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『花がまだ2人の影を残すから 』
ミアka7035

 その日のミアは早起きだった。
 もともと朝日が昇ったら取りあえず目が覚めるタイプではあるが、今日はまだ空が白んだうちからごそごそとキッチンを歩き回る。
 ちょっと眠気は残るけど、鼻歌交じりにボウルの中身をかき混ぜていれば気分は上々。
 なんたって、今日は年に一度のバレンタインなのだ。

 まずは家族や友人用。
 温めた生クリームとチョコをせっせせっせと混ぜ合わせ、下地を作ったらあっちのボウルにはアプリコットのジャム。
 こっちのボウルにはアップルシナモンのジャムを加えて、型に流して冷めるのを待つ。
 
 その間にサーカス団の仲間用を。
 団長さんにはさっきのガナッシュ生地にアールグレイのフレーバーを混ぜ込んだ特製品と、燻塩とナッツの香りが香ばしいなめらかプラリネ。
 お酒に強い副団長には苺&ワイン、バナナ&ラムを混ぜ合わせた2種類のキューブチョコ。
 お姫様には小粒で可愛いホワイトチョココーティングの金平糖。
 
 短時間で手際よく沢山のチョコを作っていくのは彼女自身のキッチン慣れのおかげもあるのだろうが、もうひとつ大きな理由がある。
 仕込みを終えてチョコが固まるのを待っている間に、新しいボウルでチョコレートケーキの生地を作る。
 ブルーベリーとスライスした林檎を中に落としてざっくりと絡めるようにまぜまぜ。
 先にスライス林檎をパウンドケーキの型に敷き詰めて、途中にブルーベリーの層を作って彩りを。
 最後に上から残りの生地を流し込んで、オーブン焼けば――特製ガトーインビジブルが完成!
 ナイフを入れれば、チョコレート生地と林檎の層の間に甘酸っぱいブルーベリーの層がのぞく。
 
 キッチンがお菓子の匂いに包まれたころ、陽はすっかり空で輝いていた。
 まだまだ空は遠いけど、澄んだ青が気持ちのいい晴れ模様。
 みんな、喜んでくれるかニャ……他のチョコレートと一緒にそれぞれラッピングも済ませると、ミアはキッチンを飛び出した。
 
「えへへー♪」
 零れ落ちそうな笑顔を浮かべながら、ミアはぴょこぴょこと通りを歩いていた。
 オレンジ色に染まる空の下、煉瓦造りの道でステップを踏めば、その度に鼻先からメロディーが溢れる。
「みんな喜んでくれたニャア。笑顔もいっぱいで、ミアも心が満腹ぷくーニャス♪」
 軽くなったバスケットの代わりに幸せで重くなった胸に手を当てながら、ふふんともう一度笑みを浮かべる。
 あとは最後に残ったひとつ――ガトーインビジブルをあの人に渡すだけ。
「うーん……結局最後になっちゃったニャスね」
 頬に手を添えながら、ミアはどこか不思議そうに首をかしげた。
 なんとなく手渡しにこだわる彼女が、すぐに渡せる人から順に渡して行ったら、結局こうして後回しになっていった。
 もちろん、きっと今日だって忙しいだろうから遠慮した気持ちがちょっとはある。
 だけどそれ以上に、きっと今日という日のピークである日中に彼に会いたくない、という気持ちが心のどこかにあった。
 もしも他の誰かが渡しているところに出くわしてしまったら――それどころか、彼が沢山の女性に囲まれていたら。
 もちろん仕事上の付き合いとしての義理チョコが大半を占めていることだろう。
 そんな「大半」の中に自分のチョコも一緒になってしまうのが嫌だった。
「……ニャ?」
 ふと傍らの花屋に目が止まる。
 店主が閉店作業で外に並べた鉢植えを店内に移動させる中、ぽつんと最後に残った花瓶の花――マリーゴールド。
 夕焼けによく似た色の、フリルみたいな花弁が、まだまだ寒い木枯らしの中で揺れていた。
 ミアはそれを見ていたらなんだか胸が熱くなってきて、ふらりと花屋の店先に足を向けていた。
 
