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『八重の予感 』
日暮仙寿aa4519)&不知火あけびaa4519hero001

 とある私立大学の中庭に立つ日暮仙寿。
 彼は四月の日ざしに照らされる校舎を見上げ、万感を乗せて息をついた。


 王との決戦が終わった二月。余韻を噛み締める間もなく、彼は気づいてしまったものだ。
「仙寿……大学の入試日まで、あと何日あるっけ?」
 思うよりも早く、彼唯一の契約英雄であり、無二なる恋人である不知火あけびが青ざめた顔を向けてきたわけだが。

 ちなみにふたりが受験する私立大学は、日暮邸から歩いて通える距離にある。そしてそれだけでなく、日暮家そのものとも深い縁があった。
 剣術指南役としての日暮が剣を手解いてきた某藩の武家、その血筋を引く男子は日暮家に寄宿しつつその大学へ通い、同時に剣を学んできた。戦後、共学となった後もそれは変わらず、多くの先達の姿を見てきた仙寿は大学に行くなら自分も――と、なんとなく決めていて。
『家から通えるのは便利だけど、それだけで決めちゃっていいの?』
 決戦前の秋、仙寿の大学進学の意志を聞いたあけびは小首を傾げて訊いた。
 対して仙寿はかぶりを振る。
『それは決め手のひとつだけど、それだけじゃないさ。法学部に、教えを受けたい教授がいるんだ』
 法学を学ぶことは、仙寿の新たな目標だった。
 戦いが収まり、異世界との繋がりが今度も保たれるのならば。それは人と英雄が憎悪や悲哀ならず、真っ当な出会いによって繋がれる未来が来ることとなる。しかし、共通の敵を失えば、剣によって解決しえない数多の問題も起こるだろう。
『そういうときに備えて、今から法学をしっかり学んでおこう、ってな』
『そっか』
 あけびは未確定の未来を信じて踏み出そうと決めた仙寿の意志を受けてうなずいた。
 王の消滅で消えるかもしれない英雄という存在。
 その可能性を静かに受け容れていた自分は、ある意味で仙寿に思い出を残そうとしてきたように思う。いつ私がいなくなっても、仙寿の“これから”を支えてくれるよすがを……
 しかし。仙寿があけびの存在し続ける未来を疑わずに行くならば。
 私はもちろん、そのとなりにいるよ。
 だから、あけびもまた決めたのだ。
 果たして締め切りを過ぎているセンター試験に、H.O.P.E.の特別対処で願書をねじ込んでもらった。
 忍に暗記は必須能力だったから、最大効率を意識して過去問をなぞり、目ざす大学の受験資格を得た。
 実際のところ、日暮の伝手で推薦枠をもらうことも可能だっただろうが……それを使わなかったのは、ただでさえ日暮の内で風当たりの強い仙寿に、これ以上の弱みを背負わせたくなかったからだ。
 実際に仙寿は決戦や大学受験のみならず、日暮の裏を巡る問題と対することを強いられていた。
 しかしその中で、彼はその問題から、思わぬ形で解放されることとなる。

