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『 雨が雪へかわる頃 』
ka1140)& 恭一ka2487

 子供たちを寝かしつけた後、調べものをしていた都は足元へ忍び寄る冷気に手を止めた。
 赤々と燃える暖炉、本を読む夫。見慣れたでも何事にも代え難い日常。
 都は読書を邪魔しないようにそっと立ち上がりカーテンが開いている窓へと寄った。
 庭木に降る雨音。肌を刺す凍えた空気。
「あの日も」
 冷たい雨の夜だった……。

 天ノ都から馬車で二日。程よく栄えた街の診療所に都は勤めていた。
 その日、氷の礫のように冷たい雨の中家路を急ぐ都は、通りかかった店の軒先に人影を一つみつける。
 暗がりで顔はよくはわからないが背の高い男だ。足元には滴る雨で作られた水溜り。
 これでは風邪をひいてしまう。医療に携わる者として放っておけず声を掛ける。
「よろしければお使いください」
 まずは拭かねばとハンカチを差し出す。
 男の僅かだが息を飲む気配。
「体を冷やすのは……っ」
 空気に混じる新しい血の匂い。
「怪我を。 診せてください。近くに私の勤める診療所があるので手当てを」
「いえ、たいした傷ではありませんから」
 立ち去ろうとする男の行く手を都が阻む。
「傷口から菌が入ったら大変です。なので治療をさせてください」
 男は渋々といった様子で治療に同意してくれた。

 恭一は仕事の繋ぎをしてくれる酒場の片隅でグラスを傾ける。グラスの中は酒ではなく茶。
 雨天のせいかまだ夕刻だというのに賑わう酒場には既に出来上がっている者も多い。
「商売繁盛、良い事じゃないか」
 忙しいとぼやく店主を揶揄う。互いに軽口を叩けるくらいの馴染みではある。
「お前さんは暇そうでいいねぇ」
 本業の依頼はここ最近少ない――ということで酒場の用心棒を引き受けているのだ。
 「上等だ、表に出ろ」突如響く怒声。
「さてと仕事だ」
 ゆっくりとした動作で恭一は喧騒の中心へ向かう。
 喧嘩を仲裁した恭一の背に罵声が浴びせられた。
「どうしてくれんだ! 賭けが台無しだ」
 ナイフを振り回し男が怒鳴る。そのナイフが偶々近くを通った女給へと――。
 咄嗟に女給を庇った恭一の腕を刃が深々と切り裂いた。
 流れる血は多いが神経はやっていない。冷静に傷の状態を確認する恭一だが「大切な商売道具だ。医者に診てもらえ」と店主の言葉に甘えることにした。尤も医者にいくつもりはなかったが。
 その帰宅途中、強くなってきた雨に駆け込んだ軒先。
 どうせ濡れ鼠だ。走って帰るか――と、声を掛けられた。
 その声が胸の底にあるものに触れて思わず息を飲む。
 そして正面から見つめる強い視線に確信した。
 彼女は……。
 今更どの面下げて彼女と向き合うのか。さっさとここから立ち去るべきだ。
 だが諦めるつもりのない様子に恭一は負けた。
 彼女が気付く前に去れば問題はない……と言い訳だ。

 治療を終えた都はリネン室にある着替えをもって診察室へと戻る。
「少し小さいかもしれま……」
 言葉を失い立ち尽くす都。
 乾きかけの波打つ黒髪。
 左右色の違う男の目。都の動きを追いかけるのは右目のみ。
 今まで治療にばかり意識をとられ気付かなかった。
 眼前にいるのは――。
「恭……お兄ちゃん……?」

 暫し聞こえるのはストーブの上、薬缶から登る蒸気の音だけ。

 男が深く息を吐いた。

「久振りだ……な、都……」

 記憶よりも低い、でもとても懐かしい声が都の名を呼んだ。
 だがどこか苦し気な笑みはあの街を出て行った頃のまま。
 あの時何もできなかった自分の無力さへの嘆きが生々しく蘇り、それでも努めて明るく答える。
「うん、久し振り。背が高くなっていたから気付かなかったよ」
 言いたいこと、聞きたいことは沢山あった。
 でも口にしたのは服は洗って乾かしておくからまた明日薬を換えに来てね、という言葉だけ。
 あくまで医者として接するにとどめる。まずは傷を治すのが一番だと思ったから。
 踏み込んだらまたどこかに消えてしまいそうで怖かったから。
 恭一を見送った都はその場に崩れ落ちるように座り込む。
「……よか……った……」
 震える声。彼が生きていて。
 約束通り翌日彼が姿を見せた時、夢ではなかったのだと心底安堵した。
 医者と患者という関係が終わるとまた二人会わない日々が続く。
 都は時折人の流れに恭一の姿を探す。

