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『燕雀の志』
松本・太一8504


 よくある事ではあるが、乗っ取られた。身体を、意識を。
 松本太一の自我は、隅の方へと押しやられてしまった。
 押し退けて前面に出て来たのは、1人の女性である。
 悪魔族の女性、であるらしい。そろそろ付き合いも長いはずだが、詳しい事を太一は知らない。
「随分な言いがかりを付けてくれるものね」
 太一の口で、彼女は言った。
 今の太一は48歳の熟年男性会社員ではなく、うら若き『夜宵の魔女』である。
 豊麗な胸の膨らみを、細腕で抱え込むように腕組みをしながら、彼女はさらに言う。可憐な唇から、攻撃的な言葉が紡ぎ出される。
「貴女のような、少なくとも外見は可愛らしい女の子に何かを強く言われるとね、松本太一はつい頷いてしまう。けれど私は、そうはいかないわよ。その可愛い外見、情報改変で作り直してあげましょうか? 腐りきった内面にふさわしく」
「あぁん? 内面腐ってんのはどっちだコラ」
 確かに外見は可愛らしい1人の少女が、夜宵の魔女と睨み合っている。
 一言で表すならば、天使である。白い6枚の翼は神々しく、だがそれらを生やした肉体は、翼で覆い隠せてしまえそうなほどに小さい。胸も尻も太股も、対峙する夜宵の魔女と比べて、大いに発達の余地がある。
 幼い美貌に敵意を漲らせながら天使の少女は、上背で勝る相手を見上げ睨んだ。
「あたしはねえ、勝手な事するなって言ってるだけだよ。あんたの天使の翼はねえ、あたしがあげたもの。電車賃の節約なんかに使われちゃあ沽券に関わるんだよ。あたしの技術、安っぽく見られるだろうが!」
「何をしようと勝手でしょう。この身体はね、松本太一のものであって貴女のものではないのよ」
『はい、その通りです。そして貴女のものでもありませんが……』
 夜宵の魔女の、意識の片隅で太一は言った。その言葉が、届いたかどうかは不明である。
 ともかく、口論は続く。
「とにかくな、あんたが堂々と天使飛行をやらかしたおかげで、あたしまで天界の連中に目ぇ付けられたんだ。責任取って協力しろ」
「ふん、目をつけてきた連中を始末してしまえばいいじゃないの。いいわ、それなら私がやってあげる」
『やめて下さい! 事を荒立てないで!』
 太一は悲鳴を上げた。
『穏便に済ませる努力をしましょう。私やります、私に責任ないわけでもありませんから』


