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『我が上の星は見えぬ 』
ヴァージル・チェンバレンka1989

「――俺にか?」
 ヴァージルの問い掛けに馴染みの受付嬢は笑顔のまま「はい」と答えた後、一言断りを入れて奥へと入り、少しして戻ってきた。手に持った真っ白の封筒をこちらに差し出し、
「この前、ヴァージルさんがお受けになった依頼で助けられた方だそうです。直接お礼を言いたかったみたいですが、いつ戻られるのか分からないので手紙をと」
 と説明してくる。それを聞きながら封を切り、中に入っていた一枚の便箋に目を通した。ヴァージルにとっては初めての経験だが彼女からすれば特筆すべき事柄ではないのだろう、特に詮索は無い。話を聞いて想像したよりも長い文面を一通り精査すると、便箋を折り畳んで封筒に戻し懐に仕舞った。カウンターに片肘を突いて受付嬢に顔を近付け、笑みを浮かべてみせる。
「少し尋ねたいんだが、いいだろうか?」

 ◆◇◆

 あの出来事を忘れる日は生涯訪れないだろう。裕福には程遠いが、慎ましくも満たされていた日々。それが唐突に、呆気なく壊された瞬間を忘れられる筈などない。知人に支えられて縺れる足を前に進め、向かった先で見たのは、其処彼処に飛び散った赤黒い液体の中に沈む――。
 上体が前方へと引き寄せられ、反射的に目の前の背凭れに両手を突いて顔がぶつかるのを阻止する。ただ、クッション越しに人間の体の感触が伝わり、それを認識すると二の腕に鳥肌が立って、胃からせり上がってくるものを感じた。
「着いたよ」
 背後にいる人間の顔色を確認出来る訳もなく、単に眠っていたと思ったらしい馭者が気持ち大きめの声で話し掛けてくる。必要最低限の物だけ詰め込んだ鞄を拾い上げ、ごちゃごちゃと私物が乱雑に置かれた、明らかに観光向けではない馬車から何とか這い出た。懐に手を入れ、硬い感触を確かめるのも忘れない。
「何でこんな所に……いや、聞かなかったことにしてくれ」
 懸命な判断を下した馭者が、手綱を引いて再び馬を走らせる。あぜ道を直進する馬車を黙して見送った。帰りをどうするかは後で考えればいい。顔の強張りを解すように手で頬をさすり、岐路へと足を踏み出した。
 もうすぐあの日から今日までの悲願が果たされる。そう考えると俄に沸き起こる興奮を押し殺して、幾度となく思い描いたイメージを脳裏で反覆し、成就を願った。泣いても笑っても一度きり。しかし勝算は充分にある。
 予想外の人影に、思わず足を止める。先に気付いていたらしい男が口元の笑みを深くするのを見て、嫌悪感を覚えながらもそれをおくびにも出さず、先程と同様の歩調で歩み寄って頭を下げた。待たせてしまった事と辺鄙な場所に呼び出した事を詫びるが、男は気にした様子もない。その上に、直ぐ近くにある神社に戦勝の御利益がと、こちらが言い訳として用意していた言葉を先に言われ、内心動揺しながらもよくご存知でと、笑いながら媚を売った。だから是非紹介したくて。そんな心にも無い台詞がすらすらと出てくる。有難いと言う男に方向を示して、共に件の神社の方向に歩き出した。
 男の注意が逸れている隙に武装を目視するが、ナイフ一つすらも見えなかった。しかし、訊いた話が確かなら幾ら一般人とはいえ、見ず知らずの相手に丸腰で相対するとは思えない。何か暗器を持っているのか。いずれにせよ一発で仕留められれば問題ない。
 左右を森に囲まれた寂れた参道を進みながら、歩く速度を落とす。少し前まで饒舌だった男はこちらを気にする素振りもなく前へ進み、幾らかの距離が開いて。そっと取り出した拳銃を男を的にして構え――そして、間髪入れずに射出した。

