▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『女神乾杯 』
スノーフィア・スターフィルド8909

 やりました! 私は、やり遂げましたよー!
 無限城から生還したスノーフィア・スターフィルド(8909)は、絶対死なないガチ装備をそのままに両手を突き上げた。今時ありえない、「万歳」である。でもしょうがないのだおじさんだから!
 帰りがけに不意討ちで斃したレアモンスター。そいつからせしめたゴールドとレアアイテムを換金して神様へ捧げたことで、ついに冷蔵庫的なものやキッチンに支給される食品のグレードがひとつ上がった。
 ああ、お久しぶりです魚肉ハムじゃないロースハムさん! ワインさんも300円台から700円台のものに戻りました!
 ……最初のグレードまではまだまだ遠いわけだが、とにかく支給品がゴージャスになったことで、今後の生活はそれだけ豊かになることだろう。
「あ、お財布にお札が!」
 最近はコインだけになっていた現金の支給だが、今見たら千円札が何枚か投入されていた。謎カードがあればそれなりに買い物はできるのだが、やはり現金がないと諸々不便だ。ドラッグストアで発泡酒ひと缶だけ買うとか。
 今日なら……半ダースいけますね。ああ、なんて豪華な祝杯でしょう!
 思わず外へ向かいかけたスノーフィアだったが、いえいえちょっと待ってください私、ちょっと落ち着きましょうオーケー、落ち着きましたよ。
 まず、迷宮装備で外に出るのはいけない。うん、これは気づけて幸いでしたね。
 次に、外に出るということは、この部屋から出るということ。なんだかよくわからないけれど、東京は怖いところなのだ。そこかしこに得体の知れない危険が待ち受けているような気がする。
 そんなところに自分から足を踏み入れるなんてありえませんよね……。
 危険なだけなら無限城とかも相当なものだと思うのだが、ともあれ。スノーフィアは安全第一の精神でパソコンを立ち上げる。
 絶対外へは出ませんけど、その代わりにネット通販で少しだけ豪華な祝杯を注文しますよー。

「これは……」
 酒を探している中で、スノーフィアは見てしまった。
 歩いていけなくもない距離にある、古ぼけた酒屋。そこでは通常手に入らない、レアな美酒が角打ち――量り売りされている酒を店の角で飲む――で楽しめるというのだ。
 通販で一本買いしたら千円札が何十枚も取られるでしょう逸品を、たった数百円で!
 引きこもってる場合じゃありません!
 というわけで、固き引きこもりの誓いをあっさり振り捨て、スノーフィアは財布を手に部屋を飛び出したのだ。


