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『不武の理 』
リィェン・ユーaa0208

 止まることなく近代化が押し進められ続けている香港。
 しかしながら、その内には前時代から継がれてきた営みのにおいが消えることなく残されてもいて、新旧渾然の有り様が押し詰められている。
 そんな街のただ中、風水を取り入れて建てられた瀟洒なビルに、ダークスーツでその身を固めたリィェン・ユーは踏み入った。
「リィェン・ユーと申します。大兄――劉士文氏と12時に約束を」
 受付嬢はアポイントを確認し、エレベーターを指した。
 会長は最上階の応接室でお待ちです。

「来たか」
 全面を磨き上げたガラスで囲った広間の中央、劉士文がリィェンを招いた。
「いくらなんでも不用心じゃありませんか?」
 眉をひそめるリィェン。
 ガラスは防弾防爆仕様だろうが、それにしても古龍幇の長が四方に姿を晒している状況はいただけない。
「各組織、国軍、政府、すべてに話を通してある。今日という日、私と新たな小弟を狙うことなかれ……」
 皮肉な笑みを閃かせ、劉は円卓に座した。他に用意されたただひとつの席をリィェンにすすめ、息をつく。
「暴力というものは、その規模を増すごとに“暴”の形を変えゆくものだ。それをゆめ忘れるな」
 リィェンは一礼し、劉の言葉に含められた意味を考えた。
 ここへ来たのは、先の約束を果たしたことを告げるためだ。しかし、劉はそれを確かめるよりも先に彼を「小弟」と呼んだ。
「王を討ち、自分の小隊は最大の功績を得たことを認められました。自分を弟と呼んでくださる理由、そこにあるものと考えてよろしいですか」
 次々運び込まれてくる料理を見やりながら劉は無表情を傾げ。
「おまえは約束を守った。ならば幇もまたおまえとの約束を守らなければならない。たとえ私ならぬ“スミシー”が受けた話であれ、な」
 驚くほど気配のない女――劉のボディガードのひとりなのだろう――が現われ、卓の中央に書類を置いた。
 促されるままそれを確かめれば、内容はリィェン・ユーという男が香港に生まれ、士文の分家のひとつに養子として迎えられ、育ったことを示す証明書。
 かくてリィェンは表社会でも裏社会でもけして軽視されることない身分を得たのだ。
「過分なご配慮、恐縮です。大兄」
 さらに深く頭を垂れたリィェンに、劉はかぶりを振ってみせる。
「気にする必要はない。命の賭けに勝った報償なのだからな」
 そして細めた両眼を直ぐに向け。
「しかし、本当にかまわんのか? 古龍幇はおまえを【獄】へ突き落とし、さらにはその【獄】すらも見捨てた仇だろうに」
 それは先の会合では結局口にしなかった疑問だ。
【獄】という幇の末端で使い捨てられるはずだったリィェン。その日々は、少なくとも彼にとって「過酷だった」で片づけられるものではあるまい。
「恨んでるわけじゃありませんからね」
 言葉を崩し、リィェンは語る。
「【獄】は確かに地獄でしたが、落とされるには俺の側に理由があった。それに、行き場もないまま死ぬだけだった俺を生かしてくれたのは【獄】です。飯をくれて、戦うための技を仕込んでくれました。ただ」
 一度言葉を切り、慎重に言葉を選んで継いだ。
「壊滅したことにはなんの感慨もありませんよ。あれは在るべきじゃない場所でした。その後、大兄があの手の組織をもれなく解体してくれたことにも感謝してますよ」
 いや、実際は育成機関として改編されただけなのだが、それにしても。闇に堕ちるよりなかった子どもが生きかたと死にかたを選ぶまでの猶予をもらえた。
「言い訳にしかならんが、私は利便に使い捨てるを好まない。長く使うことで者も物も独自の色を得、思わぬ熟成を見せるものだからな」
「ええ。生きてさえいれば、殺す芸しか知らなかったガキが、こうして大兄の弟にもなれます」
 そんなリィェンと苦笑を交わした劉はほろりと。
「それもみな、テレサ・バートレットと出逢えばこそだろう」
 劉は最初から、リィェンのテレサに対する想いを知っている。
