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『定めと惑い 』
リィェン・ユーaa0208)&aa0208hero002)&イン・シェンaa0208hero001

「す」
 まない。指先で止められ、続けられずに消された言葉が、リィェン・ユーの胸の内にどろりと流れ落ちた。
「今回の負けでわかったことがあるから。まだ終われない。あたしは絶対あきらめない」
 ゆっくり休んでて。
 言い置かれた言葉はやさしく、そして罪悪感で陰っていて。
 リィェンは腫れあがってろくに開かぬ目を閉ざし、息をついた。
 彼女はひとりで歩いて行った。
 じゃあ、俺は――どうしたらいい?


 空の注射器2本分のどす黒く濁った血を抜いた結果、目蓋の腫れは引いた。
 これほどの量、内出血していたのかと驚かされる。リンクバーストしたライヴスリンカーでも、こんな当たり前の怪我を負うものかと。
「目は開いたようじゃな」
 取り戻した視界の内で待ち受けていたのは、彼の契約英雄たるイン・シェンと零だった。
「めずらしいな、ふたりそろって来るなんて」
 笑おうとしたリィェンの胸の中央、みしぱきと嫌な音がすると同時に鈍い痛みがはしる。ち、胸骨も折れてるのか。まあ、骨で止められたのは俺の功夫の賜物ってことだろうから、叩き込んでくれたインには感謝しとかないとな。
「なかなかに酷くやられたの、小僧」
 おもしろくもなさげに言う零。
 リィェンにはうなずくこともかぶりを振ることもできなかった。消化も昇華もできていなかったからだ。あのヴィランのボクサーに負けたことではなく、彼女の期待に応えられなかった自分の有様を顧みることができなくて。
「しかしながら腑抜けておる暇はないぞ。彼の比良坂清十郎を討伐せんと、H.O.P.E.で兵を募るとのことゆえな」
 胸骨の痛みも忘れて息を飲み、リィェンは跳ね起きて――インに首を刈られてベッドへ押しつけられた。無理矢理に見上げさせられた白い天井へ、かすれた声を噴きつける。
「あいつが――あいつを――」
 激情が喉の奥へ押し詰まり、言葉を紡ぐことすらできなかった。
 比良坂清十郎。【極】壊滅の引き金を引いたマガツヒ首魁であり、今は愚神となって世界壊滅の引き金を引こうとしている男。リィェンにとっても零にとっても深い因縁で結ばれた、今生無二の敵である。
「拳闘士は未だ人の域にあるが、彼奴はすでに人を捨てた身じゃ。生半な覚悟と刃では届かぬぞ」
 インに言われるまでもなく、思い知っていた。先日垣間見ただけの、あの男の力によって。
「小僧、いかにする?」
 行く以外に答はない。
 そのはずなのに。
 たったそれだけの答を返すことができなくて。
「……まだ時はある。今は養生に努めるのじゃな」
 焚きつけることも叱咤することもせず、インと零は病室を出て行った。
 気を遣わせたな、あのふたりに。
 リィェンは頭をかきむしり、ベッドから降り立つ。ボクサーから受けたダメージは頭部と腹から上の胴体に限られているから、四肢は無事だ。
 幸いにして、意識を失っていたのはそれほど長い日数ではなかったらしい。脚も腕も萎えていないことを確かめ、リィェンは折れた骨に障らぬよう歩き出した。
 不可思議なほど、気力が沸いてこない。
 清十郎という仇敵を目の前にぶら下げられてなお心は淀み、前進をためらわせる。
 俺は、行っていいのか。
 この濁りきった心を抱えたまま、行けるのか。
 疑心を引きずり、それでも歩き続けた。止まってしまえばもう二度と進めなくなる気がして――そんな必死さが息苦しくて、白いばかりの廊下を、できうる限り足早に。

