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『コキュートスの河の果て 』
氷鏡 六花aa4969)&狒村 緋十郎aa3678

●これまでのあらすじ
 “あの瞬間”から十余年が経った。異世界との接触はさらに多くなり、異世界探査の技術も飛躍的に成長した。一度は未来を見失いかけた氷鏡 六花(aa4969)も、移り変わる社会と共に成長し、美しい女性に変わっていた。
 愚神への恨みも、いつしか正しき道を歪められた者への慈悲と憐憫に変わり、生涯をかけて彼らに終わりと救いを与えたいと願うようになっていたのである。

 これは、そんな少女が垣間見た、昏き御座での物語。

●地獄第九圏
 六花は凍原に呆然と立ち尽くしていた。身に纏う黒いドレスが寒さを遮っていたが、刻々と吹き荒ぶ風の高鳴りは、この地がいかに心胆を寒からしめるかを彼女に伝えていた。
「ここは……」
 空を見上げれば、分厚い岩盤が天を全て蓋っている。竜の牙の如く鋭い氷柱が並び六花を威嚇するその様は、世界の涯の美しさを秘める南極とも、大陸を東西に貫く雄大さを誇るロシアとも、人々の暮らしと共に在る北海道とも全く違う。
(……人を苦しめる為に存在する世界)
 六花は直感した。暗闇の果てから苦悶の合唱が響き渡る。天蓋に伸びる氷柱が震えて折れ、凍原に突き刺さった。風が吹き抜け、六花にも襲い掛かる。
(ここが地獄)
 耳を澄ますと、声が聞こえる。慈悲を望む悔悟の声、恨みを叫ぶ怨嗟の声。罪人達の声が折り重なり、地獄の中に歪なオーロラを作り上げていた。
 愚神の命を救うためとはいえ、これまで数多を殺めてきた。ついに自らも地獄へ落ちたかと、六花は一瞬そんな事を考える。だが、どれほど激しい吹雪がその身を叩きつけても、六花は少しも寒さを感じなかった。
 さらに激しい吹雪が駆け抜けた末に、六花の懐から一冊の本が擦り抜けて落ちた。六花は慌てて拾い上げ、本を見つめる。
 ダンテ『神曲』。煉獄と地獄に蠢く人の命を著した、偉大な傑作の一つだ。そこで六花は、気が付く前に何をしていたか思い出す。
(そっか。……これを読んだまま、何だか眠くなって……)
 となれば、ここは自分の意識の中に現出した地獄の第九圏なのか。六花は首を傾げると、辺りを慎重に見渡しながら歩きだした。

●緋色の氷像
 地獄は険しい氷山のようだった。夢の中であるはずなのに、六花は深い雪に何度も足を取られた。よろめいて膝をつく度に、地獄の底の有様が見える。
 外縁に繋がれた巨人達が見下ろす中で、巨大な彫像から溢れ出る氷の河が亡者達を呑み込んでいる。裏切りを行った人々が、等しく氷の中に閉ざされているのだ。血縁者に対する裏切り者、祖国に対する反逆者、賓客に対する裏切り者、恩ある主に叛いた者。誰もが凍り付き、血に塗れて呻いていた。六花は思わず目を背ける。
(……こんな世界に、いるの?)
 正しく目を覆ってしまうような惨状を前に、それでも六花が凍れる山を登り続けていたのは、その中に懐かしい気配を感じたからだ。それは何をも発しない。慈悲を求めもしなければ、怨嗟を訴えもしない。ただ黙々とそこに在った。
 行かなければ。一種の使命感さえ感じながら、六花は再び立ち上がって山道を登った。硬い氷の道を踏みしめるうちに、山の天辺から何かが聞こえる。肉を潰し、骨を噛み砕くような奇怪な物音。何枚もの翼が羽搏く不気味な物音。山から吹き下ろす凍風の勢いは、頂上に近づくにつれていや増していく。寒さは感じずとも、その風の勢いだけでも骨身に堪えた。
(これにも加えて、絶対零度の寒ささえ感じているのね)
 六花は静かに目を伏せる。哀れみの感情がその中にある事を確かめると、六花は眉を決して雪道を突き進んだ。岩肌に突き出す氷の礫を掴んで、鋭い急勾配を何とか這い上がる。

