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『●天国館奇聞【3】 』
海原・みなも1252

 ふたりの前に、黒鉄の鋲が打たれた木製の扉があった。
 風雨のためか色褪せて灰色に変色している。それだけに錆び付いた鋲が目立つ。
 両開きの扉が軋む音を立ててゆっくりと開いた。中は暗かった。
 一歩踏み込んで、その黴臭の酷さにみなもはまず顔をしかめた。冷たい湿気が淀んでいる。
「うう…。やっぱり天国って感じじゃないです…」
 吹き抜けのエントランスホールに立ち、頭上のシャンデリアを見上げた。埃だらけの蜘蛛の巣がレースのように垂れ下がっている。
「でもそれって、古いせいばかりじゃない気がして。どうして『天国館』なんて名前なんでしょう」
「正式名称かわからんが、この辺りの住民は昔からそう呼んでるんだそうだ」
 草間がジャケットから手帳を取り出した。
「旧持ち主が熱心なキリスト教徒だったそうで、身寄りのない女性やわけありの家出少女なんかを集めて匿うなりして生活の面倒を見ていたらしい。その辺りが由来かね」
「家出少女に、キリスト…。そういえば、外から見た時、尖った屋根が見えました」
「礼拝堂を有していたとあるから、それかもな」
「持ち主さんが神父さんだったってことは?」
「ない。まあだから、認定された教会でもないのに礼拝堂を建てて教会活動のようなことをしていたわけだ。個人が経営する修道院みたいなものかな。…周りの住人からしたら、風変わりに映ったかもしれないよな」
 どこの誰だかわからない女性たちが集団で生活する個人経営の宗教的な建物、となれば、奇異の目で見られただろうことは想像がつく。
「でも、慈善事業を目的とした建物ではあったわけですよね。それがどうしてこんな酷い有様に」
「持ち主が亡くなったんだ。で、こんな見た目と大きさだろう? 一般的な住居には向かないというので買い手も借り手もつかず、親族が長年持て余していたらしい。が、その後、欧風家具だか人形だかの職人が工房に使いたいと言ってきてようやく貸しに出せたという話だ。以来、館はその職人の工房として使われていたらしい」
「いた、らしい。今は違うんですか?」
「賃料が滞っていて屋敷には人の出入りも気配もないとのことだ。そのくせ夜中に窓に映る人の姿を見たやらいう怪談まがいの噂が立っているという話で。まあ、これだけおどろおどろしい雰囲気をしてりゃ、その手の噂になりやすいのもわかる」
 広々としていたのはエントランスホールだけだった。
「いたたた、意外と狭いですね」
「まるで忍者屋敷だな」
 ガラクタが詰まれていたり、急に行き止まりだったり人ひとり通るのがやっとの廊下だったりと、草間がライトで照らしていなかったら怪我をしそうな荒れ具合だ。ふたりの行く手の暗がりにライトの光が踊る。所々煉瓦造りや石造りの壁に変わって見えるのは改築の跡だろうか。
「…こう見えて意外だが、近隣との大きなトラブルはなかったらしいよ。ただ近頃は、いくら大事な借り手でも滞納されたんじゃ困る、と貸主が強制退去させたがっていたらしく。そんなでこれも借りられた」
 草間は手の鍵を揺らして見せた。
「ついでに、これがさっき言った写真だ。現場に残されていた例の石の」
 草間が鍵とともに取り出した写真にはシートに並ぶ石が写っていた。
「それからコイツも渡しておこう。一つ借りてきたんだ。鑑識済みであらかじめ許可は貰ってあるから、みなもちゃんが触れる分には構わない」
「お借りします」
 ビニール袋から白布に包まれた石を取り出し、掌の真中に置く。卵ほどの大きさの丸みを帯びた円錐形の石。巧く削れなかったのか表面には凹凸があった。
 そっと握り込んでみる。
「…何か、わかるかい?」
 みなもは目を閉じた。
(この屋敷の新しい持ち主さんが人形か何かの職人さんで、ひょっとしたら、女の子たちを攫ったりしたかもしれない…? こんな石を残して…。涙の形の…)
(あれ?)
 みなもの中で何かが閃いた。
 電車でみなもが席を譲った、綺麗な画集を読んでいた女の子。
 美しいポーズをとったまま、まるで静止画のような姿で涙を浮かべていた、夢に見たあの子。
 脳裏に蘇った記憶に、みなもははっと顔を上げた。
「草間さん。そういえば、あたし、お話ししておかなきゃならないことがありました」
 暗い廊下を歩きながら、みなもは話しはじめた。雨の夕方の電車でのこと。みなもが席を譲った同じ年頃の少女のこと。
 その夜に見た不思議な夢のこと。
 ただの夢ではなく、もしかするとテレパシックな夢だったかもしれないこと。あの夜は雨が降っていた。
「だからって関係あるかどうかはわからないんですけど…。でも、あの子が辛そうに泣いていたのが、あたし、ずっと忘れられなくて」
 背後で大きな石臼の転がるような重い音が響いた。
「ひっ!!」
 急に暗くなった視界にとびあがってふりかえる。
「痛っ!!」
 冷たく硬いものに頭をしたたかぶって目から火花が出た。
「い、いた…。な…なに…?」
 目の前に立ちはだかっているらしいものに恐る恐る触れてみると、それは石の冷たさをしていた。どうやら石壁のようだ。ならば今やってきた通路はどこに消えたというのか。
「あっ、草間さん!?」
 草間の気配もない。今の今までみなもの後について歩きながら話を聞いていたのではなかったか。
「どういうこと…?」
 闇に目が慣れてくると、三方は壁に囲まれているものの、残る一方は開いているのがわかった。アーチ型の空洞が続いているらしい。この道がまた壁で塞がれてしまっては堪らない。みなもは唇を噛み締め、壁伝いにそろそろ歩きだした。
 つま先で足元を探りながら進むうち、冷たい壁越しに奇妙な音が聞こえてきた。
「何かしら…」
 上下する音程は旋律のようでもある。
 所々立ち止まって耳を澄ます。よりはっきりと聞こえたところで足を止めて、石壁に耳を付けてみた。
「…声…?」
 くもっているのと反響しているらしいのとで聞きとりにくいが、言葉のようだ。
 目をつむってしばらく意識を集中していると、次第に歌声の文句が聞こえてきた。

