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『Inevitable 』
空月・王魔8916

 空気を読む。
 それは日々の内で人々の思いを察し、それに沿うことを示す言葉ではあるが――空月・王魔にとってはそれ以上の、いや、言葉そのままの意味を持つ。
 空気を揺らし鳴らす音を読む。
 空気を濁らせるにおいを読む。
 空気を押し分ける気配を読む。
 別に持って生まれた超能力じゃない。必然性があったからできるようになった、死ぬ気がなかったからやれるよう研いだ。それだけのことだ。
 肩をすくめて語る彼女だが、確かに必然なのかもしれない。なぜなら、自らの五感を研ぎ上げられなかった者は皆死んだのだから。五体満足を保って生き延びた末、この日本で豊麗な肢体を見せつけるに至った彼女は、確かに「それだけ」の存在なのだろう。
 もっとも、綺麗な話じゃありえないがな――


 父母が死に、紛争地帯へ独り投げ出されることとなった王魔に嘆く暇はなかった。
 なにせ信管をゆるめられた地雷で吹っ飛ばされた父は、文字通りの微塵になった。彼と共に戦火から避難をしていた母もまた、同じ末路を辿って消えた。
 ふたりは王魔の安全を確かめるため先行してくれていた。しかし、結果的には娘の先を確かめることもできぬまま、ふたりそろって逝くこととなったのだ。
 飛んできた破片で右眼を失いながらも死なずにすんだ王魔だが、不思議なほど心が平らかだったことを憶えている。少なくとも数秒は、親より先に死ぬ不幸をせずにすんだと。
 そして王魔は決めたのだ。数秒を数十秒に、数十秒を数百秒、自らの生を延ばそうと。今になってみればよかったか悪かったのか。ただ、娘を生かしたかった両親の遺志に応えたいと、必死になってしまった。

 そこから王魔は思い知る。
 人はどうやら、息をする以外のすべてに代償が必要となるのだということを。
 そして代償とは、他者になすりつけられるのだということも。
 ストリートチルドレンとして紛争地の端にある町に棲み着いた王魔は、まだ硝煙のくすぶる戦場へ駆けだして行っては死体を漁り、使える物資を盗み取ってきては日銭を得る毎日を過ごしていた。
 当然、戦闘が途切れたとはいえ戦場。すぐに別の戦いが始まることもあれば、迫撃砲の霰が降りそそぐこともある。同じようにして生活している子どもが、彼女の目の前で何人も撃ち抜かれ、噴き飛ばされ、戦車に轢き殺された。
 だから彼女は最初に耳を澄ますこと、そして鼻を利かせることを覚えたのだ。
 兵士や兵器が漏らす特有の臭いに反応し、身を潜める。音の高低を聞き分け、その音が低い――それだけの質量を持っているようなら、なにをしている最中であれ一目散に逃げる。
 こうして王魔は他の子どもより多くを得るようになったが、しかし。
 子どもばかりでなく大人までもが、多くを持つ彼女を、戦場ならぬ町で狙うようになった。
 自らを危険に晒すことなく、得るばかり。それはきっと素敵な思いつきだったのだろう。実際奪われる側からすればたまったものではないにせよだ。
「もっと取ってこい! もっともっと!」
 コンテナさながらの巨体にのしかかられ、ハンマーさながらの拳に打ちのめされながら、王魔は知る。暴力に怯えて手にしたものを差し出してしまえば、結局はなにも持てぬまま死んでいくよりない。
 両親への贖いは、すなわち生き延びること。それも漫然とではなく、生きると肚に据えて生き抜くことだ。
 そのときから彼女は、肌感を意識するようになる。
 人は独りでは生きられない。戦場から取ってきたものを食料に換えるにせよ、それを持つ商人がいなければ意味がない。だから、人の意思を感じ取らなければ。悪意には先んじて対処を。善意には過ぎることない感謝を。
 そのためにも、舐めさせないだけの暴力は不可欠。
 リーチも筋力も足りていない自分が、他の子どもや大人の悪意に対するには飛び道具が要る。だから彼女は戦場の遺品を縛り束ね、粗末なコンポジットボウを造り上げた。矢は先を研いだ金属棒。3メートル飛んでくれればよかったから、精度はどうでもいい。

