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『シベリアの伝言 』
日暮仙寿aa4519)&不知火あけびaa4519hero001

「どうだ!?」
 キッチンの内、白く汚れた作務衣をまとう日暮仙寿が、同じく白汚れをつけた和装姿の不知火あけびへ詰め寄った。
「まだ食べてない! ……なんで仙寿はお菓子のことになるとこう、子どもっぽいかなぁ」
 ぶつぶつ言いながら、皿に乗せられた四角い菓子を見やる。
 二枚のカステラの間に羊羹を挟んだ、和とも洋ともつかぬ菓子。話によれば、明治の終わりから大正の初めの間に生み出され、昭和の初期には子ども人気の最高位を勝ち取ったという“シベリア”だ。
 あけびは竹楊枝でひと口分を切り、その感触を確かめて。
「カステラしっとりだね。蜂蜜の量増やした? 羊羹はちょっとやわらかめで、なめらか食感重視って感じだね」
 いざ、実食。
「おいしいけどっ! 甘いー!」
 あわてて水を口に含んで甘みを洗い流し、あけびはそれでも収まらずにぱたぱた足踏みする。
「味のまとまりを考えて甘くしてみたんだけどな。生地に粉感を残したくないから、そっちはそのままにするとして、変えるなら羊羹か」
 仙寿はトレーの内から残りのシベリアを外し、細めに切り分ける。
 彼自身が師範を務める剣術道場で、稽古の後、門弟に配るつもりなのだろう。いくら疲れた体には甘いものがことさら染みるとて、連日シベリア続きというのはなかなかの苦行だろうが。
「あけび、生地を作りなおすから手伝ってくれ」
「はいはい」
 材料を準備しつつ、あけびはふと顔を上げ。
「羊羹がカステラに染みてるほうがいいんでしょ? さっきのは生地の目が細かすぎて、うまく染みてなかった気がする」
 指摘された次の瞬間、仙寿はひと切れ取り上げ、すがめた目をシベリア全体にはしらせ、奥歯をギリリと噛み締めた。
「……俺は小手先に捕らわれて、シベリアの本質を見失ってた」
 膝までついてしまう彼の様からそっと目線を外し、あけびは胸中で苦笑するのだ。
 男って、すっごくめんどくさくて、すっごくかわいい。

 あけびの剣の師匠にして仙寿の宿縁の天使がいる。
 彼との決闘の時が近づく四月後半、仙寿は濃密な大学生活と師範生活の合間を縫い、シベリアの試作を続けていた。
 二枚のカステラ生地に間に染み入って繋ぐ羊羹。それはあけびという存在によって繋がれた仙寿と天使を象徴する菓子で、だからこそ仙寿は最高の一品をこしらえようとしているわけだが。いざ作り出すとなかなかに味が決まらず、悩み続けているのだった。
 ちなみに、菓子作りは正確な計測――黄金律的な配合が味の九割を決める。几帳面な仙寿はすでにこの九割をクリアしている。残る一割になにを込めるかは作り手によってさまざまだろうが、仙寿はここに心を求めた。
 天使に伝えたい。ここに在る自分と彼との宿縁を。それはけして辛い(からい)ものでも辛い(つらい)ものでもなく、甘やかなものであるのだと。宿縁の相手とは、赤とはまた異なる色で染められた糸で結び合わされた、無二の存在なのだから。
 が、そうであればこそ、難しい。
 闘志、感謝、決意――伝えたい気持ちばかりが先走り、勢い、甘みを増してしまうのだ。
「甘さは少し控えめにしたほうがいいとは思うけど、あとは味じゃないんじゃないかなぁ」
 あけびは粉を入れたボウルをにらみつける仙寿へ声をかけた。
「? どういうことだ」
 とん。顔を上げた仙寿の胸元に人差し指を突き立てて、あけびは笑む。
「気持ちはもういっぱい入ってる。だって、これをお師匠様に渡すんでしょ」
 とまどう仙寿。彼にとってそれは指摘されるまでもないことだ。しかし。
「それって、殺す気も死ぬ気もないってことだよね」
「……俺は命を賭けてあいつと対するけどな」
 思い至ると妙にはずかしくて、一応抵抗を試みるが。
「命をやりとりしようって人は、敵のためにこんな甘いお菓子作らないと思うけど?」
 見透かされ、あっさりと返り討ちにされた。
「仙寿はこの闘いの先を考えてくれてる。それがすごくうれしい」
 あけびは粉まみれの仙寿の胸に自らの背を預け、言葉を重ねる。
「ひとつだけ気になることがあるの。お師匠様に私のこと、どう伝えたい?」
「あけびのこと、か」
 仙寿はあけびの肩を抱き、苦笑した。
「どう伝えればいいのか悩んでる。でも、なんでだろうな。気がつくともっとなめらかに、もっとしなやかに、もっと甘く、歯ごたえはあるのにやわらかく。そんなことばかり考えながら餡と寒天に向かってる――って、なんだよ。足踏みなんかして」
 気がつけばあけびの足は交互に跳ねていて。仙寿からは見えなかったが、その顔は赤々ととろけていた。
「仙寿はもうちょっと言葉選ぼう!? さすがにそれは欲目すぎでしょー!」
 そんなあけびに仙寿はかぶりを振って。
「欲目? 俺にはあけびがそう見えてるんだよ。あけびは自分のことどう思ってるんだ?」
「そこで追い討ち!? しかも訊いちゃう!?」
「言わなくてもわかるだろうっていうのはやめた。訊かない内にわかったふりをするのもな。だから全部言うし、訊く。おまえとのことだけは間違えたくないから」
 と、仙寿は眉根を下げた。
「あけびは言われたり訊かれたりしないほうがいいのか?」
「そうじゃないけど……ちょっと、刺激強いっていうか……」
 息も絶え絶えに訴えるあけびを離さず、仙寿はごく真面目な顔をして。
「気になることがあればなんでも言ってくれ。察しが悪いのは自分がいちばん知ってる」
 あああああ、そうじゃないけどそれ! 仙寿っていろいろ鈍いけど、自覚しちゃって素直鈍くなるとか、どこまで若様道極める気!?
 男っていうか仙寿! すっごくめんどくさくてすっごくかわいくて、すっごくずるい!
 膝から崩れ落ちかけて支えられ、さらなる混迷の淵へと蹴り落とされるあけびだった。


