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『八重と八重 』
日暮仙寿aa4519)&マイヤ 迫間 サーアaa1445hero001)&迫間 央aa1445)&リオン クロフォードaa3237hero001)&藤咲 仁菜aa3237)&不知火あけびaa4519hero001

 染井吉野がその淡紅を振り落とし、それを先触れとしたかのごとくに八重の桜が柔紅をほころばせた、四月。
 日暮仙寿はその花弁に飾られた路のただ中に立ち、一点を見つめていた。
「来る?」
 傍らに立つ不知火あけびの問いに、ふと視線を向けてうなずいて。
「ああ。知りたいわけでもないのに知れる。もうすぐ、“俺”が来ることが」
 果たして。ひとりの美丈夫が姿を顕わした。

「据わっているわね。体も心も」
 ぽつり。仙寿の後方から美丈夫を見やるマイヤ 迫間 サーアがうそぶけば。
「技も、なんだろうな」
 彼女を守って立つ夫、迫間 央が応えた。
 もちろん、美丈夫がマイヤに害を為すとは思っていないが……気がつけば一歩、踏み出していた。説明できる理由はない。強いて言うならエージェントとして重ねてきた経験が反応した、それに尽きる。
 それすらも「だろう」としか言えないんだけどな。
「――顔も雰囲気も、仙寿さんとすごく似てるね」
 苦笑を閃かせる央の左方、藤咲 仁菜がぐっと息を飲んだ。正確に言えば、あの美丈夫はこれまで幾度となく見てきた仙寿とあけびの共鳴体と酷似しているのだ。
「うん、似てる。ただちょっとちがうな」
 応えたリオン クロフォードは、自らが発した言葉の意味を自問した。なにがちがう? なんにも始まってないうちにこんなこと、絶対言っちゃダメなやつだけど……格がちがう?
「でも、なんだかやさしい目、してる」
 唐突に言った仁菜へ、リオンと央が振り返る。あの男が、やさしい?
「とりあえずは心配いらないみたいね」
 その中でマイヤひとりが仁菜の言葉にうなずきを返し、央の視線を対峙の場へと促した。
「それでも、結果としての死はありえるわ。……仙寿君とあけびちゃんが、そこにまで踏み込めるなら」


「しばし、桜に吹かれる風情を楽しむつもりだったのだが」
 守護刀「小烏丸」に手をかけぬまま、美丈夫がゆるやかに声音を投げた。
「どれくらいこちらにいられるかわからないんだろう? 風情を楽しむのは勝負の後だ」
 同じく、無造作に立ったまま応える仙寿。
 これを聞いた美丈夫は口の端を吊り上げて。
「死なず、殺さぬ気か。歌うようになったものだな、蕾」
 と、あけびが薄笑みと共に語り上げた。
「剣に生きるのならば、己を確と持て。揺らがず、恥じず、貫け。士道とはそれをして己を捨てず、なお人を生かす道。ゆえにこそ誰かを救う刃となれ。誰かを救う刃であれ」
 それは幼きころ、剣の師匠たる美丈夫に伝えられ、先の再会時にわずかな改変を施された、士道の教えである。ただし。
「己を捨てず……俺はそれをおまえに伝えたか?」
 ふと眉根をひそめた美丈夫に、あけびはかぶりを振って、うなずいた。
「あれ? なんで私。あれ?」
 あけびが唱えたは、仙寿之介が妻に語った教えである。
 俺と蕾同様、ということか。仙寿之介はかすかにうなずき。
「構うな。ただし、口先で唱えた“己”をどれほど映せたものか――」
 わずかに腰を落とした美丈夫は仙寿とあけびを半眼で見据え。
「その刃に問おうか」
 対して仙寿とあけびは共鳴し、鏡に映したかのごとき美丈夫の様を顕わした。
「日暮流剣術、日暮仙寿」
『不知火流忍術、不知火あけび』
「『いざ尋常に、勝負!」』
 美丈夫のそれと対をなす小烏丸へ手をかけ、鯉口を切る。
「日暮無手勝流、日暮仙寿之介。その挑戦、しかと受けた」
 あのときと同じく小烏丸を上段に構え、美丈夫――日暮仙寿之介は大きく踏み出した。