「さて、小僧はすっかり消沈しておるようだぞ」
 零の意を含めた目線からわざとらしく目を逸らし、インはふんと顎先を上げた。
「切り札を切って完敗したのじゃ。ま、落ち込むくらいはしかたなかろうの」
 煙管を取り出しかけて、病院であることを思い出して引っ込めつつ、零は肩をすくめてみせる。
「時も場も問わず、男を“上げる”は女の慰めであろうが。契約主がため、ひと肌脱いでやったらどうだ?」
 無遠慮且つ無機質な目でインの豊麗な肢体をながめやるが。
「発破をかけてやるもやぶさかではないが。あれはよく言えば一途じゃからのう。懸想しておる女子でなくば爆ぜることもできまいよ……いや、かえって爆ぜられぬか」
「ふん、小僧は思うより小僧ということか」
 惚れた女でなければ触れられず、触れたところでそれ以上のことはできず……リィェンの過ぎた一途は、吸いも甘いも噛み分けた英雄ふたりにとって理解しがたいものがある。
「結局のところはリィェン自身が思いを定めねばならんところじゃ」
「決戦はそれまで待ってくれぬぞ?」
 心得顔で零が述べれば、インもまた心得顔を返して。
「そのあたりはとうに考えておるわ」


 以後、彼は日が傾いて屈強なバトルメディックに病室へ引きずり戻されるまでの時間を屋上で過ごすようになった。
 特にすることはなく、したいこともなかったが、空を見上げていれば息だけは詰まらせずにすむ。代わりに考える時間をたっぷりと与えられることとなったのは、正直ありがたいことではなかったが……。
 せめて体が動かせたらな。
 ため息をついて、リィェンはかぶりを振った。今の自分では、体を動かしたところでどうにもならない。なにせ今も考え込んでしまっているのだから。愚神に成り仰せた清十郎との戦うときのことを。
 しかし。
 幾度技を尽くして套路を思い描いてみても、仇敵の胸に刃が届くイメージは得られなかった。想像の内でさえ、踏み込む足をためらい、攻め手を振り切れずに叩き伏せられ、弾き飛ばされるばかりで。
 だったら、リンクバーストを。
 ぶつりと思考が断ち切れ、リィェンは激しくかぶりを振った。
 いったい俺はどうしちまったんだ。この手で兄弟たちの仇を討つって決めてたはずだろう。なのに俺は――俺の心は――
 いや、これは悩むふりをしてるだけだ。
 わかってる。リンクバーストっていう切り札を使ってまでしてヴィランに負けた俺が、人を超えた清十郎に及ぶはずがない。そう思っちまってることを。
「あいつに打ち砕かれたのは、勝利なんかじゃないってことだ」
 言葉にしてみれば、必死にごまかしたかった真実があっさりと形を成し、リィェンを打ちのめす。結局はこれに尽きるってことだよな。
「あれしきで心を砕かれるほど、俺は弱い」
「耳が痛い言葉ね。カウンターで打ち込まれた左フックみたい」
 ふと、背後からかけられた言葉。
 聞き間違えようのないその声音の主は……
「テレサ」
 振り向いた彼を、力のないテレサの笑みが出迎えた。
「ここまで近づかれて気づかないなんて、ずいぶん落ち込んでるみたいね」
 リィェンと並んで立った彼女は、体の調子はどうかとは訊かない。それはもう医師に確認済みなのだろう。そしてそうしてきた以上は、ただ見舞いに来たわけではないということだ。
「あたしは弱いのよ」
 口を挟ませぬ強さを込めて、テレサはあのボクサーに打ち抜かれた自分の顎を指先でなぜる。
「いっしょに戦ってくれたメンバーの適性を考えれば、あたしは女海賊に向かうべきだったわ。ジャックポットのスキルならあの機動力を殺すことができたんだから」
 威嚇射撃、阻害射撃、バレットストーム……ジャックポットには、高機動を売りにした相手へ有用な技が多数ある。
 それを知りながら因縁に捕らわれ、カウンター使いのボクサーへ向かったのは、確かに彼女の心の弱さということになるのだろうが、しかし。
「ひとりはみんなのために。自分が生まれた国で生まれたこの言葉を、あたしは見失ってた。ジーニアスヒロインっていう名前に捕らわれて、みんながあたしのために在ってくれることを当然だと思い込んで」
 リィェンは弱々しくうなずくことしかできなかった。
 自分がうなだれている間に、テレサはここまで顧みていたのか。
「あの男の悪は揺るぎない。だからこそあたしは越えたい。あたしの正義が、誰にもらったものでもない、あたし自身のものだって信じてくれる人がいるから。そしてあたしは教えてやりたいのよ」
 泳ぎかけたリィェンの目を目線で捕らえ、テレサは言葉を継いだ。
「あたしを買ってくれたみんなと、命を賭けてまでそれを証明してくれたあなたの心の値段をね」
 以前にも聞いてはいたが、今紡がれた言葉には確かな重さと力があった。私心でありながら、私心ではない志が宿っていたから。
