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『いばらの棘(4) 』
水嶋・琴美8036

「あら、ようやく着きましたのね」
 組織の指揮官である男の耳を、知らない声が不意にくすぐる。凛と透きとおった、それでいてどこか自信に満ち溢れた女性の声だった。
「あまりにも遅いものだから、私の方から会いに行こうかと迷っていたところでしたわ」
 その声は人を声で惑わすという逸話のあるセイレーンですらも嫉妬してしまうのではないかと思う程に美しく、一瞬ここが戦場である事を忘れさせた。自然と視線をやった先にいたその声の主もまた、今まで見たどの女性よりも整った顔立ちと完成されたプロポーションを持っているものだから、男を殊更に惑わせる。
 女、琴美は配下の報告通り、一人で、女で……それでいてひどく美しかった。眉唾だとばかり思っていた配下の言葉がまさか事実だったとはと一瞬男は思い、しかしすぐにありえないと首を横に振る。
 赤い軍服に身を包んだ琴美の姿は、男を虜にする魅力に溢れていた。どうせ配下達はこの女の色香に騙されて、敵の組織の奇襲を受けたのだろう。そう勝手な予想をし、琴美の仲間がどこかに隠れているのではと男は周囲を注意深く伺う。
 近くにいた部下にも女に惑わされるなと指示を与えようとし……だが、その部下が次の瞬間には倒れ伏しているものだから、男はしばしの間言葉を失ってしまった。
「何!? まさか、この女が、本当にこいつらを……!?」
 いつの間にか疾駆していた琴美が、次々と男の部下を倒していく。戦場で鍛えられた男の目ですら、追う事が不可能な程の速さで彼女は駆ける。男でも追うのが難しい彼女の姿を、彼の部下達が捉えられるはずもない。
「テメェ! 上等じゃねぇか!」
 もはや指揮官であった男が、指示をする必要などない。指示すべき部下は、もう一人も残っていないのだから。
 男にとって、かえってそれは幸運な事と言えた。戦う事だけに集中出来る。男の手にした剣が牙となり、琴美へと襲いかかった。
 しかし、その一撃は琴美の華麗な剣技で防がれてしまう。次いで繰り出した一撃も、彼女は当たり前のように避けてみせた。
「……残念ですわ」
 ぽつりと、彼女は麗しい唇を震わせそう口にする。男は最初、琴美が自らの死を悟ったが故の言葉だと思った。自分の力が男に及ばない事を察し、残念に思っているのだ、と自惚れた事を思ってしまった。
 仲間が目の前で次々と倒されたというのに、自分だけはそうではないとどこかで思い込んでいたのだ。男の目にはどうしても琴美は扇情的で可憐な美しい女にしか映らず、屈強な体格と戦歴を持つ自分に敵う存在ではないと思う驕りがあった。
 だが、目の前にいる美しい女の顔にあるのは、自らを悲観する類の表情ではない。
「残念なのは、あなたが私の予想よりも、ずっとつまらなかった事ですわよ」
 男を見下し、呆れ果ててしまっている類のものだ。言葉の意味を理解し、男が胸に湧いた怒りをそのまま暴力という形に変え琴美へと襲いかかろうとした時には、すでに勝敗は決していた。
 目にも留まらぬ速さで相手の懐へと入り込んだ琴美の、その鋭い剣の切っ先が男へと振るわれる。速度と威力を持ったこの攻撃は、鍛え抜かれていた男の身体すらも穿つ。
 並大抵の努力では追い付けず、才能を持つ者であろうとも辿り着けぬ高み。戦う者として誰もが憧れるであろう、その場所に琴美はいるのだ。だから、琴美は至極簡単に、それこそ……無遠慮に自らへと触れようとしてきた者を動かないまま刺すいばらのように、さしたる労力も必要としないまま敵を打倒してみせたのだった。
 あの組織を指揮していた男だ。琴美も一応、それ相応の実力を男が持っていると踏んでいた。実際、無線越しだというのにその指揮は的確で見事なものであった。
 だが、蓋を開けてみたら予想以上に戦いがいのないこの有様。これには、琴美も肩を竦めてため息を吐くしかない。
「私が本気を出すまでもありませんでしたわね。あなた……少し"弱すぎますわ"」
 その心底残念そうな言い方に、こちらを見下ろしてくる視線に、男は歯噛みする。事実琴美に指一本触れる事すら叶っていないというところが、ますます男を惨めな気持ちにさせるのだった。
「あいにく、私も暇ではありませんの。つまらない任務は、さっさと終わらせてしまうに限りますわ」
 月の光を反射し剣が光る。周囲に、戦いの終わりを告げる剣を振るう音が響いた。後に残るのは、倒れ伏した男達とただ一人無傷でその場へと立つ琴美の姿だけであった。

 ◆

 味方の清掃班に連絡しこの戦いの後処理を頼んだ琴美は、常のように司令にも通信を繋げる。
「ええ、今回も完璧に任務をこなす事が出来ましたわ。詳しい報告は帰ってからいたします」
 先程の喧騒が嘘だったかのように、辺りはすっかりと元来の夜の静けさを取り戻していた。月夜に歩く彼女の足音だけが、その静寂に寄り添う。その音は任務を終えた彼女の高揚感を表しているかのように、普段よりも軽快であった。

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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【8036/水嶋・琴美/女/19/自衛隊 特務統合機動課】
東京怪談ノベル(シングル) -
しまだ クリエイターズルームへ
東京怪談
2019年02月26日

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