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『花は桜木少女に笑み』
紫雲 桜紅la3132)& 黒桜la3103

 この世界にどうして自分が芽吹いたのか、そのきっかけを少女はよく覚えていない。いつの間にか彼女はそこに居て、知らないものに囲まれていた。
 見知らぬ土地、見知らぬ世界、見知らぬ景色……しかし少女はそこで、唯一見知った姿との出会いを果たす。
 長く伸びた黒髪に、赤色の瞳……身にまとう和服の模様や、どこか大人びた雰囲気などは違うが、少女が出会った彼女は少女自身とひどく似ていた。まるで、水鏡に映る自分の姿を見ているかのような錯覚に陥ってしまう程に。
 過去の事を覚えていないわけではない。確かに今までいた世界の事を思い返す事が出来るのに、どうしてか少女には一つだけ思い出せぬものがあった。
 自らの名を忘れた少女に、それを与えてくれたのはそのよく似た彼女だった。瓜二つの姿をした彼女は、少女の名を口ずさむ。
 そしてその日、少女はこの世界で歩む自分の標を見つけ――紫雲 桜紅(la3132)になったのだ。

 ◆

「いいお天気、です!」
 神社の境内を歩いていた桜紅は、空を見上げて笑みを浮かべる。連日続いていた曇天が嘘のように、広々とした青がそこには広がっていた。
 生きるものにとって日光は欠かせないものだ。温かな春の日差しに、桜紅が住む神社に並んだ桜もどこか気持ちよさそうに少女の瞳には映る。
 一本一本、丁寧に桜紅は桜の調子を確かめていった。並ぶ桜はどれも美しいが、その枝の伸び方、つける花の数、刻まれる年輪……細かい部分はどれも少しずつ違い、一つとして同じものはない。そっくりだけど、僅かに違う存在。それはどこか、あの人の事を彷彿とさせた。
 自分そっくりな彼女。さくら、という名を名乗った彼女は、どこか懐かしい春の香りを纏っている。
 時々、神社に訪れている彼女の姿を桜紅も見かける事があった。けれど、相手はどうしてか桜紅と積極的に接触しようとはしてこない。
 何か理由があっての事かもしれないが、その理由も含めて知る事が出来たら良いのにと桜紅は思う。
 見知らぬ世界で困っていた桜紅を導いてくれた存在だ。もっとよく知り、仲良くなる未来をどうしても少女は夢見てしまうのだった。
(今日も、きてくれる、かな。お話、出来たらいい、な)
 今日は特に予定があるわけではない。いつも通りの、穏やかな一日をのんびりと過ごす予定だ。
 しかし、どこか気分は浮ついて落ち着かなかった。ぽかぽかとした陽気に、すっかりと当てられてしまったのかもしれない。だが、それも致し方ない事だろうと少女は思う。
「だって、春ですもの、ね」
 春は人の気分をどこか高揚させる。温かな春風に包まれながら、桜の香る神社で桜紅は穏やかな笑みを深めた。

「参拝客さん、です?」
 神社の中を見て回っている途中、桜紅は石段をのぼる人影がある事に気付いた。どうやら、参拝にきた老人客のようだ。
 挨拶をしようとした桜紅は、相手が重そうな荷物を持っている事に気付くとぱたぱたと慌てて石段を駆け下りていく。
「はわ、だ、大丈夫、です? お荷物、お持ちします、です」
 遠慮している様子の参拝客に、しばし考えを巡らせた後桜紅は良い事を思いついたと言わんばかりの明るい笑顔を浮かべて続けた。
「あ、では、代わりに、少しおしゃべりに付き合ってくれません、か? 私、最近ここにきたばかりなの、で……よかったら、この辺りの事について、教えてほしい、です」
 桜紅の提案に、相手も笑みを浮かべて頷いた。荷物を受け取った桜紅は、神社を案内しながら参拝客との談笑に花を咲かせる。見知らぬ世界、見知らぬ場所、だからこそこの世界についてもっとよく知り、彼らの役に立ちたいと桜紅は願っていた。
 参拝を終えた老人の事を石段の下まで送り終えた桜紅は、お礼に、と別れ際に相手から小さな紙袋を手渡された。
 中に入っていたのは、パックに入れられた桜餅だ。一緒に入っているカードには、先程老人と話している時に話題に出たおすすめの和菓子屋の名前が刻まれており、桜紅は思わず笑みを浮かべてしまう。上品な甘さと愛らしい見た目の甘味が多いと、近所で評判の和菓子屋らしい。
「えへへ、美味しそう、です!」
 境内の掃除をする前に、好物である和菓子を茶請けにお茶にしようと少女は思う。
 神社内の小部屋へと足を踏み入れ、桜紅は慣れた手付きでお茶の支度を始める。しかし、少女の手は、ふと止まってしまった。
 視界にあるのは、先程老人から貰った和菓子だ。皿へと移した桜餅を見ながら、少女はしばし考え込む素振りを見せる。
(二つあるのです、ね)
 一パック二つ入りの桜餅。甘味が好物である桜紅にとって、二つ食べる事はさして苦ではなく、むしろ幸せな事ではあるのだが……。
 思い浮かぶのは、自分に居場所と名前を与えてくれた恩人とも言える人物の姿。
「さくらさん……甘いものはお好き、かな?」
 独りごちた桜紅にまるで同意し頷き返すかのように、神社の桜は大きく一度風に揺れるのだった。

