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『Hunter 』
空月・王魔8916

 空月・王魔は立ち並ぶ竹の狭間に身を忍ばせ、息を絞る。
 もっとも、気配を殺したところでどれほどの効果もあるまいが。なにせ敵は猩猩――平たく言えば猿の化物だ。自然物ならぬ人間は、さながらぶちまけられた香水のごとくに臭うだろう。
 香水はさすがに自己保身が過ぎるか。
 自らに苦笑する王魔。音を殺さなかったのは誘いだ。自分と猩猩、共に地の利を持たぬ戦場だったが、身体能力と環境適正で彼女を遙かに上回る猿相手に先の先を取れようはずがない。つまるところ、先にしかけさせて後の先を取る以外、選択肢がなかったのだ。
 がざっ! 竹の葉々が強くこすれ合う音がしたときにはもう、王魔は前へ転がっている。その、最後に残った足先をかすめて地へ突き立ったのは猩猩の拳。
 これでもまだ遅いか!
 体を前へ転がす勢いで、地に寝かせておいた弓を上げて弦を引き絞る。逆さになった後方の情景を確かめる間も惜しんで矢を射放すが……そのときにはもう、猩猩は撓んだ竹の弾みに体を乗せ、上方へ戻っていた。
 落ちるときには重く、戻るときには軽くなる。あの化物、自重を自在に変えられるらしいな。
 前転を膝で止め、片膝立ちの姿勢を取った王魔は隻眼をすがめ、気配を探る。もちろん、猩猩がそれを読ませてくれるはずはなかった。
 ともあれ、音がするのを待っていては首を刈られるだけだ。どうやら取れるはずのない先の先を取らなければならなくなったことに王魔は息をつき、駆けだした。


 そもそも王魔がこの竹林へ踏み込まなければならなくなった理由は、働かぬこと山の如しな雇い主の尻拭いのためだ。
 まあ、今日に限っては雇い主も働いてはいるのだが、いつものごとくに雑事を見逃し、本命へまっすぐ向かってしまった。結果として王魔はいくつかの雑事をこなし、最後に残った猩猩の仕末をすることとなった。
 問題は、相手が雑事に含められる程度の代物ではありえなかった、その一点である。


 嘆いたところでどうにもならんがな。ともあれ、どう攻める?
 王魔はあらためて辺りを見渡したが、どうやら誰かの手入れが施されているらしい林である。竹同士は程よい間隔を保つ場と密集した場とを交錯させて拡がっており、待ち構えるには制限が多く、駆け回るには邪魔が多い有様だ。逆に言えば、上から奇襲を狙う猩猩には狙いを絞りやすく、得物を追い詰めやすい戦場と云えよう。
 加えて潜むことも不可能となれば、私がやるべきことも限られるか。
 と、彼女の面へ灯った表情は薄笑みである。
 あれこれと搦め手を練るより、迷わずに一手へ集中できるのはありがたい。なにせ彼女は策士ならず、戦士なのだから。
 肚が据わればもう迷いはない。
 右手に五本の矢を顕わし、左に握る愛弓へつがえた。
 雇い主の剣同様、この世の理の内にあらぬ弓は、無尽の矢と共に王魔の召喚に応えていつなりと生じ、または失せる。そして。
「っ」
 放たれた矢は王魔の意志を受け、己の行き先をねじ曲げながら獲物へと襲いかかるのだ。
 果たしてがざざ、竹葉を踏み鳴らす猩猩の足音が暗がりへ響き、円を描いて王魔の真上に差しかかった途端、消えた。
 しかけてくるか。
 あえてポジショニングをずらさず、次の矢をつがえて待つ王魔。その眼前へ振り落ちてきた猩猩が乱杭歯を剥き、唾を吐きかけてきた。
 当然、ただの唾ではない。体内にて練り上げた毒を含めたものである。生身に付着すればただでは済むまい。
 残る目を潰されては困るのでな。
 黒衣にて鎧われた右腕でそれを払い、猩猩へ踏み込む。
 弓使いであれば当然下がるものと思い込んでいた猩猩は寸毫、その動きを止め。王魔の後ろ回し蹴りで顎を吹き飛ばされた。
 しかし、猩猩も止まらない。顔を横へ傾げたまま王魔へ太い右腕を振り込み、彼女が身をかがめてかわしたところへ、下げていた左拳を開いた。
 かくて空気を高く押し割り、王魔へ飛んだものは竹の先である。猩猩は自らの足場としていた竹を掴んだままこの場へ降り立ったのだ。
 存外に頭が回るものだな。
 裂けた脇腹より跳び上がってくる痛みは意識から自動的に遮断され、王魔の思考をクリアに保つ。まあ、皮が切れた程度の傷だ。それは猩猩にもわかっているはず。だとすれば。
 猩猩の体毛が無数の針と化し、撃ち出された。ひるませておいて本命を喰らわせる算段だったのだろうが、お生憎様というやつだ。
 毛針、唾、拳、目まぐるしく攻め手を切り替えながら、猩猩が迫る。矢を射る間合が取れぬまま、王魔は押し込まれ、そして。
 いつしか極狭い範囲に竹が茂る狭間へと追い込まれていた。
 あえて上を取らずに攻め立てたのはそういうわけか。やはり頭が回るな。
 思わず苦笑した王魔に、猩猩は悠然と歩み寄り、拳を振り上げた。
 ここならば、弓が邪魔をして自由に動くこともかわすこともできまい。速射で押し退けようとしたところで、弦を引く隙間もありはしない。完全に詰みだ。
 しかし。
 猩猩の拳から我が身を守るため、王魔が突き出していた弓が唐突に弾け、猩猩の片目を打ち据えた。
 なにが起こったものか知れぬまま、猩猩は反射的に拳を突き込んだが、竹を割るばかりで肉を打ち据える手応えは返り来ない。
 なんだ!? いったいなにが!?