「リターンマッチの機会が得られなくてもあたしは忘れない。あたしがなぜここにいるのか。弱いあたしの安い正義がなんのためにあるのか。だからあたしはあきらめない。終わってなんかられないのよ」
 ジーニアスヒロインの正義が自らのためではなく、誰かのためにあることをはっきりと見定めたからこその、覚悟であった。
「もう誰も、きみの正義がパパのお下がりだなんて言えないな」
 感動をそのままにコメントすれば、テレサはウインクと共に口の端を吊り上げ。
「それをあの男にも教えてやれたら最高ね」
 リィェンは日ざしを見やるように目をすがめ、うなずいた。
 手痛い敗北が、テレサの内に芯を通した。たとえ自分の値段がどうあれ、示すべき正義は自らのためのものではなく、誰かのためにこそあるのだと。鉱石の愚神との戦いにもバックアッパーとして参戦しているのも、その決意あればこそなのだろう。
 きみは自分の見失っていたものと向き合って、今度こそ見つけ出したんだな。
「俺は今でも捕らわれてるよ。きみへ応えられなかった自分の無様に」
 自分でも驚くほど素直に言葉が滑り出していた。
 これは愚痴なんだろうな。それでも俺は今、きみに聞いてほしいんだ。この後に俺が言うべきことを言うために。
「あのときの俺は、あいつを打ち倒すことばかり考えていたよ。リンクバーストすればかならず届く……そう思い込んで。誰のクロスリンクも受けなかったのも、俺だけの力できみの値段を叩きつけてやりたかったからなのかもしれない」
 テレサは静かにうなずいた。すべてを聞き遂げると、そう思ってくれているのがわかる。
 ああ、自惚れちまいそうだ。俺にはそれだけの価値があるんだって。でもまだだ。まだ、俺の値段はたまらなく安い。それを自分へ刻みつけるためにも、俺はいちばん大切なきみへ、今の俺の無価値を晒すよ。
「あの男は完成されてる。有り様が自己完結してるって意味でね。だけど俺はちがう。みんながいてくれて初めて、その中のひとりとしてあることができる。俺はそれを見失ってたってことだ。――それを今、きみが教えてくれた」
 そうだ。いつの間にか俺は、自分の手の価値が安いと、だから清十郎へも届かないと思い込んでた。
 でもちがう。そうじゃない。
 俺がこの手に握り込んだものは、自分の安い矜持なんかじゃないんだ。
 左手には、あのとき死んで行った仲間の命を。
 右手には、今このとき俺を信じてくれる仲間の義心を。
 死んだ奴らの恨みや俺自身の憎しみだけじゃ届かなくても、仲間へ繋いだ刃なら、仲間に繋いでもらった拳なら、かならず届く。
「俺は脚だ。踏み出して踏み込む、すべての攻防の源になるこの脚こそが俺だ。握り込んだ誰かの心を届かせるためにこそ、俺は在る」
 俺は今度こそ忘れない。この俺は俺だけのものじゃない。インと零と分け合ったもので、この心は過去と今の誰かと分け合ったものだ。俺にできること、するべきことは、俺を成す全員の意志と遺志を抱えて先へ行くことだ。
「マガツヒと――比良坂清十郎と決着をつけに行くよ。テレサ、きみが俺に見せてくれた光を標にして」
 癒えきっていない体にライヴスの熱が巡り、痛みと恐れを洗い流す。
 と。
「インさんに託されたわ。リィェン君に持たせてもいいと思ったら渡してくれって」
 屋上の出入口の裏からテレサが引っぱり出してきたものは、剥き身の屠剣「神斬」――リィェンのためにチューニングされた、この世界にただひと振りの煉獄仕様“極”であった。
「あたしがあなたに勝利をもたらす女神だなんて自惚れたりしないけど、精いっぱいの祈りを込めるわ。武運あれ、そして無事に還れ――」
 恭しく両手で捧げ持った刃に額をつけ、テレサは祈りを捧げた後、リィェンへ柄を差し出した。
 その柄を両手で取り、強く握り締めたリィェンは剣身を掲げ、刻まれた竜紋を浮き上がらせた。
「きみはまだ思い知ってないみたいだな。その祈りが俺をどれほど滾らせるものか」
 かるく振り下ろした刃が高く鳴り、日ざしの一条を斬り払う。
 気力のおかげで格好はついているが、だめだ。体がまるでついてこない。ここから戦える体へ仕上げるには、どれくらいかかる?
「俺の心に在るかつての友と、俺と共に在ってくれる今の友、皆に力を貸して勝つ。そして皆に力を借りて勝つ。それをきみに報告するよ」
 極を肩に担いだリィェンはテレサの脇を歩み抜けて。
「そのときには聞いてほしい。話せずにいた俺の昔を全部」
 心を据え、リィェンはまっすぐに進む。
 清十郎という強大な敵にどんな手で対するかはそのとき次第だが、どうあれ自分だけのために戦うような真似はしない。この神を斬る刃をもって、誰に恥じることない戦いを貫く。それだけはけして、違えまい。

