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『あるがまま 』
エルティア・ホープナーka0727

 毛皮のコートの上から風除けのマントまでも羽織っているというのに。冷気を全て遮断できるわけではなかった。
 自分で知る限り最善の準備をしたはずだが、それでも不足はあった。そのことに少しばかりの後悔をにじませながらも、マントのあわせを強くつかみ、自身をかき抱く。
 多少動きにくくなるが、体温の維持は優先だ。立ち止まって回復を待つことも考えたけれど、すぐに切り捨てる。何よりも、動き続けることを選んだから。
(止まるわけにはいかないのよ)
 後悔そのものは認める。しかしそれはあくまでも準備不足、知識不足といった自分の能力に対してのものだ。
 こうして進む事を決めた意思を自ら否定するつもりなんて無い。
 この先に在るはずのものを、己の願望を諦めるつもりは無い。
(既に山道を登っている今、成果も無しに来た道を戻るなんて。そんなの、私じゃないわ)
 己を否定する選択肢なんてものが、エルティアの中に存在する筈が無い。

 生命の足跡さえも見当たらない、つまり獣道さえも内容な場所を黙々と進む。
 頼れるのは何度も己に焼き付けた文献の言葉と、エルフという己の体に染みついたマテリアルへの感受性。それもこれだけ生命の息吹を感じられない場所となると、それが本能によるものか、ただの勘によるものか。ただこれと決めた方角に向かい、真直ぐに進んでいると信じるだけの状況で、足を進める。
 止まったら、そこで終わる。
 望みも、命も。止まらないことで、動き続けることで自身の存在を保っている。
 前に進むことだけを、その先に答えがあると信じて突き進む彼女は、ひたすらにひたむきで、純粋で……無防備だ。
 儀式めいた直進は唐突に終わる。
 足を踏み外し自然の成り行きに任せるしかなかったのは、それこそ瞬時に判断できるほどの余力もなかったから。それでも受け身をとることが出来たのは、それまでの生活で染みついた防衛本能によるものだろう。

 目が覚めたことだけでも幸運に思うべきだ。落下しながら、少しでも衝撃を緩和しようと自身を抱き込んだ時に見えたのは、視界遮る吹雪の中でも辛うじて見えた岩間と同じ、そう感じとれた場所。
「……動けるわ」
 久しぶりに自身の声を聞いた。
 身に着けた全てを失っていないことを確認して、すぐに立ち上がる。
 吹雪の中で、どうしても惹かれた何かが、視界もおぼつかない中、この歩先にあるのだと、思考よりも体が先に理解する。
 立つ為に触れた足場は、ひどくざらりとしている。岩場のような手触りで、洞窟なのだろうと見当をつける。
 ひどい痛みも無く立てたことで、身体に大きな傷がない事を知る。
 疲労は感じるが、それはもう今更だ。
 少しずつ視界が暗闇に慣れてきたように感じながらも、先を急ぐ。
 気配は動いていないのだから、逃げられることはないだろう。
 ただ、早く見出したい。それだけを願って先へ奥へ進んでいく。

 微かに見えた光に、洞窟の終わりを知る。
 逸る足を精神力で押さえつけながら、同じ歩幅で歩み続ける。
 吹雪の中を進むときと同じように、着実に進んでいると、その実感を確かに噛みしめながら。

 小部屋と呼ぶにふさわしい空間全てに氷が張り巡らされている。
 立ち止まったのは一瞬。
 すぐに進むべき中央へと進めば、唯一の氷柱がより深く見通せる。
 天井から床まで途切れずに立つその柱には、この部屋を書庫と見るために必要な要素、つまり本が封じられていた。
(氷だけでも十分ではないのかしら)
 氷の中で眠るその本には、厳重過ぎるほどに鎖が巻き付けられている。
 あまりの透明度の高さゆえに触れられるような気がして、本そのものに傷みや破損がないのだろうかと確かめたくて手を伸ばせば。
「っ!」
 腕を這うような感触。身を引いて、本にのみ向けていた視線を下ろせば夜を思わせる黒い靄。確かな実体で触れられたはずで、出所を辿れば、先ほどまでは感じられなかったそれが眠る本を中心に、氷の表面を這うように薄く、張り巡らされている。
「護っている……?」
 確かな感触に、こちらへの害意は感じられなかった。今もどこか迷うように、姿を現したままの靄に視線を向け続ける。
「……私は、本が脆くなっていないかどうか。それが知りたかっただけ」
 離れずに留まったままの自分。様子を伺われているのかもしれないと、感じたままに呟いてみる。
(文献通りなら……)