「踏み込んだ!?」
 リオンが思わず声をあげる。
「どういうこと? だって、刀で戦うんだったら踏み込む……よね?」
 仁菜の疑問に応えたのは央だ。
「剣術は相手を“先”に獲るためのものだ。先の先でも後の先でも、突き詰めて言えば相手より小さい挙動で斬り込んで先に当てるための騙し合いなんだよ。話に聞いてた仙寿之介は相手を動かして斬り返す、後の先タイプだったはずなんだけど……」
 言いよどんだ央の後へ、興奮した口調をリオンが加えていく。
「最初の最初で自分がまっすぐ踏み込むって、剣術では最悪手だから。だって、それだけ斬られやすくなるだろ? 盾か、せめて剣で牽制しなくちゃだめなんだよ!」
ふたりの解説のおかげで、仁菜も経験を当てはめて考えることができた。
 致命傷とは、傷を重ねられた末に訪れるものではない。ゼロから突然生じるものだ。だからこそ防御が不可欠なわけだが、仙寿之介は守らずに踏み込んだということ。
「普通なら下策だけれど、この場合はそうならない」
 託宣する巫女がごとくにマイヤがうそぶいた、次の瞬間。
 一同はその言葉の正しさを目の当たりにした。

 敵の踏み込みに合わせた仙寿。繰り出した切っ先が、仙寿之介のあいた腹へと潜り込む――はずが、空を抜けていて。
「っ!?」
 重心をかけていた右足が高く浮き上がる。
 払われたのだ。巻きつけられた仙寿之介の左脚で、ふくらはぎを。
『息抜いて!』
 主導を取ったあけびが共鳴体をねじり、浮いた右足を回し蹴りで振り下ろすが、そのときにはもう仙寿之介は行き過ぎていて届かない。
 そのまま体を反転させ、仙寿之介と向き合ったところで主導を返された仙寿は抜いた息を吸い、もう一度吹いた。
『今のは古流の剣か』
 内で漏らされた仙寿の疑問に、あけびはかぶりを振って。
『ちがう。多分、柔術』
 柔道のように相手の挙動を掬ってバランスを崩すのではなく、自らの挙動で相手を強引に崩す技。現代においても、柔術の内に剣を含んだ流派は存在するし、おそらくはその応用といったところだろう。
 仙寿之介との再戦、それだけを見据えて鍛錬を重ねてきた仙寿とあけびである。しかし仙寿之介もまた、ふたりとの再戦に備えて土産を持ってきてくれたわけだ。
 剣士として、これほど躍らされることはない。
『あけび、主導を切り替えながら行くぞ』
『了解!』
 かくて主導をとったあけびが共鳴体を跳ばせた。一歩を踏み込んでおいて体を右へ流し、刃を斬り込ませる。
 対して仙寿之介はわずかに身を引いてやり過ごすが、すぐに体を固めて刃を突き下ろした。それは飛び来たる縫止の針を防ぎ止めてしゃらしゃらと高い音を鳴らし、結果、三歩めを踏んだ仙寿の気配をかき消した。
「こちらの見切りを逆手にとり、挙動を止めさせる。ここまではあけびの定石だな。が、それはおまえたちの次手を絞るものと知れ」
 背後からの斬気を無視して体を巡らせ、分身を斬り伏せた刃を返して斬り上げる。
 立てた刀身の鍔元でなんとか受け止めた仙寿は、足を踏ん張らずに後ろへ跳び、小烏丸を正眼に構えなおした。
『虚を突いた後にできるのは、虚を重ねるか実を打ち込むかのふたつだけってことか』
『結局は見切りのほうが動きも小さいし、お師匠様なら数十手でも見切り続けられるだろうけど……』
 仙寿とあけびは交錯する互いの思いを噛み締める。