『それはもう確定か?』
『そうですねー。若じゃなくってご当主が我儘を押し通すってんですから、家人にできることなんてもう、旦那はんにはついてけませんよって辞めさせてもらいますーしかないでしょ』
 家人のひとりであり、仙寿の側付を務めてきた狐目の女が肩をすくめて応えた。
 暗殺稼業を請け負う日暮の裏、その内で特に技と業とに長けた女子“六刃”の筆頭である彼女は、仙寿の子を成すことを定められた“嫁”のひとりであった。
 が、父から正式に日暮を継いで当主となった仙寿はその因習を断ち、裏稼業を廃して表稼業の剣術道場のみを繋ぐことを決めた。彼女も嫁や暗殺者ではなく、ただの家人として勤めることを言い渡されていたのだが。
『ちょうど古龍幇さんからお声がけいただいてますしー、わたくしども丸っとお世話になろっかなーと』
 知らなかった。すでに他の組織が接触してきているなど。いや、当然か。仙寿が“裏”にとって当主ではないのだとすれば、知らされるはずもないのだから。
『あ、お年寄りの方々は連れてきませんよ? ですんで、そっちはなんとか説得とかがんばってくださいねー』
 今なお裏の古参は仙寿と先代を追い回し、糾弾を続けている。ここまで骸を積み上げ、それを踏みしだいて登り来た日暮の赤き歴史を、何食わぬ顔で蹴り崩そうというのか。それを為すことばかりを仕込まれ、行ってきた我らの生からすべてを奪おうと。
『それは俺の責任だ。逃げ出すつもりも投げ出すつもりもない』
 仙寿は言い切り、そしてためらった後、言葉を継いだ。
『責任があるのはおまえたちにもだ。最後まで俺は』
『全部思い通りに手に入れようなんて甘すぎでしょ』
 仙寿の誠実をばっさり切り捨て、女は狐目と声音をゆるめ。
『過去の罪と向き合うなんてね、その罪からしたらいい迷惑なんですよ。そんなことしてもらうくらいなら、さくっと置いてってもらうほうがマシってもんです』
 へらへらと仙寿の肩を叩き、脇を通り過ぎる。
『そう言われてもご当主が置いてけないのはわかってますから、わたくしどもが出て行くんですよ。ですんで、気にせず行っちゃってください。大好きな明ける日さんといっしょに、明るい未来へー』
 このまま彼女は、裏の者たちと共に去るのだろう。背負うにはあまりに重い日暮の暗がりを引きずって、それでも飄々と。
『……あの人、仙寿の決定に反対してる人たちのことまとめてくれたんだよ』
 消していた気配を顕わし、あけびが仙寿に告げた。
 狐目の女が日暮の裏で行っていた工作。それは常には言の葉を、時に刃をもって、仙寿に仇なそうとしていた強行派を抑えてまとめあげて古龍幇へ渡りをつけることだ。
『俺の未熟の尻拭いをさせてしまったんだな』
 たまらない寂寥と自責が仙寿の胸を突き上げる。しかし、それを露わしていい資格が自分にないことを仙寿は誰よりも理解していたから、ただ強く歯を噛み締めた。
 そしてこの事件の原因のひとつであることを自覚しているあけびもまた、なにを言うべきか決めかねて、立ち尽くすばかり。
 だが。
『今は見送る。でも遠くない先、かならず皆を迎えに行くぞ。ふたりで』
 仙寿はあけびの手を取り、低く決意を告げた。
 置き去りになどしない。まっすぐ向き合って、その上でさらに進む。幾度となく据えてきた意志を、自らの胸中ではなく、あけびへと重ねる仙寿。それはあけびが自らと共に在り続ける片翼と認めるからこその我儘だ。
『もちろん』
 これはもう、消えちゃうわけにいかないよね。
 王を倒して、私はこの世界にしがみついてでも残ってみせる。
 仙寿の我儘を仙寿に貫かせたいから、私は私の我儘を貫くよ。……あの人の想い、気づかなかったふりで「丸っと」無視させてもらうのも含めて、ね。


