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『あの日交わした約束を 』
浅黄 小夜ka3062)&鬼塚 陸ka0038

 身体が軽いとはまさに今のこの感覚を指すのだろう。キヅカ・リク(ka0038)はそんなことをぼんやり考えながら、四年を越える年月を過ごした割には漠然とした記憶といつかあの子から聞いた言葉を辿ってリゼリオの街を歩く。
(――人間の適応能力って凄い)
 なんて、他人事のような感想が思い浮かぶ。ほんの数時間前まで想像もしていなかった事態に放り込まれても大抵は何とかなるものだ。そんな拍子抜けする依頼も、逆に危険は少ないと判断されていたのに不測の事態が一つ発生しただけであっという間に覆されたものもあった。精神的にも肉体的にも緩やかに自らが置かれた状況に慣れていく。
 クリムゾンウェストの現状は、決して芳しいものではない。リアルブルーから転移してきたばかりの頃は剣や魔法といった単語が日常の一部として組み込まれていることに、別の世界だと実感する以上にまるでゲームの中に入ったみたいだと思った。勿論今はそんな風に思っていないが似たような感覚は味わっている。邪神はやり方を間違えてしまったが滅びを越えようと足掻いた者が求めた産物だった。その志に自分と通じるものがないとは言えない。だが同情を覚えるには歪虚が奪っていったものはあまりに大きく、明け渡しても万事上手くいくという保証もないのだ。だから、と人知れず拳を握る。足取りが速くなり、やがて一軒の店の前で立ち止まった。
 扉を開けて入っていくといらっしゃいませ、と明るく元気な声に迎えられる。リクが想像していたよりも繁盛しているようで、店内では多くの人々が談笑に興じている。テーブル席は埋まっていて観光課発行のパンフレットを手に楽しそうに話している一団と、真逆を行くように真剣な面持ちで声を潜めポツリポツリと言葉を交わしている人たちとで分かれていた。後者はハンターかソサエティの関係者か。もしもあの話をしているとしたら不用心極まりないが、整理しきれない感情を吐露したい心中は理解出来る。
 近付いてきた従業員はいつか、リクが依頼仲間と一緒に祝勝会でここを使ったのを覚えていたらしい。親子程というのは言い過ぎにしても明らかに年下である自分に対して、世間に公表されている戦況を踏まえて気遣いと労いの言葉をかけてくれる。心配がありありと窺える表情に何故だか母親の顔を思い出しながらもありがとうございます頑張ります、と当たり障りのない返答しか出来なかった。本当なら安心させるような言葉をかけられたらと思う。この女性の境遇を考えると尚更。しかしこれはソサエティや各国の要人が集まっても総意を得るのは難しい話で、感情だけで無責任に前向きな発言はしたくない。ただ自分の中で答えは思いの外あっさり決まっていて、
「――何があっても僕は、最後まで戦い抜きます。それだけは絶対に約束出来ます」
 告げると従業員は目を瞬いて、それから微笑む。細められる目元に少し皺が浮かんだ。何か言いかけたがかぶりを振って、世間話が少し長引いたことを気にしてかキッチンの方を一瞥した後、申し訳なさそうに頭を下げ相席でもいいですかと訊いてくる。
「僕の方はそれで大丈夫ですよ。こちらこそ、長話になっちゃってすみません」
 少し砕けた口調で言えば彼女はいえいえと楽しげに笑い、席に案内する為に歩き出す。その後をついていきながら失礼にならない程度に周囲を見回した。ここは観光客向けに少々値は張るがリゼリオ産の美味しい魚介類を使った料理を提供しており、関係者以外に依頼の詳細を語ってはならないというルールがあることから諸々察してくれる同業者の店が行きつけというハンターも多い。なので知り合いはそうそう居ない筈――と若干の緊張を伴う。やましいことがなければ大人数で食べるのも好きなので偶然鉢合わせるのも歓迎だが、生憎と今のリクにはやましいことしかなかった。
 そうして前は連れがいたのか、二人用テーブルに女性が一人で座っている席を従業員は示した。こちらからは黒髪をうなじの辺りで結んでいること以外判らない。女性に親しげに肩を叩かれた彼女は何か小声で返して、従業員が知り合いでしょうと言い、見えるように位置をずらす。
「リクのおにいはん……?」