「虚を為そうとしてしかけるほど、当然動きは複雑になって速度が落ちるわ。それじゃああの男には届かない」
 マイヤの解説に、リオンが何度もうなずいた。
 なんだよ。手数はともかく、まだ一手だろ。なのに、あれだけ濃いなんて――やばい。やばいやばいやばい。俺、震えてる。
 俺だったらどうする? 盾にすがってたらあっさり斬り込まれるし、剣に拘ってたらすぐ打ち負ける。盾でいなしながら踏み込んで、突き込むか? だめだな。突きは出が速い代わりに突き込んだ後の動きが止まるから。最少の動きで斬り続ける? それだと息してる暇、ないよな……!
 想像するだけで、剣士として震える。男として奮える。
 それを隠しきれぬリオンの肩を、央が軽く叩いた。
「まったく、仙寿君はとんだ相手を宿縁の敵にしたものだ」
 H.O.P.E.の神速と謳われる央ですら、崩す手の見えぬ剣士。こちらがどれほど手を尽くそうとも不動の内で受け流し、最短と最速を返すあの男は、ある意味で央や仙寿にとって最悪の敵と言えるだろう。
 それだけじゃない。あの男は自分からも動けるんだ。攻防と動静、組み合わせられた剣はまさに無尽だな。
 と。俺もいつの間にか、あの男と対したときのことを考えてる。
 思わず息をついた央の手に、マイヤの手が重なった。
「しっかりと見ておきましょう。この戦いはワタシたちにとってもひとつの目安になるわ。それに」
 声を潜め、央にだけ告げる。
「央があの頂を望むなら、ワタシがそこまで押し上げるから。“できることなら”じゃなくて、“かならず”」
 未だ子が宿る気配のないことを央に、そして央の母に申し訳なく思う。
 しかし、子を宿してしまえば、どのような形であれ央のそばから離れなければならなくなるだろう。
 私は央だけのものだから、央のためだけに生きるの。だから思うままに私を使って。あなたが目ざしたい先を、かならず切り拓いてみせるわ。
 その思いが、実のところは央から離れたくない、子どもにすら央を取られたくない、それだけの未熟な独占欲であることを知りながら、それでも思うことをやめはしない。やっと得た彼のとなりを失えば、彼女は今度こそすべてのよすがを失くしてしまうから。
 央の胸に背を預け、マイヤは央と同じ迅さという資質を備えた仙寿が打つべき次の手を探り、思い描く。
 そして。祈るように戦いを見つめ続けていた仁菜の手がリオンを返り見た。
「リオン、私たちも共鳴しよ」
「え?」
 あのふたりの剣は、仁菜とリオンが二度と失わぬため、戦いの内で確立した盾なる剣技とはちがう。央とマイヤが磨き上げた影渡る必殺剣ともちがう。仙寿とあけびだからこそ為せる技と業(わざ)のミックスであり、おそらくは仙寿之介だからこそ為せる剣――その先なのだろう。
 彼らの刃は果てなく冴えて、美しい。
 しかし、なによりも澄んでいながらなによりも強い交錯は、その冴えを侵し、瞬く間に静謐の美を波紋で濁らせてしまうだろうと知れるから。
「きっとあの戦いは長く続かないから。いつでも回復に行けるように備えるの」
 見とれているだけなんかじゃいられない。
 私がここにいるのは失わないためなんだから。仙寿さんとあけびさんを、私は絶対失わない。それから仙寿さんたちの宿縁の相手の仙寿之介さんも、絶対失わせないよ。