 ◆

 彼女が見知らぬ世界に芽吹いた事は、何も今回が初めてではない。以前にも、黒桜(la3103)は似たような事を経験した事があった。
 だからといって、それに慣れる事は難しいだろう。見知らぬ景色に戸惑う少女の心を、大切なパートナーが不在であるという事実が一層不安の色に染め上げる。
 しかし、そこで"彼女"と出会った事は、黒桜にとってはある種迷い込んだ事以上の衝撃であった。
 何の因果か、黒桜はここで少女と出会った。自分と同じ様に迷い込んできてしまった放浪者である少女。よく似た黒髪に、赤い瞳……まるで水鏡に映る自分のように、そっくりな姿をした彼女。
 名を忘れたらしい少女は、今の黒桜よりも幾分か幼く見えた。自分と相手との違いはそれだけではない。彼女の瞳は、未来への希望を抱きどこまでも澄んでいた。絶望を知らない、無邪気な瞳。
 そんな過去の自分らしき少女を見て、黒桜は思う。彼女の事を見守りたい、と。
 だから、黒桜はさくらになったのだ。何色も冠さぬただの桜になった彼女は、元の世界に帰る方法を探しながらも、ただ少女の事を見守る日々を送っている。名付けられた名のように頬を紅色に染めて、無邪気に笑う彼女の事を。

 ◆

 神社にある何本の桜の木に紛れ、黒桜はなるべく目立たぬように歩く。しかし、いつもは境内で掃除をしているはずの紅桜の姿がなかなか見つからない。
 用事が出来て出かけたのだろうか。それとも、今は休憩時間なのか。
 考えながら歩いていた黒桜の前を、ふと、一枚の桜の花びらが横切った。風に揺られて空を舞うその花びらは、そのままふらふらと飛んでいく。まるで、黒桜の事をこっちにおいでと手招いているかのように。
「そっちに何かあるの、です?」
 黒桜の問いかけに答える代わりに、花びらはその身体を一層風に踊らせた。やがて辿り着いたのは、神社の中にある一つの部屋だ。以前、この部屋で桜紅がお茶をしていたのを見かけた事があった気がする。
 しかし、部屋の主はそこにはいない。代わりに、机の上に何かが置かれていた。ちょうどその置かれていたものの上へと舞い降りた花びらに誘われるように、黒桜は室内へと足を踏み入れる。
「これは……」
 そこにあったのは、和菓子だ。丁寧に皿へと乗せられて、ラップのかけられている美味しそうな桜餅。近くには、『さくらさんへ』と書かれた書き置きが添えられている。
「和菓子が好物なのに、取っておいてくれたのです、ね」
 直接渡してこず、こうやって書き置きという形を取ったのは、桜紅と直接接触する事を避けている黒桜に対しての気遣いだろう。
 愛らしい桜餅を手に取り、しばし黒桜は逡巡する。自分と桜紅が接触する事で、何が起こるかは分からない。不要な接触は避けるべきだった。
 しかし、黒桜が和菓子を食べなかった事に桜紅が気付けば、彼女が悲しむのは目に見えている事であった。
 迷った末に、黒桜は恐る恐るそれを手にとった。口に含んだ瞬間、優しく甘い味がゆっくりと少女の口の中を満たす。
 自然と頬がゆるんでしまった。何を隠そう、黒桜だって……甘いものが好物なのである。
「美味しいの、です」
 思わずそう呟いた黒桜の浮かべた笑みは、紅桜の無邪気な笑顔にやはりよく似ているのであった。

 不意に、どこかから耳に馴染んだ声が聞こえてくる。桜紅の歌声だ。どうやら今は、神社の裏を掃除している最中らしい。
 遠くで歌う彼女に合わせて、黒桜も小さく歌を口ずさむ。
 どうにも今日は、気分が高揚してしまう。先程食べた美味しい和菓子のせいか、それともぽかぽかとした陽気のせいだろうか。
「……何でも良い、わ。だって、春ですもの、ね」
 桜の木の咲く神社で、穏やかな時間を過ごす桜紅の姿を、今日もそっと黒桜は見守る。二人の間にある見えない縁をまるでなぞるかのように、温かな春風は少女達の間をそっと駆け抜けていくのだった。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ご発注ありがとうございました。ライターのしまだです。
この度はおまかせノベルという貴重な機会をいただけて、光栄です。お二人の関係は大変奥深く、楽しく執筆する事が出来ました。
桜紅さんと黒桜さんのお気に召すお話に出来ていましたら幸いです。何か不備等ありましたら、お手数ですがご連絡くださいませ。
それでは、この度はご発注誠にありがとうございました。また機会がありましたら、その時は是非よろしくお願いいたします。
おまかせノベル -
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グロリアスドライヴ
2019年04月18日

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