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『過ぎ去りし岐路を偲べども 』
銀 真白ka4128)&黒戌ka4131

 鈴のような声が己の名を呼ぶ。それに応じて顔を上げれば真正面、上段の間に座る凛とした居住まいの少女がこちらを真っ直ぐ見つめ返していた。長く伸びる髪はうなじの辺りで結ばれており、華奢な体を包む着物も派手さこそ無いものの、桃色の生地に施された刺繍のきめ細やかさがそれが最上級品であることを如実に表していた。着用者自ら動き回ることなど想定していない重厚さは同時に威厳をも生み出す。それが妙齢の女子にしっくりと馴染んでいるのはひとえに彼女が生来の、人の上に立つ者たりうる器だからだ。漠然とながら、同時に確信を持って言える。ああでも、と、どこか客観的にこの状況を見る己が胸中で呟いた。
 多分自分は、この彼女の前では笑うことも泣くことも出来ないだろう、と。

 ◆◇◆

 座卓の前に座布団を敷いて正座し、自ら淹れた緑茶を一口啜って。温もりにほっと息をついた真白は縁側のほうへと目を向けた。下半分が硝子の障子越しに縁側に寝転がる兄――黒戌の姿が映る。こちらに背を向けて頬杖をつき寝そべる先には、例えば大雪が降っているとか祭り行列が来ているとか、特段目を惹く要素は何も見られない。喜ばしくもありふれた日常が広がっている。
 東方出身か否かを問わず、大多数の人間が抱くだろう忍び像とは真逆の性質を持つ兄といえど、四六時中賑やかというわけでもない。口下手ではないが、一人で参加した依頼の話をする際にも小隊で指揮を執るときのようについ端的な表現になりがちな真白の言葉に耳を傾ける彼は、一通り聞き終わるまで相槌を打つのに徹するし、珍しい景色を見れば静かに情緒を楽しむ余裕もある。とはいえ長く――それこそ物心がつく前から手を引かれ、その背中だけでなく、喜怒哀楽に揺れる面差しを見てきたから分かる。今の物静かな一面は異変から来るものだと。
 共に暮らしていてもすれ違いの生活になるくらい仕事をこなしているのだから、体調不良ではない。無理を通してまで戦わねばならないほど自分たちは困窮していないのだ。ならば原因は別にある。
 とそこまで考えて。あてなく机の上のお茶から昇る湯気を眺めながら、真白は唇をへの字に曲げた。次には眉が下がり、真っ直ぐ伸びた背も若干丸まる。
(――以前ならば、直ぐに分かったというのに)
 おそらく声に出していたなら、それは寂寞を帯びたものだっただろう。代わりに噛み締めた奥歯が小さく軋んだ。
 過保護と感じた憶えはないが、それでも後を追って同じ道を選んだ真白のことを黒戌は最初心配していたのだと思う。他の同行者との交流を妨げるでもなく、けれど真白が困ったときには間を上手く取り持って世話を焼いてくれた。そうして志を同じくする者や友人を得るに従って兄と共に仕事をこなす回数は減っていって。気付けば傍にいるのは休日だけという月も珍しくない。
 だから分からなくなってしまった。そして分からない現実に漠然と不安を抱く。別々に行動していればそうなるのも仕方ないと思う。しかしそれで片付けるのが嫌なのも本音だ。
 ぐるぐると思考は巡る。柱時計が規定の時刻を告げる鐘の音を鳴らす。瞼を上げて、すっかり冷め切った緑茶を飲み干すと真白はおもむろに立ち上がった。和室と縁側を隔てる障子を開け放つより先に、物音に気付いた兄が無精して顔だけをこちらに向ける。
「兄上、どうか鍛錬に付き合ってはいただけぬでしょうか」
 と、尋ねているように思える言葉を、有無を言わさぬ声音で告げれば。兄は大口を開けて固まり、かと思えば跳ねるように体を起こしてこちらに向き直り、きらきらと宝石のような瞳を輝かせて笑った。まるで夕立があっという間に過ぎ去ったが如く目まぐるしく変わる。
「無論、喜んで相手をするでござるよ!」
 それはまるで、真白の懸念が杞憂だと言わんばかりにいつも通りの兄だった。