 一気に押し詰まった空気を押し退けたものは、あけびの放った蹴り。腿を横薙ぐと見せて腰を返し、鉤を描いて飛ばした足の甲が、仙寿之介の首筋へと降り落ちる。
 この縦蹴りを仙寿之介はかわさない。逆に蹴りへと体を寄せた。
「っ!」
 固い頭蓋を叩かされた蹴りが弾け、共鳴体をぐらつかせた。
『お師匠様が頭で受けるなんて――』
 あけびの背筋を“ぞくり”が駆け上り、考えるよりも先に地へ背を投げ出させる。
 その眼前を通り過ぎるのは、仙寿之介の右脚。ただしその軌道は剣術のものでも柔術のものでもありえない、畳んだ膝をふわりと伸べて繰り出す右のミドルキックのそれであった。
 仙寿之介が体勢を戻す前に間合を取り、あけびは主導を仙寿へ。
「至近距離でも虚を突かせない気か」
 獰猛な笑みを刻んだ仙寿が言う。
 剣士にとって、鍔迫り合いの間合とはどん詰まりである。剣を押し合わせて互いを突き放し、一閃させられるだけの間合を確保するには相当な疲労を強いられることとなるのだ。
 それを避けるべく、仙寿とあけびは共鳴体の主導を切り替える策を編みだした。常の間合では仙寿が剣術を、間合が詰まりきったときにはあけびが忍術を使う。これならば無駄な消耗を避けつつ戦い続けられるし、攻防のリズムを変えることで仙寿之介を惑わすこともできる。
「おまえたちはふたりがかりか」
 ふと、仙寿之介が問うた。
「俺とあけびのふたりがかりだ」
 応えた仙寿に、仙寿之介は穏やかな目で言う。
「後ろで見ている四人を含めて六人がかりとしておこうか。しかし」
 次いで小烏丸を右手ひとつで胸元に立て。
「今日の俺は百人がかりでおまえたちに対している。俺と縁を繋いでくれた人々が教えてくれた技のすべてを、この兵法に込めて」
 踏み出すと同時、右手を突き出した。
 咄嗟に弾いたはずの切っ先が、仙寿之介の手首の返しで軌道を取り戻し、仙寿へ突き立つ。
「っ」
 斬り返して抉られるを防いだ刃が、ぐるりと巡った仙寿之介の切っ先に巻き取られかけて、仙寿は無理矢理に愛刀を引き抜いた。
『今度はフェンシング!』
 従来の仙寿之介の剣であれば受けきれた。昼も夜も彼の剣閃を思い描きながら鍛錬を詰み、対策を練ってきたのだから。しかし。
「おまえたちは剣の道の先を考えたことがあるか? はずかしい話だが、俺はつい最近までまるで考えたことがなかった。頂に座すばかりで満足し、我は孤高と酔いしれていた」
 仙寿の攻め返しを中国武術さながらのアクロバットで打ち払い、腰を深く据えた。
「そんな俺の眼を、百の友が開かせてくれた。頂とは峰であり、そこを歩む者の片脇には、同じ道を行く多くの同志があるものだ。俺は始め、彼らを導いてやろうと息巻いたものだが……気がつけば導かれていた」
 ひとたび刃を鞘に収めた仙寿之介は、息を整えた。
 あけびにとってはなによりも見知っている師匠の構えであり、仙寿にとってはなによりも馴染み深い剣客の構えである、抜刀の型をとって。
「俺はおまえたちに示そう。誰かに救われた刃として、誰かを救う刃としてのひとつの答を」
 同じく鞘に刃を収め、仙寿も腰を据える。
『仙寿、笑ってる』
 指摘された仙寿は内のあけび、その表情に意識を向けることなく返した。
『おまえもだろ』
『もちろん』

「終わりの始まりね」
 マイヤが胸に詰まった息を吹き抜き、告げた。
「あの才が孤高を気取らず、百人の武術家から真摯に学んだとして、どうなる?」
 独り言ちる央に、仁菜の内のリオンが悩みながら応える。
『さっきみたいに、いろんな技が使えるようになる……よな。でも、別に達人級ってわけじゃないし、仙寿さんたちも初見できっちりしのげてるし』
 そう、仙寿之介が多くを学んだのだとしても、仙寿とあけびもまた多くの学びを、すさまじい速度で積んでここにある。すべてはあの男と対するためにだ。
「その疑問の答は次の一合でわかるでしょう。他流の技をあれだけ見せておきながら、今になって本来の構えを取り戻した意味も」
 マイヤの言葉に、いつでも跳び出せるように身構えた仁菜は思う。
 桜が舞うみたいな、いつもどおりの仙寿さんとあけびさんの戦いになるんだろうって、最初は思ってた。少しでも目を離したらどっちかの命が消えちゃってるんじゃないかって、不安だった。でも。
 この戦いはなにも舞い散らないまま終わるんだね。


