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『暗中跳行 』
藤咲 仁菜aa3237)&リオン クロフォードaa3237hero001

「この――」
 顔を歪め、言葉を詰めたリオン クロフォードは、下へ引き下げた両手を激しく握っては開き、なんとか激情を抑え込もうとする。
 どんなものを突きつけられようと、自分の感情に突き動かされて突っ走ることなかれ。それは霞の向こうにある記憶のお告げで、こちらの世界で積んだ経験則の教えである。教えであったのだが。
「――馬鹿」
 抑え込まれたリオンの怒りが、怒鳴られるより強く藤咲 仁菜の白いロップイヤーをすくませた。
「なんで俺に黙って勝手に決めてきたんだ?」
 平らかな声音でさらに問うリオン。せめて決める前に言ってくれてたら全力で怒って説教して止められたのに!
「行かなくちゃって、思ったから」
 返り来る仁菜の応答はひどく頼りなかった。
 それはそうだろう。
 仁菜はエージェント登録してこれまで、活動の多くを後方で行ってきたのだ。なのに今日、彼女はひとりで参加を決めてきた。よりによってレガトゥス級愚神と対するという、危険どころではない任務にだ。
「だって【暁】のみんなが行くんだもん。だから私も……」
【暁】は彼女が所属する小隊の名だ。隊長以下、隊員たちはみな気のいい連中だったが、激戦の最前線をこそ身の置き処と心得る尖った連中でもあって。
「みんないっしょにって、女子の休み時間かよ!」
 いけない。リオンは大きく頭を振って苛立ちを追い払う。怒鳴ったってなにも変わらない。怒るにしても全部聞いてからだ。その上で仁菜を泣かせてでも引きずり戻してやる。
「【暁】だけじゃなくて、H.O.P.E.でできたたくさんの友だちも行くんだよ。みんな、世界を守るために命を賭ける」
 おどおどと、しかし逃げることなく、仁菜はリオンの橙瞳をまっすぐ見つめて言い切った。
「私は私の知らないところで大切な人たちを失くしたくないの」
 そういうことか。
 リオンは握り込んでいた拳をゆるめ、引き下ろしていた眉根を解いた。
 どんな状況でも守ることをあきらめない……リオンと交わした誓約を、仁菜は命がけで果たそうとしている。
 彼女は間に合わせたいのだ。あのとき届かなかった手を、今度こそ。
 いつかどこかにいた俺は間に合わなくて、守れなかった。その悔しさだけを抱えてこの世界へ来て、「今度こそは」って思い続けてきた。ニーナを守るだけでそれができてるんだって、そう思い込んで。
 そうじゃないんだよな。俺は――俺たちは。
「……わかったよ。ただし主導は俺! 相手はレガトゥス級っていう未知の敵なんだから、なにがあっても主導権奪って飛び出したりしないって約束だからな!」
「うん!」
 まさか、リオンがこんなにあっさり許してくれるなんて! 仁菜は驚きながら何度もうなずき、やっと気づいた。
 私、リオンがいっしょに行ってくれないかもなんて、ぜんぜん思ってなかった。止められたらがんばって説得しなくちゃって、それしか考えてなくて。
「実はぜんぜん思いつかなかったんだけど……つきあいきれない! ひとりで勝手に行け! ってリオンに言われる可能性、あったんだよね」
 仁菜のしみじみとした言葉へ、リオンはおもしろくもなさそうに。
「思いつくだけムダだよ。それはないから」
「でも、普通に考えたら」
「俺は絶対、ニーナを独りになんてしない」
 幼さの残るリオンの顔がやけに男っぽくて、仁菜は少し赤らんだ顔をこくこくうなずかせることしかできなかった。