 と目を丸くするのは同郷の友人である浅黄 小夜(ka3062)。彼女を見返しリクも得心する。カウンター席には空きがあるのに何故相席を提案されたのか疑問だったのだ。二人が知り合いだと分かっていての判断か。椅子の背凭れに手を乗せつつ訊く。
「小夜ちゃん。隣、お邪魔してもいいかな?」
「はい。……いえ、けど……」
 直ぐに答え、しかし小夜は言い淀んだ。人差し指で下唇に触れて考える仕草。紫色の瞳が上目遣いにこちらを見やる。同伴者が離席しているだけなら彼女はそれをはっきりと言葉にするタイプだ。そうじゃないけど一緒にご飯を食べるのは躊躇する理由とは。僕なんか余計なこと言ったっけ、とここ数ヶ月の間に小夜と何かあったか記憶を手繰り寄せてみても特別思い当たるふしはない。
「……おにいはんがよければ、小夜はそれでええです」
 むずむずと緩む唇は喜色を窺わせ、しかし何処となく腑に落ちない気持ちが残る。とはいえ小夜の話を聞くにしても腰を落ち着けてからがいい。そう判断してリクはそれじゃあ、と彼女の正面の席に座り、小夜に差し出されたメニューを受け取った。今は丁度お昼時だ。眺めていると急に空腹を自覚して、そういえば昨夜から何も食べていないことを思い出した。ただそれ程食欲はない。残してしまうのも気が引けるので普段より控えめの量を注文する。暫くお待ち下さいと言って離れていく従業員の背中を見送って、自然と溜め息が零れた。ここに来たはいいが特に何も考えておらず、先程の言葉だって助けにならない。
「……如何しはったんですか……?」
「ああいや、ごめん。そういえば小夜ちゃんもあの人のことが心配で見に来たの?」
 聞くと彼女はこくりと頷く。そもそも女性と親しいのは小夜の方で、むしろリクがここに来たことの方がずっと珍しい。小夜は少し躊躇い、口を開いた。

 ◆◇◆

「……前よりはずっと、元気にならはったと思います……。けど、いなくなった人のことはずっと……忘れられへんままやって思うから……」
「……うん、そうだね」
 あの従業員の女性は、リアルブルー出身で小夜と同じ訛りを持つ夫が失踪した過去を持つ。その彼とは面識はないものの、ハンターなのも一緒だから話してみたいと思っていた。しかし機会は失われ、今も尚状況は変わらない。普通に考えれば何かしらのトラブルに巻き込まれ行方不明になったのだろう。月日の流れを鑑みるに生存の可能性は限りなく零に近い。後は一縷の望みにかけるしかないが、それは今のこの世界を犠牲にすることと同義だ。
 小夜の望みは転移してきた時と変わらず、家へと帰ることだ。今はどうあっても叶わなくても、諦めず努力し続けている。そうしてハンターとして活動してきた日々は小夜に、自分と同様の気持ちを抱えて生きている人や、あの女性のようにただ大切な人の帰りを待つしか出来ない人の想いに触れて寄り添いたいと願いを抱かせた。だから言わば――分かってしまうのだ。何もかも分からなくなって歪虚になっても自分の世界を守りたいと思うその心が。分かるから、揺れる。
「遺されるのは悲しくて辛いことだ。でもまだ終わりじゃないなら、僕は諦めたくない。どれだけ無謀でも手が届く限りは絶対……諦めない」
 そう言葉を続けるリクの瞳は真っ直ぐ小夜を見返す。彼が歩んできた道だってとても平坦と呼べるものではなかった。自分の前ではいつだって頼りになって、寂しさを堪えきれない時には励ましてくれた。助けられてばかりだから、何か返したいとずっと思っている。テーブルの上で握られる拳に視線を落とし小夜は首を振る。
「……リクのおにいはんは、強いと思います。……でも……頑張り過ぎたらおにいはんまでどうかなるんやないかって……小夜は怖ぁなるんです」
 祈るように組んだ手が少し震える。始祖たる七やその分体に、邪神翼。それらに限らずオフィスに多々舞い込む依頼の最中にも人は傷付き、時には命を落とすことになる。ここでは人の生死は向こうより遥かに身近で、決して他人事ではなくて。
「お願いやから……リクのおにいはんも……自分を大事にしはって」
 じっと見上げて懇願しても彼は言葉に詰まっている。依頼の際に効果をもたらすと分かっていれば嘘を突き通す強かさも持っているけれど、戦いから離れたリクは真正直でこういう時に場当たり的な誤魔化しはしない人だ。
(……だから、ズルいかもしれへんけど)
 一呼吸の間を置いて小夜は言葉を紡ぐ。
