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『幾度季節が巡ろうと 』
タラサ=ドラッフェka5001)&ユリシウスka5002

 ――生まれが、血の繋がりが、何だというのだろう。
 窓から吹き込む潮風が金髪と一緒に本のページを攫っていく。僅かに顔を顰めつつも頬を擽る髪を整える所作は幼少時より叩き込まれ身についた優雅さを伴っていて、しかし髪型を直しページを戻し、と同じ行為を何度も繰り返すと、いい加減不毛に思えて本を畳む。幾ら面白くても環境の悪さには勝てなかった。
 椅子から立ち上がり窓辺へ歩けば、絨毯がヒールの音を飲み込む。執事や侍女も滞在していると思えない静寂に居心地の悪さを感じた。王都イルダーナを離れて数日。嘘のように争いと無縁の日々がここ港町ガンナ・エントラータには広がっていた。
 この国の貴族かそれに関わりのある人間ならば、スワロウテイルの家名を知らぬ者はいないだろう。しかしその由緒を問われれば誰もが必ず口をつぐむ。何せ血族自身も一芸を挙げることが出来ないのだ。貴族であるからには一般人とかけ離れた存在であるのは確か。反面で同じ立場の者と比べれば、あっけなく埋もれてしまう。そんな家でも誰が跡目を継ぐか争い、水面下で激しく火花を散らしている。
 その中での自分の立場はといえば、限りなく縁遠いようでいて無関係でもない、そんな中途半端なところにあった。妾の子で普通なら後ろ盾になってくれるであろう母は顔も思い出せない薄い繋がりでしかなく、父の寵愛を受けているわけでもない。しかし歴史がそれなりに長いことだけが取り柄の凡庸な貴族というレッテルは一族に連なる者のコンプレックスになっていて、一躍家名の価値を押し上げるような才気溢れる次期当主の登場が嘱望されていた。だから生まれが卑しくとも、現当主である父の血さえ引いていれば権利は平等に与えられる。それこそが自分がここにいて充分な教養を得られる環境を生み出していた。
「――決して良いことばかりではありませんが」
 独り言のように溢れるのは誰に対しても変わることのない品のある、そして距離を置いた喋り口調。新緑色の瞳を伏せ、唇は自嘲から微か両端を上げる。
 籠の鳥だと己に酔うほど悲劇的な状況ではない。庇護を受けながらもそれなりの自由は与えられている。しかしそれは同時に自分を心の底から心配してくれる人間は存在しない証明だった。良かれと思って新米の侍女に手を貸せば貴女のような身分の方が、と線を引くような言葉をかけられる。叱って欲しくてわざとした些細な悪戯は仕方ないと流されるから直ぐやらなくなった。
(抜け出してしまおうかしら)
 それは漠然とした思いつきだった。教育係には世辞も込みだろうが、年頃に比して聡明で将来有望、そう評される己にしては突拍子もない。けれどひどく魅力的な発想だと思った。いっそ家とは無縁の生活を送れたらなんて夢想して、現実が甘くないことも知っているから笑う。夢見る少女では生きられない世界に生まれついた。負の感情に同じものを返すくらいなら黙って受け止めようとこれまで努めてきたけれど本当は、少し疲れている。こんなこと、誰に言っても仕方のない話だ。
 時たまの休息、読書を再開する為に窓を閉める――のではなく、逆に大きく開け放って。ドレスの裾をたくし上げると、怪我をしないよう軽く柔軟運動をし、靴も一旦脱ぐ。そして窓の縁に足をかけ踏み越えた。外側から身を乗り出して靴を回収し、窓を閉める。社会勉強と銘打って連れて来られ、屋敷のどの部屋に滞在するか問われた際に一階の東端を選んだのは、直ぐ近くに木があったからだ。王都からついてきた者は皆お転婆娘と知っていたから誰も疑問に思わず、実際木登りを楽しむ程度だったが。来たときに馬車の窓から見ただけの港に行こうと、思い立ってから実行に移すまでは早かった。イルダーナは王国の中心にあって海とは一切関わりがない。またとない機会を楽しむべきだと好奇心が顔を覗かせた。――いつか、自由がなくなっても大丈夫なようにと。胸に手を当てて思う。