 敵対する気はないのだと、何も持っていない手を再び、眠る本の近くへと寄せる。
 本と鎖に沿うように、巻きつく存在が増えた。
 空を思わせる対の青。どう向き合えばいいのかと小さく首を傾げたエルティアに、漆黒の鱗を淡くきらめかせた蛇は声にならない言葉を紡ぐ。
 脳内に直接届けられる意思にはやはり悪意も含まれていない。
 だからエルティアはその意思を静かに受け入れる。

 文明の要、そして主として人々の信仰を集めていた黒蛇の精霊は。かつては対となる白蛇と共にあった。
 しかし時が経ち人々の流れ行く変化に身を任せていた結果、片割れとは離れ離れに。互いに引きあう存在であっても、出来ることと出来ないことはある。
 本という依代ありきの存在であった精霊達は、文明の廃れを前になすすべもなく、今もなお孤独。
 人々に近しい本という形は、かつては良くとも今はただの枷。縛られ封じられた今、この場を離れるには仮宿の存在が必要不可欠。
「……求めるのは私という器?」
 問えば、ゆっくりと首を振る黒蛇。それだけではなく、手足としても。自身が眠るこの場所に辿り着いたのと同じように。片割れの白蛇が宿る本を見つけ出し、この場所へ、対の形で戻してほしいのだと。
 対価として渡せるものはそう多くはない。既に滅んだに等しい文明の詳細。日々を過ごす当時の人々の様子。そこに歴史的価値を見出してくれないだろうか、そう訊ねようと言葉を紡ぐ黒蛇は、まだエルティアの瞳の輝きに気付いていなかった。
「充分。いいえ、むしろ最高だわ」
 物語をこよなく愛するエルティアは、考える時間を与えられるまでもなく答えた。

 氷柱の中に未だ眠る本は、やはり微動だにしていない。
 存在感を強く示していたはずの黒き靄は、今はエルティアの中にあるのだ。
 身の内から響く感謝の言葉に、小さく首を振る。
 装丁も素晴らしい本を助けられないのはいささか不満もあるけれど。中に収められている物語は確かに黒蛇と共にあると聞いた。本の形をしていなくても、物語そのものである精霊が傍に在るなら何の悔いが残るはずもない。
 慣れてきた視界の端に、紛れもない黄金の光が映り込む。
「いらないわ。一番素敵な物語は、共に在るもの」
 持ち帰ればこれからの道程の足しになると囁かれはしたが、すぐに踵を返した。
 来るときに比べれば軽く、強く感じられる身体に驚きを感じながら、これが覚醒者の力かと吐息を零す。
「私はここに、物語に導かれて辿り着いたの。これから先も、そうあるべきだわ」
 それが私の自然。
「だから、あなたという物語が示す先に向かう事だって、苦になるはずがないの」
 勿論物語はたくさんあって、寄り道だってたくさんするでしょうけど。
「まずは、戻る道を教えて頂戴?」
 案内のままに足を進めていく。往路とは別の、今はもう精霊しか知らないその隠し通路は吹雪に立ち向かう必要もなかった。
(あの苦労した山道を登る機会は、もう来ないようね?)

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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【ka0727/エルティア・ホープナー/女/21歳/闘狩猟人/目的、道標、興味……全てを含む、愛すべき物語】
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2019年03月11日

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