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『凍土に舞う疾風』
アグラーヤla0287

 ――西暦2032年。
 ロシア領内では、北はカティリク、南はバイカル湖に『悪夢』の牙城たるインソムニアが出現。
 其処から湧き出し続ける数多のナイトメアによって、ロシアの国土は蹂躙されていた。
 当時のSALFは結成から僅か二年。未だ組織として未熟であり、EXISやアサルトコアも実戦投入されてはいたものの、今とは比べ物にならぬ程に脆弱な代物であった。
 そんな中、ロシア軍は必死の抵抗を試みるも。
 核兵器すら通じぬナイトメアの大軍相手に、斯様な状況で善戦できる筈もなく。
 戦況は日増しに悪化の一途を辿り、ロシア国内は荒れ果てていくのだった。
 そして、月日は流れ――。


 その銀髪の少女は、崩れ落ちた建物の物陰にじっと身を潜め、好機が訪れるのを辛抱強く待っていた。
 季節は冬。氷雪に覆われたロシアの大地は寒く、少女の吐く息は白い。
 防寒とするにはあまりに薄く磨り減った、みすぼらしい襤褸の外套を身に纏い、少女は寒さに凍えていた。
 しかし、その体は震えることもなく、殺気を内に秘め臨戦態勢。
 その眼光は年端もゆかぬ少女のものとも思えぬ、鋭い輝きを放ち。
 その様は、喩えるならば――そう。獲物を狙い息を潜める、獰猛な野獣のような。
 遠くからは、散発的に聞こえる銃声と、荒々しい男達の声。
 その音は、徐々に――しかし確実に、こちらに近づいてくる。
 
「二人……ううん、三人か」
 耳を澄ました少女は、銃声に交じる、凍結した積雪の上を走る足音を聴き分け、標的の人数を把握し、小さく呟く。
「一人だけ、って話だったのに。あとで追加料金、ふんだくってやらないと」
 気配は殺したまま。少女は忌々しげに、静かに憤る。
 そうしている間にも、足音と銃声は益々近づき。
 男達の叫ぶ汚らしいスラングさえ、容易に聴き取れる程になった。
 少女は更に殺気を研ぎ澄ませると――衣擦れの音一つ立てず、静寂の侭に身を屈める。
 一対一ではなくなってしまったのは、残念だったが。
 三人までなら、充分に勝算はある。このまま、任務継続だ。
 頭の中で、初動から任務完了までの一連の動きを、少女は瞬時に組み立てる。
 無論、敵の動き次第では、戦いながら臨機応変に組み立て直すつもりだが――傭兵稼業で鍛えた経験と直感が、ひとまず問題ないと、少女に教えていた。

「チョルト、ヴァジミー!」
 三人の男達は走り続けながら罵声を上げ。追っ手を牽制する為に、手にした拳銃で時折後方へと銃弾を放つ。
 だが、拳銃の射程は短く、疲弊した手ではなかなか狙いも定まらず。追っ手の数は、一向に減る気配がなかった。
「おい! このままじゃ、追いつかれるのも時間の問題だ。あれだ、あの建物の陰で、応戦して――連中が近づいて来たら、こいつで一気にぶっ殺してやろうぜ!」
 リーダー格らしき一人が、懐の手榴弾をちらつかせ下品に笑う。
 残る二人もそれは妙案と、同じく下品に笑い、男の言葉に従う動きを見せる。
 男達は薄汚れた軍靴で凍雪の上を走り、目的地と見定めた建物の陰に辿り着いたが。
 果たして其処は、男達の防戦の拠点に成り得るものとは程遠い――『猛獣』の棲処であった。

 先頭を走らされていたのは、リーダー格ではない、二人の内の一人だった。
 男が建物の陰に飛び込むや否や、其処に潜んでいた少女は、手に握り締めていたサバイバルナイフで、躊躇わず男の喉笛を突く。
 溜め込んだ全身の撥条を一気に解き放った少女の突風の如き一撃を、其処に敵の存在など想像もしていなかった男に防げる筈もなく。
 狙い過たず喉笛を貫き抉られ、男は断末魔の声を上げることすら叶わず、鮮血を吹き上げ絶命した。
 まさかの事態に状況を把握しきれずに居る、残る二人の内の一人を次なる標的と見定め。
 少女は、ゆっくりと倒れゆく絶命した男の亡骸を自らの盾と成し、渾身の力を以て亡骸を押し込みながら、声もなく獲物に迫る。

