▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『蛇神祭【前編】 』
松本・太一8504

 太一は頬に冷たいものを感じて目を覚ました。
 ぽたり。またひとつ、水のようなものが頬を濡らす。
 暗い。視界の端に橙色の明かりが揺れている。火影だろうか。炎の明るさが照らし出しているのは岩肌の陰翳だ。鍾乳柱のようなものも見えるあたり洞窟らしい。太一の頬を濡らしたものもおそらく天井の鍾乳石から滴る水だったのだろう。
 太一は耳を澄ませた。火の粉のはぜる音のほかに聞こえるのは、ひたひたと打ち寄せるさざなみの音。どこかに水場があるのだろうか。
 平らな石のようなものの上に寝かされているのか、背中は冷え切っていた。そして、冷たく硬いものの上に長時間寝かされていたせいなのだろう、背骨や肩甲骨の辺りが酷く痛む。
(いったいどうしたんでしたっけ…)
 職場を出たのはたしかに遅かった。予定外の残業につかまったからだが、それでも街には人影があり、電車もいつも通りに動いていた。角のコンビニにも雑居ビルの居酒屋にも変わった様子はなかった。思い返す限りいつもと違う何かがあったという記憶はない。それがなぜこんなことになっているのか。
 とはいえ、さんざん奇想天外な事件に巻き込まれてきた太一にとって、この状況は珍しいことではなかった。
(ですが、とてつもなくイヤな予感がします)
 寝かされている台から身を起こそうと腹筋に力を込めてみたが起き上がれないのだ。腕が動かない。膝が曲がらない。つまりは手足を拘束されているということだ。台の上に寝かされて五体の動きが取れないようにされているらしい。ガリバーのように。
 こんな状況は、たとえ童話だろうが、映画だろうが、病院だろうが、だいたいロクなことがない。普通の人間ならばパニックに陥るだろう。
『ふふ、またもよう面妖なことに巻き込まれるものよな、太一よ』
 頭の中に声が響いた。夜宵の魔女だ。
(これ、私、ひょっとして実験台か何かにされます…?)
『さて。そうかもしれぬし、そうでないかもしれぬ。だが人は皆等しく一寸先は闇の中を生きているのだ。明るい日の下を歩いているように思えていてもな。なれば人生は何事も修行』
(いやいや怖いこと言わないでくださいよ。貴女がそんな感じのことを言うと大抵洒落にならないことになるでしょう)
『…ふふ…』
 もう一人の太一でもある魔女は、これから起こる物事を予見でもしているのか、何やら含み笑いをしている。
(いやほんと、勘弁してくださいって…。おや?)
 太一は耳をそばだてた。
(今、何か聞こえたような)
 身動きが取れない分、全神経を耳に集中させる。
 規則正しいリズムと間隔。人の足音だろう。しかし酷く水濡れた足音でもある。近付いて来る。来たる人物に目を覚ましていることを知られてはいけない気がして、太一は急いで目を瞑った。
 息を凝らす。足音が間近に迫り、頭上でぴたりと止んだ。潮の匂いが濃くなった。しばらくの沈黙があった。
(……?)
 沈黙の長さに耐えかねてうっすらと目を開いた太一は、あやうく声を上げそうになった。自分の身体が総毛立つのがわかった。息がかかるほどの近さに人間の女のような顔があり、しかしまったく様相の異なることに、真紅の目が太一の顔を覗き込んでいたのだ。瞳も人間のそれではない。猫目のような縦長の細い瞳だ。形の良い唇からはふたまたの青い舌先が覗いている。首筋には鱗のような模様が見えた。蛇女だった。
(どうしましょうか…。あろうことかしっかり目が合ってしまいました)
 黄金の杖を手にした蛇女の唇から歌うような声が滑りだした。
 ――再誕の贄よ――時は来たれり――子らの月は満ちたり――
(…にっ…ニエって、私のことでしょうか…)
『現状のおまえの姿からして、まあ、そうであろうな』
 ――贄よ――畏み、我らが女王の依り代となれ――女王の呼び声に、子らは目覚めん――
(しかもあのえっと、この場合のニエって、ひょっとしてイケニエのニエなのでは…)
『まあ、そうであろうな。ハヤニエのニエ、とかな』
(うわあぁぁ)
 蛇女は手首を翻し、太一の眼前に節ばった掌を翳した。指先からは10センチもありそうな爪が鋭く伸びている。太一の首筋に爪の先が触れた。
「ひっ…」
 ナイフで撫でられているように冷たい。
