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『夢で見た夢、現の夢 』
夢路 まよいka1328

 初夏の森は、息苦しいほどに賑わっていた。
 夢路 まよい(ka1328)は足を止め、大きく深呼吸する。
 風が運んでくるのは、湿った土の臭い、濡れた若葉の匂い、甘い花の香り。
 枝が揺れると、ざわざわと笑うような音が森中に広がる。
「全部知っていたことなんだけどね」
 小さく呟き、それからまた歩き出す。

 向かう先は森の奥深くに佇む、1軒の洋館だった。
 正確には「洋館だったもの」という状態の、廃屋である。
 かつてはそれなりに美しかっただろう窓の飾り格子には太い草の蔓が絡み、雨風に晒された屋根はぼろぼろにささくれていた。
 少し前にはそこをゴブリンがねぐらにして、近くの街道を通る人々を脅かしていた。
 困った近隣の村人たちは、ハンターにゴブリンの討伐を依頼したのだ。
 まよいも参加した討伐隊は、見事ゴブリンを討ち果たし、街道には平和が戻った。
 だが村に戻ったハンター達に、ある村人が密かに相談を持ち掛けた。
 以前ゴブリンに盗まれた荷物の中に大事なものがあったらしく、探しに行きたいという。
「それぐらいなら私が探してきてあげるよ」
 いくら討伐したとはいえ、やはり一般人にはまだ怖い場所だろう。
 まよいは目的の物の特徴を確認し、ひとり戻って来たのだ。

 大事な物を取り戻したい、という他人の気持ちを理解し。
 普通の人には怖い場所なら、私が代わりに行ってこようと申し出る。
 かつてのまよいなら、敵と「遊ぶ」という自分の気持ち以外、気に掛けることもなかっただろう。
 だが今は違う。
 誰かの役に立つこと。誰かの想いに応えること。
 まよいは他人との関わりについて理解しつつあった。

 ただ、今回たったひとりで洋館まで足を運んだのには別の理由もあった。
 最初に見かけたとき、何故かとても気になっていたのだ。
 敵の隠れている場所に踏み込む危険を回避し、ゴブリンをおびき出して戦ったので、中には入っていない。
 村人の望みを受け入れたとき、洋館に戻る口実として惹かれたのも事実だった。
「どうしてかな。行けば分かるかな」
 予感めいたものに背中を押され、まよいは森へ向かったのだ。


 道中は楽しいものだった。
 クリムゾンウェストの森は、まよいが知っているファンタジー小説の世界そのままだ。
 木々の隙間からのぞく青い空も、綺麗な鳥の鳴き声も、遠くから届くせせらぎの音も、まよいは全部知っていた。
 けれど、髪を撫でて吹きすぎる風や、手の届かないところを走っていくリスの姿や足音は、まよいの知らないものだった。
 まよいが思い描いていた異世界は、美しい水彩画のようだった。
 そして今、目の前に広がるのは、ファンタジーそのものの現実<リアル>の世界。
 まよいはときどき、かつての自分が見ている夢なのではないかと思う。

 洋館の前に立ち、耳を澄ます。特におかしな気配はない。
 正面から壁伝いに裏に回る。裏口の扉は外れたままですぐそばに転がっている。
「これ、なんなのかな」
 扉の蝶番がかろうじて残っている傍に、まよいの中指ほどの大きさの、何かのさなぎがくっついていた。
「まだ生きてるのかな。ゴブリンに潰されなくてよかったね」
 それから中を覗き込むと、屋根の破れたところから光が差していて、物が見分けられるぐらいに明るい。
 思い切って足を踏み入れる。
 床板もかなり傷んでいるようだが、ゴブリンたちがうろついていたのだから、軽いまよいの歩みで崩れることもないだろう。
「大事な物を隠す場所……どこなのかな」
 ゴブリンに多少の知恵があるなら、お宝をわかりにくい場所に集めておくぐらいのことはするだろう。
 このぼろぼろの建物の中に、そんな場所があるだろうか。
「戸棚かな。それとも暖炉の中? ゴブリンは火をつけたりしないよね」
 そこでふと、床にぽっかりと開いた穴を見つける。
 別に床板が崩れたわけではない。敢えて作られた入り口だった。
 覗き込むと、土を掘り固めた階段が地中へと続いている。