 戦場となったウーニジェは地獄と化した。
 手練れのエージェントたちは命を保つためにレガトゥス級から距離を取ることを余儀なくされ、それによる打撃力の不足は結果的にエージェントの傷を深くすることとなったのだ。
「ケガしてる人がいたら俺のこと呼んで! すぐ行くから!」
 レガトゥス級の咆哮と凍気をかき分けるように声音を飛ばし、リオンは戦場を駆け巡る。
 予想どおりと言ってしまっていいものか。レガトゥス級は巨大にして強大であり、リオンと仁菜を始めとするエージェントの猛攻は容易く踏み潰され、いざとなれば戦線維持を担うつもりだったはずのふたりは今、回復役に徹するよりなくなっていた。
 これがほんとの愚神か。見込みが甘かったなんて言わないけど、思い知らされるな。
『誘導班のみんなが繋いでくれたこの戦い、私たちが無駄にしちゃったらだめだよね!』
 仁菜のライヴスがリオンの脚へ新たな力を注ぎ込む。
 そうだ。俺たちはみんなの心を無駄にしない! 最後まで繋いで、明日に還るんだ!
 しかし、エージェントが描いた戦線は、レガトゥス級の超重と絶零とで押し割られていく。
 その中で、レガトゥス級のドロップゾーンへ侵入して打撃を与えてきた【暁】以下近接攻撃班は倒れ伏し。
「みんな、こんなとこで死んじゃだめだ!」
『そうだよ! もっとずっと後で、大事な人たちに囲まれたとこでなきゃダメなんだから……!』
 リオンと仁菜は彼らをこの世界へ引き戻すべく、渾身で向かい続けた。しかしそれが蟷螂の斧でしかないことを、仁菜はどうにもならないほどに思い知っていて。
 ――だめだだめだだめだ! このままじゃ、だめ! 私、大事なものをなんにも守れてない!
 妹だけを守れたらいいって、自分が死なないように危ない仕事を避けてきた私。そんな弱虫の手が、みんなに届くはずなんてなかったのに。
 死にたくない私は弱い。
 弱いから、私の手は縮こまって伸びなくて。命を賭けて戦ってくれてるみんなに「こんなところで死んじゃダメ」って、後ろから言うだけで。
 なんて勝手なんだろう、私。
 なんて弱くてえらそうなくせに役に立たなくて勝手で、欲張りなんだろう、私。
 私、【暁】でいろんな人と会って、H.O.P.E.でもっとたくさんの人に会って、妹だけじゃなくてみんなを守りたいって思った。
 今の私には、なにがあっても最後まで仲間を守り抜く力なんて、ない。
 だったら私がしなくちゃいけないことはなに?
『――もっと、強くならなくちゃ』
 仁菜のうそぶきは、今の自分に誓う資格がないことを知るからこその祈り。
 それを聞きながら、リオンは傷を癒した仲間を抱き起こした。
 今の仁菜になにを言っても、それは安い慰めにしかならないと、誰よりも知っていたから。
「今はできることをできるかぎりやるぞ。みんなで生きて還るんだ」

 果たしてふたりのエージェントの決死を贄に、レガトゥス級はその外殻を砕かれ、真の姿を顕わすこととなる。
 傷ついた仲間をかばって戦場を離脱したリオンは、仁菜の万感を、自らの無念と共に噛み締めた。
 俺はまた守れなかったのか。
 このままずっと、あがいてもがいて、結局は後悔するだけなのかよ。
 俺は――
『私、もう泣かない』
 ぽつりと仁菜が言う。
 滾る激情が煮詰まり、なめらかにすら成り仰せた声音で、言い切る。
「行こう、リオン」
 そして共鳴を解いた仁菜は先へ踏み出した。迷うことも惑うこともなく、ただ先へ、先へ、先へ。


『リオン! ケアレイの準備、できてるから!』
「おう!」
 共鳴体を加速させ、チーム前衛とスイッチして前へ跳びだしたリオン。肩へかつぐようにして構えた盾で雑魔の攻めを受け、体を伸び上がらせて押し退けた。
 その間に仁菜は、退いた前衛へケアレイを送り、その傷を癒す。
『抑えは私たちが引き受けます! 攻撃、よろしくお願いします!』
 あれ以来、戦場から戦場へ渡り歩いてきたふたりである。危うい経験は戦況と負傷者を咄嗟に判断する仁菜の五感を研ぎ澄ませ、リオンの剣技から無駄を削ぎ落とし――ふたりを生命適性のタンク役に留まらせず、攻防を尽くして踏みとどまって最前線を維持する“楔”として成長させていた。
 って、危ういのは今もだけどな。
 リオンは左に佩いた片手剣を抜き打ち、雑魔の触腕を斬り飛ばした。腰を据えれば胴のコアまで刃を届かせることもできたが、他の雑魔に取りつかれ、絡め取られ、引きずり倒されるだろう。
 自分と仁菜がいるのは、時々などではなく常にそういう場所なのだ。
『みんなの傷見ながらタイミング指示するよ! そしたら一手だけ待ってケアレイン!』
 この前線で攻撃スキルを持たないエージェントはリオンたちだけだ。普通に考えればリジェレネーションで自らをカバーしつつ敵を抑えるべきなのだが……
「わかった」
 鍔元で雑魔の攻めを止め、それを巻き取るようにして胴を突く。
 その間に横合いへ回り込んだ新手をシールドバッシュで弾いてよろめかせ、弾いた反動に乗せて逆へ踏み込んで、次の雑魔を撫で斬った。
 と。雑魔の外骨格に、これまでの戦いでこぼれた刃が引っかかり、振り抜くまでに一瞬の間を作ると共に、リオンの体勢をわずかに崩す。
『リオン!』
 仁菜の警告に、二歩を費やしてバランスを取り戻し、ごまかすように雑魔を屠ったリオンが小さく息を吹き抜いた。集中しているだけに、小さなささくれが殊の外に障る。
『危なそうなときは私に言って! まだ戦うのは怖いけど――がんばるから!』
 内で青ざめた顔をぎゅっと笑ませる仁菜に、リオンはたまらない憤りを覚えずにいられなかった。もちろん仁菜へではなく、自分へのだ。
 ニーナは必死で誰かを守ろうとして、死にたくないっていう弱気をねじ伏せてる。
 最初はそうしなきゃニーナの心が壊れちゃうだろうからって、それだけだったのに。気づかってたはずの俺がニーナに気づかわれて、守られてるじゃないか。
「大丈夫だよ、ニーナを運ぶのは俺の仕事だからさ」
 思い出すことのできないいつかのように、リオンは口の端を上げてみせた。幸い、絶望の中で自分をごまかすことには慣れているようだ。自分でも驚くほどうまくできた。
 俺は今度こそ守るんだ。絶対あきらめない。大切なものを、俺の手で。
 リオンは従魔と自らの血とに濡れた剣の柄を強く握り込んだ。まるでそう、口にするどころか思いに乗せることすらしない大切なものへの情を握り潰したいかのように。