「……お金持ちが、自分の悪事を隠すためにダミー会社を作ったりとか」
 太一は言った。『夜宵の魔女』の身体は、とりあえず返してもらった。
「そういうのと同じ、なんじゃないんですか。これって」
「人聞き悪い事言うな。あたしはただ、天界の連中に証明しなきゃいけないだけだよ」
 6枚翼の天使少女が、言った。
「別に、天使を作る研究をしてたわけじゃないって事をな」
「天使、作ってたじゃないですか。貴女自身だって」
「天使じゃあない。ただの、翼の生えた人間だ。あたしも、この子たちもね」
 ハーピー、鳥人、それに天使。
 翼ある美少女たちが、お揃いの制服に身を包み、夜宵の魔女をにこやかに迎えてくれた。
「いらっしゃいませ、松本さん! 天国に一番近い花鳥園へ、ようこそ〜」
「貴女たちは……人間に戻る事を最後まで拒絶して一体、何をしているのかと思えば」
 太一は見回した。
 植物と鳥類の、楽園であった。
 来園者に、色とりどりの花や鳥たちを愉しんでもらう。それを目的とした施設である。
「花や鳥、だけじゃないですよね。鳥系の女の子たちを使って……いかがわしい商売をしようと言うのなら許しませんよ」
「そんなんじゃあない。あたしはただ、この子たちの就職先を用意しただけだよ。言ったろう。あたしはこの花鳥園を成功させて、天界の連中に証明しなきゃいけないんだ。あたしの研究は、まさにこの商売のためだけのもの。天使の大量生産なんか、これっぽっちも考えてないってね」
『……嘘は、ついていないようね』
 太一の中で、女悪魔が言った。
『潔いくらいに保身を丸出しにしている。貴女、本当に睨まれているのね。天界から』
「……冗談抜きで、このままじゃ座天使の連中に轢き殺されかねないんだ。頼むよ、助けてよ」
 神々しい6枚翼を哀れっぽく縮み上がらせながら、魔女が両手を合わせる。
 太一は、嫌な予感がした。今から自分がここで何をやらされるのか、わかったような気がした。
 拒否権はない。やる、と言ってしまったのは太一自身なのだから。
「魔女の契約は、口で言った事が全て……ですもんね。いいですよ、私は何をすれば?」
「うふふ。まずは、まあちょっとね」
 幼い天使、に化けた魔女が、タブレット端末を取り出して指を走らせる。
「あんたもう身体が出来上がってるから助かるよ。脚の長さも、太股とお尻のボリュームも、ウエストの細さも胸の大きさも、弄る必要ないもんね」
 そんな言葉と共に、ちょい、ちょいちょいっ、と操作が加えられてゆく。
 タブレットの画面に、そして太一の全身に。
「あ、あのっ! 今回は、一体何を」
 奇妙な感覚が、全身をむずむずと走り回る。太一は身を震わせ、仰け反った。たわわな胸の膨らみが上向きに揺れ、艶やかな黒髪が激しく舞う。
 その髪が、翼に変わって羽ばたいた。太一は、そんなふうに感じた。
「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや……って言葉があるよね。これ言った奴は結局、無様な失敗をやらかして殺されちゃったみたいだけど」
 タブレット操作を続けながら、魔女が語る。
「まあアレよ。地べたを這いずって餌をついばむ雀の方が、空を飛ぶ事の大変さを知ってると。あたしはそう解釈しているけどね」
「わっ私も、どちらかと言うと……燕雀の側だとは思いますけど……」
 激しく揺れる己の胸を、太一は抱き締めた。妙に、ふわふわとした手触りだ。
「でもビジネスでは、最初に突っ込んで盛大な失敗例を見せてくれる陳勝呉広みたいな人がいると便利……って私、何だかモフモフしてるぅ……」
「そう、あんたは雀。もふもふの雀ちゃんになるのさ」
 胸、だけではない。
 全身あちこちに、茶系統の柔らかな羽毛が生じていた。
「鴻鵠の志なんて必要ない。可愛い雀ちゃんになってさ、地道にお客を呼んでおくれよ」
 豊かな胸、優美にくびれた胴、いささか育ち過ぎの白桃を思わせる尻。むっちりと膨らみ締まった左右の太股。
 そんな身体に、羽毛製のレオタードでも貼り付けたかのように見える。
 そうではない。着用しているのではなく、生えているのだ。
 黒髪の一部が、一対の翼に変わっている。髪飾りのような、小さな翼。
 ぴこぴこと、可愛らしく羽ばたかせる事が出来る。まさしく雀の翼だ。こんなもので空を飛べるのか、と太一は思った。
 翼ある少女たちが、拍手をしている。
「松本さん、可愛いです! このまま当園のゆるキャラにしちゃいましょう」
「いやいや、ゆるキャラと呼ぶにはエロ過ぎます。その身体……雀ちゃんと言うより、肉食系の猛禽ですねえ」
 好き放題に言われている太一の肩を、魔女が優しく叩いた。
「心配しなさんな、さっきも言ったけど性的サービスの類をさせようってわけじゃあない。あんたはただ、その可愛さをお客に振りまいてくれればいいのさ。うん、本当に可愛いねえ」
「……ありがとう、ございます」
 太一は、内股気味に座り込みながら、ますます強く胸を抱き隠した。隠すべき部分は、しっかりと羽毛で隠されている。
 それで、しかし羞恥心が和らぐわけではない。
「いつもの事……ですよね……」
 たおやかな両腕の間で、むっちりと深く柔らかな谷間が出来た。


 登場人物一覧
【8504/松本・太一/男/48歳/会社員(魔女)】
東京怪談ノベル(シングル) -
小湊拓也 クリエイターズルームへ
東京怪談
2019年01月24日

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