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『逢魔が時に挑む 』
満月・美華8686

 東京某所に建つ神聖都学園。
 豊麗な肢体を高等部の制服で包んだ満月・美華は、夜闇に侵されゆく赤茶けた夕暮れの内に立ち、校舎を見上げていた。
 彼女が契約を交わした“地母神”は多彩な能力を持つ存在だが、美華はその内の変化術を用いて実年齢を10ほど引き下げ、転校生に成りすましている。手続き等は稼業である作家のほうの伝手を辿り、少々後ろ暗い手で真っ当に行ってあるから、たとえ魔術が異世界の干渉を受けて歪められたとしても問題は起こらない。
 そして。ここまでして彼女が偽りの学園生活を送っている理由は、一冊の魔書のためだった。
 彼女が求めてやまない、とある魔法が記された書。

 それを手に入れないと、私は――

 気まぐれな異世界からの干渉を退けつつ、地道な聞き込み調査を進めた結果、魔書は図書室に付属する司書室からしか入れない書庫にある可能性が高いことが知れた。
 学園で定められた下校時間はすでに過ぎており、当然のごとく、図書委員会の生徒たちは帰宅済み。さらに教師たちは、月に一度の全体会議で講堂に集まっている。忍び込むなら今しかない。
 そのはずだったのだが。
「満月さん、どうしてあなたがまだ校内に?」
 ぎくりと振り返った先に立っていたのは、学園の音楽教師である響・カスミである。
「先生、講堂にいらっしゃったのでは?」
 美華の年齢は28歳。カスミよりひとつ歳上だし、魔女である彼女の経験値は通常人の範疇を大きく越えている。その“功”で完全な平静を保ち、ツッコんでみれば。
「あの、満月さんはなにか忘れ物でも?」
 しまった。状況をごまかすために先生面をかぶってきた。道に迷って遅刻して入れなかったとか、そういうどうしようもない理由なんだろう。
 しかし、いい感じに水を向けてくれたので、ここは利用しておく。
「ええ。書庫にしまわれた本の中に私の私物が混ざってしまったようで。大切なものなので、司書さんに許可をいただいて取りに向かっていたところです」
「そうなのっ!?」
 やたら高い声を上げたカスミが、美華の腕へしがみついてきた。なにこの人そっち系!? 思わず身構えかけた美華だったが、カスミが震えていることに気づいて息を吹き抜く。
 彼女はとにかく怪異というものに弱い。そしてこの土地は、噂などには収まらないさまざまな怪異で満ち満ちている。ならばさっさと辞めてしまえばいいものを、カスミは「そんなものはありませんからー。ただの見間違えですからー」と、なぜか耳を塞いで居残り続けているのだ。ないものを恐れる必要はない、という理屈である。
「私、教師だから! 生徒がちゃんと下校するまで、見届ける責任があるから! それにほら、暗くなったら危ないし!」
 いくら独りで逢魔が時に放り出されるのが怖いからって、そう来るか。
 振りほどこうにも、変化中は魔法が使えないので尾行を撒くこともままならない。
 うぅん、邪魔! それだけじゃなくてお荷物!
 心の中で突き放しながらもべったり貼りつかれたまま、歩を進めるよりない美華だった。


 カスミをぶら下げたまま図書室に辿り着いた。
 当然施錠されていたが、こちらはすでにコピーした合鍵を用意してあるので問題なく開く。問題は、司書しか鍵を持っていない、司書室だ。
 司書室の前まで来た段階で、美華は唐突に思い出したふりをして。
「そういえば図書室のどこかに真っ赤な装丁の本があって、それを手に取ると見知らぬ司書が貸し出しを――」
「あーあーうーあー」
 猛烈な勢いで視線を逃がして音合わせを始めるカスミ。「続きは断固聞かない」の構え。
「その司書に貸し出しの手続きをしてもらってから三日後、同じ時間までにすべて読んで感想を告げないと、本の主人公と入れ替えられてしまうらしいですよ」
 語りながら、変化を解く。三秒以内に終わらせれば、問題は起こらないはずだ。
 果たして28歳の姿を取り戻した美華は、自らの魔力を込めた樹木の枝を鍵穴へ差し込み、胸中で唱えた。
 我が子たる指先よ、縛めを押し退け、道を拓け。
 ぶつん。1秒と少しでワイシャツの第4ボタンが弾け飛んだ。早く、早く早く早く!
 成長した枝が錠を壊す濁音に合わせ、美華は自らへ変化をかけなおした。そして。
「先生、入りますよ?」
「えっ!? あ、ちょっと音楽教師の習性が」
 開いたドアをくぐり、先と同じ手で書庫へのドアも解錠、さらにその内へと踏み込んだ。