 いろいろとありながらもシベリアの試作は続く。
 とはいえ下に敷いたカステラ生地へ溶かした羊羹を流し乗せ、もう一枚のカステラを重ねて冷やす工程が必要となるだけに、配合を変えたいくつかを作ってしまえば待ちの時間が生じる。
 その間に仙寿とあけびは道着へと着替え、素振りなどにも利用する庭で向き合っていた。
「背はあいつのほうが高い。同じ小烏丸を使っても、リーチの差は歴然だ」
 守護刀「小烏丸」と同じ長さに削り整えた木刀を正眼に構えた仙寿。
「普通に考えたら、その長さを持て余すように懐まで跳び込むべきなんだけど」
 言いながら、同じ仕様の木刀を脇に構えたあけびが踏み込み、ゆるやかに斬り上げる。
「古流ってわけじゃないんだろうが、あの肘打ちは厄介だな。柄打ちと組み合わされて、そのまま巻き取られる」
 仙寿もゆるやかにあけびの剣先を鎬で受けて流し、腕を巻き取って肘打ち、押し離して額へ柄打ちを、それぞれ寸止めで打ち込んだ。
 あけびはそのまま仙寿の横へと踏み出し、ふわりと木刀を薙いで離れた。
「同じ技が二度通じないのはわかってるから、初見の技をたくさん用意していくしかないね」
 言葉に含められた意図は、それこそ言われずとも知れた。
「ひとつは歩法か」
 腰を据えて一閃にすべてを込める剣士の歩ならぬ、動き続ける中で無数に刃を振るい、その内のひとつを一閃とする忍の歩。
「うん。ただ、腰を据えてるように見せなきゃいけないし、結局は腰を据えなきゃお師匠様の守りは崩せない」
「それなら俺も思いついたことがある」
 仙寿は腰を据えずに木刀を斬り上げたが――切っ先が空に止まったときには、教本の載せたいほどの美しさで腰を据えていた。
「最後で辻褄合わせるってことだね」
 据えた腰から剣を繰り出すのではなく、膂力と遠心力で剣を振った後に腰を据え、当たる寸前に“芯”を通すのだ。
「素人には通じない小手先だが、小手先だからこそ玄人は無視できない」
 彼の天使の域に達すれば、敵の殺気には自動で反応する。その中で敵の挙動のすべてを潰し、斬り返してくる。それを逆手に取ることを仙寿は考えていた。
「最後の瞬間まで、動きはあけび頼りになるけどな」
「代わりに斬気のフェイントなんかは仙寿任せになるから、お互いにもっと息合わせないとね」
 あけびは腰を落としたまま滑るように踏み出し、なめらかに仙寿のまわりを巡る。仙寿はその歩とタイミングをずらしながら気を飛ばしてみせ、うなずいた。
「でも、これだってただの一手なんだよな……十は用意していきたいところだ」
 長い闘いにはならないはずだが、だからこそ尽くせる限りの技を携えて行かなければ。
 そうでなければ天使まで届かないことはもちろんだが、頂に挑む以上は相応の礼が必要となる。けして記念にするため来たのではないと伝えるために。
「繚乱の使いどころも考えたいかな。初手に使うのが多いけど、中に織り込んで繋ぎにしたら、その後できることがもっと拡がると思う」
「意味を装った無意味で目をくらませる手はあるか」
 思考を巡らせる仙寿に、あけびはつい笑んでしまった。
「仙寿のほうが私より忍っぽいこと考えてる」
「ん? ああ、剣に拘って勝てる相手じゃないし、それより俺とあけびで挑むんだから、ふたりでなきゃできないやりかたでかかりたい」
 息をついて、仙寿は顔をしかめ。
「結局のところ、俺は勝ちたいんだな。あいつに勝って、示したいんだ。俺のほうがあけびにふさわしいんだってことを。――いや、それだけじゃないけどな」
 もちろん仙寿の真意がそれだけでないことなどわかっている。
 それでも、真っ先にそう言わずにいられなかった仙寿の心がうれしい。
「私もお師匠様に見せるつもりだよ。この世界に来た私が、ここまでどれだけなにを重ねてきたのか、仙寿といっしょに」
 汗の浮いた仙寿の首筋に唇をつけて、思わず固まる彼からそっと離れた。
 伝えたいことがあるのに、まだうまく言葉にする自信はないから、思いきりの行動で示そう。
 ここまでしたら素直鈍い仙寿だって、言わなくてもわかるでしょ?
 立ち尽くす仙寿の背をぽんぽん叩いて再起動させ、あけびは彼の手を引く。
「そろそろ行こう。羊羹、固まってるはずだよ」