 冬が終わる頃、再び二人は出会った。
 都の抱えていた紙袋から転がり落ちた林檎を拾ってくれたのが恭一だった。
 林檎を袋に入れ、立ち去ろうとする恭一を反射的に呼び止める。
 そして咄嗟にでたのは
「ご飯作るから一緒にどうかな?」
 慌てた都は矢継ぎ早に言葉を続ける。
「おままごとの葉っぱのご飯じゃないよ。ちゃんとご飯だから」
 自身でも何を言い出したのかわからなくなった都に恭一が笑んだように見えた。やはり苦し気な笑みだったが。
 それも一瞬で「仕事だ」と踵を返す。
 見慣れた少年の背は大きく広い見慣れない背に。
 その背へ手を伸ばしても、距離は縮まらず開いていくばかり。
「遠いな……」
 恭一が拾ってくれた林檎にぽつりと都は零す。
 それ以降都は恭一を見かければ声を掛けるようになった。

 夏祭りの夜。
 帰宅途中、都は仮装行列に遭遇する。
 人混みに揉まれている都が呼ばれて振り返れば
「途中まで送ろう」
 恭一だ。二人、人混みから抜け路地へと。
 酔っぱらいにぶつかりよろける都に恭一が手を伸ばした。
 だがその手は途中で止まる。
 なんとか転ばずにすんだのは都のバランス感覚のおかげ。
 止まった手が寂しいと思った。
 歩調をそろえてくれるのが嬉しいと思った。
「そうか……」
 呟く声は背中には届かない。

 私は恭が好きなんだ

 幼馴染の恭お兄ちゃんではなく、一人の男性として。

 必要最低限の物しかない部屋。それが恭一の塒。
 いつ何が起きるかわからない修羅の道。身軽にしておくに限る。
「どうして……」
 あの時、立ち去らなかったのか。何度も繰り返した問い。
「……」
 手を翳す。
 あの祭りの夜、都を掴むことができなかった手。

 俺の手は……

 血で塗れている。

 自身の道を見つけ歩む彼女をとても眩しく思った。
 その生き方を。まっすぐで強い意志を宿をした瞳を。
 だから己が触れてはならない。
 人の暗部で生きる己が。
 翳した手を引き寄せ、掌の皮膚が爪で裂けそうなほどに強く強く握る。
 師の生業を継いだことに後悔はない。
 でも己と関われば彼女を危険晒してしまう。
 いや何より彼女の歩んできたものを台無しにしてしまう、壊してしまう。

『恭……』

 柔らかい声が脳裏に蘇る。
 再会してからずっと都は恭一に手を差し伸べていた。
 それに気付かぬふりをしていた。
 一度その手を取れば……。
 刃を握ることができなくなってしまいそうで。
 ただ一つ見つけた己の生きる……業を失ってしまいそうで。
 怖い。
「そうだな……」
 都に打ち明けよう。
 己が業を。そうすれば都も……。

 秋雨の降る公園で都の姿を見つけた。
 ベンチに座り雨に打たれるままに。
 恭一は無言で傘を彼女へと差し出す。
「恭……」
 掠れ声。頬を伝う雫が涙のようだ。
 つい子供の時のように頭へ手をやりかけて止める。
 己が手に滴る血を見たから。
 代わりに差し出すハンカチ。「手洗い嗽は基本だよ」と体調を心配する都に何度も言われ持ち歩くようになった。
「あの日と……逆だね」
 無理やり作った笑みを浮かべ都がハンカチを受け取る。
 隣に座り、都を隠すように傘を傾ける。
 誰にも見られてないから弱音を吐いてもいいのだ、とでも言うように。
 この街に来てからずっと診ていた子供が亡くなったことを途切れ途切れに都が話す。
「あぁ、もう先生に怒られちゃうな……」
 都が鼻を啜る。医師として患者の命と向き合うのは、感情に流されることではない。都の師匠の教えだという。
「……良い師に巡り会えたのだな」
 己と同じように。
「うん、ありがとう……恭。」
 ふわりと目を細めた都の頬が仄かに赤いのは泣いていたからだろうか。
 そうして機を逸しているうちに再会して一年過ぎようとしていた。

 その日は珍しく麗らかな陽気で、休診日だった都は恭一を誘って散歩に出かけた。
 こうして時々二人出掛けるようになった。
 色づいた葉を通す柔らかい木漏れ日のなか歩く。
 指先が軽く触れる。でもそれだけ。子供の時のように手を繋ぐこともなく。寧ろ触れると恭一は距離を取ろうとする。
 この人は何を恐れているのだろう――と都は思う。
 彼の心の傷には触れることすらできないまま。
「故郷の雑木林思い出すね」
 二人で遊んだ雑木林。きらきらと揺れる木漏れ日の思い出。
 あぁ、いつも通りの短い返事のあと、恭一が足を止めた。
「聞いてほしいことがある」
 それは街を出てからの恭一の半生。時折躊躇うように言葉に詰まりながら。
 都はただただ黙って耳を傾ける。一言も聞き逃さぬように。
「俺の手は……もう、取り返しがつかないほどに」
 彼が胸の前で拡げる手。苦し気な表情。