 仙寿の一歩が地を躙った瞬間、仙寿之介の右手が小烏丸にかかった。彼本来の兵法たる、後の先を取る剣。
 しかし、仙寿は踏み込んだつま先を据えることなく先へ送っている。抜くべき間合を踏み越え、仙寿之介の眼前へ至った彼の髪先から、影なる桜がほろほろこぼれ落ち――仙寿之介の視界を埋めた。ゼロ距離からの繚乱である。
「――」
 惑わされることなく耳目を澄ました仙寿之介は。影桜のただ中に剣をはしらせた。肉を撫で斬る確かな手応えと共に、影の内から肩を裂かれて鮮血を噴き出す仙寿の姿が現われる。
 しかし。
 刹那の間を持って、仙寿は再びかき消えた。影桜の隙間を埋めた自らの血、その裏に身を潜めて。
 形こそちがっても、これは仁菜とリオンが教えてくれた、失わないために自らを防壁と為す有り様だ。
 仙寿は胸中でうそぶき、加速する。
『私たちはシャドウルーカーだからね。守るより惑わす』
 主導を仙寿に預けたあけびが薄笑んだ。私が痛みを半分引き受ける。だから仙寿は仙寿の剣を貫いて。
 血臭とその重さで仙寿之介の鼻と肌を、影桜で目を封じておいて、仙寿はその狭間を渡る。
 そしてこれは、央とマイヤが教えてくれた、シャドウルーカーの最適解だ。
 影渡からのザ・キラー。それこそは迅さを極めたマイヤの暗殺術と央の剣とが辿り着いたひとつの正解。
 仙寿之介の背後に滑り込み、音もなく小烏丸の柄頭を振り下ろす仙寿。だがその一閃は、空を切った。
「おまえたちが友から学んだ技か」
 五感を塞がれたはずの仙寿之介は、仙寿の必殺を見切っていた。仙寿の形なき斬気を、剣士としての有り様で感じ取って。
「いい友を得たものだ」

 震える両脚を踏ん張り、ぐっと息を飲む仁菜。
 少しでも気を抜けば逃げ出してしまいそうで……でも、私は最後まで見届けるって決めたから。絶対逃げたりなんかしない。
 そんな彼女の心を、リオンはそのライヴスと意志とで支え続ける。
 ニーナが逃げないって決めてるなら、俺が支えて守るから。
 俺はずっと、昔守りきれなかったものの影を追いかけてたけど、でも。それよりもなによりもたった今、絶対守りたいのはニーナなんだよ。

 一方、マイヤはすがめた目を数瞬の静止へと向けていた。
 勝負はすでについているのに、だからといってここでは終われない。
 ――あけびちゃん、女は辛いわね。どれほど愛していたところで、男同士の宿縁に割って入ることはできないのだもの。
 マイヤの寂寥を察した央が、やわらかくマイヤの背に添った。

 仙寿之介が無造作に踏み出した。
 ただそれだけのことであるはずなのに、仙寿には、あけびには、仙寿之介の歩が見切れない。
 彼の歩は兵法のものでありながら、兵法のものではなかった。数多の剣術や格闘術の理を映しながらもそれに当てはまらぬ、歩。
 対して仙寿は、小烏丸を正眼に構えて息を絞る。
 仙寿之介が先に踏み込んだのは、俺に応じる間を与えるためだ。
 今の俺になにがある? なにがどれだけ残っている? 手は尽くした。友の力も借りた。見せられるだけの俺自身とはなんだ?
 と。あけびのライヴスの熱が仙寿の冷えた迷いを溶かし、解かしていく。
 私を全部、仙寿に託すから。悔いのない一閃をお師匠様に、私に見せて。
 そうだ。俺にはここへ至るまでの時がある。あけびと出逢って、友だちと出逢って、ひねくれるだけだったガキの俺は俺に成り仰せたんだ。
 果たして打ち込んだ。剣を持たされたときから、数えきれぬほどに繰り返してきた面打ちを。
 出逢いがもたらした思いと願いのすべてを込めて振り続けてきた仙寿だからこその、最高の打ち込みが仙寿之介の額へ伸びる。
「俺は幸いだ。支え合ってくれる友がいてくれて、対してくれる敵方(あいかた)がいてくれる。永の果てまで続いたかもしれぬ俺の孤独を救ってくれたひとりはあけびで、そして仙寿、おまえだ」
 額をかすめ落ちる刃へ語りかけた仙寿之介は、仙寿の喉元へ突きつけた切っ先を引き、刃を収めた。
「そのまま返す。道の先におまえがいてくれることで俺はこんなにも救われた。二度と剣を交えることのないこの先も、救われ続けるんだろう」
 語りを返した仙寿の内、あけびはなにも言わずに師匠たる仙寿之介へ一礼した。
 お師匠様は私たちに剣の道だけじゃなくて人の道を示してくれた。私はそれに応えたい。己を確と持って、揺らがず、恥じず、貫いて。