 ◆◇◆

 感覚的には、風を切る音が聞こえるのと鋭い痛みが走るのは同時だった。次いで軽い音にどさりとそれなりに重量のある何かが倒れ込む音。ヴァージルが緩慢に振り返れば後ろを歩いていた女が石畳に伏しているのが見える。本来は一般人ならばまるで抵抗出来ずに眠りに落ちているところだが、女はかろうじて意識を保っていた。震えながら上げた顔、その瞳には明らかな憎悪と殺意が浮かんでいる。――先刻までよりも露骨に。
「もう、ひやっとしました!」
「いや、すまん。油断していたな」
 ヴァージルが答えて手を上げてみせると、がさがさと草むらを掻き分けて出て来た男がはぁと妙に大袈裟な溜め息をつく。そして女を一瞥してから、こちらへと近付いてきて上げなかった方の腕――女の攻撃で革製の篭手ごと切られて出血している箇所を素早く調べて、応急処置を施してくる。
「助かる」
「いえいえ。それで、どうするんですか? このまましょっぴくなら、俺がばっちり証言しますよ。逆恨みでヴァージルさんを殺しに来たヤベー奴だって」
 言って、女を拘束しようとする男に制止を掛ける。
「さすがにそこまでしてもらうのはな。これ以上お前に借りは作れん」
 その言葉に男は喜色を浮かべながら、帰ったら酒でも奢って下さいねと拘束用の麻縄だけ託し帰って行った。
「……これで邪魔者は消えた、と」
 女の元に向かえば動けないままだが呂律は回るらしく、罵詈雑言が飛んでくる。泣き声になっていて迫力も糞も無いが。その断片的で聞き取り辛い言葉を繋ぎ合わせれば、予想通り復讐を目的にヴァージルを呼び出したようだ。弟がどうの目撃証言がどうのと言い募っているが、何一つ興味をそそる要素は無い。
「申し訳無いが覚えていないな。何分、心当たりが多過ぎる」
 ヴァージルの言い分に女が目を剥く。その変化を見下ろして無造作に腹を蹴り飛ばした。女の口から耳障りな悲鳴が漏れるが聴く人間は誰もいない。此処は殺人の舞台。ただし、被害者と加害者の配役は入れ替わった。
 もしこれが死線を彷徨う程の激しい戦いだったならば、ヴァージルは充分に満たされた。だが酷過ぎて逆に、という微かな希望さえも裏切る粗末な終局だった。ソサエティを連絡手段にするのも、呼び出す場所も。手紙の内容だけは的を得ていたが、単に現在の名と身分を知る切欠だったというだけだろう。
 攻撃に用いた疑似的に機導砲を発射する非合法の装置、拳銃型のそれを蹴り飛ばして大逆転の一手を阻止すると、仰向けになった女の上に馬乗りになって、悲鳴か罵声かをあげようとする喉に強く指を押し当てた。声が意味を成さない音へと化ける。
 一方的に弱者を嬲るこの感覚は、正義の名を冠した仕事では得る事の叶わない、久方振りのもので。自然と漏れ出した声は次第に哄笑へと変わっていった。手首を掴む、か弱い抵抗がまたいじらしくて笑いを誘う。見開かれた女の目から涙が零れ落ちる様子を見、いつ何処でかは忘れたがふと抱いた既視感に、なるほど確かに弟とやらを殺したのは自分らしい、そんな事を思った。
 包帯が巻かれた箇所から香る血の匂いに刺激され、いっそ殺してしまおうとも思ったが、頸動脈洞反射で女が失神するのを見届けると波のように昂揚感は引いていった。女の首から手を離して立ち上がり、荒縄で腕を拘束して機導装置を回収する。後は予定通りに女を然るべき機関に突き出せば終いだ。目撃者も負傷も全てその為に用意したのだから。当然女は抗弁するだろうが、現在も過去も何一つ、ヴァージルを裁く証拠など有りはしない。自ら殺そうとしたのがその証左だ。
「――見物だな」
 もっとも、目覚めた女が正気かは不明だが。
 力無い体を荷物のように担いで、笑みを湛えたままヴァージルは元来た道を引き返した。

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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【ka1989/ヴァージル・チェンバレン/男性/45/闘狩人(エンフォーサー)】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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ここまで目を通していただき、ありがとうございます。
ご要望に添えられているのか、非常に不安ではありますが
前回が過去で犯罪者相手、後半は単独行動といった感じだったので、
今回はハンターになった後の話で一人ですが籠絡された味方を付け、
仇討ちに来た人間にえげつない行動を取る、という内容にしました。
格上や同格相手は普通に依頼で戦えそうだよなあというのもあって。
弱者をいたぶったり、無実ではないですが安全圏から
他人の不幸を愉しむ趣味がなかったら申し訳ないです。
今回は本当にありがとうございました!
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ファナティックブラッド
2018年12月25日

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