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『名を待つ 』
ka7179


 冬の日の風情に、陽射しが染み込んでいた。
 隈無く晴れ上がった午後の空を映す灯(ka7179)の瞳は何処か朧気で、長い睫毛が翳を差す。

 雑踏の中を行き交う足音。
 頬を撫ぜる風の声。
 心湧く、鼓動の弾み――。

 灯の楽譜(せかい)を奏でる音符が、ぽろんぽろん、と、街を流れていく。そう、十本の指が、鍵盤の隅から隅までを駆け巡るかのように。

「……」

 優艶な唇から漏れる白息が、バレンタインムード一色に華やぐ街の景観に温く消えていく。その心の温度はまるで、甘い香りも、甘い囁きも、甘い時間も、全て蕩けてしまうかのようだ。

「(昨夜まで随分と尻込みをしてしまったけれど……私は、踏み込んでみたい)」

 深めていきたい――。そう願う、“彼”への縁。

 ふ、と伏せた目線が、指から提げた紙袋へ落ちる。中から覗く色は、緑と白。その和紙を雪模様に切り取り、ラッピングペーパーに飾った手製の包みには、一輪のガーベラが添えられていた。

「(……何度でも伝えるわ。あなたのお陰で、今こうして光を見られるの)」

 その“白”に、祈りを馳せる。
 花の持つ“言葉”が、どうか、彼に届きますようにと。

「甘さを抑えて作ったつもりだけど……食べてもらえるかしら」

 オレンジリキュールを加え、爽やかな香りとほろ苦さを効かせた生チョコレートは、甘いものが苦手な彼の為に灯が初めて作ったものであった。元より料理は得意な方ではあるが、甘い菓子を作るのが上手になったのは、“あの人”のおかげ。――そう。『甘いものが好きなんだ』と、頬を綻ばせるあの人がいたから。

 灯の作った菓子を食べる彼が好きだった。音楽を奏でる彼を、灯は愛していた。



「(あの人は私に、唯一の”韻”をくれた人だった)」










 それは、灯が十代の頃。帝国の小さな楽器店で調律師として勤務をする前のことだ。
 灯はピアニストとしての道を辿っていた。鍵盤を弾くと優しく潤む声、木の葉が舞い落ちていくような爽やかな音色――愛する、“音”。

 音のピッチやタイミング、ハーモニーなど音の情報を聴き分ける“耳”も良かった為、器用に弾ける性質でもあった。だから、ピアノが歌う音色は心に捉えていたつもりだった。

 けれど。

「(あの日の空も、今日のように青く澄み切った色をしていたわね……)」

 凝然として広がる冬の空に、“彼”の旋律が何処までも響いた、あの日――。



 深い青に梳く藍色の髪と、燦然さを秘めた金の瞳。そして、本当の“韻”を持つ、美しいピアニストと出会った。



 彼が奏でる“春の歌”は柔らかく、透明でいて、自由で――

「(私は、本当の“韻”を知った)」

 惹かれ合った瞬間は果たして何時であっただろう。

 視線を交わした時?
 言葉を交わした時?
 音楽を交わした時――……



『――星』



 名を、交わした時――?

 泣きたくなるほど繊細で、胸が苦しくなるほど溺れた、初めての甘い恋。
 それは灯にとって、晴れやかで幸福な時間だった。だからこそ、曇った時の戸惑いが、灯の心を一層締め付けた。

「(わかっていたわ。私の指では、私の耳では、彼のような“韻”は決して作り出せないこと……)」

 彼も又、灯の“音”を必要とはしなかった。彼は名の知られた有名なピアニストで、持つべき音は全て持っていたから。

 それでも、彼の傍にいたい。
 傍にいるだけでいい――そんな風に思えたら、どんなに楽だっただろう。けれど、一度気づいてしまったら、もう心は偽れない。

 灯も彼も、切なさが胸を突き上げてくるほど、音楽を愛していたのだから――。










 今も灯は毎年、バレンタインにはブランデー入りのトリュフを作る。
 しかし、一緒に食べたあの人はもういない。星(あかり)――そう呼ぶ大切な人は、傍にいない。

「(……ふふ。その内、私自身も自分の本名を忘れてしまったりしないかしら。……けれど)」

 例え、そうなったとしても。

「(今の私には、あの頃になかった“縁”がある)」

 手放したくない人達がいる。この掌から零したくない絆がある。そして、目線の先には何時も――

「(……名前で呼べるようになったあの人が、私の心を“気紛れ”に揺らすの)」

 けれど、それは不思議と居心地の悪いものではなくて。

「(彼のことが気になってしまうのは、何故かしら……)」

 漠然とした感情だからこそ、何時か形になる日が来るのだろうか。
 何時か又、自分の名を“耳”にすることが――





「あかりちゃん」





 鈴を弾くかのように、アッシュグレーの髪がふわりと弧を描く。

 雑踏の中を行き交う足音も。
 頬を撫ぜる風の声も。
 心湧く鼓動の弾みも、たったひとつの“音”に攫われた。

 波を揺蕩う灯の迷いを、躊躇なく掬い上げるかのような、翡翠の瞳を持つ彼の呼び声に――。





「琉架さん。お呼び立てしてごめんなさい。私、あなたに渡したいものがあるんです」



━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【ka7179 / 灯 / 女性 / 外見年齢:23歳 / opera】
【kz0265 / 桜久世 琉架 / 男性 / 外見年齢:26歳 / fondant au chocolat】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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お世話になっております、ライターの愁水です。
バレンタインのほろ苦い思い出、そして、新たな旋律の“足音”――お届け致します。

実は当初、灯ちゃん様と琉架の会話はもう少し書いていたのですが、最終的に琉架の描写は控えさせて頂きました。発する言葉も、ひとつ。その中に、彼らしさや今回のノベルの雰囲気を感じて頂けますと大変嬉しいです。
ラストの余韻も、色々と想像して頂ければ幸いです…!
此度は灯ちゃん様の大切な過去を書かせて頂き、誠にありがとうございました!
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2019年02月25日

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