を襲撃者へ向けた少年が、その目の玉を撃ち抜かれて「られれ」、異音と脳をこぼしながら倒れた。
 俺らみてぇなシァオチィァン(ゴキブリ)がどこに上げてもらえるってんだよ。立派な暗殺者にしてもらえるってか? 笑わせんじゃねぇ。
“光”を見た後、努めて整えようとしている言葉遣いだが、現状は完璧からはほど遠い有様である。いや、これでも初期に比べればかなり進歩はしていたのだが――ともあれ。
 手にある武器は剣に見立てた木剣のみ。それでもなんとか仲間を助けようとあがいたが、敵ふたりの脛をへし折ったところで折れ飛び、逆に蹴りを食らって肋を数本へし折られた。
 痛みには慣れているし、呼吸法によってごまかす術も学んでいるから、あといくらかは全力で動けるだろう。問題は、動く気力が沸いてこないことだけだ。
 もう一回、会いたかったんだけどな。
 小麦に焼けた“光”の様を垣間見て、苦い笑みを漏らす。
 俺は、きみみてぇにできなかった。体張って、立ちはだかって……守りたかったヤツらに光を見せるなんて。
 銃弾に穿たれる少年を見過ごした。
 弄ばれる少女の骸から目を逸らした。
 撃たれ、打たれ、転がる自分の無様に絶望した。
 そうしてひとつひとつ、心に据えたはずの思いを削ぎ落とされて、今は来たるべき死を前に、ただ息をついている。
 って、赦せるかよ。
 そんな俺を俺は赦さねぇ。
 一秒だけでも俺はなってみせろよ。“光”みてぇな俺によ。
『残った奴に回せ。俺の体がちぎれるまで盾にしろ。そっからなんとか飛び出して、逃げろ』
 暗号で近くに隠れていた生き残りへ告げ、リィェンが跳び出した――そのとき。

『生きてくれてるか!?』

 聞き覚えのない男の声が弾け、死神の群れであったはずの兵士らが宙へ舞い、地へ叩きつけられた。
 呆然とするリィェンの目の前で、ありえない奇蹟は重ねられていく。
『誰だよ、あんた』
『ただの物好きだ』
 それだけを語った男はリィェンと数人生き残った少年少女をかばい、外へ続く通路へと誘った。
『古龍幇のもんなのか?』
『いや、マガツヒに仇なす者ではあるがな。……生き残ってくれたきみたちだけは、なんとしてでも守る』
 意味がわからない。憎いマガツヒより、こんな足手まといどもを抱え込むとは。
『正しいかを語るのは人に任せるが、守るべき俺の義ってやつは俺が決める。それだけのことだ』
『ようは莫迦の戯言よ。真似をすれば死ぬぞ?』
 男と、内側にある者――確か英雄というのだったはず――がそれぞれに言う。
 しかし、リィェンにとってそんなことはどうでもよかった。
 義。それはあの“光”が語った正義とよく似ていたから。
 自らのためでなく誰かのために尽くす有り様を指すのだとは、このときのリィェンに理解できようはずはなかったが、“光”と重なったそのひと文字は彼の心に深く食い込んだ。
『さて、ここで俺は俺の真似をせねばならんようだ』
 リィェンらを残し、男は独り進み出る。数人の、ただならぬ気を放つ兵と対するがため。
『左に折れてまっすぐ抜けていけ』
 と、歩を止めて背中越し、笑みを投げて。
『死なずに生きろ。己も他者も、殺すのではなく生かせ』

『己にやりきれなんだことを餓鬼へ押しつけるとは』
 無名が苦笑する。
 目の前の兵らはライヴスリンカーだ。それもひとりひとりが相当の手練れ。
『託すこと、繋ぐことが人の道だぞ』
 大義を捨ててこの場で死にゆこうとしている男はかるく応え。
『そういえばあんた、まだ名を持ってなかったな』
『名乗る機会ももうあるまい』
 共に逝くことを言外に告げ、無名はライヴスを燃え立たせた。ここまで付き合ったのだ。冥府の果てまで共連れてゆくも一興よ。
『せめてもの手土産だ。俺の名を持っていってくれ』
 そして――


「縁とは奇なるものよな」
 零は残していた酒を呷り、リィェンを見やった。
 握り込んだ義のために命を捨てた莫迦な男と別れ、誰かのために命を捨てようとした餓鬼の成れの果てと契約するなど……まさに数奇な巡り合わせである。
「まだ後悔してるか?」
 英雄として再びこの世界へ顕現した零と再会を遂げたリィェンは突きつけられたものだ。「迷いにふぬけた汝へ力を添えてやる気はない」と。
 リィェンの問いに答えず、零は静かに言葉を紡ぐ。
「今の汝は実に未練がましく迷い、ふぬけておるが」
 壺をリィェンへ投げ渡して、背を向けた。
「ならば齧りつけ。未練がましく、その生に」
 奴にできなんだことを、やりぬいてみせよ。
 離れていく零の背に、リィェンはうなずいた。
 今の俺はたまらなく無様だよ。でもな。

 二度とあんたを贅沢へ浸らせずにすむよう、生き抜くさ。


━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【リィェン・ユー(aa0208) / 男性 / 22歳 / 義の拳客】
【零(aa0208hero002) / 男性 / 50歳 / 義の見客】
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2018年12月17日

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