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『獅子に鎖は似合わない 』
剱・獅子吼8915

 喫茶店の窓際の席に、その女は一人で腰掛けている。獅子のような長く伸びた金色の髪を揺らし、剱・獅子吼(8915)は右手で持ったカップへとゆっくりと口をつけた。
 壁にかけられている時計は、昼と呼ぶには少し遅く、かといって夕方とも言い難い時刻を指している。言ってしまえば中途半端な時間だ。
 何を思うでもなくぼんやりと窓の外の景色を眺め、獅子吼はその中途半端な時間を満喫していた。
 この後の予定は、特にない。しいて挙げるなら、夕食の時間に間に合うように家に帰る事、くらいであろう。今頃夕食の仕込みをしているであろう家事手伝いの顔を思い浮かべ、彼女は笑みを深める。
 時間が時間なせいか、店内に客の姿は少ない。聞こえてくる音と言えば、店内に流れているジャジーな音楽と遠くで店員が作業しているらしき音くらいなものだった。
 だからこそ、かえって一人でコーヒーを飲んでいる彼女の姿は目立ってしまったのかもしれない。ただでさえ、色々な意味で人から好機の目で見られやすい獅子吼だ。彼女の生まれについて知っている者、知らない者を問わず、時々無遠慮な視線を向けられた事は一度や二度の事ではなかった。
 喫茶店の扉が、カランと、来客を告げる鐘を鳴らす。次いで、彼女の鼓膜を知らない男の声がくすぐった。
 他にも空いている席など幾つもあるというのに、わざわざ獅子吼の隣へと一人の男は腰をかける。
 じっとこちらを見つめる視線に応える義理などなく依然として外を見ていた獅子吼だったが、声をかけられため仕方なく横目で相手の方を見やった。獅子の名を持つ女の瞳が、男の姿を視界にとらえた瞬間僅かに細められる。
 獅子吼に存在を認められた事が嬉しかったのか、男は彼女に向かい話し始めた。どうやら彼は、窓越しに外を眺める獅子吼の姿を見て興味を惹かれ店へとやってきたらしい。少し時間を貰えないか、と男は獅子吼に誘いの言葉を投げかけてくる。
 有り体に言ってしまえば、たちの悪いナンパだ。二の句もなくキッパリと誘いを断った彼女に、金ならいくらでも出すと相手は豪語した。
 どうやら相手は、世間でも有名な資産家らしい。それでもやはり、否、だからこそ彼女が首を縦に振る事はないのだが。
「悪いけど興味がないんだ。それに、私とキミは気が合わないよ」
 獅子吼はその落ち着いた面持ちを崩さず、どこか確信めいた口ぶりでそう言い切った。男がたじろぎ言葉を失っている間に、獅子吼は席を立つ。
 会計を済ませ喫茶店を出た後もどこか未練がましい男の視線はしつこく獅子吼の背を追ったが、彼女が振り返る事はない。
 やれやれ、と胸中で獅子吼は肩をすくめた。
 一目見た時から、相手の素性には気付いていた。獅子吼とは相いれぬ思考を持つ男であり、恐らく関わったら面倒な事になる類の輩であるという事に。