「――小夜との約束を、破らんといて下さい」
 告げるとリクはぐっと何かを堪えるような顔をして、強張りがほどけると唇の間から細く長い息を吐き出す。喧騒に紛れるほど小さな声で何度か相槌を打ち、外れていた視線がもう一度こちらを向く。柔らかな笑顔が浮かんで、重苦しく間を包む空気が和らいだのが分かった。
「忘れてたわけじゃないんだけどさ、でも……言ってくれてありがとう」
 小夜自身も経験はあるし、やむを得ない状況だったと理解出来る。しかしこのところのリクの負傷回数と度合いはあまりに酷くて、それを知る度に胸が締め付けられるような思いをしてきた。なまじ戦いが佳境を迎えたのもあって、ギルドショップもハンターの肉体的な負担を抑えようと注力し、怪我の回復を促進する薬の安定供給を実現した。その結果助かった命は確かにある。それ自体はいいことだ。けれど治り易くなったということは同時に危険な選択肢を取り易くなったということでもある。戦いの激化が動機で選択は最適解なのかもしれない。それでも跡形もなく傷が消えても、傷付いた事実は残り続ける。本人も与り知らぬうちに心身をすり減らすかもしれないし、感覚が麻痺して死亡に繋がるかもしれない。――それはとても恐ろしいことだ。
「ずっと一緒にいるし、何があっても絶対に帰る。そう約束したからね。だからもっと強くならなきゃなって思うけど……こんな心配ばっかりさせてちゃ世話ないよな」
 実はさ、とリクが言葉を続ける。重体になり医務室に担ぎ込まれて目覚めたら一緒に戦っていた人たちや友人たちが引っ切りなしに訪れ、怒られたり泣かれたりと様々な反応に迎えられたらしい。かけられる声の一つ一つに感情が篭っていて、だから殊更に“誰もが生きれる明日を作る”という願いが膨らんでいき最善策を採る為に危険な役目を買って出る。そんなループに陥っていたと彼は笑う。
「まだ念の為に自宅療養だって言われたんだけど、なんか居ても立っても居られなくて。今の僕に出来るがあれば、って考えてたら、小夜ちゃんの話を思い出したんだ」
「……覚えてくれてはったんですね……」
 勿論と笑うリクに小夜はじわりと胸の奥が温かくなるのを感じた。あの女性の為に何かしたい気持ちはあるのにどうすればいいか分からなくて、いつも頼ってばかりという引け目を感じつつも一度だけ彼に相談したことがある。沢山悩んで僕なりの考えだけどと前置きし、側にいて話を聞くだけでも少しは気が楽になるかもしれないと言ってくれた。優しさと勇気を貰えたから今ここにいる。
「あの時、リクのおにいはんは……自分が無理したら、元も子もないって……そう言ってたのに」
「うっ……ごめん」
「もし……小夜が側にいても、どうにもならないかもしれへんけど……おにいはんが困った時は、小夜が必ず、助けに行きます」
 それはいつからかずっと思っていたことだ。精神面ではまだ届かなくても魔術師として磨いてきたスキルで彼を、人を助けることは出来る。返ってきたブーメランにわざとらしく胸を押さえていたリクは顔を上げて笑った。小夜を安心させてくれる快活な笑顔で、頼もしいなぁととても楽しそうな声音で言う。そしてお待たせしてすみませんと注文の品を持ってきた女性に顔を向けて、
「色々話が出来てよかったです。ありがとうございました」
 と、お礼まで言うので女性はきょとんと首を傾げる。噛み合わない二人の様子を見て小夜はつい吹き出した。一人では弱く頼りない力でも、束ねて撚り合わせれば理想を現実に変えることが出来る。そんな希望が確かに胸の中で息衝いた。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ここまで目を通して下さり、ありがとうございます。
小夜ちゃんからリクさんへの「優しい約束」表記が気になったので
一緒に受けている依頼を探してみて、そうしたら近頃のリクさんの
重体癖(?)と合わせて考えるとこれは……というところから、
こんな感じのお話にさせていただきました。
ちょっと歳の離れた兄妹っぽいイメージがあります。
今回も本当にありがとうございました!
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2019年05月09日

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