▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『血は水よりも濃し 』
クレール・ディンセルフka0586

 ぽたりぽたりと頭から髪先へ、あるいは顎を伝い零れ落ちた汗が床に水溜まりを作る。試行錯誤と考察の連続に時を費やし、少しずつ前に進んできた、はずだ。なのにどうしても、最後の一歩だけが乗り越えられない。実は自分の足は泥濘の上にあって、抜け出そうと足掻けば足掻くほど沈んでいくような――そんな錯覚。
 己の手足も同然に扱えてこそ真価を発揮するというのに。特にこの武器ならぬ武器のように敵の意表を突き奇襲に転じるのが最大の利点であるなら尚更だ。
 掌と瞳から輝きが消え、小さく息が漏れる。集中力が切れるか否かに関わらず、どのみちここが潮時だった。タオルで汗を拭い、まだ少し湿り気を帯びた手でペンを持って、手近に置いてあったノートに×を一つ追加する。そして、ここ暫く逡巡し白紙のままだったレターセットに視線を向けた。事前に連絡をすること。以前交わした約束の内容は覚えている。決意を秘めて、それに手を伸ばした。

 ◆◇◆

「ほら、たんと食べなさいな」
 そう言う母は満面の笑みだ。
 やはり離れている時間が長いと母の手料理が恋しくなるものなのだろうか。食卓に並ぶ料理を食べながら今回の経緯を説明する姉を頬杖をついて眺め、ふとそう思った。彼女が何の前触れもなく――少なくともあの頃の自分には察せる予兆もなく、家を飛び出したことについてはそれほど根に持っていない。しかし記憶の中の姉が窓際にあるベッドの上、自分が描いた絵を手に外への憧憬を隠し微笑んでいたのは確かで。未だに彼女がハンターとして生死の境に身を投じているという現実には実感が湧かなかった。頼み事があるから今度家に帰ると手紙で連絡が来たときには父も母も喜びと心配が綯い交ぜになった顔をしていた。自分もそうだったかもしれない。
 姉の話を要約するとある仕事での功績が認められて、家を出る際にも着ていたコートを剣や靴へと変化する魔導機械に改造した。しかしそのマテリアルに反応して、腕の部分が剣に変わるという特徴は攻撃対象だけでなく、着用者も間合いを掴み難いという弱点を持っていて。ひたすら慣らしたり自身の癖を研究したりと精度の向上を目指したものの、最後の最後、百回に一回の読み違いが潰せないとそういうことらしい。百分の一でも実戦投入するならば決して無視出来ない確率だ。
「だから、父さんに修行をつけて欲しいの」
 皿を空にして手を合わせた後、そう告げた時の姉の瞳は真剣そのものだった。どうするのか考えてだろう、うーむと顎に手を添え思案する父を見て待って、と制止の声をあげる。
「父さんの歳じゃキツイでしょ、僕がやる」
「……ホントに?」
「僕じゃあ不満?」
「いや、そうじゃないけど」
 ディンセルフは鍛冶屋の家系だが使い手の心情を理解する為、武芸も常日頃から磨いているのだ。そこらのごろつき相手なら軽く捻れる程度の実力はある。一発勝負ならともかくひたすら修錬を積むなら、体力のある自分向きだ。まだ修行中の身なので昼間も父よりは手が空いている。
「判った。お前に任せるぞ」
「じゃあ早速どんな感じなのか見せてみて」
 ハンターという自分には選べない道を歩んで来た姉が一体どれだけ強くなったのか。率直に興味があった。

 汗がだらだらと滝のように流れ、息は乱れる。整うまでにまだ時間がかかりそうだ。最初はただ、クレールが自分たちの前で実際にコートを剣に変化させて等身大の人形に斬り込むという一連の動作を見て失敗例を確認していただけだったが、横から見ているだけなのと相対するのとではやはり見えてくるものが違うだろうと、姉弟が対面しての観察になって。そこから打ち合いに変わるのに然程時間はかからなかった。確かめるのには高過ぎる精度も仇となって全力も出していないのにこの汗だく。昼過ぎに始めたのに気付けば日が暮れている。
 最初こそ初見殺しの変容に舌を巻いたが、クレールが戦ってきた間己も弛まぬ努力を重ねてきたのだ。次第にトリッキーさや動きそのものの癖まで理解が進み、そこから原因に気付くまでは早かった。幼少期病弱だったが覚醒者でもある姉と健康だが非覚醒者の自分。その違いが明暗を分けた。
「昼は限界まで覚醒状態を維持して精緻なマテリアルコントロールを身につける。夜は実戦さながらの特訓をしてディンセルフ式鍛冶師殺法の習得を目指す。――こんなもんでどうかな、父さん?」
「いいんじゃないか」
 投げ遣りなようでいて、二人の動きを精察していた父の眼は真剣で少し満足げでもある。鍛冶や武芸に対して職人らしい厳しさを持つ父が言うのなら、自分の判断に間違いはなかったのだろう。
「姉さんもそれでいい?」
「勿論。その為に帰ってきたんだから」
 青い瞳には揺るぎない意志が宿っている。判ったよと答えて、何もない日でも帰ってくればいいのにと胸中で呟いた。