 かくて王魔は力を得た。
 悪意には悪意を。善意には善意を。この当たり前の理を支えるのが暴力であるという事実は、彼女の心を妙に達観させることとなるのだが……他者の有様に冷めるのは、環境こそ違えど後の彼女の雇い主が辿った過程と似ている。
 と、それはともあれ。悪意との距離を測り、人との距離を測り、悪意の軽重を計り、王魔は戦場と町とでの立ち回りをこなせるまでになった。
 この場で抗いきれないものに対しては、一度逃げて後で狙い射ればいい。こうして一日を重ねるうち、彼女から奪おうという者はいなくなっていた。
 得たものを守る中で彼女の技は熟達し、弓ばかりでなく、あらゆる兵器を使いこなすに至る。
 こうなれば、次に求められるのは戦士としての生である。
 彼女は紛争を演じる両陣営から苛烈なスカウトと、それに応じぬことへの報復を受けたが、すべてをくぐり抜けて「思い知らせてやる」ことを為した。
 すべてはその研ぎ上げられた感覚と暴力の完成度によるものだが、その中で、どうやらここにいては両陣の狭間ですり潰されるのだろうことを予見する。
 今さらどちらの地雷が両親の命を奪ったのかなど気にするつもりはないが、譲る気のない我儘を押しつけ合うおまえらのじゃれ合いにつきあわされるつもりもない。
 置き土産の代わりに両本陣を吹っ飛ばしてやって、彼女は国を出た。金があれば身分などいくらでも作れるし、足を伸ばしたいだけでファーストクラスを抑えることもできる。
 そしてその研がれた感覚をもってすれば、たとえ出国審査官から疑惑の目を向けられ「日本へご旅行で?」と問われたとて、先んじて何食わぬ顔をつくり、「シンジュクとアサクサを観に行くだけさ」と返すこともだ。
 人の悪意――マイナス感情は、すでに王魔にとっては自動で測れる程度のものでしかなかった。それをどれほど殺そうと、化学反応をもって臭いが漏れ出すし、生きている以上は音も鳴る。だから、どこから誰が忍び寄ろうと、彼女はすべてを測って対することができる……と、あのときまでは思い込んでいた。

 キミにとって悪くない話をしよう。
 日本のアパートに潜伏といえば聞こえはいいが、単なる不法在住をしていた王魔の元へ現われたライオンヘアの女は、隻腕を腰にあてて言ってくれたものだ。
 正直、ドアを開けられるまでまるで気づかなかった。いや、気づいてはいたのに、反応できなかった。あの女にまるで悪意がなかったせいで。
 悪意がないとはいえ、とても聖者には見えなかったから、莫迦なんだろう。が、王魔の感覚をもってしても、それを確信できるほど測れるものがなくて。わからないわからないと思っている間に、するするあの女へ懐の奥の奥まで入り込まれてしまった。
 後にそれがあの女の繰る人間関係の間合であると知るのだが、それ以前に。実際は莫迦などより数千倍仕末の悪い女だったことを思い知らされることとなるのだ。


 まったく。人生ってやつは、たとえどれほどの起伏を越えてみたところで先など見えず、いつでも、いつまでもままならないものなんだな。
 幾度ため息をついたところで、現状は変わらない。
 だからこそ王魔はボディーガード兼家事手伝いなどというままならない役割をこなし、先の見えない今日を生き続けるのだ。
「いい加減に起きろ。シリアルをレーションに換えられたくなければな」
 ……我が身の不幸、それをもたらした必然を噛み締めて。


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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【空月・王魔(8916) / 女性 / 23歳 / ボディーガード(兼家事手伝い)】
東京怪談ノベル(シングル) -
電気石八生 クリエイターズルームへ
東京怪談
2018年12月27日

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