 やってしまいました!!
 件の酒屋の角で、ガチガチの甲冑姿を晒したスノーフィアは立ち尽くす。
 祝杯に目が眩んで、つい装備を外してくるのを忘れてしまったのだ。道行く人がこちらを見てくるのには慣れっこだったから、ここに来るまでまったく気づかなかった。
「姉さんあれか!? コスプレか!?」
 意外に物知りらしいおじさん(べろべろ)がやっすいコップに注がれた酒をぐいぐい行きながら口の端を吊り上げた。
 あああ、あれは兵庫の山廃吟醸! こんなべろべろになっていたら味もなにもわからないでしょう!?
 心の中でもだもだしつつ、スノーフィアはあいまいな笑みを返してコップを呷る。うん、やっぱり日本酒は新潟ですね。
 一杯めに選んだのは、こしひかりの名産地としても知られる土地が生んだポピュラーな普通酒である。辛くも甘々もない、雑味なき馥郁さはまさに舌を洗い、喉を整えるには最適だ。
 これに合わせる肴はプロセスチーズに蕗味噌を塗ったもの。日本人の好みに合わせてやわらかく仕上げられたチーズの酸味に、蕗の苦さと味噌のコクが実によく合う。
 酒と肴が互いを邪魔せず両立し、両立させあうという、抜群の組み合わせである。うーん、これぞ和洋折衷の至高ですね。
 ――ちなみにこの酒屋、となりの小料理屋が安く肴を卸してくれているらしい。角打ちといえば缶詰つまみが定番だが、こういう共存共栄のしかたもあるのだなと、スノーフィアなどは感心してしまった。
 と、それは置いておいて。
 舌と胃は湿し終えた彼女の、満を持しての二杯めは、新潟の中程にある酒蔵から送り出された生酒である。やや辛口な引き締まった味わいの中に、大吟醸特有のさらりとしたやわらかさが立つ。
 そして肴は、その酒蔵がある小さな町の特産品である油揚だ。通常のものよりも分厚く巨大なのにふんわりとしているのは、真ん中に串を通して二度揚げするからこそ。
 焦げ目がつくまで炙ったそれを、生姜と醤油――しかもアゴ(トビウオ)煮干しを漬けた出汁醤油――で食べると……たまりません! これはたまりませんよ!
 自分の格好も忘れてじたじた足を踏み鳴らすスノーフィア。なぜ彼女がこんなに盛り上がっているかといえば、この油揚が通常、新潟県長岡市まで行かなければ手に入らない代物だからだ。スーパーでも売っているビニールパックの工場生産品では、けして味わうことのできない珍味。実は酒以上にレアかもしれない。
 ぐいっと冷や酒を呷り、また油揚をひと口食む。同じ土地から送り出された酒と肴が奏でる妙なるハーモニー! もう感謝しかない!
 この油揚、次は葱だく納豆をサンドしていただきましょう。などと思いを定めていると。
「そいつに目をつけるなんて、姉さん外国人なのに通だな」
 先ほどのおじさんがまた声をかけてきた。とはいえ、“私”よりは大分若い、多分、30そこそこってところだろう。
「オゥ、ガイドゥブゥックでルックしたです」
 見かけに合わせてカタコトを装ってみたが、あまりの完成度の低さに自分で愕然とする。
「ま、あれこれ事情はあるんだろうけどな。ここじゃあんまりいろいろと曝け出さないほうがいい。厄介なもんを引き寄せちまわないとも限らんからな。たとえば――」
 酔いの内から差し伸べられた生真面目な忠告に、スノーフィアはふと固まった。この人、もしかして私みたいな存在を、知っているのですか?
「――なんだっけか、アレだよアレ! やべぇ、言葉が引っかかって出てこねぇ。飲みが足りてねぇからだな、こりゃ。よぉ、姉さんの油揚ひと切れと俺の鮭とば1本交換しようぜー!」
 とんだ肩すかしですね! スノーフィアはがくっとコケて――「姉さん昭和ネタも行けんのか」とか言われたが――酒を呷る。そして油揚と交換した酒とばをかじって、驚いた。これ、渡す直前にライターで炙ってあります。
 硬い“とば”は熱することでやわらかくなり、脂のコクが引き出されて旨味を増す。これは、こうした場でなにをどうするべきかを完璧に弁えた者のやり口だ。
「草間・武彦だ。職業はケチな探偵さ。よろしくな」
 魔法のように抜き出したオイルライターを振り振り、次いで取り出した紙巻き煙草へ火をつけた。
「スノーフィア・スターフィルドです。職業は、その、自由業、です」
 これがスノーフィアと草間興信所所長である草間・武彦(NPCA001)の出遭いとなるわけだが。
「なんか姉さんとは初めましてって気ぃしねぇなぁ!」
「同じ釜じゃなくて同じ瓶の酒を飲んだ仲ですからね!」
「次なに行く!? 俺ぁ日本酒っ!」
「日本酒しかありませんけどね! ここはひとつ、吟醸を燗でいただく暴挙に出るのはいかがです!?」
「まあ待ってくれよ。やるなら大吟醸の熱燗一択だろ?」
「神をも怖れぬ所業ですね……乗りましょう」
 実はかなり深刻に重要だったはずの会合は、べろべろとべろべろが織り成す濁った合唱に塗り潰されて消え失せたんだった。
東京怪談ノベル(シングル) -
電気石八生 クリエイターズルームへ
東京怪談
2019年05月07日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.