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『●天国館奇聞【5.5】 』
海原・みなも1252

 みなもをまず襲ったのは、激烈な苦痛だった。
 舌に感じるのは金属臭と油の匂い、そして奇妙な弾力だ。咬まされているこの弾性の物体のせいで、開かされた唇と物体の間には一切の隙間がなく、たったひと声さえ発することができない。
 喉に何かが絶え間なく流れ込んでゆく。無味だが冷えた泥のような質感だ。食道いっぱいに詰め込まれてゆく。いや、気道にも押し込まれているのではないか。噎せて吐き出そうとする反射的な身体反応がひっきりなしに込み上げてくるが、次々に詰め込まれるものの圧力に抑え込まれ、また四肢がワイヤーで吊るされているために逃れもできない。喉が破れそうだ。強烈な嘔吐感が腹腔を押しあげてくる。
 みなもの身体はほとんど痙攣し続けていた。人が水に溺れる苦しみというのは、ひょっとしたらこんな苦しみなのかもしれない。叫びたいが口は塞がれている。みなもは呻くしかなかった。
「…っ!!」
 四肢を突っ張らせてもがくと、頭上でワイヤーの擦れあう音が聖堂に響いた。
「おや。気が付いたか」
 眼下に男が立っていた。素裸のみなもを見上げて腕組みを解いた。
「おはよう、お嬢さん。早い目覚めだったね。もっとも、今は眠ったままの方がよかったかもしれないが…」
 男は祭壇に上がり、宙吊りのみなもの腕や脚を丹念に調べると、満足そうに頷いた。
「よし、状態もいい。始めよう」
 この上、いったい何を始めるというのか。
 せめてもと胴をよじりながら、みなもは男を睨みつける。
 触らないで。あたしはあなたの玩具じゃないの。あなたの意のままにはならない。
 だが、あまりの苦痛に耐えていたからか、目がじんと熱くなったかと思うと、みるみるうちに涙が溢れだした。
「怖いかい?」
 男の指がみなもの目許を拭う。涙を払いたくても手に自由はない。滲む視界の中に歪んだ男の姿がある。睨む目に精一杯の力を込めた。あなた、あたしが泣いてると思ってるでしょう。怖くて、苦しくて、心が弱って、泣きだしたって。でも、あたし、負けないんだから。
 だが、そんな決意とはうらはらに、涙は頬を伝い、胸の素肌を滑って足下の祭壇にぽたぽたと落ちる。
 男はみなもの目を覗き込んで微笑んだ。
「これからが大切な儀式なのだ」
 男は足下の祭壇上に白っぽく細長いものを何本も並べはじめた。
「君の身体に合わせて造ったものだよ。寸分のズレも無い」
 円筒を半分に割ったようなものだった。すべての半円筒にはなだからな起伏があり、内側に何かが塗られているのか濡れたような光沢がある。そして白い煙のようなものが漂い出していた。
 男は半円筒を取り上げると、慎重な眼差しでみなもの腕に添えた。それはぴったりと吸い付いて収まった。
 全身が緊張に強張った。恐ろしく冷たい。いや、冷たいを通り越して痛い。凍傷になりそうな痛みが早くもじんじんと腕を苛みはじめていた。
「うぅっ!!」
 もう半分を反対側に装着し、隙間を粘性の液体で埋めてゆく。男がその作業を終えると継ぎ目は消えた。
 左腕の次は右腕、二の腕、膝下、腿、と順々に男は円筒を嵌めこんでゆく。痛みで気が遠くなりそうだ。暴れようとするたび、ワイヤーが鳴る。
「これらのボディと、インジェクターから君の体内に充填した代謝転換剤が、これより呼応しはじめる。このプラスティックに含まれている極小の遊動端子は、自己増殖も可能な有機ナノマシンでね。君の皮膚を細胞レベルで穿刺し、侵入、菌糸の如く真皮に根を張ってゆく。そして下部組織に浸潤してゆく…」
 男は苦悶するみなもに構わず喋り続ける。流れるように。まるで、もう何度も言い慣らした台詞だとばかりに。
「一般的な医療用プラスティックは骨歯の単純な補修には使えても、皮膚のような細胞組織に付着すれば組織が傷む。しかしこれは私が生み出した全く次元を異にする特殊プラスティックだ。あらゆる組織に浸透し、同化する。皮膚や臓器とも同化し、同化すると同時に組織を修復し、組織の機能や代謝を促すように働き始める。…素晴らしいだろう?」