「恭……」

 都は堪らずその手を両手で包む。
 わかったのだ自分の望みが――……。

 恭に笑ってほしい

 心の底から。二人で遊んでいた時のように。
 たとえ自分の想いは届かなくとも……。
 彼がこうしていてくれるだけで。懐かしい木漏れ日にも似たその温もりを感じることができるだけで……自分はもう十分だから。

 どうか、どうか……この人が幸せになれますように

 祈りにも似た願い。

「だからもう俺には……」
 「私は」都は恭一の言葉を遮った。
「私は恭一とまたこうして会えたことが一緒にいれることがとても嬉しいよ」
 ありったけの想いを込めて伝える。

 己の生きる世界を告げてもなお都は変わらなかった。
 いやそれでも恭一がいてくれることのほうが嬉しいというのだ。
「それでも……駄目だ」
 己には彼女の想いを受け入れる資格は無いと繰り返し言い聞かせる。
 だが己の誕生日に会う約束を交わした日、彼女との未来を考えている自分を思い知った。
 急いで彼女の前から姿を消さねばと思う。
 街を何日も離れる必要のある大きな仕事を入れ、そのまま別の街へ行ってしまおうと。
 だというのに……
 仕事を終えた己は何故か街に戻っていた。
 二年前、再会した日と同じように冷たい雨が降る中、約束した場所へと向かう。
 街灯の下、傘をさす後ろ姿が見えた。
 約束の時間などとうに過ぎたというのに。
 体に広がる温もり。
「……あぁ」
 素直に認めようと恭一は観念した。
 己は彼女と共に歩みたいと願っていることを。
「都……」
 一歩、二歩近づき、恭一は大切なその名を呼ぶ。

 恭一の誕生日。約束した場所で都は恭一を待っていた。
 胸に抱いているのは御守。彼の幸せを願い作ったもの。
 約束の時間はとうに過ぎ、雨が降ってきた。
「傘持ってきてよかった」
 吐く息は白い。
 雨は体温をどんどん奪っていく。
 冷たい指先に息を吹きかけながら空を見上げる。
「やっぱり……」
 私ではだめだったのかな――声にならない独白に鼻の奥がつんと痛む。
 再会してから胸の内にずっと積もってきた想い。
 あの人を一人の男性として愛していきたい――
 独りよがりだったのかもしれない。
 重たかったのかもしれない。
 それでもこの二年少しずつ距離を縮めることはできたと思ったのに……。
「医者が風邪を引いたら笑い話にもならない……よ」
 帰ろうかと思った時――

「都……」

 背後から呼ぶ声。
 慌てて振り返る。その声が幻になる前に。
「傘を持っていかなかったの?」
 軽口は旨く叩けているだろうか。
 此方へやってきた彼の髪から滴る雫。ハンカチを取り出し頬を伝う雫をそっと拭う。
「雨が降るとは知ら……」
 重なる視線は逸らされることもなく。
 互いの瞳に映る姿。
 傘が都の手から落ちた。
 両手で恭一の頬を包み踵をあげる。
 そのまま重ねる唇。
 驚いた様子の恭一に笑みを向けた。
「……お帰りなさい」
 背中に回した手。少しだけ力を込めて抱きしめる。
 ただいま……ずっとずっと聞きたかった言葉が耳に届く。
 そして力強い腕が都を包み込んだ。
 雨は雪へと――……。
 二人に静かに積もっていく。



「雪か。明日は子供たちがはしゃいで大変だろうな」
 恭一が背後から覗き込む。
 雨はいつの間にか雪へと。
「お父さん、頑張ってね」
「重労働だな」
 肩を竦める恭一の胸に都は体を預ける。
 ふわりとその温もりを感じ目を閉じた。




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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【ka1140 / 志鷹 都 】
【ka2487 / 志鷹 恭一】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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ご依頼ありがとうございます、桐崎です。

お二人の過去の物語、いかがだったでしょうか?
エピソードはもっともっと沢山詰め込みたかったのですが字数が許さず。
少しでもお二人の時間の積み重ねを描くことができていますようにと祈っております。

気になる点がございましたらお気軽にリテイクを申し付け下さい。
それでは失礼させて頂きます(礼)。
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桐崎ふみお クリエイターズルームへ
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2019年02月22日

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