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『除夜感懐 』
オルソン・ルースター8809

 料亭の暖簾を払って路地に出ると、東の空に星が見えた。
「…はて。あれはシリウス…。いや、プロキオンか」
 路地から通りに出ても人通りは少なかった。
 人はみな今日ばかりは帰りを急ぎ、一年の出来事を思い返しながら二度と巡ることはない年の往くのを、残り時間を数えつつ惜しんでいるのだろう。街灯りが一段暗く、星も見える大晦日の夜。尤もな光景ではあった。
 今日の今日までせわしい一年だった、とオルソンは溜息をついた。
 大晦日の晩に料亭に何の用があったかといえば、招かれたのだ。
 現役から退いたとはいえ、彼の助言を請いに来る者は後を絶たない。彼と同じ実業家。投資家。政界の関係者も多い。だが今の彼は人問わば「風の吹くまま旅に出ているよ」と答えている通り、常の居所が知れず非常に捕まえ難いのだ。対応を元秘書に任せて意図的に動向を隠しているからだが、今回は「大晦日に御呼びだてして恐縮の限りであるが、どうか私共のために時間を割いて下さらないか」と文字通り平伏して頼み込んできた者たちの多さに断り切れなかった。
 その頼み方に相応しく、満座の面々は誰一人として遅れることなくオルソン一人のために集まった。
「一献、召し上がりませんか」
 顔を上気させた老若男女が、我先にと傍らに膝をついては頻りに酌を買いたがる。
 しかしオルソンには彼らの心の声が聞こえている。
『この機に何としても俺の名と顔を覚えて貰わねば』
『廊下に立ったら俺もそれとなく後について出て声をかけるんだ。そして次の席の約束を取り付けて…』
『親しい風に言葉を交わしておきたいものだが。周りの奴らにもそう見せておきたい』
 各々が思惑を肚にオルソンの顔色を窺っているのがわかる。精神に干渉する力を使うまでもない。同類の人間ならば腐る程見てきた。
 無論、彼らは彼らで、海千山千の人間で溢れた生き馬の目を抜く戦場で生き残りをかけて戦っている。オルソンとの繋がりを得ようと群がって来る彼らの心の裡も、同じ世界の光と闇を生き抜いてきた身としてわからなくはない。損得勘定大前提、昨日の友は今日の敵、手の平返しが当たり前、という世界で綺麗事は全く通用しないからだ。過日の光陰が脳裏に蘇る。栄光の渦中で噛み締めていた、苦い想い。
 諛い顏の彼らに、オルソンは口角を上げて見せる。
「君とは以前にも会ったように記憶しているが。たしか昨年…、いや一昨年だったかね?」
「覚えていてくださいましたか! ええ、はい、はい、2年前の赤坂での祝勝会で」
 政界の顔ぶれがずらりと並んでいた。
「ああ、あの時の。今年はそちらの業界は何かと波乱が多かったでしょう。来年は良い風が吹くよう祈っていますよ」
 各人に無難なひと言を返しながら、それに、とオルソンは思う。
 店の選びにはじまり、据えられた膳の焼き物、鍋物、酒、肴。どれを取っても難癖のつけようがない。このような場を当たり前に過ごしてきた彼でさえそう思う。
 しかし、これらのもてなしは彼自身の人となりに対してのものではない。彼が持つ人脈や業界での発言力、影響力に対するものだ。謂わば、一晩で消えかねない泡沫。
 我も我もと差し出される銚子の手を制して、オルソンはやおら腰を上げた。
 大広間に居並ぶ面々をぐるりと見渡す。
「本日は、ただでさえ師が走る年の暮れのそれも大晦日という、どなたも年末年始の休暇のさなか、私のような隠居のためにわざわざこのような席を設けて下さったこと、そして皆様が万障繰り合わせてこの場に御集まり下さったこと、心より感謝申し上げる次第で御座います。――」
 末席まで明瞭に届く声が挨拶の言葉を述べてゆく。
 聞き及んでいる諸業界の今年一年と携わった諸氏の功労を讃え、次いで来年に予想される情勢について見解を披露しながら、彼に集まる大勢の目を見つめてゆく。
 慰労と新しい年の予祝として、乾杯の音頭を取る。満座の客が彼の一声に唱和した。
 一斉に盃を呷り、拍手が沸き起こる。そのただ中で、オルソンは微笑した。
「…さて、ここから先はひとつ、無礼講ということで。――”私に構わず、愉しんでくれたまえ”。」
 朗とした声が、そう告げた。
 彼らは揃いも揃って一瞬呆けたような顔になり、途端にそれまでの場の緊張と静寂はどこへやら、オルソンの存在などすっかり忘れたかのように、膝を立て、笑い声を上げて酒を酌み交わしはじめた。
 その様子を見てとると、オルソンは彼の姿が見えていない有様の客たちの間を進み、
「私はこれで」
 控えていた女将にそう告げ、宴席を後にしたのだった。



