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『重ね日 』
日暮仙寿aa4519)&不知火あけびaa4519hero001

 日暮仙寿(aa4519)が先祖より受け継いだ山。その中腹には小さいながら道場を併設した家が建てられており、彼は少年期から山籠もりのため、幾度となく訪れてきた。
 そしてそれは不知火あけび(aa4519hero001)と出遭った後も変わらない。ひとりがふたりになったちがいはあれ、世俗を離れて心と技とを磨いてきた、特別な場である。


 葉桜がしゃらしゃらすり合い、初夏のにおい映す日ざしを仄かな清涼で飾る。
「早いな」
 時間が流れるのは。濡れ縁の端に腰をかけた仙寿はその両眼をやわらかくすがめ、うそぶいた。
 もうすぐ、想いを告げたあの日がまた巡って来るんだな。
 その視界に幻(み)えるものは、三世の契りを交わした比翼連理の片翼、あけびの背だ。仙寿は心内に拡がる情景の内、想像の歩を踏み出して、踏み出して、踏み出して、あけびの背へ追いついた。
 実際に追いつけるまで、さまざまなことがあった。
 並び立つまでには、それ以上にさまざまなことがあった。
 そしてふたりですべてを踏み越え、ついにはあけびの師匠であり、仙寿の宿縁の敵方(あいかた)である“もうひとりの仙寿”との決戦に臨み――敗れた。
 あけびとふたり、すべてを尽くしてすら届かなかった。そしてリベンジの機会は、二度と来ないのだろう。
 しかし、悔しさはあれど、不思議なほど恨みがましい気持ちはない。むしろ先の自分に教えられたものと思っている。剣の道は、おまえが思うよりはるかに長く、遠いのだと。
 まあ、自分に上から教えられるのは少し業腹だけどな。
 苦笑して、皿に盛りつけた柏餅へ手を伸ばす。とはいえ食らうためではない。自分で作ったそれが人に出すものだからこそ、完成度を確かめておきたかった。
「お茶淹れてきたよー」
 彼の背へ声をかけてきたのは、茶碗をふたつ乗せた朱塗りの盆を持ったあけび。いつものとおり、矢絣の小紋に海老茶の提灯袴という対象女学生スタイルで身を固めている。
「五月っていえば柏餅だよね。男の子のイメージ強いけど」
「ちまきほどじゃないけどな。ちなみに今日は噛み応えを考えて粒餡にしてある」
「玄米茶だし、そっちのほうが合うと思う」
 ふたり並んで腰かけ、餅と茶をゆっくりと味わった。
 不思議なもので、間合が詰まるほどに言葉数は減っていく。言わなければ伝わらないと思い知ってきたはずなのに、言わずとも通うこの感覚が心地よくて、つい黙してしまう。
 あけびは餅を包む葉を開き、柏が香る餅を口へ運んだ。生地の歯触りも餡の甘さと噛み心地も完璧。凝り性の仙寿ならではの仕上がりである。
「おいしい」
「茶もうまい」
 笑みを交わし、ふたりはまたしばし沈黙する。そして。
「もうすぐ夏だね」
 あけびがほろりとこぼした言葉に、「ああ」。短く応えて、仙寿は息をついた。
「やらなくちゃならないことは全部終わったな」
「うん。あとはこれからのことだよね」
「俺が酒を飲めるまでにはまだ少しかかるけどな」
 仙寿の言葉を聞き終えたあけびはひとつうなずいて。
「楽しみにしてる」
 俺の誕生日にはおまえが選んでくれた酒を飲ませてくれ。そう言い添えた彼に、あけびはもう一度うなずいてみせた。
「今日、仙寿が私の二十歳の誕生日にくれたお酒、持ってきたんだ」
 仙寿といっしょに飲みたいと言って、口を開けることを未来へ送った特別な酒。まだ彼が成人していない今、それを持ってきたということは――
「飲まないよ。お守りみたいな感じ。私があのときに決めた心を、今日は一秒だって忘れたくないから」
 ああ、あけびは据えてきたのか。
 これまでふたりで歩いてきた道を、この先もふたりで歩いて行く意志を。
 だからこそあけびは、久々にここへ来たいと仙寿へ言ったのだ。
「山の向こう側に小さな酒蔵があるんだ。日暮用に残しておいてくれている酒があるはずだから……」

