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『賑やかな晩餐 』
ジャン・デュポン8910

 夜の教会内に響き渡る音といえば、神父、ジャン・デュポン(8910)が歩く音と……一人の男の怒声くらいなものだった。
 神聖なはずのこの教会に、何故か拘束され転がっている男の姿は場違いであり異質だ。だというのに、ジャンはさして気にせず、落ち着いた様子で男へと近づいて行きその姿を見下ろす。いつもと変わらぬ穏やかな笑みを浮かべるジャンの姿は、いつも通りだからこそ男には異常に映った。
 本来なら男は、付き合っている女性と共に夜の逢瀬を楽しんでいるはずだったのだ。先程まで、珍しく相手の方から呼び出してきた彼女と手を繋ぎ歩いていたはずなのに、何故か今男はたった一人で神父と向かい合っている。状況が把握出来ないが、ジャンの只者ではない様子から男は自分が危険な状況に巻き込まれている事を察していた。一緒にいたはずの彼女の姿がない事も気にかかり、つい語気を荒げて男は神父を問い詰めてしまう。
「彼女が心配なんだ? 健気だねぇ」
 ジャンといえば、大人しそうな見た目とは裏腹に男の怒声に怯みもしなかった。
 そして彼は、言う。男にとっては知らない方が幸せだったであろう現実を。なんて事がない当たり前の事実を口にするかのように、ひどく軽やかな口調で。
「キミが信じていたあれなら、ただのボクのシモベだよ。意思なんて存在しない傀儡だ」
 ジャンの言葉を男は理解出来ず、しばし彼は言葉を失ってしまう。呆然と佇む男の姿に、ジャンは笑みを崩さぬままに続けた。
「もしかして、自分だけが特別なのかと思っていたのかな? それなら悪かったね。下僕がキミを誘惑したのは、全て調理の一環に過ぎないんだ。全てはこの日のための下準備……そんな事、ユメにも思っていなかったみたいだね。よっぽど夢中だったのかな」
 落ち着いた様子で語る神父の姿は、男には恐らく悪魔に見えたのだろう。彼の感情に、僅かに恐怖が混ざった事にジャンは気付く。続け様に放つのは、そんな男を翻弄するような言葉。彼の感情を大きく揺れ動かすために、ジャンは彼を煽り立てる
「悲しい性だよねぇ。キレイなお姉さんがちょ〜っと調子のいいこと言っただけで、コロッと誑し込まれちゃうんだもんね」
 その言葉は男をいとも簡単に踊らせた。狂ったかのように、男は吠え始める。勢いよく罵声をぶつけられても、やはりジャンは気にもとめない。むしろ、彼の感情を弄び、楽しんでいるかのようにジャンは悠々と振る舞っていた。
 事実、楽しんでいるのだろう。ジャンの瞳には、確かに喜悦の色が浮かんでいる。
「あれ、今度は怒るの? 彼女を恨むんだ? さっきまで心配してたのに、すぐに手のひらを返すんだねぇ。いいよ。実に人間らしい感情だ。結局のところ、キミが欲しかったのは彼女じゃなくて、キミの機嫌を取りキミに合わせてくれる……キミにとって都合の良い存在だったんだろう?」
 認めたくない正論が、男の心に棘のように突き刺さる。棘というより、それはフォークなのかもしれない。この教会は、今や食卓なのだ。
 今この時間は、男という料理をジャンが楽しむためのディナータイム。下僕が調理したその食材に、彼好みの味をトッピングする、いわば最後の仕上げのようなものだった。
 ジャンは男の感情を味見しながらも、次々に言葉をぶつけて彼の感情の動きを楽しみ続ける。
 とうとう、男は音を上げてしまった。助けてくれ、と彼は願う。今までさして信じた事がなかった神様に対して、祈りを捧げる。今目の前にいる化物よりも、よっぽど信頼に値するに違いないと男はそれにすがる。
 けれど、その祈りすらもジャンにより粉々に砕かれてしまうのだ。
「神サマなんていないよ?」
 聖職者の格好をし、聖職者として日々を生き、聖職者を名乗る男は、事もなげにそれを口にする。信仰心がそんなにあるわけでもない男ですら、明確に否定出来る事ではないというのに、ジャンは容易く神を否定するのだった。
