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『茹って、溺れる 』
ティアンシェ=ロゼアマネルka3394)&イブリス・アリアka3359

(ど、どうしてこんなことになったのでしょう、か……!)
 どきどきどき、と心臓が早鐘を打っている。この状態で入ったら彼が来る前に死んでしまうのではないだろうか。大真面目にそんな懸念をしてしまうくらいには動揺していた。自身の髪に手を滑らせて、視界の端に映る十字架の感触を確かめる。その手の上にもう片方の手を重ねた。声を失ったティアンシェにとって明確に言葉を伝える、唯一の手段であるスケッチブックは客室に置いてきている。それがこの心境に拍車をかけているのかもしれなかった。耳を澄ませば扉一枚を挟んで自分の鼓動以外は静かな部屋の中、ふーっと煙草の白煙を吐き出す音が聞こえる。その様子をじっと眺めていたい、なんて欲求を振り払ってティアンシェは現在に至るまでの記憶を辿り始めた。
 そもそも、どちらから言い始めた話だったんだっけ。ティアンシェの意中の人であり、この旅行唯一の連れでもあるイブリスが、ある日いつも通りに意地悪をしてきた。彼は戦闘狂ではないのだが、たまにはゆっくりするのも悪くないと言い出して、そこから温泉の話題になり、一緒に入るかい、とでも茶化すように言われたはずだ。いつもならその画を想像して恥ずかしくなるところが、混浴という状況の提示は自分のことなど眼中にもない、そう言われているように思えて拗ね、つい本気になり乗っかってしまった。そこまでは具体的に思い出せる。しかしこの温泉旅館を実際に訪ねて、なんなら一応観光らしいこともした経緯についてはあやふやだった。ただ一つ言えるのは普段の彼ならその場で冗談だと肩を竦めて提案を帳消しにするのに、敢えてそうしなかった事実。
 ――二人きりの温泉旅行だ。温泉自体は前にも経験しているが、依頼を通さずプライベートで行くのは初めてなのもあり、いつも以上に浮き足立っていた感は否めない。沢山甘えてしまったような気もする。『お風呂に入ってきます、ね』と若干震える字ながらも平静を装って伝えた自分を誰か褒めて欲しい。
 旅館側に用意されていた、いつかの秋祭りの時のような赤系――ではなく、明るめではあるが緑の色浴衣を留める帯をほどく。後ろからだと金魚の尾鰭のように見えるそれを綺麗につけ直せるだろうかと憂慮しつつ、浴衣を脱いで大きめのタオルを身体に巻き付けた。衣類を畳むと鏡を背に振り向き確認しながら、ヴェールを外しまとめ髪にする。横髪も巻き込んだので、髪飾りは耳の後ろ付近に移動する。洗うときも目に付く所に置いておきたいのだ。
 ようやく踏み入れたお風呂は客室付属の貸切にしては随分広い。まず足元に、次いでバスタオルを外して全身にかけ湯をしてからそわそわと忙しく湯船に浸かる。桶やタオルを手近に置いてほっと息をつき、温もりと折角の露天らしい景色を楽しむ――となるはずが、ティアンシェの目はつい磨りガラス戸のほうに向くし、意識はイブリスに注がれ続ける。
(イ、イブリスさんと一緒にお風呂……!!)
 気のない返事ではなかったが、直ぐに行くと確約を貰ったわけでもない。それでも彼はからかいを撤回もせず、現にここまで来ているのだ。期待せずにいられないし、けれど同時に文字通りの裸の付き合いには顔から火が出る思いもする。自分で見下ろしても見えないレベルの濁り湯だといっても、上がるのは間違いなく自分が先。女将さんは自分たちを見て湯船にタオルを入れていいと教えてくれたが、無難な場所に着地しているだけでは関係が進展するとも思えない。肩まで浸りながら煩悶を続ける――と。
 がらり、とティアンシェの様子を気にするでもなく無遠慮な音を立てて、イブリスが入ってくる。肩が跳ね水面が揺れ、反射的に振り返ったものの直ぐまた逸らした。もし全裸だったら卒倒してしまいそうだ、と脳が危険信号を出す。くつり、と笑う声がした。静かな足音、そして洗い場からの水の跳ねる音を耳で拾いながら、顔色一つ変えずこちらを見返した彼の顔を思い起こす。期待が一気に萎れそうになった。髪型が乱れないよう、緩く首を振って自身を鼓舞する。
 水音に遅れて波紋がこちらまで届き、若干の沈黙。音にならないよう深呼吸してから、閉じてしまっていた瞼を上げてゆっくりと振り返る。イブリスは少し離れたところに腰を下ろしていた。二人で入るには大きい浴槽を少し憎く感じる。彼のいつもの意地悪だろうが、ティアンシェ自身も緊張から中心より奥寄りに位置取りをしたせいもある。今気付いたかのように目を合わせたイブリスの口角が悪戯っぽく、あるいは挑発的に上がるのを見て小さく息を呑むと石のタイルに手をつき体を前に進ませた。
 一歩ごとに拍動が激しさを増す。想像と実物ではやはり比べ物にならない。筋肉質というほどではないにしろ、刀を手に戦場を駆ける肉体は逞しく、露出した肩のラインから鎖骨、首筋に喉仏と自分とはまるで違う体付きを目で追う。そのまま流れるように上向けば、
「――もうのぼせたのかい?」
 と、からかいの声が投げかけられる。楽しげな緑の瞳を見ていられずに視線を彷徨わせた。普段は考えている内容が直ぐ顔に出る、そう評されることもあながち悪くはないけれど、今は更に羞恥心を煽るだけだった。少し姿勢を変えれば脚が当たりそうな距離で面と向き合うには勇気はもう打ち止め状態。それでも離れたくなくて、ティアンシェは向きを変えるとイブリスと背中合わせになる位置へ移動した。なけなしの気力で上半身を後ろに倒せば肩甲骨の辺りが彼の背に触れる。姿勢を安定させるように身じろぐと無造作に結わえられた長い後ろ髪がティアンシェの後頭部に当たった。またイブリスが喉の奥でくつくつと笑うのが耳だけでなく背中からの振動でも伝わってくる。
 触れる体はいつもより近く、心臓もまた、いつまでも煩く鳴っている。お湯という薄皮一枚も同然な隙間さえもどかしく、直に触れたいような――でも本気でどうにかなってしまいそうだから、このままでいいような。意気と羞恥心のせめぎ合いは果たして今日何度目だろう。昼間積極的に手を繋いだり腕を組んで喜んでいた自分に、この動揺を切に訴えかけたかった。