 ――聖なるかな 聖なるかな 聖なるかな 
   昔いまし 今いまし のち来たり給う 主たる神 全能の神――

「…賛美歌…?」
 いつか学校の行事で聴きに行った聖歌を思い出した。教会の高い天井の下、あたりに満ちるように響いていた、あの歌声。
「ようこそ、お嬢さん」
 低い声だった。
 いつからそこにいたのか、石壁に耳を押し当てていたみなもの傍らに、髪の白い黒尽くめの痩せた男が立っていた。
 息もできないほど驚いて思わず壁に背を張り付けて硬直したみなもに、男は手を差し出してきた。
「門の傍の枳殻で手を傷つけたりしなかったかね…?」
 蛇に睨まれたように動けないみなもの手を取って、男は指先までを舐めるように凝視し、なぞるように撫で上げる。
「綺麗な指だ…」
 生理的な嫌悪で声も出ない。ぎゅっと拳を握り締めたみなもに、男が首を振った。
「いけないよ、そんなに力を入れたら。こんなに柔らかな肌が傷ついてしまう」
 窘めるように言って、みなもの拳の固く握り込んだ指を一本一本剥がしはじめた。
 その手には草間から借りた石があった。指の下から現れた石を見ると、男は少しばかり驚いたような顔になり、おや、と呟いた。
「この石を持ってきたのかね」
 みなもは目を瞠った。
 男はこの石を知っている。ということは。
 恐怖も忘れてとっさに訊ねていた。
「この石、あなたが作ったの?」
 男はゆっくりと瞬いた。
「そうだよ」
 男の骨の浮いたこけた頬に、笑い皺が刻まれた。



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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【1252@TK01/海原・みなも/女/13/女学生】
【NPCA001 /草間・武彦 /男/30/草間興信所所長、探偵】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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お待たせしました、天国館奇聞第三話をお届けいたします。
ようやく(ようやく!)犯人氏を出すことができました。
クレイジーな犯人氏ではあると思われますので、
次回はみなもさん受難の回となりそうではありますが…。
オーダー、ありがとうございました!



東京怪談ノベル(シングル) -
工藤彼方 クリエイターズルームへ
東京怪談
2019年01月15日

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