 我に返った男二人は、手にした拳銃を次々放つが。
 今や物言わぬ肉の塊と化した仲間の亡骸に阻まれ、その銃弾は少女には届かない。
 少女はそのまま男の亡骸ごと、次なる標的に体当たりすると――亡骸の向こうで標的の態勢が崩れる気配を的確に察し、死角に居る利を活かし瞬時に右へと飛び出す。
「ブリャーチ!」
 態勢が崩れていることと、右か左か――僅かに迷ったことが命取りとなった。
 もはや男に、少女の刃を防ぐ手立てはない。
 せめてもの抵抗か、男はスラングで、自らに死を齎そうとしている少女を罵った。
 鋭い刃が煌めき、再び、鮮血が白き凍土を染める。
「あと一人……!」
 罵倒の言葉にも、吹き上がる鮮血にも、自らの体を染める返り血にも、少女は一切動じず、殺意篭る紅の瞳で、最後の標的を見定める。
 少女の視界に映る男は、拳銃を構え、今まさに、その引き金を引くところだった。
(間に合わない……! でも、被弾は、想定の内!)
 男の構えた拳銃の、その角度から。
 放たれるであろう弾丸の軌道を予測して咄嗟に身を捻り、少女は致命傷を避ける。
 左肩に弾丸を受け、少女の体を激痛が駆け巡るが、その姿勢は些かも崩れない。
「この……っ!」
 歯を食いしばり、少女は叫ぶ。
 そして回避の為だった体を捻る回転運動からの、流れるような動きで。
 少女は右手を真っ直ぐに突き出し、手にしたサバイバルナイフの切っ先を、数メートル離れた男に向け――ナイフの柄に仕込まれたロックを解除する。
 次の瞬間。撥条の弾ける音と共に、勢い良く射出されたサバイバルナイフの刃が、男の胸に深々と突き刺さっていた。
「くそっ、スペツナズナイフ……そう来るかよ……」
 男は口元から血を垂らし、表情を歪める。
 もはや致命傷であることは、疑いの余地がない。
 だが――男は、今にも崩れそうになる己の体を必死に支えつつ、懐から虎の子の手榴弾を取り出す。
 ただでは死なぬ、とばかりに、男は手榴弾のピンを抜く。
 男は手榴弾を投げようとするが、少女は動じることなく男に向かって走り――男の手から離れる直前の手榴弾を、そのレバーごと握り込む。
「なっ?!」
「……手榴弾は、ピンを抜いても、レバーが外れなければ――爆発しない」
 致命傷を負い力の入らぬ男の手から、少女は容易く手榴弾をもぎ取りながら、淡々と言葉を紡ぎ――。
「これ、常識だよね?」
 小首を傾げる少女のさらりと流れる長い銀髪が、凍雪に反射する陽光を受け美しく輝く。それが――男がこの世で見た、最期の光景となった。

「いやあ、お手柄だったな!」
 少女が、手にした手榴弾の再ロックを終えた頃合に。
 三々五々、走り集まって来たのは、男達を追っていた、何やら胡散臭そうな連中――少女のクライアント達だった。
 彼らの晴れ晴れとした表情とは真逆に、少女の表情は険しい。
「ねえ、あなた達。標的は一人だ、って言ってたよね? 三人なんて聞いてないし、追加料金と危険手当。当然、払ってもらうからね?」
 横たわる亡骸に足を掛け、その胸に突き立ったままの刃を力任せに引き抜き回収し、少女は不機嫌そうに言い放つ。
「こっちも生きる為に――生活の為に、仕方なく傭兵稼業やってるんだから。ざっとこの位は、請求させてもらうよ」
 当然の如く言ってのけ、ごっそり札束をふんだくると、少女はすたすたと歩き出す。
 振り返りもせずに少女が向かうのは――何より大切な妹の待つ場所。
 
 少女の名は、アグラーヤ(la0287)。
 彼女は、後に斯様な稼業からは足を洗い、最愛の妹と共にライセンサーとなり『悪夢』との戦いに身を投じるのだが――それはまだ、もう十数年、先の話。


━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

こんにちは、黒岩かさねです。
アグラーヤさんのマイページを隅々まで拝見しましたら、このような話が降りてきました。
プロットを組んだ時点では、ノベル後半で『今』のアグラーヤさんを書かせて戴くつもりだったのですが……
少女アグラーヤさんの戦闘を書いている内に、気付けばあっという間に字数上限……このような形とさせて戴きました。
とても楽しく執筆させて戴きましたけれども、果たしてご期待には応えられておりますでしょうか。
もしイメージと違う部分などありましたら、リテイクをお気軽にお申し付けください。
ちなみに私の脳内では、このノベルの直後、家に帰って来たアグラーヤさんと、妹さんの遣り取りが妄想展開されていたりします。
アグラーヤさんの年齢的には、このノベルからもう数年経つと『ギラガース』が投入されて、
ロシアの戦局が好転する時期なのかな……などと妄想が止まりません。
戦火に荒れる土地で、健気に身を寄せ合い生きるロシア人少女姉妹……何とも浪漫です。
もしご縁があれば、今度はぜひ、妹さんともご一緒に書かせて戴けたら幸いです。
このたびは、ご依頼ありがとうございました。
おまかせノベル -
黒岩かさね クリエイターズルームへ
グロリアスドライヴ
2019年04月15日

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