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『年とともに 』
深守・H・大樹ka7084

 空に近いほど、その色を写しとったような青。
 地に近いほど、雫を溜め込み大きく育った湖のような水の色。

 何をすべきかわからない。
 何を目指せばいいかもわからない。
 ただ『生きろ』そう言われたことだけは覚えている。
 それはどんな声だっただろう? 高いか低いか。大きいか小さいか。強くか弱くか。
 どのように自分に響いたのか、その瞬間を細かには覚えていない。
(でも、それを覚えているなら、とても大切だったってこと) 
 けれどそれを言ったのが誰だったのか。名前も、外見も。ほんの少しの色さえもわからない。
 どんな相手だったのか。性格を示す要素も見つけられない。
 自分とどんな関係だったのか。ただわかるのは『生きろ』と伝えてくれるほど、きっと大切に思ってもらえていたのだろう。
 記憶に残っていないけれど、それだけは確信がもてた。
(……じゃあ、僕は?)
 脳裏に浮かぶのはその誰かの事ばかり。ぼやけた視界だったのだろうその記憶では、己の状況を顧みる余裕はなかったようで。
 自身を示す情報は、記憶の中から見つけられない。
 自分が思う通りに動いているのだから、間違いなく自分の身体。
 しっくりとくるようで、どこか不思議なようで。
 何を触れるにも、新鮮な気さえする。
 こういうものだ、ということは確かに知識にあるけれど。
 当たり前にそこにある全てが、どこか自分にとって違う何かのように感じている……気がする?
「僕は」
 僕と呼んでいるこの身体は、自分は。
「……誰なんだろう」
 首を傾げれば、視界に映る景色も傾いだ。

 自分の事も分からないのに、行くべき場所なんてあるわけがない。
 生きるためには食べ物と寝る場所が必要だということはわかるけれど、それらを手に入れる方法に自信がなかった。
 後から自覚したのだけれど、それをヒトは心細いと言うらしい。
 そして幸運なめぐりあわせに感謝することになるのだけれど、それはもっと後の話。
「寒い? どういうこと……?」
 見苦しくはないけれど、気温を考えれば不足している。そんな最低限の服だけを身に着けて立ち尽くす彼を見兼ねて声をかけたのは、一組の夫婦だった。

「……本当だ。痛くないね」
 自分を見失っているという重大な考え事をしている間、身体はギシギシと音を立てるかのようにゆっくりとしか動かなかった。それが寒いということで、身体が危険信号を示していたと知ったのは、温かい家の中へ通された時。
「ありがとう、って言うんだよね、こういう時は」
 渡された毛布で身を包んだまま返す。お節介に感じてないなら良かった、そう柔らかく表情が崩れるそれを、笑顔だと理解する。
 少しずつこわばりが解けていく自分の顔も、同じように出来ないだろうかと考えて頬に手を添えてみれば、まだ冷えた感触に指も頬も驚いて。
 二人揃ってそっくりに目を細めてこちらを見て来る夫婦は、ゆっくりとひとつづつ、質問を向けてくる。
「おなか? ……何も入ってない、と思うよ」
 ならばと夕食のシチューを温めに台所へ向かう夫人。
「二人の分じゃないの?」
 多めに作っておくものだから量だって十分あるのだと豪快な笑い声の旦那は、食った後は風呂にも入ってしっかり暖めることを勧めてくれる。
「今だって充分暖かいよ?」
 子供が遠慮なんてするなと、本当に軽くだが、小突かれた。