 ◆◇◆

 茹だるように染まっているのは何も顔だけでなく、近寄ってくる際にちらちらと見えた肩や首なんかも同じだった。目は口ほどに物を言う、なんてことわざもあるが彼女がこちらを見るときの眼差しはどこか拙く――有り体に言えば純真無垢な少女そのものだ。恋に恋する年頃とまでは言わない。ただ、感覚的な隔たりは感じる。だからこそからかったときの反応を見るのが面白く飽きないのだが。
 背中合わせではころころ変わるあの顔つきを眺めることは出来ないが、わざと音を立てて湯を掬えばかすかな振動と、うなじの辺りでもぞりと動く感触が伝わってくる。同じ湯船に浸かってこの至近距離だ。初心な少女がこちらの一挙手一投足に動揺するのも分かるが、イブリスとしては現状そのものに重きは置いていない。彼女との逢瀬はもう何度目だったか。ここ一年だけでもバレンタインにホワイトデー、聖輝節に二人で行った教会と、ざっと思いつくだけでもこれだけある。何でもない日に逢ったのも含めれば両手の指ではきかないだろう。そんな日々が続けばこの距離にもすっかり慣れ切って、しかしこの少女は現状では満足しないから行動はエスカレートしていく。
 一人湯浴みを楽しむなら、もう暫くの間温もりながら酩酊しない程度に酒も呑みたいところだが。頃合いだろうと、触れ合っていた背中を離し立ち上がる。湯船から少し離れた場所に置いてあった桶からタオルを拾い上げて腰に巻き、全力で背中を向ける少女を見遣った。決してぬるくもない湯より熱い体はかちこちに硬直している。振り返るタイミングを見計らっているのか。彼女が自らの意志で取る行動ならば何でも受け入れる気でいるが、こちらからは今までもこれからも核心に触れる気はないというのに。
「いつまでもそうしてると本当にのぼせるが、いいのかい?」
 心配する言葉を素っ気なくかけた途端に勢いよく体を反転させる。湯が揺れると同時に、細く頼りない肩が一瞬だけ素肌を見せて隠れた。湯煙を通して見ても、やはり上気している。ピンクから銀になる髪のグラデーションの、その中ほど。実際本人も危ないとは思っているのだろう、あわあわとした視線は濡れない位置のバスタオルを見つめる。
「上がるも浸かるもお前さん次第だがな」
 それだけ言って今度は反応も見ず洗い場に向かった。二つあるうちの手前側に腰かけて、髪を下ろして鏡の真下にある小さな湯船からざっと湯を掬って頭から被る。備え付けの洗髪剤を使っていると大きなタオルを纏った少女が隣に座って。視線を感じつつも気にかけるでもなく泡を洗い流し、ようやく彼女に目をやった。するとイブリスの背中を指差し、両掌を向けて上下に動かす仕草をする。
「――ああ、背中を流してくれるって?」
 確認すれば真剣な表情が一転、嬉しそうに華やいで何度も頷いた。まだここで仕掛けようというのなら妥当なところだろう。
「まあ好きにすればいいさ」
 肝心な場面で押しの弱さが出るとはいえ、近頃の少女は積極性が前面に出やすい。肩を竦め投げ遣りに出した許可に、彼女は服を着ていたら袖まくりをしそうな気合いの入れっぷりで体を洗う用のタオルを石鹸でしっかり泡立て、椅子と共にイブリスの背後に移動する。若干の間を置いて恐る恐るといったふうに洗い始めるのを鏡越しに見ながら時を待った。暫くすると慣れない手つきは緩慢になって、真剣な目は見る方向を転々と移動する。動きが止まったかと思えば指先がイブリスの背中をなぞっていく。
 目視する機会はほぼないが、どれだけ過去になろうと鮮烈な記憶と薄くなって過敏になった肌の感触が少女が触っているのが傷跡だと教えてくれる。勝敗は二の次に知勇を出し切った戦いを好む性質上、対峙する敵の多くが同格かそれ以上で。その分、小さいが深いものや派手に残ったが見た目ほどの痛手ではなかったものまで大小の、また年季が入ったものから最近ついたものと新旧も幅広い傷跡が体中に残っている。背中は箇所が箇所だけに格上相手にやられた傷が多いが全力を出した結果だ、後悔はしていない。
