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『世界は常に歪んでいる 』
クレア=エンフィールドla0124

 口に咥えた煙草、その火の点いた先端が仄かに赤く色付く。人差し指と中指で挟んで唇から離し、緩々紫煙を吐き出した。雑踏の中を喫煙して歩く行為に近くを通り過ぎる人からは咎めるような視線が向けられる。カフェのテラス席で談笑している暇を持て余した中年女たちがこちらを指差したのが視界の隅に映った。
(――丸聞こえなんだよ、ババア共)
 今時の若い子はだの放浪者か余所の出身じゃないかだのと。まるでここで生まれ育った人間は須らく善人だと言わんばかりの口振りに、クレア=エンフィールド(la0124)は思わず笑ってしまった。当然ながら好意的な感情に拠るものではなく嘲笑の類だ。気に食わない連中にいちいち突っかかっていたらキリがない。時間も労力も只の無駄遣いだ。数秒ほど歩きながら考えたのち、クレアは丁度吸い終わった煙草を足元に落とすとヒールで軽く踏んで、再び歩き出した。どうせ生涯言葉を交わすこともない人間に厭われようと構いやしないが――たまにいるのだ。義憤に瞳をギラつかせながら説教がましく絡んでくる奴が。そして一人が声をあげれば場の空気が一変する。最初の奴に追従するだけの癖に、一人前にしたり顔を浮かべ。そんな視線に取り囲まれたときクレアは思う。結局てめぇらも人を袋叩きにするのが愉しくてしょうがないんだろ? と。
 ヘビースモーカー故の吸いたい衝動に加えて、世の中のルールとやらに則るのが癪に障る反骨心とも呼べない程度の抵抗。それらと天下の警察様に厄介になるリスクを天秤にかけて仕方なしに煙草を諦める。極端な話、クレアが現在ライセンサーとなってナイトメア退治の仕事を請け負っているのと同じだ。やりたいことだけをやって周囲から排斥され、最終的に身動きも取れない状況に陥れば何の意味もない。生きる為には多少の綺麗事も飲み下す振りは必要だ。しかし、そうして理性的に取った選択を後悔する羽目になるとは、さしものクレアも思っていなかった。