 飲めない代わり、今日は仙寿が夕食を用意してくれるというので任せてしまって、あけびは個室として割り当てられた六畳間で大きく息を吸い込んだ。
 ここには幾度も訪れているし、この部屋もその度に使わせてもらっている。そのせいだろうか。家屋へ染みついた仙寿のにおいの端に、自分のにおいがふわりと香るのは。
 あけびは薄笑み、自らの胸を抱いた。
 仙寿の全部に、私が染みればいい。
 仙寿なのか私なのかわからなくなるくらい仙寿に染みて、私なのか仙寿なのかわからなくなるくらい私も染まされたら、いい。
 袴と小袖を衣桁にかけて、あけびは代わりに鮮やかな紫の衣を手に取った。


 イタドリを始めとした山菜の天麩羅が卓に並び、地酒の四合瓶が添えられた。
「お待たせ」
 襖を開いて居間へ出てきたあけびの服装は――
「綺麗だ」
 居間まで羽織り代わりにまとわれてきた和装「大紫」。そこに合わされた木欄の帯は、紫の品を殺さず華やぎを添えている。
「ん、ありがと」
 くるりと一回転、あけびはふわりと笑みを閃かせておいて。
「お酒、甘口なんだよね?」
「ああ。天麩羅によく合うんだって勧めてもらった」
 あけびのグラスに酒を注いでやり、仙寿は水杯を手にして、縁を合わせた。
「明日は私がご飯作るね」
「ん? いや、ここは俺のほうがよく知ってるし、ゆっくりしておけよ」
「大事にしてくれるのはうれしいけど」
 仙寿の唇に指先を当てて言葉を封じ。
「私が仙寿に作ってあげたいんだよ。仙寿のこと、私でいっぱいにしたい」
 まっすぐなあけびの言葉へ、仙寿はやけに渋い顔で応えた。
「まさか夢じゃないよな、これ?」
「夢なんかじゃないよ」
 ふたりがここにいて、互いをこれほどまでに想っていることは。

「最近淡麗系の辛口がいいなって思ってたんだけど、脂物に甘口のコクがいい感じ」
 大きく目を開くあけび。一気にグラスを空けようとして、ぐっと留まった。
「なんだよ? もう飲まないのか?」
 仙寿の問いにあけびは生真面目な顔を向けて。
「お酒に紛らわす気も乗せる気もないから」


 食器をかたづけた後、先に風呂を使った仙寿は、居間から続く濡れ縁の上で胡座をかいて月を見ている。
 昔から、道場から引き上げてくるときはかならずここに座って汗が引くのを待ち、景色をながめてきた。殺すための剣を置く心情的な儀式でもあったが、山を満たす静謐は、なによりも彼を落ち着かせてくれたから。
 昼間もそうだったが、俺は緊張してるんだ。
 柏餅を濡れ縁で食したのは、家の内という、秘められた場であけびと向き合うことが怖かったのだ。
 もちろん、そのときが来ることを、ではない。
 あけびの心が定まらぬうち、己を抑えきれなくなることがだ。
 女には想像できないんだろうけどな。
 息を整えて、吐く。
 彼にとって、この生でただひとりの女が、心を定めたことを告げてくれた。
 次期当主としてひと通りの知識だけは仕込まれているが、だからといってそれを十全になぞれるわけもなく、結局はぶっつけ本番であることに変わりはない。
 そこへあけびがやってきて、となりに腰を下ろした。
「お昼のときと同じ感じ?」
 あらためて着つけた大紫は、わずかに襟をゆるめられている。他意があるわけではないだろう。湯上がりだからだ。
「ここがいちばん落ち着くんだよ」
「前も言ってたね。刺客じゃなくて剣士に戻る儀式みたいなものだったーって」
 あけびは封の切られていない“お守り”の酒瓶を片脇へ置いた。そして月明かりを受ける瓶へ目線を落とし、透けた影を見やる。
 そうだな。緊張してるのは俺だけじゃない。むしろあけびのほうだ。
「今はもう、そんな儀式も必要ないはずなんだけどな」
 尻を前にずらし、背を柱にもたせかける。視線の高さをあけびに合わせて――少しでも、怖がらせないように。
 と。あけびは仙寿をまっすぐに座りなおさせ、下からまっすぐ彼を見上げて。
「合わせてくれるのうれしいけど、それはそのままの仙寿じゃないでしょ」
 彼の胸に頬を合わせ、鼓動を聞く。
 私の覚悟が仙寿を高鳴らせてる。
 それなのに仙寿はこんなに私のこと大切にしてくれる。
 そんな仙寿に、どうしたら私の気持ち全部、伝えられるかな。
 悩みかけて、気持ちの芯以外の全部を振り捨てた。
 体を伸び上がらせて、彼の唇に唇を重ねる。夜気に冷えた仙寿へ自分のぬくもりを灯し、そっと唇を離し。
「言わなくても伝わることだけじゃ、私の気持ち伝えきれないから」
 耳を食むように、ささやきかけた。
「愛してる。世界がいくつあるかなんて知らないけど、私が私を尽くすのはこの世界で出逢えた仙寿だけ」
 仙寿はゆっくりと顔をあけびのほうへ向け、頬に頬を重ねてうなずいた。
 剣の道を行く以上いつ果てるとも限らない身の上だが、それでも。
「死が俺たちを分かっても、それこそ異世界へ流されたって――俺のよすがはおまえだけだ」
 ばか。
 音にしない声で紡ぎ、あけびは強く仙寿を抱く。
「あたりまえのことすぎてまだちゃんと言ってなかったかも」
 ありったけの意志を腕と言葉の両方に込めて、告げた。
「離れないんじゃなくて、離さないから」
「ああ」
 あふれ出る想いのままに仙寿はあけびを抱きすくめ、そのまま抱き上げる。
 俺はまだ一端なんて言えるような男じゃないが、おまえを抱えられるくらいの力はあるつもりだ。
「俺だってもう、あけびを離してやる気なんざないからな」