 ――女王の魂よ――この贄なる者に拠りて覚醒め給え――
(女王の依り代とやらのためにどうして私のような中年男を捕まえたのですか! って言いたいのにさっきから声がでません…)
 鎖骨に、カリ、とカッターで引っ掻くような痛みが走った。
(ひぃ…っ)
 ザックリいくのかと太一は内心震えあがったが、予想に反して爪は縦に横にと繊細な動きを繰り返し、何か記号のようなものを太一の肌に刻んでいく。
『古代文字だな。この者たちは深海の地底に棲まう者たちのようだ。太古の昔から人知れず生き残ってきたのだろう』
 ワイシャツから覗く胸元にも爪が文字を印していたが、ふと、その動きが止まった。
 ――我らが願い、ここに叶いぬ――
 鳥肌が立つような悪寒と同時。
(うああぁっ!)
 太一の髪が急激に伸びはじめた。サラリーマン然としていた髪が見る間に伸びて、長く、艶やかに、それこそ蛇のようにのたうって石台の端からこぼれ落ちる。
 太一の痩せた胸板にも変化が起きた。男性らしく貧弱だった乳首を中心にして、ふたつのささやかな丸みが生まれ、しだいに膨らんでゆく。息遣いに呼応するよう豊かに育ってゆく。形よく尖り、女性らしく揺れる乳房が寝かされている太一の目にもはっきりと見えた。
(どうなってしま…っ、いやちょっとせめて何か隠しましょうよ、ほんと…)
 太一のスーツの下で四肢も変容してゆく。
 腰がくびれてベルトが緩む。その代わりくびれたウエストの下からは肉感に満ちた尻が美しい曲線を描いてスラックスの内側に張り詰め、今にも布地が破れそうだ。
 蛇女がスラックスに爪を立てた。布は高い音をたてて裂けて破れて落ちた。
(わああ…隠しましょうって!)
 露わになったのは、白蛇のように透きとおって白い豊満な尻だった。腰骨の脇に虹色の鱗が生え始めている。
 しかし変身は留まることを知らない。今度は両脚が束になって捻じれるように癒着し、長く伸びた足先が蛇尾と化して、螺鈿の光沢を放つ鱗で覆われてゆく。蛇女と同じく指の先からは鋭い爪が生え、いつしか太一の顔も、目許が深い青紫色に彩られ、ぷっくりとした唇を薄く開いた表情はもはや夜宵そのものだ。
 滑るように現れた蛇体のしもべたちに両脇から抱え上げられ、支えられ、太一は台から下ろされた。
 脱げかけたワイシャツの合間から弾み出ている美しい乳房、くびれの曲線もたおやかな豊かな腰。その下は濡れ光る蛇身が妖しくしなやかに伸びて、彫像のような比率をもって立つ新たな女王の姿を、蛇女は歓喜の眼で見つめていた。
 ――ラミアの女王よ――我らが希望、我らが願いの主――
『ラミアとは半人半蛇の女妖との伝承があるが、彼女らの場合、土着の女神のようなものであろうな』
 そして台に寝かされていた間は気付けなかったが、この洞窟は床一面が氷に覆われた広間だったらしい。床に目を凝らすと氷の下には夥しい数の透明なカプセルのようなものが埋まっていた。
(これは…)
 楕円形のそれらの中には手に乗るほどの小さな少女たちが眠っていた。少女たちもまた下半身が蛇だ。
(卵があったとは…。目覚めさせたい子って、この子たちだったんですね…)
『しかしだ、太一、心せよ。始まるぞ』
 蛇女が黄金杖を太一へと掲げた。



━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
━┛━┛━┛━┛━┛━┛

【8504@TK01/松本・太一/男/48/会社員/夜宵の魔女】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
━┛━┛━┛━┛━┛━┛

たいへんお待たせいたしました。『蛇神祭』【前編】をお届けします。
太一さんと魔女さんという二重人格?関係を当方がちゃんと理解できているか、少々…いやかなり不安です。
さらにはシリアスのつもりがだいぶライトなノリが混ざってしまいました。
もしも「そういうことじゃなーい」というのがありましたら、リテイク等仰ってくださいませ。
【後編】はおまけノベルに続きます。ありがとうございました!
東京怪談ノベル(シングル) -
工藤彼方 クリエイターズルームへ
東京怪談
2019年04月12日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.