 王魔からしてみれば簡単な話。
 彼女はまず、弓の弦を消したのだ。弦を失えば、弓は逆側へと反り返る。これは和弓であろうと洋弓であろうと、この世のものならざる弓であろうと同じこと。
 常よりも下方を握り、弦の縛めより放した弓は、当然のごとくに前へと反り返り、倒れ込む。いかな化物であれ、完全に虚を突かれてはかわしようもなく、もっとも弱き目を打たれることとなった。
 次いで王魔は弓を消し、竹群の横へすり抜けた。目標を見定めることのできぬ猩猩の拳は彼女の脇を通り抜け、いたずらに竹を砕くばかりに終わったわけだ。
 これだけ色濃く私のにおいが漂う場だ。目が使えぬおまえに、私を追うことはできまいよ。
 わずか三歩分横にずれただけの場で、王魔は再び弓を取り戻す。
 大きく離れてしまえばにおいを辿られることもあろうが、ここからなら嗅ぎ取られる怖れはない。
 彼女は息を止めたまま、音もなく弓を引き絞り、矢を射放した。
 とん。猩猩の胸の中心部に突き立つ矢だが、分厚い毛皮と筋肉とに押し止められ、内に隠された核にまでは届かなかったが。
 届くまでノックし続ければいいだけのことだ。
 二の矢を放し、一の矢の矢頭を正確に叩いてみせれば、一の矢は先ほどよりも深く潜り込み、続く三の矢、四の矢で根元まで潜り込んで……五の矢に押されて猩猩を突き抜けた。
 それでも猩猩は残された片眼で王魔を見据え、穿たれた核を左手で握り込むようにして崩壊を防ぎつつ、逆立つ毛針で威力を高めた右腕を突き出してきた。
 その闘志は讃えよう。が、隻眼の先達として、後れを取るわけにはいくまいよ。
 竹の間を渡って猩猩の拳から逃れ、死角へ回り込んでいく。
 猩猩は詰め将棋の王将さながら、一手ずつ追い立てられ、ついには追い詰められて。
「王手だ」
 残る目を射貫かれた猩猩は、続けて自らへ死をもたらした矢を見定めることもできぬまま、闇底へと沈み込んでいった。


「王魔だ。こちらは終わった。で、そちらは? ――知らん。知らん知らん。そんなものは自分でなんとかしろ。――わかったから、さっさと位置と状況を言え!」
 スマートフォンの向こうに在る雇い主へ苛立った声音を叩き返しながら、王魔は消えゆく猩猩を一瞥することもなく、竹林を後にする。


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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【空月・王魔(8916) / 女性 / 23歳 / ボディーガード(兼家事手伝い)】
東京怪談ノベル(シングル) -
電気石八生 クリエイターズルームへ
東京怪談
2019年03月29日

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