 山の頂上に、辿り着いた。

 溜め息を一つ零して、すり鉢状になった山の中心を見つめる。一際広い氷の湖の中に、三面の堕天使が腰まで沈められていた。
「ルチフェロ……」
 その翼が羽搏く度に凍風が巻き起こり、周囲を氷雪に包み込む。三つの顔は、それぞれ口に裏切り者達を咥え込み、噛み砕き続けていた。こここそがジュデッカ、裏切り者達の辿り着く、地獄の涯。
「あ……」
 六花は思わず息を呑む。氷雪の中に閉ざされた者達の中に、僅かな緋色が見えた気がした。それは何かを抱きかかえ、うずくまるように座り込んでいる。六花は山肌の淵を乗り越えると、すり鉢の坂を一気に駆け下り、緋色の下へと駆け寄った。
 近づくほどに分かる。その緋色は、凍り付いて固まっているが、間違いなく獣の毛皮のそれであった。
「……狒村、さん」
 六花は声を張り上げる。しかし、吹き荒れる寒風に遮られたのか、それとも彼が気を失っているのか、その声が彼に届く事は無い。幼い少女を抱いたまま、ただ項垂れている。
 その少女は、ボロ布一つ与えられただけの格好で地獄の涯の責め苦を受け、ただ震えていた。彼女の身を守るのは、狒々の毛皮ただ一つのみである。
 身を縮めた少女は、ほんの僅かに顔を上げる。その顔は、幼かった頃の六花に瓜二つだった。
「……雪娘」
「あなた、は……」
 唇を紫色に鬱血させた少女に、最早生前の邪悪な面影はなかった。凍った指先足先は黒ずみ、腕や太ももには、紫陽花の花弁を散らしたように紫色の斑点が浮かんでいる。人類を大人子ども問わずに翻弄する可憐ささえも、そこにはない。
 眼を閉ざす獣人にしても、同じような有様だった。短い毛並みは押しなべて凍り付き、滲んだ血がその氷を染め上げていた。遠くからでも緋色のそれと知れたのは、彼が紅い霙に包まれていたからだ。
 毛に包まれない耳朶は、既に腐って落ちかけている。その悲惨な有様に、思わず六花は目を伏せた。雪娘はそんな彼女の表情を一頻り見つめた後、獣人の胸元をそっと叩いた。
「ね。お客さん……だよ」
「む……」
 そこで、ようやく獣人の男は閉ざしていた眼を開いた。丸めていた背を僅かに伸ばし、背を包む氷をざらざらと震わせながら振り返る。
「……その声は、氷鏡さん……か」
「狒村、さん」
 思わず六花は息を呑む。狒村 緋十郎(aa3678)の左の眼窩は、既に虚ろ。入り口で見た嘆きの彫像のように、ひたすら深紅の血を垂らし続けていた。