「結果に至る過程があるだけ。ここはキミが選んだ道の終着点であり、他のモノの意思なんて存在しないのさ」
 ジャンは男に分かりやすく伝わるように、一言一言丁寧に発音し告げる。彼の指先が、呆けている男の額に向かって伸ばされた。
「つまり、それを望んだのはキミ自身ってわけだ」
 男の中で様々な感情が入り交じる。その感情はジャンに全て見透かされており、彼は男が感情を動かすたびに笑みを深めた。
「そうだよ。それこそが、ボクにとって最高のトッピングなんだ。甘露よりも甘い、至極の蜜」
 人の不幸は蜜の味と言うが、ジャンにとってはまさに文字通り意味でその味は甘く舌を癒やす。美食を探求し、それを求める事にいったい何の罪があるのだろう、と笑声と共に彼は告げた。
「恐怖、憤怒、悲哀、希望、絶望。やっぱり人間は面白くて、身勝手で、美味しそうだねぇ」
 男の感情が揺れ動く事に、ジャンの機嫌も良くなる一方だった。感情もなまものだ、やはりいきが良いのに限るとジャンは笑う。
 ころころと、男の感情をジャンは言葉で転がして行く。脆い心を切り崩し形を整えるかのように、ジャンは自らの好みの味に彼の感情を仕立てていった。
 笑うジャンに、男は最後にもう一度だけ助けを求める。惨めな命乞いをする相手に、しかしジャンは表情も変えずに言い放つのだ。
「キミは、もし皿の上のブタに助けを乞われたら、その願いを聞くのかな?」
 男は何も答えられない。答える権利が、ない。
 すでに調理は完了している。男はもはや、皿の上で食べられるのを待つ事しか叶わぬのだとようやく悟る事が出来た。そして、ジャンという男に、説得など無意味なのだという事にも。
「誰もキミを助けない。キミが愛して、愛してくれていると思っていた彼女も、今頃キミの事なんて忘れて次の獲物に接触してる頃だろうねぇ」
 神から神罰を受けたかのように、男の心をその言葉は打ちのめした。そして彼の感情を、一層美味しく仕立て上げる。築かれた愛情と信頼が壊れていく様は、ジャンにとっては最も好みな味であった。
「あ、でも安心していいよ。別にイノチまで取るわけじゃないんだ」
 男はもはや、ジャンの声を聞いていない。彼は今、絶望に彩られた乾いた笑いを浮かべる事に忙しいのだから。そしてその感情すらも、ジャンにとっては食欲をそそるスパイスでしかなかった。
「ボクは食欲を満たしているだけだよ。人間はボクとは違って、飽食の中にありながらも不必要に他者から命を奪い、それでいて己はさも高潔かのように振る舞うんだからタチが悪いよねぇ」
 そんな彼らの感情を頂戴して、いったい何が悪いのかとジャンは心から思っている。だから、ジャンはためらわない。罪悪感を感じない。自分好みのトッピングをした相手の感情を、楽しげな様子でいただく。
 ジャンの背中に、確かに翼のようなものが男には見えた。その翼の影は、ステンドグラス越しに差し込む月明かりに照らされて、まるで大きく口を開けるかのように広がっていく錯覚を男は覚えた。

 賑やかな晩餐は終わる。教会に清寂が訪れる。
 終わりの合図とばかりに、ジャンの口唇が象るのは恐らくこの場において最も適した言葉だ。教会には不似合いだが、食卓で紡がれるには自然な言葉。
 そして、男自身も今までの人生で数え切れぬ程に口にしてきた、ひどく聞き慣れた一言であった。
「――ごちそうさま」

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ご発注ありがとうございました。ライターのしまだです。
お食事中のジャンさんの一幕、このようなテイストになりましたがいかがでしたでしょうか。お口に合うお話になっていましたら幸いです。
何か不備等ありましたら、お手数ですがご連絡くださいませ。
また機会がありましたら、是非よろしくお願いいたします。この度はご発注、誠にありがとうございました。
東京怪談ノベル(シングル) -
しまだ クリエイターズルームへ
東京怪談
2019年03月20日

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