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『魔女のキャンバス』
松本・太一8504


 幽霊やら宇宙人やらを扱う番組で、歌い、踊り、司会をこなす。そんな彼女をテレビで見ながら、私は思ったものだ。
 この人のようになりたい。なって見せる。
 そう決めた私は、高校在学中から芸能界を目指した。
 顔を美しくするのは難しい。ならば、首から下を美しくするしかない。
 そう思って、私はひたすら身体を鍛えた。人様に見せられる、お腹と太股を作り上げるためにだ。
 甲斐あって、私はとある芸能事務所に滑り込む事が出来た。面接時の自己アピールでは、正拳突きでレンガを割った。
 初めてもらった仕事は、ヒーローショーの戦闘員だった。
 そのうち、怪人を演らせてもらえるようになった。
 焦るまい、と私は思う。
 ひとつひとつ、着実に堅実に仕事をこなす。人目につかぬところへ足跡を残しながら、あの人に近付いて行くのだ。
 今回は、念願の……と言うべきであろうか、顔出しの仕事である。
「え……これ、着るんですか?」
 目の前に差し出されたものを、私はまじまじと見つめた。
 この度の私の役は、勇者である。
 ヒロイックファンタジー風、を売りにしているテーマパークで、最近は客足が思わしくないので1つ派手なアトラクションを、という話なのであるが。
 勇者の役と聞いて私が思い浮かべたのは、昔ながらの水着鎧である。だが今、私の目の前にあるのは。
「これ、ガチの全身甲冑じゃないですか……」
「ちょっとね、本物感を出したかったのよ」
 パークの支配人である女性が、ころころと笑う。
「これを着て動けるような人、貴女しか思い浮かばなかったから。男装の女勇者という事で……じゃ、お姫様役の人と顔合わせをしてもらうわね」
 支配人に呼ばれて入って来たのは、お姫様役の、女優……ではなく1人の冴えない感じの男だった。
 30代、であろうか。これほど貧相な男を、私は見た事がなかった。
「松本太一と申します」
 男が頭を下げた。私もとりあえずは名乗り、一礼し、そして支配人に小声で問いかけた。
「あのう……この人が、お姫様って」
「イケメンの男の子が勇者、可愛い女の子がお姫様。そんな当たり前の演し物じゃ、お客様も面白がってくれないわ」
 支配人の口調が、熱を帯びる。
「私はね、お客様どなたもが隠し持っておられる異性装への願望を、大いに刺激するイベントをやろうと思っているのよ。そのための人材、貴女と松本さんしかいないわ」
 言葉の間にも松本太一氏はスタッフ数名によって、床屋の椅子のようなものに座らされ、拘束されてゆく。
 諦めたような松本さんの横顔に、年齢が滲み出たように私には見えた。この人は恐らく、40歳を越えている。50に近いのではないか。
 この人が今から、お姫様への女装を強いられる。
 私は思った。
 戦闘員や怪人が、ヒーローを引き立てる。それと同じく私が勇者として雄々しく格好良く振る舞う事で、女装した中年男性を儚げでたおやかなお姫様として演出して見せるしかない。
 それにしても本当に、見るからに貧相な男である。中年太りしていないのが、まあ救いではあった。痩せた身体は、お姫様抱っこをしてあげるには都合が良い。
 疲れ果てた横顔には、年齢だけではない、様々なものが滲み出ている。
 私は確信した。この人は、私のような芸能関係者ではない。普通のサラリーマンだ。
 年下の上司にこき使われて西へ東へと奔走する松本さんの姿が、私には見えるような気がした。
 このテーマパークと取引関係のある企業に勤めているのだろう。何かのしがらみで、こんな仕事を押し付けられたに違いない。
 取引先の支配人に、女装をさせられる。
 これはもう仕事ではない、単なるパワハラではないのか。
 憤り始めた私の視界内で、松本氏のくたびれ果てた顔が、化粧で塗り潰されてゆく。
 女支配人の綺麗な手が、様々なメイク用品を操っていた。まるで熟練の外科医がメスを振るうようにだ。
 私は息を呑んだ。これは化粧と言うより、整形に等しいのではないか。松本さんの顔が切り刻まれているわけではないのだが。
 いささか薄くなっているか、と思われる頭には、作り物の金髪が被せられる。
 被せられた瞬間、それは作り物ではなくなった。活き活きと自然な色艶を有する、まるでハリウッド女優のような金髪がそこにはあった。
 疲れきった中年サラリーマンの横顔は、もはやない。あるのは、うら若き眠り姫の美貌。
 上司の命令で東奔西走する営業マンの姿は、見えなかった。
 見えるのは、蝶よ花よと育てられてきた姫君の、高貴で優雅な暮らしぶりである。
 松本太一氏の、これまでの人生すら変わってしまったのだ、と私は思った。
 この女支配人は一体、何者なのか。
 1人の人間の、過去すら作り変えてしまう。魔女か何かだとしたら、このテーマパークにふさわしいとは言える。
「私はただ、お化粧をしているだけ……私が魔女の端くれなのは確かだけれど」
 思いを、読まれた。
「貴女なら、わかるのではないかしら。この松本太一の、素材としての優秀さを」
「た……確かに……」
 私は思う。
 松本太一という人の、貧相で特徴のない顔なればこそ、ここまでの美貌に仕上げる事が出来るのだと。
「この男はね、真っ白なキャンバスのようなもの……どんな絵でも描く事が出来るわ。今回はお姫様、だけど邪悪な魔女や女魔王、獣人の牝、天使や妖精や人魚なんかも充分いけるわ。何にでも成れるのが、この松本太一という素材よ」
 胸骨の形が見て取れる平らな胸に、パッドが装着される。
 その上から、ランジェリーとドレスが巻き付けられてゆく。
「……人魚や天使は当分、ご勘弁願いたいところです」
 言いつつ松本さんが、おしとやかに立ち上がった。
 完璧なお姫様が、そこに出現していた。
 私より綺麗、などと失礼な事は言えない。
 あの人より美しい。本気で私は、そう思った。
「よろしくお願い致しますね、勇者様」
 松本さんが、ドレスのスカートをつまんで膝を折り、娘役のように一礼する。
 仕草を矯正するギプスも必要ない、姫君として非の打ち所ない身のこなしである。口調も女性そのもの、変声機か何かで高さを調整すれば、街中でガールズトークをしても男と見破られる事はないだろう、と私は思った。


 まずは乾杯をした。
「ええと……貴女、年齢は」
「こないだハタチになりました……」
 松本さんの問いに答えながら、私はビールを呷った。
 とある居酒屋での、ささやかな打ち上げである。アトラクションは大盛況で、支配人が特別手当をくれたのだ。
「アイドルって皆、下手すると小中学生の時から活躍してますよねえ……私とうとう、十代じゃ芽が出ませんでしたぁ……」
「出ているじゃありませんか」
 松本さんが、微笑んだ。
「貴女は、これからいくらでも綺麗になる花を咲かせていると思いますよ」
「松本さぁん……」
 泣きじゃくる私に、松本さんがビールを注いでくれた。
 私は確信した。この松本太一という人は、私の知らない、知る人ぞ知るベテラン名優であるに違いない。芸能界は広い、このような人はいくらでもいる。
 私の目標は、あの人である。それは変わらない。
 あの人に近付くために、この松本さんを目標にする。私は勝手にそう決めていた。


登場人物一覧
【8504/松本・太一/男/48歳/会社員・魔女】
東京怪談ノベル(シングル) -
小湊拓也 クリエイターズルームへ
東京怪談
2019年03月06日

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