 駅に近づき、高層ビルの影に星も隠れた頃。どこからか甘辛い蕎麦つゆの香りが漂ってきた。やけに鼻先を擽るその匂いに空腹を覚えて店を探すと、少し入った路地の先に「そば処」と書かれた暖簾があった。
 厨房から顔を出したのは、割烹着の中年女性だった。
「そろそろ閉めようかと思ってたの。ふつうのお蕎麦でいいならできるけど」
 人懐こそうな女性だった。
「遅くにすみません。では言葉に甘えて。かけ蕎麦ひとつ頂けますか」
 そう頼んで蕎麦茶を啜りながら湯呑で手を温めていると、
「外、冷えてたでしょ。はい、お待ちどおさん。あったまってってねえ」
 彼女は笑顔で丼を置いていった。
「おや」
 ただのかけ蕎麦を頼んだつもりだったが、丼には海老天がのっていた。
 彼女の心配りか、思いがけず年越し蕎麦らしくなった。知らず笑みが零れる。
 湯気立つ褐色のつゆを吸いはじめている海老天を、さっそくひと口。蕎麦を啜ってふた口。熱いつゆを飲んで物も言わずに三口。
 海老の香ばしさ、衣の歯ざわりのよさ、程良くつゆに溶けだした油のコク、一番だしの鰹の香り。歯切れのいい蕎麦と絡んで喉越しもよく、旨い、と唸った。
「五臓六腑に染み渡ります」
 卓を拭きながら笑った彼女は世辞と受け取ったようだったが、心の底からの感想だった。
 今夜の宴席を思い出す。広間の設えといい、品よく盛った御造りや小鉢といい、器の選び方といいその配し方といい、どれも行き届いていたはずだった。オルソンの箸は進まなかった。
 と、何を考える間もなくつゆまで飲み干していた丼を見下ろして、小さく笑う。
「御馳走様でした」
 店の外に出ると闇夜に白いものが舞いはじめていた。コートの襟を立てマフラーを巻き直していると、背に呼ぶ声を聞いた。
「お客さぁん」
 忘れ物でもしただろうかと振りかえると、
「雪ふってきたでしょう。よかったらこれ使って。うちの店の使い古しなの。返さなくていいから」
 彼女が白い息を吐いて蝙蝠傘をさしだしていた。
「ありがとう。拝借します」
 傘を開いた。傘面でさらさらと音を立てはじめた粉雪が清しい。
 戻る彼女に目礼して歩き出したが、ふと返り見ると、軒先の坪庭に南天が生うていた。青い葉。鮮やかな赤い実。年夜の空から舞い落ちてくる雪の結晶に早くも愛らしく化粧されていた。


 遠く「火の用心」と呼ばわる声に、追って拍子木が鳴る。静けさを増した夜道を歩いていると、大気を震わせ、重く太い殷々とした響きが起こった。
「おお、近いな」
 あと僅かで今年が終わる。
 蝙蝠傘を頭の上からのけて、オルソンは雪夜を仰いだ。
 頬に、額に、小さな清しい冷たさが絶え間なく生じては消える。凍てる澄んだ空気を胸に吸い、静かに目を閉じた。
 胸の内は温かかった。
 瞼の裏には、蕎麦屋の女の笑う顔。湯気立つ天蕎麦の海老。実南天の、熟した美しい赤。
 深い鐘の音が、また一つ、年の名残を数えて消えていった。




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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【8809/オルソン・ルースター/男/43/ご隠居】


ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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オーダーありがとうございました。工藤でございます。
大晦日に間に合わせようと思ったのが間に合わず、大変お待たせしてしまいました。申し訳ないです。
以前機会を頂いた時にオルソンさんの能力方面にも触れてみたいと思っておりましたので、
今回はここぞとばかりに(少々)書かせていただきました。
あらためましてありがとうございました!
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2019年01月07日

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