 男が言うように皮下に何かが浸透しはじめているのか、痛みは灼熱感に変わりだしていた。
「いいかね、あらゆる組織と同化し、修復或いは回復させるのみならず、生体が本来持つ限界を超越して永久的な修復と代謝に導く。そればかりか、これら私が造ったボディは今に素晴らしい装甲となる。更なる高度機能をも引き出すことが可能ということだ。つまり、これは永遠の命を可能にする」
 陶酔した眼差しで、歌うように語る。 
「…夢のようだと思わないかね…」
 そして男は祭壇から心臓石を取り上げた。
「お嬢さんが涙だのと言ったこの石は、こうして永遠の命を得た者たちの心臓だったのさ。有限の命の凝縮。不要になったから肉体から抜け去ったのだ。有限の世界との訣別の証であり、置き土産でもあった。私は【限りある生命の座】と呼んでいるがね。――さあ、復活の時間だ」
 聖堂の暗い片隅に吊られていた半透明の大直方体が、重たげに移動しはじめた。みなもの背丈よりもう少しありそうだ。ちょうど何かの型のように片面に抉れた空洞が見えているが、複雑な模様が彫られているようでもある。それはみなもの正面まで来ると、音を立てて止まった。
「復活の棺だよ」
 口からバルブが外され、背後にも移動していたらしいもう一基の直方体とで、囚われた裸体を前後から挟まれた。みなもは頭から爪先までを棺の中に閉じ込められた。
 間を置かず、閉ざされた棺に虹色の粘液が注入される。粘液に含まれた微細な虹色の粒子は、それ自体が意思を持つよう激しく運動しながら、少女の裸体を覆ってゆく。
 束にした針で刺すような痛みがギリギリと抉る痛みに変わって、みなもの全身に広がった。
「ぐぅぅっ!!」
「同化および硬化までには様々な反応を経る。熱も発生するが、たとえ組織に火傷が生じたとしてもすぐに綺麗な組織に元通りだ。…もっとも、痛覚を鈍らせるような働きはないから、その点は我慢して貰わねばならない」
 すると、細部までいきわたった液体が変化を見せはじめた。少女の身体の周りにもやもやと形を成し、露わな胸や腹や腰を覆って色づいてゆく。あわく発光しはじめる。
 棺の中に、薄水色がかったオパール色のドレスが浮かび上がった。髪には王冠の飾りが霜のように成長して光りを増し、ドレスの裾が水中に広がるフレアのように優美に伸びて形作られてゆく。
「素晴らしい…! 何と美しい…」
(ああぁぁっ!!)
 灼けつく激痛に仰け反った。
 ワイヤーの端々がめいめい床に踊って音を立てる。
(外して! 助けて! ここから出して!)
 ワイヤーに戒められた全身を突っ張らせて、みなもが呻く。
「永遠の命を手に入れられるのだ! 何が苦痛なものか!」
 叱咤するよう男が叫ぶ。
「永遠の命と、美を! …私の人形…私の天使…」
 透明な棺の中でみなもの五体は透けるドレスごと輝いていた。
「いよいよ完成する。私の研究の集大成だ」
 男は宙吊りの棺の中、四肢を大きく広げたみなもを恍惚と仰いで讃嘆し、
「これぞ全き身体。王の娘。プリンセス…単なる王女の意ではない。神の国の王…神の王により永遠に尽きることない命を約束された12人の娘たち…!」
 少女が光り輝く祭壇へと男は腕を広げた。
「歌いなさい、私の娘たち。新たな娘の誕生を、頌めよ、讃えよ!」
 聖堂に人形たちの歌声が起こった。

 ――聖なるかな 聖なるかな 聖なるかな――

 反響する歌声が、聖堂内に満ちてゆく。




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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【1252@TK01/海原・みなも/女/13/女学生】
東京怪談ノベル(シングル) -
工藤彼方 クリエイターズルームへ
東京怪談
2019年02月28日

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