「思ったよりダメージ少なくてよかったです。それから」
 仙寿と仙寿之介にケアレイをかけ終えた仁菜は表情を正して一礼し。
「みなさんおつかれさまでした!」
 仙寿と共鳴を解いたあけびに向きなおり。
「染井吉野と八重桜、相咲きましたね!」
 晴れ晴れとした笑みを湛えるふたりへ、思いきりうなずいてみせた。
「負けて咲いたってのはな……」
「いいんじゃない? 最後の面打ち、お師匠様に届いたし」
 眉を困らせた仙寿の背をあけびが押しつけて促し。
「仁菜、リオン、見届けてくれてありがとう。ふたりの盾なる心が私たちのこと支えてくれたよ」
 あけびに続き、仙寿もまた頭を垂れ。
「本当にありがとう。この先へ共に踏み出していくふたりに、俺は見届けてほしかったんだ。これからもよろしくな」
 そこへマイヤが声音を差し込んだ。
「悔いはないわね?」
 あけびは強くうなずき。
「はい。全部、出し切りました」
「その割には仙寿君に任せる場面が多かったみたいだけれど? 愛する人を信じるって、尊いわよね」
 え、え、え? 見る間に赤くなるあけびを置き去り、仙寿に言葉をかける。
「この後はなによりあけびちゃんのことを考えて。ワタシなら央に任せたりしない。一秒でも早く殺すわ。だってそうでしょう? 愛した男の宿縁の相手なんて、女にとってはどうにもならないくらい邪魔なんだから」
 結局言うのか。しかし俺は愛されてるな。しみじみと噛み締めながら、央は仙寿の肩を叩いた。
「ま、男としてはとにもかくにもうなずいておくのが甲斐性ってもんだよ」
 対して仙寿は笑みを返し、かぶりを振る。
「央とマイヤの絆の有り様は俺にとってなによりの標だ。今後も参考にさせてもらう」