 タラサ=ドラッフェ(ka5001)は潮の香りを体の内側に取り込むと、大きく息を吐き出した。海商としてそれなりの名声を得た家に生まれ、自身も何人かの兄たちと同様、両親と同じ職につくと何の疑いもなく考えていて。それは彼らについていったりだとか、物心ついた頃から見聞きした海商のノウハウをアドバンテージに単身余所の船に乗らせてもらったりと、船上で生きるのが自然なほどの生活をしてきたからかもしれない。卵が先か鶏が先か如何とも判別しがたい話だが。自分と同様に考えているらしい兄とチームを組んで海を駆け巡り異国の品々を届ける。遠い未来の話ではない夢を見る。双子の妹や他の兄は跡を継ぐ気はなさそうだが、それで切れてしまう縁でもないだろう。散り散りになっても海と陸を越えれば再会出来る。年に一度土産話に花を咲かせるのも悪くない。
 妹が兄を連れて街に買い物に出掛けたのを見送って、タラサは港内に留まっていた。といっても荷の運搬の邪魔になるのは論外、今回は両親のオマケでしかないので打ち合わせにも参加出来ず。幾ら海好きといってもぼうっと波を眺めるのは感傷に浸りたい時だけだ。最近馴染みになった友と磯遊びをして草臥れたのち、本来の用途で使われなくなった古い桟橋に腰を下ろし釣り糸を垂らしていた。
 互いに譲らなければ自分より遥かに体格のいい兄と殴り合いの喧嘩も辞さない男勝りの気質を持つタラサだが、反面で通好みだねぇ、なんて年季の入った船員に笑われるような趣味を好んでもいる。どちらかといえば遊興――みんなでワイワイと楽しむものが多いが。航海士や船医といった面々も家族同然だ、普段が大所帯な分、静かに自然へ身に委ねるのもいい。
「……とはいっても暇だ」
 先程までは初対面だが気さくな中年男性の集団がいて、今年この時期の旬の魚を訊き盛り上がっていたが。場所が良かったらしく当たりが多くて、獲り過ぎないという暗黙のルールに則り早々に帰ってしまった。孤独も乙なものだが、釣れないのはやはり焦れったくもあり、散々遊び倒したお陰で疲労が急激にのしかかってくる。ふわぁ、と欠伸が漏れた。と。
 ――くすりと、そんな表現が似合う密やかな笑い声は静寂の中、何故か不思議とタラサの琴線に触れた。深緑を想起させる両眼を開いて振り返れば、真っ白なドレスに身を包んだ少女が少し離れたところに立っていた。目が合うと彼女はハッとし、
「ご不快になられたなら謝ります。申し訳ありませんわ」
 と深く頭を下げる。タラサは反射的に手振りで伝えようとして、一瞬浮いた釣竿を掴み直すと首を振り笑った。
「いやいや。私が勝手に驚いただけだし、そんな気にしなくても。しかしあんた、何処かのお嬢様だろう? こんな場所にいていいのか?」
 問いかけに少女の表情が曇る。躊躇している隙に少し考えてから再び口を開いた。
「もし暇なら、話相手になってくれると有難いかな」
 ちょっとおどけたように肩を竦めてみせる。すると彼女の顔に微笑が浮かび、今初めて会った相手に対して勝手ながら世間擦れしていない危うさを感じ、心配になった。貴族にも色々といるが。わたくしでよければと言葉を添えて少女は側の繋船柱に腰を下ろす。座る動作も姿勢も場違いに優雅で、しかし汚れを厭わない様子に、おっ、と胸中で密かに感嘆した。ただいっときの話し相手に留まらない――そんな予感を抱く。
 年の頃は自分より少し下だろうか。目を伏せると長い睫毛が影を作って儚げな印象を抱かせるが、その上にある眉は整いながらも細くなく、頑固そうな相を描く。物腰はご令嬢のそれに違いないが内面はどうか。
「ここでは何が釣れるのですか?」
 訳ありならば下手に相手のことを訊くわけにもいかないと話題に困っていたところだったので、彼女の方から話しかけてくれるのは有難かった。商人の悪癖である詮索癖を仕舞って、ついさっき聞いたばかりの魚の名前を釣竿を持っていない手で指折り数えて挙げる。
「まあ、私も受け売りなんだけどな」
「この街の方ではないのですね」
「私の家は海商をやっていてね。くっついてやってきたってわけさ」
 あら、と唇に手を添えた少女は嬉しそうに、しかし目を伏せ言う。
「宜しければ何か、お聞かせ下さい」
 開きかけた口を結び直し、一呼吸置いてからタラサは話し始めた。内容は笑える話に留まらず、歪虚による金銭的な、あるいは人的な被害にも及ぶ。見過ごせない現状だから濁さずに伝えた方がいいと思った。少女の眼差しは真剣で、だが意外なことに悲観的ではない。実際彼女が発したのは対策を尋ねる言葉だった。

 タラサは同盟に所属しているようだし、仮に王国在住だとしても一公女に過ぎない自分に働きかけられることなんて何もない。けれど、自分には関係ないと黙って見過ごすのは嫌だった。上に立つ人間だからというより単純に、言い方は悪いが彼女を気に入っている。所詮は一期一会で二度と逢う機会が来ないとしても何かしたい。今まで得た知識を懸命にひっくり返す。