 商工会館の廊下で、ミアは壁に寄り掛かったままぶらぶらと足を振り子みたいに揺らしていた。
 やっとの思いで尋ねたところ、会館の受付のお姉さんに「外出中です」と言われたミアは、仕方なく待たせてもらうことにした。
 待つことは嫌いじゃない。
 もちろん、何を待つのかにもよるけれど――それが大事なものであればあるほど、出会えた時の喜びのひとしおとなるから。
 何度となく目を向けた廊下の角に彼の姿が見えて、ミアの心はぱーと晴れ渡る。
 彼――エヴァルドもミアの姿を見つけるとゆったりと歩み寄って、それから恭しく頭を下げた。
「すみません。お待たせしてしまったとうかがっています」
「ううん、大丈夫ニャス! こっちこそ突然押し掛けちゃったから……」
 いつも突然だけれど――それは飲み込んで、ミアはぶるぶると首を振る。
「お仕事ニャスか?」
「ええ。今日は飲食業のかき入れ時ですから、あちこちのお店でキャンペーンをしておりまして……すべてに顔を出すだけで1日が終わってしまいましたよ」
 よろしかったらいかがですか、とエヴァルドは手にした紙包みの中からラッピングされたチョコレート菓子の山を取り出して見せる。
 それらは彼に宛てられたというよりは量産された「商品」らしいもので、おそらく足を運んだ店々でお土産として持たされたのだろう。
 どこか燻ぶっていたもやもやが溶けていったような気がしたミアは、いくつかの菓子を受け取ってバスケットにしまうと、代わりに自分のプレゼントを彼へと差し出した。
「ハッピーバレンタイン♪ いつも遊んでくれるお礼ニャス!」
 彼は差し出された小包をちょっと驚いたような顔で見て、それからにっこり笑って受け取った。
「ありがとうございます。とても嬉しいです」
「焼き菓子だから、早めに食べるニャスよ」
「ああ……でしたら、ここでいただいてもよろしいでしょうか?」
 エヴァルドは紙包みを足元に置くと、ラッピングを解いて中のガトーインビジブルを取り出す。
 指が汚れるのも構わず、だけどもどこか上品な仕草で口に運ぶと、ゆっくりと咀嚼した。
「とてもおいしいです。甘酸っぱさが疲れた身体に沁みますね――」
 言いながら切り分けられた1個をぺろっと食べてしまった彼の姿を、ミアはぽーっと眺めている。
 喜んで食べてくれるのはもちろん嬉しい。
 けれどもケーキを食べるその手を見て、ふとあの冬の夜のことを思い出す。
――将来のため。
 彼はミアの手を取りながらそう言った。
 嫌がったり悪気があったわけじゃない。
 彼は心からそう思い、あの時ミアの手を離したのだ。
 だけど温もりが離れていく感覚が指先に残っていて、何度となく切なさが胸を絞める。
「あっ……このお花も良かったら。執務室に飾って欲しいニャス」
 ふと思い出して、一緒にバスケットにしまっていたマリーゴールドを彼へと差し出した。
 彼は嬉しそうに受け取りながらも、どこか申しわけなさそうに頬を掻いた。
「聖輝節から貰ってばかりで、なんだか申しわけないですね……ホワイトデーにでも何かお返しをしなければなりません」
「ミアが好きでやってることだから良いニャスよ! あっ……好きってのは、ミアがそれをするのが好きって意味で――」
 言い直す必要なんてないのに、なんか恥ずかしくなって言い直してしまった。
 けれどもエヴァルドが可笑しそうにして笑っているのを見たら自分もおかしくなって、釣られてきゃらきゃらと笑っていた。

 彼の将来にミアが映っているのかは分からない。
 だけどもミアは将来も彼とこうして笑っていたい。
 今は会えない自分の代わりに、マリーゴールドが彼の傍で咲いてくれるだろう。
 
――了。

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【ka7035/ミア/女性/外見20歳/格闘士】
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ファナティックブラッド
2019年03月06日

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