 六人の六様をながめ、仙寿之介は息をついた。
「さて。俺も戻るとするか。勝ったはずがこうも寂しい思いをするのは業腹だしな」
 言いながら、いつの間か横に置かれていた風呂敷包みをあけびへ渡した。
「土産だ。思い出す必要はないが、おまえともっとも仲のよかった兄貴分が、どうしても言わずに伝えてくれというのでな」
「貝のお菓子?」
 包みの中身は、薄紅に染められた白餡を貝殻の形をした葛餅で包んだ、美しい菓子である。
「風流だな」
 央が感心する横から、仁菜は「あ」と顔を出し。
「蛤ですよね? お菓子じゃないですけど、おめでたい席とか、結婚式によく使われてる貝」
「……なんで結婚式で貝なんだ?」
 首を傾げたリオンに、仁菜はしたり顔を向けた。
 ちなみに彼女がそうしたことにくわしい理由は、スポンサーが気まぐれに彼女とリオンへ振る舞ってくる料理の暗喩を知るため、かなり真剣に学んでいるからだ。
「貝合って昔々の遊びがあるけど、それって蛤は同じ貝の上下じゃなきゃぴたっとはまらないからなんだよ。夫婦になるふたりは、相手がお互いじゃなきゃだめなんだーって、そういうこと!」
 前半はともかく後半についてはわかったようなわからないような……でも、だったら俺がしなくちゃいけないことなんてひとつだぜ!
「俺、蛤いっぱい獲ってくる。ニーナとふたりで食べられるようにさ」
 そんな彼に仙寿之介はやれやれと。
「確かにその娘御が言うとおり、結婚をにおわせるものではあるんだが……さすがにその歳で、先走りが過ぎるだろう」
 思いがけず核心を突かれたリオンは赤を通り越して黒ずんで。
「いやっ、俺っ、ニーナかわいいなって、大事にしたいなって、それだけだしー!!」
 盾なる誓いはどこへやら、猛烈な勢いで逃げ出していくリオンに置き去られた仁菜はひとり、「え? リオンそれっ、ええっ?」、もだもだ繰り返すばかり。
「若いわね」
 うそぶくマイヤは、先ほどから央の腕にしがみついたまま離れない。
 見ようによっては子どもじみた独占欲だが、それだけの愛をごく自然に受け止める央があってこそのものであることは、家庭人として歩み出した仙寿之介にも知れた。
 心を剥き出して預けるだけの器というわけだ。
 見定められていることを察しながら、央はにこやかに仙寿之介へ言った。
「私とあなたとの間に宿縁はありませんが、それでもここに立ち会えたことを幸運に思います。俺にも目ざすべき峰が見えましたから」
「見れば同じ剣士。いつか道行の途中で互いを見ることもあるだろう。そのときを楽しみにしておこう」
 果たして身を翻した仙寿之介の前に、仙寿が立つ。
「俺のほうも手土産を用意した。持って行ってくれ」
 包みを差し出すその手がわずかに赤い。
「シベリアという菓子だ。ざっくり言えば羊羹をカステラで挟んだものなんだが……俺とおまえの間にあけびがある、その様をなにより表わせるかと思ってな」
 言わなきゃ伝わらないと思ってるんだが、こうしてみるとうまく伝えられないな。仙寿はかぶりを振って姿勢を正し。
「感謝している。あけびとの縁を確かめさせてくれただけじゃなく、おまえっていう無二の男が俺の敵になってくれたことを」
 仙寿之介はそれを穏やかに受けて。
「先も言ったが、俺もおまえに感謝しているさ。まあ、あと幾度立ち合ったとて一度たりとも負けてやる心づもりはないが、それでもいいなら追ってこい。俺の唯一の敵方として――仙寿」
 今、蕾ではなく仙寿と呼んだか?
 仙寿が問うよりも早く、仙寿之介の姿はかき消えていた。
「最後まであっさりしてるのがお師匠様っぽいよね」
 あけびが泣きそうな顔で笑う。
 納得していないけれど、納得している。相反するふたつの思いをひとつの胸に抱き、先を向けば。
「なあ、蛤ってどこにいるんだ!?」
 駆け戻ってきたリオンを「もー、ちょっと落ち着いてよ!」と仁菜が止め、央とマイヤがそれを微笑んで見守る。
「みんなの分のシベリアも用意してきてあるし、茶会と洒落込もう。八重は今が見頃だからな」
「すぐ準備するね! お師匠様のお菓子も楽しみー」
 仙寿とあけびが支度を始め、すぐにそこへ四人が加わった。

 人の和が輪となり、縁なる円を描く。
 愛しき染井吉野と並び立つ八重は、友たる花々と共に明日をさして、その柔紅を相咲かせるのだ。


━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
━┛━┛━┛━┛━┛━┛
【日暮仙寿(aa4519) / 男性 / 18歳 / 八重桜】
【不知火あけび(aa4519hero001) / 女性 / 20歳 / 染井吉野】
【迫間 央(aa1445) / 男性 / 25歳 / 素戔嗚尊】
【マイヤ サーア(aa1445hero001) / 女性 / 26歳 / 奇稲田姫】
【藤咲 仁菜(aa3237) / 女性 / 14歳 / 兎なる盾】
【リオン クロフォード(aa3237hero001) / 男性 / 14歳 / 王子なる盾】
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2019年04月09日

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