 汗を落とし、再び作業着に着替えてキッチンに戻ったふたりは、冷蔵庫で寝かせておいたシベリアを引き出した。
「カステラは粗めに焼いて、代わりに羊羹の固さを変えてみた。甘さは少し控えたが、こういう昔ながらの菓子は甘いほうがいいんだ」
 解説の細かさがまた几帳面な仙寿らしい。
 あけびはそれを聞きながら数種類のシベリアをひと口分ずつ切り、味を確かめていく。
「あ。これ、すごくいい。羊羹が染みてるし、カステラが口の中でほろっと溶けるの」
 あけびが指したのは、仙寿が最後に実験のため仕込んだ、“粗”を意識したものだった。
「さすがにそれはないだろう」
 他のものを試した後、仙寿は件のシベリアを口にした。
 実際、カステラは粗い。ぱさつくまではいかないが、水気が少なくて口に障る。しかし、そこで羊羹だ。ゆるめに固めた羊羹は粗い生地へ染み入り、自らへ強く結びつけると同時、口の中でぽろぽろ砕けたカステラへ水気ともちりとした食感を加えてみせる。まさに、他のものを圧倒するほどに完璧なシベリアだった。
 どうしてこうなるんだ? 仙寿は小首を傾げてシベリアを見た。
 カステラと羊羹、どちらも単品では出来の悪い菓子にしかならない代物が、合わさることでここまでのものとなる理由は――
「そういうことか」
 わかってたつもりなんだけどな。俺もあいつも、あけびがいて初めて自分ってやつに成れるんだってこと。逆も然りだ。俺とあいつがいて初めてあけびはあけびに成る。
「これが俺たちだ」
 深く息をついた仙寿に、あけびはそっと添い。
「うん。私は何者にもなれないけど、私たちならなんにだってなれるんだよ」
「あいつは邪魔だけどな……しかたない。決闘が終わったら、こいつを食わせてしたり顔で言ってやるか」
 おもしろくなさげな顔を振り振り仙寿は言って、あらためてあけびを抱きすくめる。
「俺のシベリアは分けてやる。ただし、俺のあけびはひと欠片だって分けてやらない」
「言うだけ言って分けてあげないとか、仙寿は欲張りだね」
 強く抱きしめ返して、あけびは仙寿の胸に顔をうずめた。
「心配しなくても私は全部仙寿のだからね。お師匠様は向こうの私に丸投げだよ」
 うまく伝えられないかもしれないけれど、これだけは言っておかなければいけないことだと思うから、言い切った。


 果たして、すべての準備は整った。
「あとは決着をつけるだけだ」
「うん」
 仙寿とあけびは心を据え、待ち受ける。
 八重の桜咲き、天剣たる男が訪れる時を。


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2019年03月07日

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