●獄門の内で
 緋十郎は霞む眼をじっと凝らし、眼の前に立つ貞淑そうな少女を見つめた。シスター服風のドレスに身を包んだ妙齢の少女。その面立ちのどこかには、彼女と共に在る英雄の影も見える。腕の中にかき抱くヴァルヴァラ(az0114)と瓜二つだった見た目は、すっかり大人びていた。その姿が、地上では随分と時が流れていた事を知らしめる。
「随分と大きくなったな。あれから……何年経ったんだ」
「10年ほど……です」
「10年か。……俺にとっては、たった一夜の出来事のようにも、一世紀も彼方の出来事のようにも思える。朝も夜も無ければ、時を感じる事などままならぬのでな。肉体が朽ち果て、再び蘇った頃に……ようやく何かが一巡りしたのだとわかる」
 既に感覚の失われた足をどうにか動かし、緋十郎は六花に向き直った。
「墓前で伝えてくれた言葉……聴こえていた。つくづく……すまない。王を討ってくれたことに、心から感謝する」
 その腕の中にあったヴァルヴァラも、小さく口を開いた。
「……私も。……ここにいて、何となく感じたんだ。おわったんだって。少しだけ、らくになった。……まあ、寒さは何にも変わらないけど……」
 彼女の呟きを聞いて、六花は神妙な顔をする。しかし、彼女は何も言わずに緋十郎へ眼を向け直した。
「……あの。その、左目は」
「これはな、閻魔に差し出してやったのだ」
「閻魔に?」
 緋十郎は小さく頷く。
「そうだ。彼岸と煉獄は似て非なる物、境がある物故、本来は彼岸に在るべき俺が煉獄から地獄に降る事など罷りならんと言われたが……俺は四十九日の間三途の川の淵において大石を抱き続けて舟守の手を撥ね退け続け、ようやく左目と引き換えに此方へ下る事を許された……という事なのだ」
「そこまでして……雪娘と一緒に」
「ほんっとに、おばかさんだよね。緋十郎。私のことなんか、気にしなかったら、きっと幸せになれたのに。ほら、私も、緋十郎も、こんなになっちゃって……」
 ヴァルヴァラが手元を眺めようと腕を動かした途端、黒く染まった指が緋十郎の腕と擦れ、ぽろりと落ちた。
「また……今度はいつもとに戻るんだろう」
 自嘲気味に呟くヴァルヴァラ。その頭をそっと撫で、緋十郎は小さく首を振った。
「……俺もまた大罪人だ。恩義に報いず、永遠の愛の誓いすら破り、皆を裏切り、身勝手に……自ら命を絶った。俺には……地獄が相応しい」
 自らの行いを振り返る緋十郎。しかし、その心に渦巻く雪娘への慕情を隠し通す事など出来はしなかった。
「しかし……嘆かわしい話かもしれぬが、俺は今……この上なく幸せなのだ。こうして……ヴァルヴァラと共に居られる。俺の身体が……僅かばかりでもヴァルヴァラを寒さから護る役に立てている」
 緋十郎は雪娘を見つめる。ヴァルヴァラは唇を結び、気恥ずかしそうに顔を背けた。とうに真っ白になって、紫色にさえなりつつあるはずの彼女の頬が、ほんの少し朱に染まったような気がした。
「何より、我が想いを……ヴァルヴァラが受け止めてくれた。この緋十郎……些かの悔いも無い」
「……そうなの?」
 六花は尋ねる。現世では、これでもかと緋十郎の慕情を足蹴にしてきた雪娘。しかし地獄の少女は、口元を震わせて、小さな溜め息を零した。
「だって……ここまで追いかけてきたのに、フッたらかわいそうじゃない?」
 かわいそう。そんな言葉が、雪娘の口から聞ける日が来るとは思えなかった。それにしても、王の呪縛から解き放たれても、どこか素直じゃないのはそのままらしい。
「……ん。狒村さんらしい、ですね。今が……幸せなら、良かった……です」
 六花は微笑むと、雪娘をちらりと見遣った。
「雪娘も、嬉しいのね」
「ばか……」
 呟いた後、さらに雪娘の口がふわりと動く。何を言ったのかは聞き取れない。でも、六花には何となく伝わった。
「……きっとね、ずるいって思ったの。私にそっくりな顔のくせして、幸せそうだったから」
 六花は深く頷くと、彼女の傍に跪き、その腕をそっとさすった。
「良いのよ。……とは言えないけれど、もう、雪娘の事を仇だなんて思ってないよ。きっと皆……王自身も、皆が無限の可能性に振り回された被害者だと思うから」
 今も同じような意志に目覚めた仲間達が、どこかの世界で戦いを続けている。王が遺した絶望へケリをつける為に。
「だから、今はみんなを呪縛から解き放つために戦っているの。愚神も、今も残滓として残り続けている王も、全部」
 様々な感情が浮かび上がってくる。けれど、その大半が言葉にはならなくて、目元からそっと溢れてきた。
「伝えたかった。もう一度、話がしたくて。……本当の、ヴァルヴァラが知れて良かった」
 ヴァルヴァラは俯いて、そんな六花の呟きを聞き続けていた。
「……愚神になる前の、ヘイシズに……会ったの」
「あの……ライオンおじさんに?」
 ヘイシズ(az0117)に対するその言い方に、六花はクスリと笑った。
「そうね。確かにそんな感じ。ただ真面目で優しい人って感じで。私の願いも、真剣に聞いてくれて……協力してくれてる」
「奴が……か」
 緋十郎は顔を顰める。彼にとって、あの黒獅子は雪娘を唆して悲惨な末路へ突っ込ませた存在でしかなかったのだから。その顔をちらと見遣り、六花はヴァルヴァラの凍った髪を撫でた。
「もしかしたら。貴女も……何処かの世界では……」
 懐に収めた『神曲』が、うっすら光を放ち始める。その光は、そっと六花を包み込んだ。地獄歴訪の時が終わろうとしている。悟った六花は、小さく手を合わせた。
「貴方達が、いつか赦されて、救われますように……」
 光に眼を細めていたヴァルヴァラは、去り行く六花にぽつりと言葉を投げかけた。

「……あなたが、そうなんじゃないの?」

 六花ははっと目を見開く。しかしその瞬間、世界は再び分かたれる。暗闇に戻った地獄を見渡し、雪娘は嘆息する。
「……行っちゃったね」
「そうだな」
「また、二人きりだよ」
「……そうだな」
 二人は再び身を寄せ合い、小さくうずくまった。



 目を覚ました六花は、『神曲』を本棚へ戻す。しばらく物思いに耽っていた彼女は、やがて強い意志を帯びた眼で部屋を後にした。



 END



━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

●登場人物一覧
 氷鏡 六花(aa4969)
 狒村 緋十郎(aa3678)
 ヴァルヴァラ(az0114) 
 ヘイシズ(az0117)


●ライター通信
いつもお世話になっております。影絵 企我です。
この度はご発注ありがとうございました。地獄描写についてはこちら専門なのである程度全力でやらせて頂きましたが、お気に召すものにはなったでしょうか。あと雪娘の描写についても……

何かありましたら、リテイクをお願いします。

また、御縁がありましたら。
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2019年04月05日

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