「あやつもようようと心を定めたようじゃ。やはり好いた女子の声は効きがよい」
 リィェンが姿を消した後の屋上に、どこからかインが姿を現わした。
 気配を消して見守っていたのだろう。そもそもリィェンが屋上にいることを見舞いに来たテレサへ告げたのも、その際に極を託したのも彼女なのだ。顛末を気にするのは当然のことなのだが……
「リィェン君はひとりでも大丈夫だったわ。あたしは別に」
「本気で言うておるならば、さすがにあやつも浮かばれぬのう」
 インに遮られ、テレサは言葉を失った。
 ジーニアスヒロインという称号を得て、恋愛というものからは遠ざかって久しい彼女ではあるが、向けられた好意を感じ取れぬほど鈍っているわけでもない。
「別に好かれたからとて好く必要はない。が、せめて認めてはやるのじゃな」
 インに大きくかぶりを振り、テレサは声音を絞り出す。
「リィェン君に応えるとか応えられないとか、そういうことじゃないわ。パパに守られてきたあたしがこのままリィェン君に寄りかかったら、それはただのクラガエよ」
 好き嫌い以前にかような後れ気があったか。
 インは胸中で独り言ち、うなずいた。
 テレサは今、偉大なる父の庇護から自らの足で抜けだそうとしている。その自立を男の助けで為してしまえば、志までもが偽りと成り下がると思っているわけだ。そして問題は――自立のきっかけを作った、あの揺るぎない悪。
「拳闘士に時がなかったこと、リィェンには幸いじゃったな」
 このままテレサがあのボクサーを追っていれば、その中で惹かれていた可能性は高い。男女の機微というものは奇なるものだから。
「とまれ、リィェンの想いを受けるも受けぬもそち次第。わらわはゆるりとながめやるばかりじゃ」
 言い置いて去りゆくインの背を、テレサは惑いを映した目で見送るしかなかった。
「心が定まっていないのは、あたしね」
 応えるものはなく、テレサの声音は日ざしの内にかき消えた。


━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【リィェン・ユー(aa0208) / 男性 / 22歳 / 義の拳客】
【イン・シェン(aa0208hero0001) / 女性 / 26歳 / 義の拳姫】
【零(aa0208hero002) / 男性 / 50歳 / 義の見客】
【テレサ・バートレット(az0030) / 女性 / 23歳 / ジーニアスヒロイン】
 
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2019年01月07日

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