『【任説】弓使いの少年』

アーテル・V・ノクス（aa0061hero001）

　息を細く吐き出す。
　ピンと張った空気が己の息遣いに震えている。
　引き絞った気を、それと知られないよう自然体で解放して。

　的のど真ん中を射抜いた鏃を見て、思わずガッツポーズした。

「ッシ！」

　演習場には人があまりいない。皆こぞって『外』に飛び出していくからだ。だから少年、アーテル・V・ノクス(aa0061hero001)にとって、この場所は秘密の特訓場だった。
　まぁ、管理されている場所で秘密も何もないのだが。

「おっ、やってるな」
「あ、おやっさん！」

　少年以外誰もいなかった演習場に人影が訪れる。
　その顔を見た少年の表情がパッと華やいだ。

「１０本中７本がど真ん中か。外れたものもほぼ中心と言っていい。さすがだな」
「へへっ、そうだろ！　見てろよ、いつか英雄になってやっからな！！」
「カッカッカ！　威勢のいいこった！！」

　少年が当てた的へと近寄って、その男性は感心したように頷く。髪こそ白いものが目立つが、その身は筋肉で引き締まっており、並の男性など歯牙にもかけないだろう強者の風格を備えていた。片目を覆う眼帯が気にならないほど、その身には大小様々の傷が見て取れる。見るからに、歴戦の猛者だった。

　そんなガタイのいい男が、華奢な少年の頭をガシガシと揺さぶっている。……否、当人にそんな気は微塵もなく、単に頭を撫でているつもりなのだろうが。
　痛いだろうに、黒く長い髪を乱されるがままの少年は嬉しげた。

「なら、次は動きながら的のど真ん中に当てる練習だな」
「ええー！！」

　次の課題を言い渡されて、少年はむくれた声を上げる。が、嬉しげな雰囲気は隠せていない。己の能力が認められたのが嬉しいのだ。
　男から見れば、まだまだ幼い子供。自分が庇護する形になったこの少年のことを、男は殊の外、気に入っていた。



　それから、しばしの時が過ぎた。

「どうだ！！」

　少年が持ち帰った獲物を見て、男は唸りそうになる喉を意識して抑えた。

「これなら文句ないだろ！」
「ううむ、そうさなぁ……」

　胸を張る少年を見、少年が獲ってきた野ウサギを見、思わず吐き出しそうになったため息を顎下に手をやることで苦労して飲み込んだ。

　少年が狩ってきた野ウサギは、喉元から脳天にかけてを見事に射抜いていた。その数、三匹。
　そう、少年の年齢から鑑みれば見事すぎるほどの腕。
　野ウサギは警戒心が強い。これほど見事に脳天を撃ち抜いているということは、野ウサギが巣穴から顔を出した瞬間を狙ったのだろう。
　弓の正確さもさることながら、その忍耐力も同年代の間では群を抜いているのだろう。熟練の狩人でもこれほどの腕前を持つものはそう多くあるまい。

　だからこそ、男は少年が心配だった。

「確かに、お前の弓の腕は文句なしに上手い」
「じゃあ！」
「だが！！」

　ぱぁっと表情を輝かせた少年を押さえつけるように、男は大声を張り上げた。すっかり認めてもらえるつもりだった少年が面食らった顔をする。
　その表情に罪悪感を苛まれながらも、男は少年を許さなかった。

「お前に『仕事』はまだ早い！！」
「なんでだよ！！」

　厳しい表情を崩さない男に、少年は悲痛に叫んだ。その純真な瞳には涙すら浮かんでいる。
　そういうところだ、という言葉を、男は腹のなかで抑え込む。

「なんで、なんで！！　弓の腕は上から数えたほうが早いくらいだ！　五本の指に入ってる自信だってある！！　おやっさんから教えてもらった体術だって完全にものにした！！　この団で俺が敵わない人なんか殆どいない！！」

　魂の叫びだと言ってもいい、悲痛な声だった。
　男所帯でも指通りの良さを保つ長い黒髪を首を振ることで振り乱し、生に輝く黒い瞳を涙にけぶらせ、先進全霊で叫ぶ少年。
　その姿を見ているのが辛くて、愛しさゆえに男は少年から目を逸らした。

「……だとしても、だ。……この『仕事』は強さだけで生きていけるほど甘いもんじゃねぇ。今のお前に任せたところで、どっかでおっ死ぬのが関の山だ」

　その言葉が、男の言える全てだった。

　男が率いていた団は、いわゆる傭兵団というやつだった。腕っ節自慢の荒くれ共を圧倒的な力と度量で率いて、近隣の住民からの依頼を受けて生成を立てている、どこにでもあるような荒くれ者たちの集団だった。
　住民を守る傭兵団、と言えば聞こえはいいが、男たちの扱いは、社会という大枠で見れば底辺に等しい。権力者に捨て駒のように扱われることだって多々あった。

　そんな場所にあって、少年は太陽のような存在だった。

　子供の扱いなんて知るわけもない、どちらかと言えば子供に嫌われてきた団員を慕う、犬っころみたいな子供。
　いつの間にか、自分を見上げる視線が随分と近くなった。もう「子供」と呼べる年齢でもなくなった。
　けれど、いつだって、男の脳裏に浮かぶのは、己を慕って顔をくちゃくちゃにして笑う、黒髪の子供の姿なのだ。

「――ッ、おやっさん！！」
「これ以上話すこたぁねぇ。いいか、くれぐれも一人で『仕事』に行こうなんざ考えるなよ。わかったな」

　頬を、目を、真っ赤にしてぼたぼたと涙を流す少年を今すぐにでも抱きしめてやりたかった。お前はこんな汚れ仕事なんぞしなくてもいいのだと言って、涙を拭って、額を合わせて笑いかけてやりたかった。少年が子供の時にそうしていたように。

　けれどそれだけはできない。この『仕事』に誇りを持つ自分と少年の想いを踏みにじる真似だけは、どうしてもできない。

『おれ、いつかおやっさんと一緒に仕事いくんだ！』

　そう言って笑っていた少年の思いを否定することは、したくなかったのだ。

　これが、男が少年の姿を見る最後の日となるなど、この時は思ってもいなかったから。

「団長、小僧が！！」
「あいつがどした？！」

　翌朝、自室へ血相を変えて駆け込んできた団員に、男は嫌な予感を覚えた。

「小僧の姿がありやせん！！　荷物もごっそりなくなってて！！」
「……ッ」

　ああ、そうだった、と、男は唐突に思った。
　そうだった。もう少年は、『青年』と呼ばれる年齢になっていたのだ、と。

「……」
「団長……？」

　長く深い息を吐き出してどっかりと椅子に座り込んだ男を、団員が訝しげに見ている。傷だらけで無骨なだけの片手で両目を覆い、椅子の背もたれにすっかり背を預けて、シミだらけの天井を仰ぐ。

「……好きにさせとけ」
「っしかし！！」
「いい。……俺が悪かった」
「団長……」

　男が頑なに少年を――いや、青年を仕事に出したがらないことは団員全員が知っていた。そして少なからず同じ気持ちだったからこそ、誰も、何も言わなかった。

「……なぁおい」
「へい」
「……ガキがデカくなんのは、はえぇなぁ」
「……へい」



　その傭兵団がとある「英雄」の噂とその顛末を聞いたのは、その数年後のことだった。

「……だからお前に、この『仕事』はまだ早いっつったんだ」

　そう、静かにポツリと呟いた男の表情は、逆光で黒く塗りつぶされたように暗く、窺い知ることはできない。
　けれど、男が立ち去ったあとには、小さなシミがいくつか、残されていたという。

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2019年05月07日