 数えることもやめてしまった連戦の先で、リオンと仁菜はついにドクターストップを宣告された。その元となった診断は、過労による一時的な体機能低下。
「あなたがたが戦場から離れる期間で、弊社がどれほどの面倒を強いられるものかご存じないでしょうね。復帰後はぜひともスポンサーの角を収めさせるに足る奮迅をお願いいたしますよ」
 ふたりの身柄の保証人であり、仁菜ととある契約を結んでいる不動産会社の若社長は告げたものだ。
「だったらカルテでもなんでも偽造してください。この病院、“御社”がスポンサードしてるんですよね? 私、明日からでも戦えますから」
 固い声音で言う仁菜を、彼は冷めた目で見下ろして。
「藤咲様には摂食障害が認められていますね。それほど弱った状態で戦場へ向かえば即日死ぬでしょう。いや、それでも我々は契約を履行しますが、しかし」
 社長は目をすがめたまま、いっそやさしいほどの声音で仁菜へ語りかけた。
「すでにあなたがたを中心に投資の流れができているのですよ。主に広告と医療の関係になりますが、それをあなたがたの我儘で断つことは許しません」
“御社”の金儲けと、仁菜の妹の体で行われる医療的実験の数々。それらを少しでも長く続けるために休め。
 突きつけられた大人の都合に言葉を失う仁菜だったが。
「一週間だ。病院って疲労回復する点滴とかもあるんだろ? あ、なんだったら治験だって引き受けるさ。だからそっちも全力で俺とニーナのこと治してくれよ」
 リオンがさりげなく仁菜の左斜め前に立った。
「そうですね。この際、栄養管理と各種トレーニング法を学ばれるといいでしょう。すぐに手配を」
 主治医と共に診察室を出て行く社長。
 気配が消えたことを確かめて、リオンは仁菜へ笑みを振り向けた。
「栄養管理って料理だよな? 勉強したら俺もうまい飯、作れるようになれるかな?」
 思いに沈んでいたせいで聞いていなかった仁菜はあいまいにうなずいて、息をつく。
 がんばったつもりだったのに、私はまだまだぜんぜん足りてない。
 もっとがんばらなくちゃ。早く戦場に戻って、もっともっと強くならなくちゃ。
 仁菜はリオンを追い越して、売店へ向かった。――とびきり甘いものを飲もう。少しでも早く十全を取り戻せるように、エネルギーを摂らなければ。
 その背に眉根をしかめたリオンは奥歯を噛み締めた。
 まちがってるんだよな、俺もニーナも。でも、今は止まってなんかられない。行くしかないんだ。行き止まりかもしれないって怯えながら、目をつぶって全力で。
 仁菜の焦りと、おそらくは誤った決意を追いかけて、彼もまた闇雲に踏み出した。


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【藤咲 仁菜(aa3237) / 女性 / 14歳 / 誤りの兎姫】
【リオン クロフォード(aa3237hero001) / 男性 / 14歳 / 惑いの王子】
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2019年03月22日

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