 隠すつもりもないから揶揄られたところで赤らむ無様を晒したりはしないが、しかし。
「テレサは俺の光です」
 あのとき、この香港でテレサと逢えていなければ、たとえ【獄】を出てH.O.P.E.に入ったとしてもずいぶんちがう先を目ざしていただろう。それこそマガツヒとの決着をつけた後で古龍幇への復讐を企んだか、それともH.O.P.E.との協調を決めた幇に戻り、裏社会での栄達を望んだか。いずれにせよ、光を求めることなく闇底を這い進んでいたはず。
「しかし、私にはひとつの懸念がある。彼女は世間が思うようなジーニアスヒロインではないのだから」
 H.O.P.E.の顔たるテレサが黒き拳闘士を相手に晒した無様は、すでに幇の内でも大きな話題となっていた。
 そして身内となったリィェンがテレサにつくとなれば、幇もその恥を嗤ってはいられなくなる。兄であるところの劉はなおさらにだ。
「彼女は確かに完璧なんかじゃありません。でも、その弱さから目を逸らさず立ち向かえる強さが、どんな状況であってもまっすぐに掲げられる正義がある」
 掌に載せた熱を握り込み、リィェンは強く言い切った。
 対して劉は深い息をつき。
「前にも言ったな。イギリスというものは、おまえが思うより遙かに手強い。そればかりでなく、この中国もまた相当にだ」
 香港はイギリスに支配された歴史を持つ土地だ。その支配に裏から抗い続けた者たちの血と心を受け継ぐ劉は、彼の国の本質を誰よりも識っている。
「今おまえになにを求めるつもりはないが……傍流とはいえ弟となったおまえに、幇の面子を潰すことばかりは赦さんぞ」
 そしてまた、リィェンを血族とした理由がそこにあることを告げた。
 いや。実際のところ、リィェンの要求した身分を与えるには士文へ迎えるよりなかったということなのだろうが、それにしてもだ。
「今、俺は形のちがう暴力に強いられてるわけですね」
 イギリスに二度下ることを中国は赦さない。古龍幇もまた、イギリスの純血を湛えるバートレット、そしてH.O.P.E.に頭を垂れることを赦さない。
 とはいえ幇も劉も時代が変わったことは承知していて、テレサの手をリィェンが取ることを邪魔する気もないようだが――その先で祝福を受けたいならば、うまくやり抜いてみせなければならないのだ。
「おまえが望んで踏み込んだ世界の理は、殺し合うばかりで済まされる代物ではないのだよ」
 何度めになるものかは思い出せなかったが、構うものか。こうして突きつけられるたび、リィェン・ユーは何度でも行うだけだ。
「肚はもう据えてますよ。戦場で繰る武術が社交術に代わるってだけの話でしょう」
「誰の足も踏まずに踊りきれるか?」
 劉の問いにリィェンは薄笑みを返す。
「まあ、あれこれと見逃してもらわないといけないでしょうね。そこは大兄にできるかぎり甘えさせてもらいますが」
 これもまた、新しい戦場を斬り抜けるための術というものだろう。
 悪びれずに言ってのけたリィェンに、劉は思わず苦笑した。
「頼る前に学べ。その上で必要があれば、新たな小弟のため手を伸べよう」
 そして椅子に背を預ける。
「が、先にも言ったとおり、今すぐになにかを求めるつもりはない。しばらくは惚れた女に振り向いてもらえるよう力を尽くすのだな」
「感謝します、大兄」

 リィェンの新たなる戦い――武ならぬ心を尽くす死闘は、かくて次章のページを繰ったのである。


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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【リィェン・ユー(aa0208) / 男性 / 22歳 / 義の拳客】
【劉士文(NPC) / 男性 / ?歳 / 古龍幇首魁】
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2019年02月28日

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