 どくん。

 まよいは自分の心臓の音を聞いたような気がした。
 ためらいなく一歩を踏み出すと、そのまま階段を降りる。
 階段を降りた先は少し広くなっており、その先に扉があった。
 思い切って開く。
 その瞬間、まよいは眩暈を感じた。


 物心ついたころから、まよいの世界は閉じられていた。
 それを不幸に思ったことも、不自由と感じたこともなかった。
 程よい明りと、程よい温かさと、気持ちの良い服と、寝心地のいいベッド。
 お腹が空いたら美味しいご飯を食べて、眠くなれば眠る。
 部屋にはたくさんの本があり、まよいはお気に入りの絵本を眺め、ファンタジー小説を飽きることなく読み続けた。
 だから空が青いことも知っていたし、森にはたくさんの動物がいて、いい匂いの花が咲くことも知っていた。
 実際に触れることはなくとも、まよいは空想の中でいつでもその世界へ行くことができた。

 まよいは何度か深呼吸する。鼻を突く匂いに、思わず顔をしかめる。
 よく見れば、そこは乱雑に物が転がる地下の倉庫だった。
 地表が崩れているのか、微かに光が差し込んでいて、酒樽や、干し肉や、武器や、そのほかの訳の分からないものがあるのがわかる。
 埃の様子を見て、最近の荷物を探し出し、村人が言っていた鞄を見つける。
 ゴブリンの興味をひかなかったようで、荒らされた様子もない。まよいが中を確認すると、中から目的の物が出てきた。
「あった」
 それはロケットペンダントだった。村人の父の形見だという。
 開いてみると、優しそうな紳士の肖像画だった。

 どくん。

 また眩暈を覚えた。
 すぐにロケットを鞄に戻し、担ぎ上げる。
 足早に地下室を離れ、階段を上がり、元来たほうへ、明るいほうへと戻っていく。
 外の新鮮な空気が吸いたかった。今、まよいが生きる世界の空気を。

 洋館の裏口から踏み出した瞬間だった。不意にまよいの目の前を何かが横切り、思わず身構える。
 それは1匹の大きな蝶だった。
 優雅な羽を広げ、まよいの輪郭をなぞるようにゆったりと舞い、肩にちょんと触れると、そのまま高く飛び去る。
 見れば、さっきのさなぎから孵ったようだ。
 茶色い包み紙のような皮は、かさかさになって戸口に張り付いている。

 それを見たとき、まよいは考えた。
 芋虫はさなぎの間、蝶の夢をみるのだろうか。
 飛んで行った蝶は、さなぎの頃を覚えているのだろうか。

 だが、もし蝶が芋虫の頃を懐かしく思っても、あのかさかさの皮にはもう戻ることはできない。


 まよいは後に、この洋館での出来事を思い返す。
 記憶はどこか曖昧で、頼りないが。
「蝶は誰かの魂だっていうお話もあるのよね」
 では、あのときまよいに触れた蝶は、誰かの魂だったのか。
 ひょっとしたら別の夢の中で、まよいは蝶になっていて、見かけた自分自身に思わず触れたのだろうか。
 それともまよいを知る別の誰かが、何かを伝えたかったのか――。

「なんてね。さ、次のお仕事に行かなくちゃ」
 まよいの現実は、今、幻想だと思っていた世界にある。
 どちらが「ほんとう」かは、まよいにはどうでもいいことだ。
 ただ今日も、そして明日も、ワクワクできる日であればいいのに、とだけ思う。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

この度のご依頼、誠にありがとうございました。
以前のご縁から、まよい様の変わらない何か、変わった何かを書いてみようと思い、このような内容になりました。
お楽しみいただけましたら幸いです。
おまかせノベル -
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2019年05月07日

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