 真白が刀を手に取れば、黒戌は短刀を両手に一本ずつ構える。どちらも真剣であり、また、ハンターとして腰を据える以前から愛用していた得物でもある。場所は自宅からソサエティの訓練場に移っていた。重傷を負ったとしても即座に処置が受けられるから――というよりも物音や周辺への損害を気にする必要がない利点が理由だ。
「では、いざ尋常に勝負!」
「――参ります」
 言い切らないうちに踏み込んだ真白の刀は片腕一本で受け止められた。性差・体格差から生じる純粋な腕力の違いと、見た目より重く殺傷性を重視した刀身がそれを可能にする。もう片方の短刀での斬り込みは後方に跳躍することで躱し、二撃目は軽く切っ先に触れて受け流す。片手の対応が鈍るうちに飛び込んで峰打ちを狙った。無論舐めてかかっているわけではない。
 真白の視界にひらり、またひらりと雪が舞う。覚醒した上での打撃は剣士にとっても立派な攻撃手段だ。対する黒戌も真剣勝負ともなれば表情らしい表情も消え失せ、とん、と軽く爪先を鳴らせばそれは動きが速くなる合図に他ならない。
 戦いながらも思考の一部は切り離されて、剣舞のようだと率直に思った。実際には勿論決められた流れなどはない。ただ、別々に戦うようになっても真白の戦闘技術の基礎は全てこの兄に叩き込まれたものなのだ。それは習熟するまでの期間、彼と戦い続けたということでもある。だから次にどう動くか予想がしやすい。予想というよりも最早反射か。そしてその埒外に飛んだときの手応えと瞬発性が要求される対応。その瞬間にはほんの少しだけ、常にはない昂揚が真白に――おそらく兄にも――唯一無二の意味をもたらすのだ。
(過去は、無かったことにはならない。私と兄上はずっと……兄妹であり続ける!)
 不安を断ち切るのと同時に心の刃を研ぎ澄ませて。気迫は声に昇華されて真白の喉から迸った。兄の眉が驚きでかすかに上がって、次いで口元が緩む。しかしその手から繰り出される攻撃はといえばむしろ今までで一番鋭く確実に急所を狙うもので。互いの全力がぶつかり、真白から冷静ささえ奪い取って思考が零になる。ただ声が聞こえた。
「おぬしがおぬしだから! 拙者もここに居続けられる!」
 痛みを感じるのと同時に視界が暗転した。