 甘く媚びた声が耳に入った段階で、踵を返しておけばよかったのだ。だがこの歩道橋はグロリアスベースに点在する喫煙所の一つと最短距離を結んでおり、目的地に辿り着く前に一服をと、ヤニ切れに精神がささくれ出したクレアはそれを最優先事項に据えて、真っ直ぐに通り抜けようとした。別にナイトメアの群れの中を単身強行突破する訳でもなし――協調性を装う気もない奴や自分の意見を他人に押し付けるだけの優等生と組むくらいならまだ望むところではあるが――問題はないと踏んだのだ。
 あのぉ、と呼び止められた際、クレアは背筋が怖気立つのを感じた。近くにある高校の制服だがリボンを外してスカートの丈を短くする等、派手に着崩した如何にもヤることやってます、と言わんばかりの格好の少女。人の情事を詮索する気はないし、その辺はおそらく似たり寄ったり。そうではなく彼女が抱えている物が厄介だった。
 不自然極まりないが聞こえなかった振りでやり過ごそうとして、しかし、女はクレアを標的に定めたらしく食い下がってくる。てめぇマジで目ついてんのかと悪態をつく代わりに派手な舌打ちをかます。女が小さく息を飲むのが判った。更に後ろから道行く人々の話し声に掻き消えそうな小声で女らしき名前を呼んで諦めさせようとしているのも聞こえる。“まだ”攻撃的な発言を撒き散らしたわけでもないのに、善良な高校生を虐める派手な若い女という図式が成り立っているのが、ピリピリひりつく空気から否応なしに伝わってきた。黙って歩いていっても階段に差し掛かったら、何処の馬の骨とも知れない奴に突き飛ばされそうだ。と被害妄想じみたことを考える。もしそうなったとしてもタダで済ますつもりはないが。
 グッと思いの外強い力で引かれて、クレアは背後へと振り返る。だからこの手の女は面倒なんだ、と自分を棚上げして思った。後ろでおろおろしている真面目を絵に描いたような奴なら、九割はトラブル回避に意見を飲み込む。残りの一割はブチ切れるとヤバイ手合いなので現状はまだマシかもしれないが、と怒りに吊り上がった眦を見返した。女は片手で重そうに持った箱をクレアの前へと突き出す。
 募金して下さい。世界中に恵まれない子供がいるんです。ナイトメアに親を殺された子供がどれだけいるか、あなた知ってるんですか?
 それは責める意図を含んだ口調にも拘らず、周囲の眼は彼女を被害者としクレアを加害者とする。案の定巻き込まれるのを避けて早足になる人間と、面白半分に“悪者”を叩きたい野次馬とでこの狭い空間が二分される。歩くだけでうっすらと汗が滲む時間帯にまるで見世物のようだ、そう思えば自然と笑いがこみ上げ、クレアは衝動に抗わずに肩を震わせた。ぷっと吹き出し、直後哄笑へと変化する。一瞬呆気にとられた女が異質な物を見る目を向けた。それがまたおかしくて仕方ない。
「そりゃあ御大層なこって。正義ヅラして自分に酔うってのは、男とヤるより気持ちいいもんかね? あたしだったら、死んでも願い下げだけどな!」
 言って舌を突き出してみせると女の顔に朱が走った。募金箱を取り落とし振り上げられた手を難なく掴んで、捻りあげる。ついでに掴まれていた腕も解いた。手首に赤く指の跡がついている。掲げた手首を眺めたあと、過剰な悲鳴をあげてへたり込む女から手を離し、さっと周囲を見回した。少々派手でガラが悪いだけの女のひと睨みに加勢しようとしていた男の足が止まる。人影に紛れ警察に電話をかける声が聞こえた。
「そんな正義ってのが大事なら、てめぇが手本を見せてみろよ。相手は食うにも困ってるカワイソウなガキだろ。助けたけりゃ、てめぇら全員食えるだけの金だけ残して全部募金しやがれ。つーか、ここにいる連中で募金した奴なんていんのか?」
 大声で問い質しても、答える人間は誰もいない。少額ならいるのかもしれないが答えなければ存在しないのと同義だ。
 世の中、人の為にしたことならそれが相手を傷付ける結果になったとしても正義と呼ばれ褒め称えられるらしい。全く以って糞みたいな世界だ。あの場所の方がマシだったとは露程も思わない。だがこの世界も結局歪んでいる。自分に降りかからなければどうでもいいことではあるが。心底反吐が出る。
 唾を吐き捨て転がった募金箱を踏みにじる。硬貨が擦れ合って音が鳴った。いやに軽い感触。また笑みが零れて、同時に苛立ちも急速に引いていく。
 進行方向に足を向ければ、野次馬がさっと左右に割れる。その中を悠然と歩いていると背後から再び声が投げかけられた。罵倒と呼ぶにはそこに篭った感情も言葉も、ただただ生温い。メディアでは規制の入る単語が幾つか脳によぎり、しかしそれを口には出さず手を振った。指を四本畳んで一本だけ突き立て、次は違う指を下向きに。
「あー……」
 自重するだけ損だったので煙草を取り出したところ、雑に詰め込んだライセンスが出てきた。もしこれをあの場所で見せつけたら、奴らはどんな反応を返しただろう。ライセンサーの品位が何だと言い出しそうな気がした。人が一度抱いた印象はそうそう覆ることはない。だって自分の結論を他人に押し付けることを、対話と呼ぶのだから。
「――だから、人間なんか」
 やがて喫煙所に辿り着いても、クレアが続きを発することはなかった。それは言葉では到底表現出来やしない感情だった。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ここまで目を通して下さり、ありがとうございます。
元々いた世界での出来事を、というのも考えたんですが、
人間不信・人間嫌いとのことだったので何だかんだで優しい
みたいなパターンも無しに、好きに書かせていただきました。
そもそもこの状況でこんな行動は取らない、
考え方が違うなどあったら申し訳ないです。
今回は本当にありがとうございました!
おまかせノベル -
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グロリアスドライヴ
2019年04月25日

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