 修行三日目。
「クレールちゃん、それどうしたの?」
 古馴染みの客が訪れる度質問が飛ぶ。えーと、とさすがに十回を超えると事情説明にも疲れてきたらしい姉が困り顔で言い淀むと、
「うちの娘、今修行中なんです!」
 と間違ってはいないが言葉足らずな返答をする母は実に真剣な表情だ。家業の手伝いに従事するクレールが助けを求めてくるので、仕方なしに立ち上がって二人のほうへ向かう。
 覚醒状態なのに覚醒していないかのように過ごす、といっても結局覚醒しているわけで。ひと目でそれが判るのも困りものだなと他人事のように思って肩を竦めた。

 修行七日目。
 細部まで鍛えたカリスマリスの名を冠す剣を手に、実戦形式で姉の課題に向き合う。
「覚醒で実戦を重ねようが、所詮は精霊からの借り物の力の扱いに長けただけのこと!」
 刃を打ち鳴らす甲高い音。しかし鍔迫り合いはクレールが剣から戻した為に中断し、体勢を僅かに崩したこちら目掛けて再度攻撃に転じる。それでも痛みへの反射的な身構えはなく、ただ冷静に前に進もうとする体に急制動をかけて、気持ち後方へと意識を傾ければよかった。
 ちっ、とかすかな舌打ち。クレールが変化させた切先は刀身で弾くまでもなく届かない。
「覚醒の力と術で誤魔化しの効く戦場で錆びきった基本の型を、徹底的に叩き込む!!」
 この七日間、摺り込むように繰り返してきた言葉を口にして、こちらから仕掛ける。若干反応は遅れたものの剣と剣とが交差して直ぐに離れた。同じ型で為合えば剣劇のように決まった動きで対応することになり、否応無しに代々の殺法が身につく。最初は格闘術教室の、最近では独学や仲間の技術が染み付き、歪虚相手に覚醒頼りになるのも手伝ってクレールの武術は乱雑だ。目的を果たすなら一からやり直すほうが早い。

 無我夢中で特訓を続けて、床に座り休憩していると入口の所でがたりと音が鳴った。顔を見合わせる。
「別に入ってくればいいのにね」
 笑って言う姉は初日より体力のある様子で扉に向かい、おにぎりの入った皿を手に帰ってきた。綺麗な三角形の物に混じって少し歪な形の物もある。彫金は器用なのに何故か料理は一向に上達しない。あの逞しい腕で握っている画を想像しながら手を伸ばし、いただきますと揃って挨拶をした。
 もしかしたら見守られているのは姉だけではなく自分もなのかもしれない。少しずつ、けれど着実に成長していく姉を一瞥して食べたおにぎりには大好物が入っていた。
 修行の日々はまだ暫くは続きそうだ。

━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
━┛━┛━┛━┛━┛━┛

【ka0586/クレール・ディンセルフ/女性/22/機導師(アルケミスト)】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
━┛━┛━┛━┛━┛━┛

ここまで目を通していただき、ありがとうございます。
克服するまで、あるいは実戦投入出来るまでを書くべきなのか、
とも思ったのですが最大字数の関係上、これで一杯一杯でした。
色々足りない部分があったら、本当に申し訳ない限りです……。
乗合馬車で帰ってきて挨拶を交わすくだりも入れたかったんですが
然程重要ではないのに1000字超えになったのでカットになりました。
修行が落ち着いたら家を出たときのようにお父さんと戦うのか、
それとも弟くんと話したりするのかなと展開が気になるところです。
今回は本当にありがとうございました!
シングルノベル この商品を注文する
りや クリエイターズルームへ
ファナティックブラッド
2019年02月01日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.