「若様! もうお戻りになられるのですか!?」
 うららかな春の陽気を引き裂く若者の声音。見れば後ろから、同じ大学の三年生が手を振っていた。当然のごとく、日暮に寄宿する大学の生徒で、門弟のひとりだ。
 そして今、仙寿は若い門弟や知り合いから「若様」と呼ばれている。去年あたりに発覚したあだ名が元になっているのだが、知られた途端、あっという間に広まった。引退したとはいえ父は健在で、道場でも稽古をつけているから、当主呼びよりもしっくりくるのはわかる。
 そういう理由から甘んじて呼ばれているわけだが、なぜだろう。皆が皆、やけに古風な物言いになるのは。
「いや、四限まで授業が入っているから、そちらへ出て夕方に戻る」
「ではそれまでに基礎稽古は終えておきますゆえ、掛かり稽古をお願いいたします!」
 一礼して、三年生は向こうで待つ仲間の元へ戻っていった。やたらといじられているのは、どちらが上級生か知れない有様がおかしかったからだ。
 このあたりは仙寿が入学してひと月弱、毎日のように繰り広げられている情景なので、そろそろ馴染んでほしいところではある。
「道場じゃ生徒でも学校じゃ先輩でしょ? 丁寧語使ってあげたらいいのに」
 横から伸びてきたあけびの指先が仙寿の肩をつついた。
 今回に限っては別に隠れていたわけではなく、仙寿と待ち合わせていたところに現われただけのことである。
「うまく気持ちを切り替えられないんだよ。知ってのとおり不器用なんでな。……でも、先々道場の門を広く開いていくなら、そうも言ってられない」
 門下生を募れば、当然のごとく歳上の者が含まれることになる。古くからの関係性というもので結ばれていない彼らへ技を託すには、こちらが彼らを尊んでいることを知らせる礼節が必要となる。軽んじられていると感じれば、こちらの要求に応えてもくれないのだから。
 いや、それは歳下の者にも同じだな。
「少しずつ慣らしていくか。やわらかく、笑みをもって、礼を尽くす」
 口の端を吊り上げてみせた仙寿は、ふと。
「あいつはうまくできてたか?」
 天使であり、あけびの師匠である剣士。仙寿とほぼ同じ名を持ちながら遙かな剣の高みにある男の名を出す。
 唐突な問いに、あけびはきょとんと眉根を跳ね上げて……じわりと眉根を下げた。
「できてたって思う?」
「思えないから聞いてるんだろ」
「だよねー。うん、それが答だよ」
 戦いを終えた後、あけびは微量ずつながら記憶を取り戻していた。そのほとんどが師匠のことで、おかげで仙寿は全力で平静を装わざるをえない状況なのだが、ともあれ。
「お師匠様は厳しかった。すごく丁寧に指から肩まで、全部の骨折っておいて『これで余分な力は抜けるだろう』とか言って。教える才能は正直ないんじゃないかなぁ」
 剣を繰るには右よりも重要となる左手を見下ろして苦笑するあけび。
 仙寿も同じような体験は数え切れないほど重ねていたが、それにしても。
「俺だって体へ叩き込まれた経験しかないし、そもそも古流ってやつはその気が強いからな」
 言葉では説明できるが、その言葉が相手に染みこまない。ならばとやってみせたところで、相手はそれをなぞれない。相手に最低限、武器を振る心得があってくれれば話もちがうのだが、門戸を開くということは、本当に大変なことだ。
「法だけじゃなくて、教えかたも学ばないと」
 苦い顔で己の内に新しい課題を積む仙寿のとなり、あけびはうんうん、したり顔をうなずかせた。
「いくつになっても、どんな状況でも学びは大事だよね。最近特にそう思うよ」
 どことない余裕に、仙寿は苦笑する。
 文学部に入学したあけびは、二年進級時に行動科学コースを専攻するつもりだという。行動科学を平たく言えば、人という生物が形成する社会という場や、その内で為す行動についての総合学問となる。そしてそれは、社会の狭間を行き交い、人の有り様を読む忍には親しみのあるものだと言えよう。
「とにかく! コース選択の都合もあるし、一年生のうちに取れるだけ単位取っちゃわないとね!」
「ああ」
 うなずいた仙寿に合わされたあけびの視線が、ついと横を向く。
 釣られて彼が同じほうを向けば、雪のごとくに花弁を散らす染井吉野が立ち並んでいた。
 この桜――いったいどれだけの入学生を迎えて、卒業生を送り出してきたんだろうか。
「染井吉野が散ったら、八重の咲く時期が来る」
 そうしたら、あいつはこの世界に顕われるんだろう。俺との決着をつけに、非情の剣を携えて。
 それが終わった後、俺は散り終えた葉桜に迎えられるのか、それとも土に染みた花弁にくるまれて送り出されるのか……。
「私たちはいろんなことを学んで、乗り越えてきた。それをお師匠様に見せよう」
 思いに沈む仙寿をあけびの言葉が引き上げる。
 ああ、そうだな。
 俺はもう、あのときの俺じゃない。
 俺たちはもうあのときの俺たちじゃない。
 だけど、頂にいるおまえにはもう、登る先がないだろう?
 俺たちがどこまで登れたのかを、おまえっていう頂で測らせてもらうぞ。技を尽くし、命を賭けて。
「頂に立つすまし顔を飛び越えて蹴り落としてやる。ふたりでな」
 俺だけなら届かなくても、あけびとなら届く。比翼連理の翼でおまえにまで。
「いろいろ決心したところでお弁当食べちゃおう! 三限めが始まっちゃう」
 あけびに急かされ、仙寿はベンチへ向かう。
 そもそもここへ来た理由は、学部ちがいのあけびと待ち合わせて昼食をとるためなのだ。
「夕稽古が終わったら知り合いの剣道道場に連絡して、あちらの許可が取れれば話を聞きに行く。道場運営のコツを少しずつでも学びたいからな」
「了解!」
 かくて仙寿とあけびは行く。
 後ろ髪にまとわる決闘の予感を、今このときには振り切って。


━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【日暮仙寿(aa4519) / 男性 / 18歳 / かわたれどきから共に居て】
【不知火あけび(aa4519hero001) / 女性 / 20歳 / たそがれどきにも離れない】
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2019年03月07日

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