 書庫の内には書棚が立ち並び、分類ごとに整理された古い書物が差し込まれている。
「電気点けても暗いわね……それに寒いわ」
 ぶるりと体を振るわせるカスミ。
 ちなみに部屋は暗くないし、寒くもない。カスミにそう感じさせているのは、なにか特殊な力を秘めた書や、異世界を映して有り様を変化させた書から漏れ出す気配だ。
 とはいえ、それらの書は有象無象。
 本当に強い力を持つ書は、無闇に吼え散らかすような真似をしない。沈黙を保ち、自らを得るにふさわしい者の訪れを待っているものだ。
 だから、騒がしい書を避けて一冊ずつ確かめていけば。
「見つかりました」
 一冊の書を手に取り、美華は笑む。
 普通人の目にはわかるまいが、魔女の目をもってすれば、深淵さながらの叡智が封じられていると知れる。
「はは早くく出まましょしょしょう!」
 と。気配に追い詰められたカスミがさらに強くしがみついてきて――魔書が美華の手からこぼれ落ちた。床に当たった衝撃で表紙が開き、書きつけられた文字が空気に自らを転写していく。
 この文字に触れてはだめ!
 咄嗟にカスミをかばい、文字から逃れて床へ倒れ込んだ美華だったが。
 その背に追いついた文字が美華へと食らいつき、食い込んだ。肢体を縛めていた制服を裂き、肉を縛めていた変化の術を裂き、本性を縛めていた魔力そのものを裂き。
「っ!!」
 美華が爆ぜ飛んだ。
 いや、爆ぜ飛んだのではない。膨れ上がったのだ。2倍3倍4倍、限りないやわらかさが制服を引きちぎって空間を満たし、下になったカスミを悲鳴ごと飲み込み、押し潰した。
 いけない!
 美華は力の限りを尽くしてカスミから転げ降りる。そのまま一転二転三転、司書室のドアへ。が、出られない。引っかかっているのだ。その膨れ上がった腹がつかえて。
 魔書の名は「本来」。魔的に変化した有り様を元の姿に戻す理論と術を記した書は、美華をまさしく本来の様へと戻してしまったのだ。すなわち、自らの内に際限なく命を孕み続ける地母神と同化した真実の姿――腹を中心として異様に肥大した太り肉(じし)を。
 ちなみに。先に変化を解いた際シャツのボタンが飛んだのは、魔力で無理矢理抑えつけていた肉があふれ出しそうになったせいである。
 ああ、もう! ここまでしか戻れないなら意味ないじゃないの!
 こんな体になってしまう前の状態まで戻れるのではないかと期待していたのだ。しかし、それをするほどの力、この魔書にはなかったらしい。

 ドアの枠から無理矢理に体を引き抜き、逃げ出すことに成功した美華は、魔書の魔力を祓って変化をかけなおし、ゴミ袋を貫頭衣代わりにかぶった後でようやく気づいた。
「あ。そういえば先生のこと忘れてたわ」


 後日、学園では「図書室の巨大幽霊」なる怪談がささやかれるようになる。
 唯一の目撃者であるカスミがそれを丸々忘れてしまっていることで、さらなる憶測が飛び交い、話は美華の腹さながらに膨らんでいくわけだが……美華はただただ沈黙を保ち続けたのである。
 早く転校手続き、しちゃわないとね……


━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【満月・美華(8686) / 女性 / 28歳 / 膨れ女、マザー、魔女、黒き聖母】
【響・カスミ(NPCA026) / 女性 / 27歳 / 音楽教師】
東京怪談ノベル(シングル) -
電気石八生 クリエイターズルームへ
東京怪談
2019年03月11日

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