 腫れ物に触るというより労るように。あるいはまるで愛おしいものに接するように。そっと撫でる指は途中、何かを堪えて震える。眉間に寄った皺に不安の色。五年、十年と来るかどうかも分からない将来など省みず戦う生き方を憂いて、しかしそれも込みで好いているということだろう、面と向かって否定しない瞳が揺れる。戦場に出て帰ってくる度に送られてくる手紙を思った。かなり抑えめにしているのだろうが、心配がありありと伝わってくる文面にイブリスが返すのは端的な生存報告だけ。それでもこの少女が嬉しがっているのは知っているが、人は一度慣れたらそれが失われる未来を恐れるものだ。
 支えるように左の手のひらを当てて、右手の人差し指が先程と違う動きをする。数瞬遅れて理解し、その間の記憶を手繰り寄せた。
 ――ずっと隣にいたい。
 文字を読み取った拍子に重みが伸し掛かった。視線を落とせば背中に触れていた両腕がイブリスの腹の辺りに回される。うなじに当たる額が熱い。小刻みにぶれる吐息が肌を撫でた。
 そのまま暫く好きにさせていると我に返ったようで、腕を解いたかと思えば慌てて勢いよく少女が離れる。イブリスが振り返ると同時、動揺のあまり立ち上がって後退しようとした彼女は足元に出来ていた泡に足を取られた。普通なら転ぶところを咄嗟の覚醒で対処する。抱き留めて直ぐ体を離し、恥ずかしがって感謝して照れてと、忙しなく表情を変える彼女の足がきちんと地についていることを確認し。イブリスは顔を近付け、そして口角を上げて言う。
「次はお嬢ちゃんの番だな?」
 楽しさを隠さない声音で、いつもの冗談と分かりそうなものだが。心理は理解出来るものの完全な自爆である一連の流れでとうとうキャパオーバーしたらしく、茹って目を回した少女の体が再び傾いだのでしっかりと受け止める。湯気で湿った前髪を整えてやって息をついた。見極めそこなった詫びは後で入り直すときにまた付き合うことにして。休ませ、身体を冷やす為にとイブリスはティアンシェの体を抱き上げた。

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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【ka3394/ティアンシェ=ロゼアマネル/女性/20/聖導士(クルセイダー)】
【ka3359/イブリス・アリア/男性/21/疾影士(ストライダー)】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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ここまで目を通していただき、ありがとうございます。
お色気的要素はありませんが、普段は前提条件として省略しがちな
外見描写もちょこちょこ入れられてとても楽しかったです。
イブリスさんのティアンシェさんに対する距離感が上手く
掴めているが不安ですが、書き手的にはこういう曖昧な関係も好きです。
しかし、もしもラブラブになったならどんな雰囲気になるんでしょうね。
イブリスさんが真剣かつ積極的になったらそれこそ身が持たなさそうな。
今回は本当にありがとうございました!
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2019年02月04日

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