「あんた、優しいんだね」
 柔らかい声にふと顔を上げる。何処か男性的なシルエットの衣装が似合う容姿と女性としては少し低めの声質が綺麗に噛み合っている。しかしその語調の優しさは自分よりずっと淑女らしく、然程歳も変わらないだろうに、ひと握りも知らない母親を想起させた。我に返り首を振る。
「違います。……違います、わたくしは――」
 心を預けられる人がいないのは己の心が醜いからだ。それでも温もりが欲しくて、偽善的に振る舞っているだけで。
「商人ってのは駆け引きが肝なんだ。うちは親が馬鹿正直でね、真っ向からやりあうしか出来ないが、普通多少のハッタリは必要なもんだよ。そんな連中を見てれば、人を見る目ってのは養われてくる」
 やめてと声にならない制止を叫ぶ反面、期待が胸を高鳴らせる。彼女は欲しい言葉をくれると、そんなふうに。
「私が家族の話をしてる時、あんたの目は宝石みたいにキラキラ輝いてた。だから心配してくれてるって分かる。本気で手助けしたいって思うのは優しい人間の証拠だ」
 ニッと歯を見せて笑うタラサは今まで見てきた誰より美しく、それこそ彼女の言うように煌めいていた。憧憬と好意の境目が曖昧で返答に窮しているうちに言葉は続く。
「名前、聞かせてくれないか? あんたと友達になりたい」
「……二度と逢えないかもしれないのに?」
 躊躇を質問に変えて探るように視線を向ける。朗らかな笑い声が耳朶を撫でた。
「生きていれば、逢えないなんてことはないよ」
 潮風が髪を掻き乱す。夕陽のような橙色の髪がたなびく。光が射し込んだ――ような気がした。
「わたくしの名前は、」
 零れかけた言葉はタラサの跳ね上がる声に掻き消された。
「網だ、網を取ってくれ!」
「えっ、えぇ……!?」
 水面を見下ろしながら手振りを交え促されても咄嗟に反応など出来ない。狼狽えていると埒が明かないと悟ったらしく半ば強引に釣竿を押し付けられた。竿がしなり、引っ張られそうになる。力負けしないよう姿勢を変えて、それだけでは足りずに靴を脱いで踏ん張った。脇に置いてあった網を手に立ち上がるタラサは楽しげだ。
「それ兄貴のお古でね、扱いには癖がいるんだが――」
 任せる気満々だと悟れば腹も括る。本の知識と彼女の助言を基に、初めての釣りに挑戦し、そして。
 きらりと銀の鱗が太陽の光を反射する。タラサの指示のまま釣竿の向きを変えて無事網に受け止めてもらった。しかし中身を覗き見た彼女は大袈裟なくらいに肩を落とす。
「こりゃハズレだ」
 と敢えなくリリースになった。水音がして沈黙が降りる。どちらからともなく目が合うと、一呼吸置いて口を開く。
「わたくしは――」
 今度は躊躇いなく自身の名前を声に乗せた。大嫌いではない、けれど好きでもない。それは男性に付ける名だからではなく、父がどういった意図で付けたのか知らないからだ。王都に帰って挨拶をしたときに訊いてみようと思う。一人の人間として真っ直ぐに向き合って。いいね、とタラサが笑った。ありがとう、とユリシウス(ka5002)も笑う。
「よろしく、ユーリ」
 伸ばされた手を自分から握る。それからこう言った。
「わたくしからも必ず、逢いに行くから。覚悟してね、タラサ」
 ユリシウスの茶目っ気を込めた言葉に、タラサは豪快な笑い声を返した。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ここまで目を通して下さり、ありがとうございます。
初めましてなのに恐縮ですが出逢ったときを想像して書かせていただきました。
ユリシウスさんの交友欄に幼馴染とあったので、
出身の違う二人がどう知り合ったのか気になり、
最初は初対面のエピソードをちょっと+現在の二人で対比を、と考えましたが
全くもって尺が足りませんでした……。
タラサさんにドレスをとか、ユリシウスさんに銃を、とかもやりたかったです。
今回は本当にありがとうございました!
おまかせノベル -
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2019年04月11日

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