 ◆

 何者かが、帰路についている獅子吼の背後へと音もなく這い寄る。無防備な背中を狙い振るわれるのは、異形の腕だ。
 しかし、その腕は空を切るだけに終わった。不意の襲撃だったが、獅子吼はまるで最初から相手の動きを読んでいたかのように、その攻撃を避けてみせた。日の傾きかけた路地裏で、夕闇が彼女の青色の瞳にオレンジの彩りを添える。
 その視線が、襲撃者の姿を射抜く。はたして、そこにいたのは先程獅子吼に声をかけてきた男だった。
 否、正確には、男だったもの、か。すでにその身体は本来の形を保てておらず、不気味に歪んでしまっている。
 自らの身体を悪霊へと捧げた男の瞳は、もはや正気を失っていた。どうやら男は、有り余る金を使い過激な思想を持つ者達の研究に協力していたらしい。
 偶然見かけた獅子吼へと目を付けた男は、金で彼女を誘惑しその身体を悪霊の依代にしようと企んでいたようだ。左腕を失っているからこそ、それを弱みとしてつけ込もうとも考えていたのかもしれない。
 しかし、生憎と獅子吼は今の身体に不満などはなかった。喫茶店の窓に映る自分の顔に出来た刀傷も、もうすでに見慣れてしまっている。手放す予定も、人に受け渡す予定もない。
 そんな獅子吼のつれない態度に、プライドが刺激された男は、復讐のために自らの身体を悪霊へと貸し渡したのだ。激昂に染まる男は、次の一撃を獅子吼に与えようとしていた。
 けれど、その動きもやはり獅子吼は読んでいる。そもそも、男に声をかけられた時点でこうなる予感はしていたのだ。だからこそ、獅子吼はあえて路地裏という人通りの少ない場所に相手を誘い込んだのだった。
 世俗と距離を置き、ひっそりと暮らしている獅子吼にとって、事はなるべく大きくはしたくないものだ。しかし、一度目をつけられてしまったのなら、それを振り切るのは早いに越した事はないだろう。こんな厄介なものを連れ帰ってしまったら、同居人にも恐らく叱られるであろうし。
「悪いけど、正当防衛だからね」
 そう告げた後、彼女が振るったのは存在しないはずの左腕だった。だが、そこにあるのは人の肉ではない。
 黒い剣。呼び出された漆黒の剣は、彼女のなくした腕の代わりとばかりに、その場所に収まっている。
「喧嘩を売るなら、相手をしっかり観察してからの方が良いよ。でないと、見誤る事になる。今日のようにね」
 言葉と共に、剣の鋭い切っ先が男へと向けられた。

 ◆

 路地裏は、先程までの喧騒が嘘のように元来の清寂を取り戻している。倒れ伏した男が起きる気配はないが、これ以上は獅子吼の仕事ではなかった。しかるべき機関が、しかるべき方法で処理してくれるに違いない。
 資産は時に呪いになる。彼もまた、その呪いから逃れられずにいたのだろう。金と家という鎖に縛られて、彼自身が特別なわけではないのにそれを自らの力だと思い込み、力量に余る金とその名を持て余した末に悪意ある囁きに耳を傾けた男。金の力を過信し、金に狂い、溺れたものの末路がそこには転がっていた。
 男自身がそれを呪いだと思っていなかった事は、彼にとっては幸福な事だったのかもしれない。思っていたとしても、獅子吼のように全てを放棄しその呪いから解き放たれるという未来を選ぶ事が出来ていたとは限らないからだ。
 一度金に魅入られ、贅沢な生活に慣れてしまったものがその生活を手放す事は難しい事だろう。手放したとしても、その後の一転した生活に絶えきれず道を踏み外す可能性だってある。
 獅子吼とて、最初の内は慣れない生活に戸惑ったものだ。今では家事手伝いも雇い不便を感じる事のない毎日を送っているため、道を踏み外す事など到底ありえない事ではあるのだが。
(私は、縁に恵まれていたのかもしれないね)
 全てを捨てた獅子吼が出会ったのは、今の同居人だった。二人で暮らす日々は、穏やかに過ぎていく。時折昔を思い返す事はあれど、捨てたものを惜しむ事はなかった。
 路地裏を抜けた獅子吼は、まっすぐと家へと向かう。帰りが遅くなった事に文句の一つくらいは言われるかもしれないが、けれど獅子吼がそれを煩わしく思う事はない。それはかつて彼女を縛っていた柵ではなく、彼女が今の穏やかな日々を送るために必要不可欠な楔なのだから。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ご発注ありがとうございました。ライターのしまだです。
この度はおまかせノベルという貴重な機会をいただけ、光栄です。
このようなお話になりましたが、いかがでしたでしょうか。お楽しみいただけましたら幸いです。
何か不備等ありましたら、お手数ですがご連絡くださいませ。
それでは、この度はご依頼誠にありがとうございました。またいつか機会がありましたら、その時は是非よろしくお願いいたします!
おまかせノベル -
しまだ クリエイターズルームへ
東京怪談
2019年04月24日

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