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『澄んでいく心 』
ジェーン・ドゥ8901

「ここに……」

 ご主人様と離れて数日。

 ジェーン・ドゥ(8901)はある建物の前に立っていた。

 屋上からロープを下ろし、目的の部屋の窓へ。

(彼と会っていた頃も、こうしていたのよね)

 あの頃はご主人様の命だった。

 窓を叩こうと伸ばされた手が小刻みに震える。

(会ってどうしようというの?)

 頭に声がする。

 今更会っても何を言えばいいのかわからない。

 それでも、ジェーンは彼に会いたかった。

 ―コンコン―

 開かれたカーテンの奥、あの時の少年は穏やかに微笑んでいた。

「こんばんは」

***

「ごめんね、ジェニーちゃんが忘れていった人形。ずっと返そうと思っていたのに……」

 彼が胸元に抱いていた人形を恐る恐る差し出した。

「ずっと持っていてくれたのね。ありがとう」

 ステージ上にいた木偶人形を見た時、あれは自分が置いていったものだとすぐに分かった。

 間近で見るといかに丁寧に、大切に扱われていたのかが、痛い程に分かる。

 その事がジェーンの胸をちりりと痛める。

 どこか泣きそうな彼の髪を梳きながらジェーンはもう一度お礼を言う。

 それは本心だった。

「怒らないの?」

 その声は悪いことをした子供が親に尋ねるように怯えていた。

(私は貴方にもっと悪いことをしたわ)

「悪いなんて少しも思っていないわ。ずっとあなたに会いたかったの」

 ジェーンの言葉に彼が言葉を詰まらせる。

 そして、堰を切ったように青年から言葉と涙があふれ出した。

 それは、彼女の知らない彼の物語であり、懺悔であり、感謝の言葉だった。

「……僕、ずっと言いたかったことがあるんだ」

 ひとしきり泣いた後、彼は真っすぐにジェーンの瞳を見てそう言った。

「何かしら?」

「僕、ジェニーちゃんが好き。大好きだよ」

「…………」

 ジェーンは言葉が返せなかった。

 彼の想いが真っすぐ胸に届きすぎてしまったから。

(どうして、今まで気が付かなかったのかしら)

 今までの供物達がかけてくれた言葉が一気にフィードバックする。

 想いの形や表し方は違っても彼らはいつだってジェーンにこんな真っすぐな気持ちをぶつけてきたのだろう。

(それなのに、私は……)

 ご主人様への捧げものとしか思っていなかった。

 そう言う対象としてしか見ようとしなかった。

(皆、踏み躙ってきたんだわ)

 ご主人様が命だったから。

 そう言っても許されることではない。

(この子はずっと待っていたのよね)

 例え、今までの想いを受け取れていなかったとしても、その想いの真っすぐさに気が付いてしまったから。

 二度と現れないかもしれない自分をずっと待っていたこの子のその想いはちゃんと答えたいとそう思った。

 それは罪の意識などない、純粋な気持ちだった。

「……言われても困るよね。ごめん」

「いいえ。気持ちはとても嬉しいわ。でも……」

 その気持ちを受け取る心は、ジェーンには残っていない。

「あ、付き合ってほしいとか、そう言うんじゃないんだ。ただ、ジェニーちゃんにずっと言いたかっただけ」

 泣きはらした目で笑う彼をジェーンは抱きしめた。

「私も……あなたに謝らないといけないことがあるの」

「謝らないといけないこと? どうしたの? ジェニーちゃん」

 不思議そうな声がする。

 顔は見れなかった。

 見たら何かが溢れそうだったから。

「私はずっとあなたを騙していたの……」

 それ以上言葉は紡げなかった。

『騙していた』

 その言葉が伝えられる全てだった。

「そっか……でも、僕はジェニーちゃんに会えて嬉しかった。会えてよかったって思うよ」

 そう言いながら青年はジェーンの髪を撫でる。

 その言葉の、手の心地よさにジェーンは目を閉じる。

 今まで出会ってきた人々もこんな心地よさを味わっていたのだろうか。

 自分の存在が認められるような、許されるような、そんな心地よさを。

(そうであったならいいのに……)

 最終的に絶望を味合わせてしまったとしても、彼らが穏やかな気持ちになれた時間があったならそれだけで救われる気がした。

「……ありがとう」

  ***

 彼が眠るまで、ジェーンは彼の側にいることにした。

 青年が少年だった頃と同じように髪を撫で、彼の話を聞いて。

 とても、とても穏やかな時間だと彼女は思った。

(この子はこんな風に、心のないものを愛していくのかしら。今までそうしてきたように)

 隣で眠る青年は、こんな自分を好きだと言った。

 その言葉が異性間のそれでないことは分かっていた。

 それでも、いや、だからこそ。

(どうか、幸せになって)

 心のある者を愛し、幸せになって欲しかった。

 その為に、これ以上彼の側にいてはいけない。

 彼の心の中にいてはいけない。

(だから、さようなら)

「ジェニーちゃん……ありがとぅ……」」

 去り際、額に小さく口付けると、彼の口から穏やかな笑顔と共に呟くような言葉が零れた。

「私こそ、ありがとう」

(愛してくれて)



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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【 8901 / ジェーン・ドゥ / 女性 /20歳(外見年齢)/ 愛される人形 】
東京怪談ノベル(シングル) -
龍川 那月 クリエイターズルームへ
東京怪談
2019年04月24日

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