 ぎこちない会話を繰り返し、心身共に暖められて、今日からは自分の部屋だと言われた元客間に通される。
 清潔に整えられた部屋も既に過ごしやすいよう暖められていて。しばらく立ち尽くしていたけれど……ゆっくりと、椅子に腰掛ける。
 先ほどまで賑やかに過ごしていた余韻を確かめるように、交わした言葉を思い出していく。
 穏やかで、けして駆け足ではない時間だったと思う。けれど殆ど空っぽに等しかった自分の中に、既に温かな思い出として積もり始めている。
 ひとつひとつ、自分がここに居ることを確かめる為に、かけられた言葉を改めて刻み込む。
「……オートマトン……って、なんだろうな」
 夫婦は自分がどういった存在かを知っているようだった。
 首から胸元のあたりまでが機械の身体である彼は、薄着だったためにその証をはじめから夫婦に見せていたのだ。
 彼自身は自分の身体であるという認識しか持っていないし、季節柄首まわりまでも覆う服を着ていたために、夫婦の同じ場所が柔らかな肌色をしているなんて気付かなかった。
(後日教えてくれるって言っていたけど)
 すぐに詳しく知ることができない、それが少なからず不安を呼んでいる。

 自分の過去を、記憶を失くしている自覚のある彼は、ものを教わることに照れも羞恥心もない。
 知らないのが当たり前だから、不安はあっても怖いとは思わない。
 その純粋さを心配した夫婦が彼を保護しただけでなく、今後居候という建前と共に家族として扱うことを決めたことにも、素直に感謝を覚えている。
 自身の外見が夫婦とそう年齢が離れていないものだということを知らない彼は、自分の目線が彼等とそう変わらない、むしろ夫人よりも身長が高いことにも全く疑問を覚えていない。
 だから、子供扱いされても、それが当たり前だと思っている。
 機械の身体や年齢に関しての違和感からくる衝撃を遅らせるため、今もなお鏡を目の当たりにしないように気をつかわれていることにはまだ、気づいていない。

「いい人達だよね……パパさんと、ママさん……」
 そう呼べと言われたことを思い出して、練習だと声に出してみる。
 胸の中が温かくなる気がして、手を当ててみる。家主となった男性の予備の寝間着の上から触れた己の身体は、意識が戻ったあの時に比べたら随分と温かい。
(中から……ぽかぽか……する?)
 不安が少しだけ弱まった気もするが、理由がわからずに首を傾げた。
「……僕は、今日から、大樹」
 付けてもらえた名前にも慣れようと、やはりこちらも声に出す。
 家族になるのだからと、夫婦と同じ『深守』を。
 機械の身体に刻まれた『ヒビキ』を思い出せない記憶の証、いつか思い出す為の道標としてミドルネームに。
 陽射しを求め未来を目指し、大きく広がり育つように『大樹』と。
 彼自身の様子を伺いつつも夫婦が考えてくれた、これからの彼を示すもの。
「大樹……」
 二人が呼び掛けてくれた声音に似せられないかと思いながら声音を柔らかく意識する。
 すでに何度も呼ばれているけれど、まだ返事をするのがぎこちない自覚があった。だから何度も繰り返す。
「僕は、大樹」
 まだ先は分らないけれど。自然に名乗れるようになりたいと、今度は自己紹介の真似事。
 今はまだ夫婦との生活に慣れることから。でもいつか、出来るかもしれない、まだ見ぬ友達に。自分の名前を誇りたいと思う。
「うん……この名前、好きだな」
 名付けてもらえて嬉しい。浮かんだその感情を素直に受け入れることが出来た。
「……もう遅いって言われていたんだっけ」
 カーテンを捲り窓の外を伺えば、街の灯は減ってきていた。
 明日からは新しい自分だ。そう考えながらベッドへと潜り込む。
(憶えていないけど、でも……) 
 生きろと言ってくれた誰かの言葉通りに、新しい人生を芽吹かせていこう。

 どれほど遠くまでも辿りつける様に、自由を示す翼を。
 どんな場所でも生きて行ける様に、命の灯を示す炎を。

 この日、彼は『深守・H・大樹』になった。

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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【ka7084/深守・H・大樹/男/30歳/疾影術士/その一言を種にして】
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2019年03月13日

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