 ◆◇◆

「それは兄上が……兄上の様子が、おかしかったから」
 突き匙を持つ手が止まって、どことなく怪訝な顔をしながらも真白が答える。そして、目を伏せて零さないようもう片方の手を添えつつ甘味を口の中へと運んだ。もぐもぐと咀嚼しているので口元が平時のようにむっつりしているかどうかは分からないが、眉間に若干の皺が寄っている辺り、拗ねているのだろうと黒戌は当たりをつけた。
 鍛錬という名目の真剣勝負を終えて、帰りに立ち寄ったのはけぇきばいきんぐの店だ。黒戌も真白も強いて挙げるなら馴染み深い和菓子のほうが好みだが、単に体力が損耗するだけでなく、次の手の読み合いに即決即断で精神的にもそれなりの負荷がかかるし、何より覚醒して超人的な能力を行使すれば、マテリアルを使った分だけ消費することになる。要するに心身共に疲弊するので甘味が欲しくなり、食べ放題というのも懐事情に大変優しい。大食らいではない妹の前に並んだけぇきの多さを眺めて、黒戌はほっとしたような微笑ましいような何とも言えない気持ちになった。
(しかしまあ……気付かれていたとは思わなかったでござるよ)
 自身も疲れているので、扱いの慣れなさを持ち前の器用さで補ってけぇきを食べながらそんなことを考える。先程の真白の返答の前に黒戌が口にした言葉。それは、妹の不調について問い掛けるものだった。一人前の剣士として何か思うところがあったのか、あるいは年頃の女子なので正直あまり考えたくはないが色恋沙汰か――そんな漠然とした予想はものの見事に外れていたらしい。彼女が生まれた時からの付き合いとはいえ結局は別人。読み切れない心理に悔しさと同時に安堵も覚える。だって、墓場まで持っていかなければならない秘密は幾つも存在するのだから。真白が察していた黒戌の異変もそこに帰結するものだ。彼女には――いや、誰にも打ち明けることなど出来やしない。
 それは一言で言うなれば夢、だった。記憶から少しずつ細部の情報が失われていく、あのお座敷に控える己。目の前には脇息に身を預けるでもなく、背筋を正して座る少女。彼女の顔は今目の前にいる妹――真白と同じでありながらも同一人物と断定しきれないほどに大きく異なっている。
 例えば現実の真白は一房だけ少し長く伸ばし、それを鈴のついた紐で結った髪型をしているが、夢の彼女は眉にかからないよう切り揃えられた前髪以外、腰まで届くほどに長く伸びていた。長さ自体は黒戌もそう変わらないが綺麗に手入れされた髪は前線に身を投じる者とは縁遠い。胸当てや篭手、陣羽織といった武装も当然無く、彼女の姉を考えると自己防衛出来るだけの武芸は身につけているはずだろうが、率先し戦場に出る立場ではないのは言うまでもない。
 それは、そんな真白の姿は、黒戌が無意識下で思い描くもう一つの、本来在るべき今そのものだった。彼女の父母も兄姉も健在で、自らと共に彼らに仕えていた臣下も皆歳はとってもそこに居て。歪虚に襲われて潰滅するなんて悲劇が起きなかった平和で優しい世界だ。あれから現在に至るまでに流れた月日を思えば何の苦労も無しに存続出来た保証はなく、あくまで理想に過ぎないけれど。疑いようもなく正しいもののはずだった。
 なのに己は、夢の中でも目が覚めた後もその仮定の現在を良しと思うことが出来なかった。上段と下段を隔てる敷居の高さが、満面の笑みを浮かべて声を弾ませる真白が、彼女に忠誠を誓い切れない自分自身が、言い様もない嫌悪感をもたらして。現実の、嘘で塗り固めた兄妹という間柄に愛着を持っている実情を思い知らされた。けれど、それは許されることではない。だから呵責に苛まれ真白とどう接すればいいのかを見失ってしまったのだ。かといって当然、真実を打ち明けるというわけにもいかない。それこそ主が――真白の父が危惧した事態でも起きたらと思うとぞっとする。自害したところで到底償い切れないだろう。
 そんな、本来なら自分が彼女を支えなければならないところを、逆に真白が、黒戌の内側にある矛盾と恐怖を何も知らないまま吹き飛ばしていった。彼女は真っ直ぐに黒戌の顔を見上げて向き合って、そして刃を交わす。だから分かったのだ。自分が想像する正しい世界には過去が存在しないことを。けれど現実にはこれまで二人一緒に歩いてきた道がある。実戦訓練という有り得なかったはずの出来事が自分たち兄妹を繋いで、積み重ねてきた日々を証明してくれるから。過ぎ去りし岐路を偲び今を蔑ろにするのがいかに愚かしいことか、身に沁みて分かったらあっという間に暗雲は吹き飛ばされ、妹をより愛しく思えるようになった。その心境の変化が一切の手加減を忘れた攻撃と穴に入りたくなるほどの迂闊に繋がり、真剣勝負は盛大な相打ちで終わったわけだが。医療班に治療されて先に目が覚め、妹が気付くのを見た瞬間には安心して涸れそうなくらい泣いた。それから、表情筋が仕事をしない下手くそな笑顔を見ながら大笑いした。夢の中の彼女の綺麗な笑顔よりもよっぽど可愛いと思いながら。そのせいでますます疲れて、しかし気分はかつてないほどに良かった。
「……兄上、この上なく恥ずかしいので、そのみっともない顔はやめて下さい」
 自然と思い出し笑いをしていたらしい。仏頂面をした妹に普段より低い声で指摘され、それでもにやつくのを止められそうにもなかった。口元を手で隠しながら、くぐもった声で言う。
「すまぬすまぬ! 真白があまりにも可愛いものでな、つい笑ってしまうのでござるよ」
 返ってきたのは「はぁ」という生返事だったが、それすら愛しいのだから最早どうしようもない。普段は真面目に取り合ってくれる妹も今は活力の補給が最優先。黒戌が一つ食べ終わらないうちに三つ目のけぇきに手が伸びる。慣れた手つきで突き匙を使う真白の目がこちらを向いて、その灰色が優しく細められた。黒戌はそれが楽しんでいるときの表情だと知っている。
 話せないことが一杯あるけど、話したいことも沢山あるから。だからもっと色んな話をしたいと思う。そんな心の望むままに口を開いた。
 さて、何の話からしたものか。

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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【ka4128/銀 真白/女性/16/闘狩人(エンフォーサー)】
【ka4131/黒戌/男性/28/疾影士(ストライダー)】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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ここまで目を通していただき、ありがとうございます。
最初はほのぼの日常系や過去を掘り下げるのも考えたんですが、
いただいたお言葉の中から要素を拾ってみた結果こんな感じに。
前回の心残りでもあった兄妹対決が書いていて一番楽しかったです!
刀と短刀というそれらしい武器でかなり自由にやらせて頂きました。
勝手に想像したIFの二人もそれはそれで可愛いだろうなと思いつつ、
でもやっぱり、重い過去とそこから生まれた性格と関係性込みでの
二人が好きだなあ、というふうに感じる自分がいます。
今回は本当にありがとうございました!
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2019年01月25日

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