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『楽』
三代 梓la2064


 橘の名を返上し、同時にこれまでの私から脱して新たに三代 梓(la2064)の名を得た日のことは、今でも――いえ、きっと生涯忘れることのない日となったわ。
 ここが私の存在する場所。私の帰る場所。
 まるで生まれ変わったかのような喜びが胸の内に湧き立って、なんだかもったいないとすら思えた。
 幸せがいつまでも続くかといえば、きっとそうじゃない。そうじゃないけれど、この幸せを噛みしめられる限り、どんなことがあっても乗り越えられると、私はそう信じていたの。

 数年という歳月。
 夫婦仲は良好で、息子と娘にも恵まれ、順風満帆と言えた。
 二人の子供がひらがなを読めるようになった頃。
「今度の連休に遊園地に行こう」
 私には何の相談もなく、夫がそんなことを言い出した。
 あまりにも突然すぎると私は抗議したけれど、子供たちの、私たち家族の思い出作りに打ってつけであることには違いない。それに、もう子供たちも多少の分別くらいはつくようになっているのだから、問題らしい問題はないと言えた。

 どうせなら近場ではなく遠出しよう。
 夫の提案に乗り、私たちは朝早くに出かけた。
 息子も娘も昨夜は興奮して眠れなかったみたいで、夫が運転する車の中で眠ってしまった。つられて私もうつらうつらとしてくる。
「着いたら起こすよ」
「ええ、お願いね」
 そんな夫の言葉に甘え、子供たちがシートベルトを締めていることを確認してから、私もまた目を閉じた。
 到着まで夫には頑張ってもらわなきゃ。遊園地では、私が頑張ろう。

 ゲートをくぐると、その先には城が建っていた。もちろん、入り口からある程度進まないとたどり着けない位置に建設されているけれど、それでもその存在をハッキリと見ることができる程度には大きい。きっとこの遊園地の目玉なのでしょうね。
 それにしても、何だか既視感のある城だった。
 横目に夫の顔を覗くと、彼はニヤニヤと笑みを浮かべていた。
 ああ、そういうこと。それでわざわざこういうところを選んだのね。
 って、いけない。子供たちが走り出したら、追いつけなくなっちゃう。
 ほら、言わないことではないわ!
 私は急いで、いつの間にかパーッと駆けだした子供たちを追った。このままでは見失ってしまいそう。
 だけど。子供たちは途中でピタリと立ち止まっていた。その正面には「楽しんでね」と書かれた看板がある。息子も娘もぼんやりとその看板を見上げていた。
「そこに書かれている通りにしなきゃダメだぞ」
 なんて、夫は言った。
 すると二人は少し悲しそうな顔をした。何故なのか、その時は分からなかったけれど。

 終始浮かない顔の子供たちを、夫は必死に色々なアトラクションへと連れていった。
 ジェットコースター、コーヒーカップ、観覧車。子煩悩な夫らしく、子供以上にはしゃいでいたけれど。
 私はせっかくの遊園地で何だか元気がない息子と娘の方が気になって仕方がなかった。

 遠出していたこともあって、その日は宿泊という予定になっていた。宿の手配をしたのはもちろん夫。
 こういったテーマパークの近くには、少々割高だけれど宿泊施設が充実している。その日に入ったホテルも、エントランスには煌びやかなシャンデリアが吊られていて、お城や教会の意匠を感じられた。
 なんとなく気づいてはいたけれど、夫は子供たちに楽しんでもらおうというだけじゃなく、私との思い出も振り返ろうとしていたのかもしれない。絶対に口に出してはくれなかったけれど。
 そう。ホテルの内装も、遊園地のお城も、あの時の教会によく似てる。多分夫としては、そのことに気づいてほしいのでしょうね。でも絶対に言わないでおくわ。だって、何もかも突然で勝手なんだもの。私も勝手にさせてもらうわ。
 今日のことは、全部胸の内にしまっておくの。いつか思い出を振り返った時に私の方から口にして、驚かせるために。その時に夫の方が忘れていたら……どうしてあげようかしら?
 遊園地では全力ではしゃがなかった子供たちはというと、ホテルに着いてからが本番とばかりに、部屋の中を駆けまわったり、ベッドで跳ねたり、豪華な食事を食べ散らかしたりしていた。あの遊園地がそんなに気に入らなかったのかしら。

 それでも、やっぱり遠出して、遊園地で遊んで、となると疲れが押し寄せてきて。いつもに比べてまだ早い時間には眠気に負けた。
 どれくらい時間が経ってからだったろう。まだ窓の外は真っ暗だというのに、部屋の外から聞こえる声で目が覚めた。
 何だろう。夫や子供たちも起こされてしまったようで、家族そろって扉を開いた。
 丁度部屋の前を何人かの人が駆けていった。私たちは外へ出る。
「――シンデネ」
 声が聞こえた。しんで、ね?
 振り返ると。廊下の先には異形の姿。
 まさか、ナイトメア!
 そう気づいた時には何もかも手遅れで。部屋の中へ逃げ込もうにも、うっかり鍵を置き去りにしてオートロックがかかってしまったし、子供たちを連れて駆けだしたところで、逃げ切れるわけがない。
 しかも。
「何してるの、戻ってきなさい!」
 私は叫んでいた。
 二人の子供たちが、そろってナイトメアの方へ向かっていくのだ。ゆっくりと、一歩ずつ。
 もうわけが分からない。
 夫が私に助けを呼んでくるように言った。私はそれを嫌がった。頬を打たれた。泣きながら走った。
 全ての記憶が断片的で、どこか他人事のようにも感じられた。
 フロントはメチャクチャにされていた。
 外には警察とか救助隊とか、そういう人たちがたくさんいた。
 私はすぐ保護されたけど、夫と子供を助けてほしいと頼んだ。声の限り、叫ぶようにして。
 でも。
 結局、夫も子供たちも、生きて再び顔を合わせることはなかった。

「なんて、ちょっと喋りすぎたかしら」
 カウンター越しの客にウィスキーを提供しながら、私のグラスにも氷を入れる。
 ライセンサーには、色んな経歴の人がいる。今日は私の経歴を聞かれて、少し喋りたい気分だったからカタってあげたの。
 これで客が喜ぶのなら、ね。喋ってる間に注文も増えたし。


━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ご依頼ありがとうございます。
色々と考えたのですが、おまかせいただいたのであれば、一番描きたいシーンでありました。
どちらかといえば、シングルノベル向きかもしれませんが……。
設定を読ませていただいた中で、やはりこの頃の出来事がキャラクターの起点となっているご様子ですから、想定とは大きく違っているかもしれません。
ですから、これはあくまでIFであることを念頭に置いていただければ。
もちろんこれをキャラクターにとっての事実としていただけたら、ライター冥利に尽きます。
ついでに、2つほど言葉遊びを仕込んでみました。
そのうちの1つは、大変にブラックなものではあるかもしれませんけれど、「そういうことか」とご理解いただければ、と。
ご期待に添えていれば幸いです。
おまかせノベル -
追掛二兎 クリエイターズルームへ
グロリアスドライヴ
2019年04月16日

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