 力をかけないよう、仙寿はあけびの帯へ手をかけた。
 こんなときばかりは、和装に親しい生まれへ感謝する。考えるよりも指が動き、もたつくことなく綺麗に解き落とせた。
 って、こんなときまで面子に拘るとか、男って本気でしょうがねーな。
 と。
「仙寿」
 紫で飾られたあけびが彼を呼ぶ。頼りなげに細い声音なのに、限りなくかろやかで、果てしなく艶やかで。
「あけび」
 不思議なほど、やわらかく応えられた。
 綺麗事ではすまされないばかりの激情は、今も仙寿を突き上げ続けている。しかし、その奥から染み出してくるあたたかな愛しさが、仙寿をやさしくあけびへと導いた。
「愛してるよ、仙寿」
「あけび、愛してる」
 互いの声音を追いかけて、追い越して、追いついて――いつしか折り重なった。


 味噌の煮える匂いが、仙寿を眠りの波から引き上げる。
 ああ、先に起きられたんだな。そう悟って身を起こせば、ぱたぱたとあけびが駆け込んできて。
「もう! 朝ご飯できてるよって起こしたかったのに!」
 それはいつもとまるで変わらないあけびの様で、仙寿は思わず笑んでしまう。
 俺もそうだ。情を交わせばなにか変わると思い込んでいたが、そうじゃない。俺たちは変わらないんだ。
 だって俺たちは、交わす前から通ってたんだからな。
「もう不覚は充分に取られたさ」
 それだけを口にして、仙寿はゆるんでいた寝間着の襟を正して立ち、着替えに向かう。さすがにまだ、着替えを晒せる気分ではない。もしかすればいずれ気にしなくなるのかもしれないが、少なくとも結婚するまでは……
「結婚か」
「いつでもいいよ」
 仙寿が思いがけず漏らした言葉に、あけびはなんでもない顔で言い返した。
「だって私たち、お互いにお互いしかいない。でしょ?」
 それに仙寿って“たらし”なとこあるから、ちょっと不安だしねー。そんなことをあけびは言うが、仙寿に思い当たるところはなくて。
「せめて大学を出てからだな。周りになんの文句もつけさせたくないし、楽しみは取っておきたいところもあるしな」
 問題は、神前式にするか人前式にするか。まあ、これはそのときが来たら、主役のあけびの希望で決めればいいことだろう。
「白無垢もいいけどドレスもいいよね。どっちでも引き出物は仙寿のお菓子で!」
「新郎の俺が作るのかよ。いや、いいんだけどな」


 手早く着替えて、仙寿はあけびの調理を後ろからながめる。
「なんでわざわざ見てるかなぁ」
「手伝うなって言うし、だったら背中くらい見せてくれてもいいだろ。男はそういうのが好きなんだよ」
「一般論なのか仙寿の癖なのかわかんないから」
 喉の奥をくつくつ鳴らすあけびに、仙寿は肩をすくめてみせた。

 ありものの玄米と菜、茸の味噌汁という質素な朝食だったが、うれしくて楽しい。あけびが自分だけのために作ってくれたものだから。
「帰ったらもっとちゃんとしたご飯作るね」
「手伝うのが邪魔ならまた背中見とくか。それはそれで――むしろそれが楽しみだ」
「それで仙寿が楽しいんだったらいいけど……」
 なんでもない会話の中で昨日よりずっと近づいた距離を感じながら、ふたりはずっと前からすでに通っていた心を、笑みを、あらためて交わした。
  
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2019年05月07日

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